松木家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/16 14:21 UTC 版)
松木家 | |
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本姓 | 藤原北家中御門流嫡流 |
家祖 | 藤原宗俊 |
種別 | 公家(羽林家) 華族(伯爵) |
出身地 | 山城国 |
主な根拠地 | 山城国 |
著名な人物 | 藤原宗俊 藤原宗忠 藤原宗家 藤原宗輔 |
支流、分家 | 持明院家(羽林家・伯爵) 坊門家(公家) 寺島家(武家・伯爵)? |
凡例 / Category:日本の氏族 |
松木家(まつのきけ)は、藤原北家中御門流の嫡流にあたる公家・華族だった家。公家としての家格は羽林家、華族としての家格は伯爵家。当初は、中御門(なかみかど)を称していたが、室町時代以後家名を松木と改めた。
歴史
藤原道長の子である藤原頼宗・俊家父子はともに右大臣を務め、その子孫を中御門流と称し、松木家(中御門家)はその嫡流にあたる。俊家の嫡男権大納言宗俊が中御門流の祖と見なされる[1][2]。
宗俊は権大納言止まりで大臣には上らなかったが、管弦に優れ、これを家芸として子の宗忠・宗輔らにつたえた[1]。宗忠は右大臣に昇り、中御門富小路邸に住んだことから「中御門右大臣」と称され、日記『中右記』(「中御門右大臣日記」の意味)を著した[3]。弟の宗輔は太政大臣に昇り、蜂を飼うことを好んだことから「蜂飼大臣」の異名をとった[4]。宗忠の嫡男宗能は内大臣に昇った[5]。宗能の子権大納言宗家は中御門西洞院に邸宅を有したことから中御門大納言と号した[6]。
室町時代の権中納言宗宣の代に家名を「松木」と改めた[7]。公家としての家格は羽林家、大納言を極官とし楽道,笙の家として朝廷に仕えた[2]。室町から戦国期の当主宗綱は従一位准大臣に上った[8]。
江戸時代の宗条の娘宗子は霊元天皇の後宮に典侍として勤仕してお手付きとなり、東山天皇の国母となった[9]。東山天皇の外祖父となった宗条とその子宗顕は内大臣に任ぜられ、宗顕の次男宗長も准大臣となった。
松木宗有の代に明治維新を迎え、明治2年(1869年)6月17日の行政官達で公家と大名家が統合されて華族制度が誕生すると松木家も公家として華族に列した[11][12]。明治17年(1884年)7月7日の華族令の施行で華族が五爵制になると大納言宣任の例多き旧堂上家[注釈 2]として宗有の子宗隆の代に伯爵位が授けられた[14]。
なお、宗子が生んだ東山天皇は第126代天皇徳仁はじめ現在の皇室の先祖にあたるが、同じく宗子が生んだ福子内親王(東山天皇の妹)は伏見宮邦永親王との間に貞建親王を生みそれが旧皇族11宮家の先祖にあたることから、松木家は現在の皇室と旧皇族の共通祖先たる公家にあたる。
系譜
- 実線は実子、点線(縦)は養子、点線(横)は婚姻関係。
藤原俊家 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗俊1 | 基頼 〔持明院家〕 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗忠2 | 忠良 | 宗輔 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗能3 | 宗重 | 宗成 | 俊通 | 俊基 | 俊成 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗長 | 宗親 | 宗家4 | 成能 | 光能 | 頼輔 | 尊誉 | 俊成 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗経5 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗平6 | 宗倫 | 宗季 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
中御門宗雅7 | 中御門宗実 | 宗保 | 宗光 | 宗藤 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗貫 | 宗冬8 | 宗有 | 宗成 | 宗敦 | 宗具 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗季 | 宗清 | 冬定9 | 冬俊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗重10 | 宗兼 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
冬能 | 宗泰11 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
松木宗宣(宗量)12 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗継13 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗綱14 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗藤15 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗房16[15] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗通17 | 宗則 | 宗信 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗則18 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗信19 | 宗敦 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗敦20 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗保21[16] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗条22 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗顕23 | 敬法門院 | 霊元天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗彌24 | 宗長 | 東山天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗長25 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗美26 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗章27 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗徳28 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗行29 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗有30 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高野宗順 | 宗隆31 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗弘32[17] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
注釈
出典
- ^ a b "藤原宗俊". デジタル版 日本人名大辞典+Plus. コトバンクより2022年11月16日閲覧。
- ^ a b c "松木家". 世界大百科事典 第2版. コトバンクより2022年11月16日閲覧。
- ^ "藤原宗忠". 日本大百科全書(ニッポニカ). コトバンクより2022年11月16日閲覧。
- ^ "藤原宗輔". 朝日日本歴史人物事典. コトバンクより2022年11月16日閲覧。
- ^ "藤原宗能". 朝日日本歴史人物事典. コトバンクより2022年11月16日閲覧。
- ^ "藤原宗家". 朝日日本歴史人物事典. コトバンクより2022年11月16日閲覧。
- ^ "中御門家". 世界大百科事典 第2版. コトバンクより2022年11月16日閲覧。
- ^ "松木宗綱". デジタル版 日本人名大辞典+Plus. コトバンクより2022年11月16日閲覧。
- ^ "敬法門院". 朝日日本歴史人物事典. コトバンクより2022年11月16日閲覧。
- ^ 太田 1934, p. 5600.
- ^ 浅見雅男 1994, p. 24.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 13-14.
- ^ 浅見雅男 1994, p. 118.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 324.
- ^ 飛鳥井雅春の子。
- ^ 花山院定熙の子。
- ^ 樋口長康の次男。
参考文献
- 浅見雅男『華族誕生 名誉と体面の明治』リブロポート、1994年(平成6年)。
- 太田, 亮 著「国立国会図書館デジタルコレクション 松木家 マツキケ」、上田, 萬年、三上, 参次 監修 編『姓氏家系大辞典』 第1巻、姓氏家系大辞典刊行会、1934年、5600頁。 NCID BN05000207。OCLC 673726070。全国書誌番号:47004572 。
- 小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』中央公論新社〈中公新書1836〉、2006年(平成18年)。ISBN 978-4121018366。
- 華族大鑑刊行会『華族大鑑』日本図書センター〈日本人物誌叢書7〉、1990年(平成2年)。ISBN 978-4820540342。
- 米田雄介「中御門家」(『日本史大事典 5』(平凡社、1993年) ISBN 978-4-582-13105-5)
- 川田貞夫「松木家」(『日本史大事典 6』(平凡社、1994年) ISBN 978-4-582-13106-2)
- 飯倉晴武「松木家」(『国史大辞典 13』(吉川弘文館、1992年) ISBN 978-4-642-00513-5)
系譜参考
- 日本の名字七千傑「藤原氏頼宗流」
- 公卿類別譜「中御門」 - ウェイバックマシン(2008年12月11日アーカイブ分)
- 公卿類別譜「松木」 - ウェイバックマシン(2008年1月23日アーカイブ分)
松木家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 05:22 UTC 版)
木造村の松木家は、金木の津島家や、三代目惣助が出た嘉瀬の山中家よりもはるかに格式の高い旧家である。藩政時代には苗字帯刀を許された郷士だった。 『松木家由緒書』などによると、先祖は若狭国小浜(現・福井県)の商人で、万治年間(1658–60年)に弘前にやってきて、羽二重の商いをしていた。寛文年間(1661–72年)津軽藩の新田開発が始まると木造に移り住み、開墾の功を認められ大庄屋、郷士になった。明治に入って、八代目七右衛門の時代に、薬種問屋(屋号松樹堂)に転業するまで、代々造り酒屋を営んでいた。
※この「松木家」の解説は、「太宰治」の解説の一部です。
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