中御門家とは? わかりやすく解説

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中御門家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/23 05:28 UTC 版)

中御門家
竹に雀たけにすずめ
本姓 藤原北家勧修寺流庶流
家祖 中御門経継
種別 公家名家
華族伯爵侯爵
出身地 山城国平安京
主な根拠地 山城国平安京
東京府東京市
著名な人物 寿桂尼
中御門宣胤
中御門経之
支流、分家 岡崎家(名家・子爵)
中御門経隆(男爵)
凡例 / Category:日本の氏族

中御門家(なかみかどけ[1])は、藤原北家勧修寺流支流の公家華族の家[1]。公家としての家格名家、華族としての家格ははじめ伯爵家、後に侯爵[2]

歴史

封建時代

藤原北家勧修寺流嫡流の吉田資経の次男経俊の四男経継鎌倉時代後期にその住居から中御門と号したのに始まる[3][4][1]。なお、経継の兄坊城俊定の系譜から勧修寺家坊城家が出ている[5]

建治2年(1276年)経俊は子供たちに所領を分配し、経継には備中国両法華堂等二所が与えられている[6]

中御門家の公家としての家格は名家、旧家内々[3]儒学有職故実を家職とする[6]

室町時代の明豊、宣胤宣秀は学識深く、衰微する朝廷で故実典礼を維持することに努めた[1]。宣胤は『宣胤卿記』を残している[1]。また宣秀と戦国時代の当主宣忠は敷奏を務めた[6]

江戸時代初期の当主宣衝(尚良)は院執権となり、彼の次男宣持は分家の公家岡崎家を創設した[7]。宣衝の孫資煕議奏を務めた[8]

江戸期の所領の表高は200石であり[3][1][注釈 1]、屋敷は西院参町にあった[3]

明治以降

従一位勲一等中御門経之

幕末維新期の経之は、義兄岩倉具視とともに国事に奔走して倒幕と王政復古に貢献し、維新政府で議定、会計事務総督、造幣局掛などを歴任した[9]

明治2年(1869年)6月17日の行政官達で公家と大名家が統合されて華族制度が誕生すると、中御門家も旧公家として華族に列した[10][11]

明治2年(1869年)9月26日には王政復古への貢献により経之に賞典禄1500石が下賜された[12]

明治3年12月10日に定められた家禄は、現米で265石6斗[13][注釈 2]

明治9年8月5日の金禄公債証書発行条例に基づき家禄と賞典禄(実額375石)の合計640石6斗と引き換えに支給された金禄公債の額は2万8052円43銭2厘(華族受給者中176位)[15]。当時の経之の住居は東京市麹町区富士見町[16]。当時の家扶は北村勝万、座田重秀[16]

明治17年(1884年)6月に経之が隠居し、長男の経明が家督相続[17]。直後の7月7日の華族令の施行で華族が五爵制になり、経明は大納言迄宣任の例多き旧堂上家[注釈 3]として伯爵に叙せられた[2]。更に 1888年明治21年)1月17日に父の経之の維新の功により侯爵に陞爵した[2]

経之の三男経隆も明治17年7月8日の叙爵で分家華族として男爵に叙されている[3][19]

中御門経明侯爵には嗣子が無く、明治31年(1898年)12月に彼が死去吸すると、娘の萬千子(まちこ)が中御門家を相続し、女戸主になったため、華族令4条に基づき、華族の栄典を喪失したが、この翌年から再授爵の運動が見られ、分家の中御門経隆男爵の次男経恭が萬千子の養子となって中御門家を相続すると動きが加速する[20]

宮内省の審査の結果、中御門経之の維新の功により、中御門家に再度の侯爵位授爵が認められるべきと結論され、明治32年10月16日に明治天皇の裁可を得て、20日付けで経恭に侯爵位が与えられた[20]。経恭の代の昭和前期に中御門侯爵家の邸宅は昭和前期に東京市麻布区三河台町にあった[4]

歴代当主

  1. 中御門経継1258年 - 没年不詳)
  2. 中御門経宣 (1279年 - 1340年
  3. 中御門経季 (1299年 - 1346年
  4. 中御門宣明 (1302年 - 1365年
  5. 中御門宣方 (1350年 - 没年不詳)
  6. 中御門宣俊1371年 - 1414年
  7. 中御門宣輔 (1392年 - 1439年
  8. 中御門明豊 (1414年 - 1459年
  9. 中御門宣胤1442年 - 1525年
  10. 中御門宣秀1469年 - 1531年
  11. 中御門宣綱1511年 - 1569年
  12. 中御門宣治1517年 - 1555年
  13. 中御門資胤1569年 - 1626年
  14. 中御門尚良 (1590年 - 1641年
  15. 中御門宣順 (1613年 - 1664年
  16. 中御門資熈1635年 - 1707年
  17. 中御門宣基 (1659年 - 1680年
  18. 中御門宣顕 (1662年 - 1740年
  19. 中御門経廉 (1697年 - 1707年
  20. 中御門宣誠 (1691年 - 1730年
  21. 中御門宣時 (1727年 - 1745年
  22. 中御門俊臣 (1740年 - 1771年
  23. 中御門宣家 (1765年 - 1790年
  24. 中御門経定 (1779年 - 1817年
  25. 中御門資文 (1794年 - 1849年
  26. 中御門経徳 (1818年 - 1822年
  27. 中御門経之1820年 - 1891年
  28. 中御門経明1850年 - 1898年
  29. 中御門萬千子(1889年 - 1975年
  30. 中御門経恭1888年 - 1954年
  31. 中御門経資(1919年 - )

系図

脚注

注釈

  1. ^ 国立歴史民俗博物館の『旧高旧領取調帳データベース』によれば幕末期の中御門家領は、山城国葛野郡松尾谷村のうち36石5斗5合4勺、山城国葛野郡松室村のうち20石9斗4升7合1勺、山城国葛野郡上山田村のうち7石6斗3升、山城国乙訓郡石見上里村のうち35石、山城国紀伊郡下三栖村のうち58石3升3合、山城国紀伊郡深草村のうち41石9斗3升9合。合計6村・200石5升4合5勺。
  2. ^ 明治3年12月10日に定められた堂上華族の家禄の計算方法は、本禄米に分賜米・方料米・救助米・臨時給与を合算して現高を出し、現米と草高の比率である四ッ物成で計算して草高を算出し、その二割五分を家禄とするものである[14]
  3. ^ 中御門家の大納言直任(中納言からそのまま大納言になることを直任といい、中納言を一度辞してから大納言になるより格上の扱いと見なされていた)の回数は11回なので叙爵内規の伯爵の基準である「大納言迄宣任の例多き旧堂上」に該当[18]

出典

  1. ^ a b c d e f "中御門家". 日本大百科全書(ニッポニカ)、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、世界大百科事典 第2版. コトバンクより2022年11月8日閲覧
  2. ^ a b c 小田部雄次 2006, p. 325.
  3. ^ a b c d e 太田 1934, p. 4264.
  4. ^ a b 華族大鑑刊行会 1990, p. 40.
  5. ^ 橋本政宣 2010, p. 513.
  6. ^ a b c 橋本政宣 2010, p. 538.
  7. ^ 橋本政宣 2010, p. 538/553.
  8. ^ 橋本政宣 2010, p. 538-539.
  9. ^ "中御門経之". 朝日日本歴史人物事典. コトバンクより2022年11月8日閲覧
  10. ^ 小田部雄次 2006, p. 13-14.
  11. ^ 浅見雅男 1994, p. 24-25.
  12. ^ 落合弘樹 1999, p. 39.
  13. ^ 霞会館華族家系大成編輯委員会 1985, p. 9.
  14. ^ 刑部芳則 2014, pp. 105–106.
  15. ^ 石川健次郎 1972, p. 47.
  16. ^ a b 石井孝太郎 1881, p. な之部.
  17. ^ 霞会館華族家系大成編輯委員会 1996, p. 240.
  18. ^ 浅見雅男 1994, p. 118.
  19. ^ 小田部雄次 2006, p. 340.
  20. ^ a b 松田敬之 2015, p. 509.
  21. ^ 庭田重保の子
  22. ^ 烏丸宣定の三男
  23. ^ 表向きは中御門宣顕の次男
  24. ^ 坊城俊将の次男
  25. ^ 堤栄長の子
  26. ^ 坊城俊明の五男
  27. ^ 中御門経隆の次男

参考文献

関連項目





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