七条家とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 七条家の意味・解説 

七条家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/16 14:33 UTC 版)

七条家
きく
本姓 藤原北家水無瀬流[1]
家祖 七条隆脩[1]
種別 公家羽林家[1]
華族子爵[1]
出身地 山城国
主な根拠地 山城国
東京府
凡例 / Category:日本の氏族

七条家(七條家、しちじょうけ)は、藤原北家水無瀬流公家華族である[1]。公家としての家格は羽林家、華族としての家格は子爵[2]

歴史

権中納言水無瀬氏成の子・隆脩を祖とする[1]家格羽林家[1]江戸時代石高は200石[1][注釈 1]

明治維新後の明治2年(1869年)6月17日の行政官達で公家と大名家が統合されて華族制度が誕生すると七条家も公家として華族に列した[3][4]。明治17年(1884年)7月7日の華族令の施行で華族が五爵制になったが、この時点では戸主が信元の女で信祖室の寿賀子であったため、叙爵がなく、明治20年(1887年)4月15日に信義が大納言直任の例がない旧堂上家[注釈 2]として子爵に叙せられた[6][1]

系譜

脚注

注釈

  1. ^ 国立歴史民俗博物館の『旧高旧領取調帳データベース』より算出した幕末期の七条家領は、山城国葛野郡唐橋村のうち50石、山城国乙訓郡築山村のうち50石、山城国乙訓郡馬場村のうち94石9斗5升5合、山城国紀伊郡東福寺村のうち5石4升5合であり、合計4村・200石。
  2. ^ 中納言からそのまま大納言になることを直任といい、中納言を一度辞してから大納言になるより格上の扱いと見なされていた。叙爵内規は歴代当主の中にこの大納言直任の例があるか否かで平堂上家を伯爵家か子爵家かに分けていた[5]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i 太田 1934, p. 2762.
  2. ^ 小田部雄次 2006, p. 342.
  3. ^ 浅見雅男 1994, p. 24.
  4. ^ 小田部雄次 2006, p. 13-14.
  5. ^ 浅見雅男 1994, p. 118.
  6. ^ 新人物往来社 1997, p. 267.

参考文献

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

','','','','','','','','','','','','','','','','','',''];function getDictCodeItems(a){return dictCodeList[a]};

すべての辞書の索引

「七条家」の関連用語





5
16% |||||


7
14% |||||

8
14% |||||



七条家のお隣キーワード
検索ランキング
';function getSideRankTable(){return sideRankTable};

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



七条家のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの七条家 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS