吉田家とは? わかりやすく解説

吉田家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/04 08:00 UTC 版)

吉田家
抱き柏だきがしわ
本姓 卜部氏宿禰朝臣)嫡流
家祖 吉田兼煕
種別 公家半家
華族子爵
出身地 山城国愛宕郡吉田村、上京区吉田町(左京区吉田
主な根拠地 山城国吉田神社
東京市牛込区
著名な人物 吉田兼倶
吉田兼見
兼好法師 (?)
支流、分家 萩原家(半家・子爵)
錦織家(半家・子爵)
藤井家(半家・子爵)
凡例 / Category:日本の氏族

吉田家(よしだけ)は、卜部氏の流れをくむ公家華族の家。公家としての家格半家、華族としての爵位子爵[1]

歴史

京都室町小路にあった自宅の敷地を足利義満にゆずったことで知られる家祖・吉田兼煕は、吉田神社の社務であることにちなんで家名を「吉田」とした。この兼煕は神祇大副侍従を務め、卜部氏として始めて公卿に昇った。

5代兼倶唯一神道を創始、既存の伊勢神宮系の神職と激しく対立しながら、後土御門天皇を信者に得て勢力を拡大して「神祇管領長上」という新称号を自称した。以後神祇伯白川家を駆逐して全国の神社に対する支配を広げていった。

9代兼見に至って織田信長の推挙により堂上家家格を獲得した。近衛前久家礼として仕え、明智光秀と深い親交のあった兼見の日記『兼見卿記』は、織豊政権期の研究に必須の一級史料となっている。神職における吉田家の優位は江戸時代になって、寛文5年(1665年)の諸社禰宜神主法度で確定する。

歴代当主は神祇管領長上を称し、正二位神祇大副極位極官とした。江戸時代の家禄は760[注釈 1]。分家として、江戸時代初期に萩原家が出ている。

明治2年(1869年)に6月17日の行政官達で公家と大名家が統合されて華族制度が誕生する吉田家も旧公家として華族に列した[2][3]

明治3年12月10日に定められた家禄は、現米で438石4斗[4][注釈 2]。明治9年8月5日の金禄公債証書発行条例に基づき家禄と引き換えに支給された金禄公債の額は1万9197円92銭(華族受給者中236位)[6]。明治前期の当主良義の住居は東京府麹町区壱番町にあった[7]

明治17年(1884年)7月7日の華族令の施行で華族が五爵制になると、同月8日に大納言直任の例がない旧堂上家[注釈 3]として良義に子爵が授けられた[1]。良義の夫人静子は岩倉具視三女[9]

良義が明治23年に死去した後には良正が爵位と家督を相続。良正が大正2年に死去した後には良兼が爵位と家督を相続。良兼は皇子傅育官、掌典侍従、陸軍主計中尉などを歴任した[9]

吉田子爵家の邸宅は昭和前期には東京市牛込区市谷仲之町にあった[10]

吉田神社(京都府京都市左京区

系図

脚注

注釈

  1. ^ 国立歴史民俗博物館の『旧高旧領取調帳データベース』によれば幕末の吉田家領は、山城国愛宕郡吉田村のうち593石、山城国葛野郡山之内村のうち150石、山城国乙訓郡大藪村のうち9石3斗3合6勺、山城国紀伊郡吉祥院村のうち14石6斗5升。合計4村766石9斗5升3合6勺。
  2. ^ 明治3年12月10日に定められた堂上華族の家禄の計算方法は、本禄米に分賜米・方料米・救助米・臨時給与を合算して現高を出し、現米と草高の比率である四ッ物成で計算して草高を算出し、その二割五分を家禄とするものである[5]
  3. ^ 中納言からそのまま大納言になることを直任といい、中納言を一度辞してから大納言になるより格上の扱いと見なされていた。叙爵内規はこの大納言直任の例があるかどうかで平堂上家を伯爵家か子爵家かに分けていた[8]

出典

  1. ^ a b 小田部雄次 2006, p. 338.
  2. ^ 浅見雅男 1994, p. 24.
  3. ^ 小田部雄次 2006, p. 13-14.
  4. ^ 霞会館華族家系大成編輯委員会 1985, p. 11.
  5. ^ 刑部芳則 2014, pp. 105–106.
  6. ^ 石川健次郎 1972, p. 51.
  7. ^ 石井孝太郎『国立国会図書館デジタルコレクション 明治華族名鑑』深沢堅二、1881年(明治14年)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/994441/58 国立国会図書館デジタルコレクション 
  8. ^ 浅見雅男 1994, p. 118.
  9. ^ a b 霞会館華族家系大成編輯委員会 1996, p. 828.
  10. ^ 華族大鑑刊行会 1990, p. 382.

参考文献

関連項目 


吉田家

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エデンの東北」の記事における「吉田家」の解説

さゆり 吉田家の長女で、本作主人公小学校通っている。やや癖のある黒い髪をショートにしている。初期は「おねえちゃん」とだけ表記されていたが、途中でフルネーム判明脳天気いい加減な性格だが、疲れて歩けなくなった弟を背負って家まで帰るなど、優しい一面もある。勉強運動は苦手。食いしん坊で、豪華な食卓デザート憧れる。たいていはジーンズ姿だが、初期スカートワンピース着ていることもあった。一時期は服に継ぎ当たっている、顔の産毛濃くて髭のように見えるなど、生々しい描写見られた。 八重子 さゆりの母。ウエーブかかったセミロングヘアで、その時によっていろいろな髪型をしている。美人だが、化粧を落とすと別人のようになる。お洒落に余念がなく、すき焼きの肉の代わりに自分の服を買ってしまうほど。明るくていつも威勢がよい。さゆりの怠けぶりを叱りつけることもあるが、結局のところは家族思いで優しい。家計苦しいため、作る料理キャベツ炒めが主。 あきら さゆりの弟で、幼稚園児。素直で優しく、いつもさゆりに騙されたいじめられたりしている。泣き虫だが、時たま勇敢な言動見せることもある。睫毛長く着物を着るとさゆりよりも女の子らしく見える。凶暴な動物や、お世辞にも可愛とは言えない赤ちゃんを「カワイイと言って大切にし、よく八重子辟易させている。 イワオ さゆりの父。穏やかで優しい性格酒好きで、酔っ払って帰り肩身の狭い思いをすることもしばしば。帰り道で川に落ちてしまったこともある。結婚前、もし結婚した自分子供荷物両方を持つと言って八重子の心を射止めたが、現在は酔いつぶれて八重子運ばれるばかりである。 しんご 吉田家のペット何の動物かは不明犬猫くらいの大きさで、しっぽが太い。時折コマの隅で、眠った食べたりしている。好物はしょう油。初期は、しんごを主人公とした4コマショートストーリー描かれた。

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