私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

映画「アバター」

2010-06-16 09:24:59 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 
 以前に、病気でもたもたしていたので評判の映画『アバター』をまだ見てないと書きましたら、親切な友人がDVDを送って下さったので、家で見ることができました。予期した通り、この映画は、良い意味でも悪い意味でも、私にとって最高に面白い映画でした。
 この映画のストーリーなどについては、ウィキペディアの『アバター(映画)』の項に分かりやくす詳しい解説がありますので、観ていらっしゃらない方は参考にして下さい。映画批評は、日本語でも英語でも数多くなされていて、大まかに言って、5点満点で4点、好評のようです。ほめられている一番の理由は、映画の3D映像のすばらしい迫力にあるようで、2DのDVD画面を見た私にも、その迫力が想像できるように思われる場面が沢山ありました。私がこれまで読んだ批評で、読み応えがあったのは、どれも英語で書かれたものです。よく調べたわけではありませんが、日本には十分の長さを持つ本格的映画評をのせる出版物がないのではないかと心配です。ニューヨーク・タイムズのManohla Dargis(Dec. 18/2009)の長い評論には390の読者からのコメントが付いていています。左翼的なウェブサイトhttp://www.commondreams.org/に英国のガーディアン紙から転載されたGeorge Monbiot (Jan.12/2010)の批評にも125のコメントが付いていて、こうした論評と多数のコメントを合わせて読むと、なかなか面白く、また考えさせられます。明らかにナヴァホ(Navaho)インディアンの人が書いたと思われるコメントの一つには、未開の星パンドラに生息する人間型の種族ナヴィ(Na’vi)はナヴァホに引っかけてあり、はるばる地球からパンドラに侵攻してきた人間たちが狙っている希少鉱物アンオブテニアム(Unobanium or Unobainium)はニューメキシコのナヴァホ保留地の中にあるユレニアム(Uranium,ウラン)に引っかけてあるのだと主張されています。これには、きわめて現在的な意味があります。
 ニューメキシコ州の広大なナヴァホ・インディアン保留地やその近辺の地層にウランがあることは以前から知られていましたが、アメリカが原爆製造に乗り出した1940年代以降、特に、1950年に有望なウラン鉱脈が発見されてからは、幾つもの会社が乗り込んできてウランの採掘、選鉱が盛んに行なわれ、それに多数のナヴァホの人々が雇用されましたが、それらの労働者たちは高い比率で肺がんを発症し、放射線被曝の病状を示すナヴァホ・インディアンの数は数千人に及ぶようになりました。
1979年3月28日、米国ペンシルベニア州のスリーマイル・アイランド原子力発電所の原子炉の炉心が溶融する事故が起りました。米国史上最大の原発事故として広く知られています。同年7月16日、ニューメキシコ州のチャーチ・ロックのウラン鉱石処理場から出る選鉱かすと廃水を貯めてあった貯水池のダムが決壊して、千トン以上の選鉱かすと9千3百万ガロンの汚染廃水が近くのプエルコ川に流れ込みました。この事故で放出された有害放射線の総量はスリーマイル・アイランド原発事故のそれに匹敵する大きさであったのに、それによる土壌や水の汚染が十分に意識されなかったため、その地域のナヴァホ・インディアンたちとその家畜たちは大きな被害を受けたのですが、このチャーチ・ロック事故は、スリーマイル・アイランド事故にくらべて、ナヴァホ・インディアン以外の人々の記憶には殆ど残っていません。ニューメキシコやアリゾナのナヴァホ・インディアン保留地での長期間にわたる放射線による被害のため、ナヴァホ族は2005年にウラン採鉱禁止を宣言し、被害者に対する補償を要求しています。
 現時点では、ナヴァホ・インディアン保留地からウラン鉱山会社は撤退した状況ですが、ここに来て、オバマ政権は米国のエネルギー政策を見直す意図を明らかにし、その重要な一環として、またまた原子力発電に力を入れようとしています。その動きに応じて、ナヴァホの保留地内で、再びウランの採掘を行なう計画をエネルギー関連の会社が進めているようです。映画『アバター』では、地球人(アメリカ人)からナヴィ人に寝返りした元海兵隊員の白人のお蔭でナヴィ族は見事に侵入地球人を撃退追放することに成功しましたが、それから後のストーリーがどうなるのかが気になります。ジェームズ・キャメロンさんに聞いてみたいところです。
 ニューヨーク・タイムズの『アバター』評に寄せられたコメント#364には、「アバターを“Pocahontas”と“Dances with Wolves”(1990)に較べる人が多いが、私はダスティン・ホフマン主演の“Little Big Man”(1970)の方にもっと近いと思う。・・・観客は、(アバターで)クオリッチが死んだとき歓声をあげたが、(リトル・ビッグ・マンで)カスターが死んだ時にも同じように歓声をあげたものだ」と書いてあります。クオリッチは、もと海兵隊大佐、パンドラの希少鉱物アンオブテニアムを狙う資源開発公社の傭兵部隊の指揮官です。カスター将軍はアメリカ合州国史上の有名人物で、先住民に数々のひどい仕打ちを加えた挙句、リトル・ビッグ・ホーンの戦いで倒れ、率いていた部隊は馬一頭を残し、全滅しました。この男カスターと彼の死に捧げられた詩人ホイットマンの馬鹿馬鹿しい讃歌については、拙著『アメリカン・ドリームという悪夢』の一節「ホイットマンとカスター将軍」(p149)に書きましたので、興味のある方はご覧下さい。
 私は『アバター』を映画館で見ていませんので、映画の終りの長すぎる暴力シーンの果てにクオリッチが死んだとき、観客が歓声を挙げたかどうか知る由もありません。『リトル・ビッグ・マン』はカナダの映画館で見ましたが、カスターが死んだとき、館内で歓声があがった記憶はありません。しかし、上のコメント#364さんの云うことが本当なら、これは面白い現象です。“Little Big Man”が1970年、“Dances with Wolves”が1990年、“Avatar”が2010年の映画ですから、アメリカの一般大衆は、20年ごとに、同じようなインディアン同情映画を観て、同じようにインディアン側について、白人(つまり自分たち)がやっつけられるのに歓声を挙げているということになります。これは一体どういうことでしょうか?
 私は次のように考えます。アメリカの白人たちは、建国以来、先ずは、先住民の土地と資源を奪い、その数百万人のほとんどすべてを抹殺し、続いて、フィリピン、ハワイ、中米、南米に侵攻して原住民たちに同様の苦しみを与え続けています。ベトナム、イラン、アフガニスタン、イラクなども加えなければなりません。随分と悪いことをしてきた、今もしている、という罪の意識は、かなり多くのアメリカ白人の意識の底に沈潜していると思われます。それがこうした映画に面白い形で反応するのではありますまいか。つまり、これらの映画はアメリカ人にとって、Feelin’good映画なのです。映画を見ながら、可哀想な犠牲者を救ってあげる立場に自分の身を置いて、しばし、「いい気持ち」になるのです。だからといって、こうした映画が、アメリカ人を見ない前よりもましなアメリカ人に変えて映画館から送り出すかというと、残念ながら、そうではないようです。同じような映画を20年ごとに見ても、あいかわらず、自分たちの気に入らない人間たちに襲いかかるのをやめないのですから。
 昔、どこかで一幅の古い西洋宗教画を見たことがあります。川か湖の岸辺に一人の聖者が立って、集まってきた大小沢山の魚たちにお説教をしているという絵柄でした。ボス風の絵でしたが、画家の名前も、聖者の名前も、説教に聴き入っている大きめの一匹の魚の名前も忘れてしまいました。でも、絵に付いていた説明の骨子だけはよく覚えています。:「この魚(名前が付いていました)は、他の魚を愛せよというお説教を気持ちよく熱心に聴いているのだが、お説教がすめば、また今まで通り、他の弱い魚をがぶがぶ食べる習慣に戻って行く」
 アメリカという国についてのコメンタリーとして映画『アバター』を語り始めたら、ほんとに切りがないような気がします。アカデミー賞で『アバター』を打ち負かした『ハート・ロッカー』についても、同じことが云えそうです。こちらの映画は見ていませんし、見る気もあまりないので、評言は差し控え、その代わり、私が尊敬するラディカルな映像作家ジャーナリストのJohn Pilgerのhttp://www.johnpilger.com/ にある“Why the Oscars are a con”(11 Feb 2010) をお読みになることをお勧めしておきます。ここでは、Avatarはもちろん、ハート・ロッカー もInvictus も一刀両断に切り捨てられています。
 ただ、ハート・ロッカー について、最後に一つだけコメント。別の映画解説から知ったことですが、この映画の始めには、元従軍記者のChristopher Hedges の言葉:
“The rush of battle is a potent and often lethal addiction, for war is a drug.”
が掲げてあるそうです。「戦闘の喧噪には、強力な、しばしば死を招く中毒性がある。なぜなら、戦争は麻薬だから」と訳しておきます。rush という言葉にすでに「(麻薬による)快感、ぞくっとする感じ」といった意味があるようです。さて、Chris Hedgesといえば、アメリカの帝国主義的行為に対する極めて辛口の評論をhttp://www.truthdig.com/chris_hedges に発表しているコラムニストとしてよく知られている人物ですから、ハート・ロッカーの冒頭に彼の言葉が掲げてあれば、これは立派な反戦映画だろうという先入観を植え付けられてしまう観客が少なくないでしょう。映画を見ないで、断言的な悪口を叩くのは少し気が引けますが、このあたりに、ハート・ロッカーの監督キャスリン・ビグローのいやしい精神を支配する欺瞞が、いや、アメリカの知識人たちの精神を支配している巨大(colossal)な欺瞞の片鱗が、ちらちら見え隠れしているように、私には思われてなりません。

藤永 茂 (2010年6月16日)