2011/06/28

モンゴル・タイメン釣行その4

屑弁がみんなのためにたき火を。
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モンゴル人はズボンをまくって川に入ってずぶ濡れになっても弱音一つ吐かない。

俺はウエーダー履いてるのに「うわ~冷てえ」と弱音吐いてました。

厳しい大自然の中で育った人はすべてに強さが違います。


車から脱出した我々はとりあえず荷物をすべて車外へ移した。
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対岸にいた人に大声で救助を求める。
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しかし何も協力はできないらしい。電話も車もないからだろう。

そんな間にも車は今にも流されそうな・・・
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屑弁はいつもこんな感じです。ほんとに緊張感のない奴だ。
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ゾルジさんが一番近い民家まで歩いて行った。

1時間くらい経って一台の車が救助に来た。
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ゾルジさんはワイヤーを持ってバイクに乗ってきた。
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車1台と人間7人で引っ張る。
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車はほとんど動かない。

ガソリン補給でっか?
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救援に駆け付けたモンゴルの皆さんです。
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さらに1台のジープが救援に来た。
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2台で引っ張る。
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しかし、やはり動かない。

何度も引っ張っているうちに救援の車のエンジンまでおかしくなった。
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では2台を並列から直列にして引っ張ることに。昔乾電池で勉強したな。
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動いた!
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電池と一緒ということか?

上がってみんなで喜んだ。
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エンジンも無事だった。こんなに水に浸かっても壊れないのは素晴らしいぞ。
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その日は川を渡るのを諦めて第1次キャンプ場に戻った。

着いた頃は真っ暗だった。
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ずぶ濡れになった衣類を干す。
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遅い夕食(カップラーメン)を食べる。
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翌日は朝の7時に出発。ムルン発の飛行機は12時40分発だ。ゆっくり走っても12時前に到着の予定。


朝、目を覚まして外に出ると、ゾルジさんが山から降りてきた。

屑弁が拾ってきた木の実を山の神に戻してきたそうだ。

モンゴル人は峠を通過するときも、川を渡るときも、必ず神様にお祈りします。


問題の川に到着。

さすがにこの日は歩いて水深を確かめた。昨日もこうすれば問題は起きなかったのですが・・・
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2時間以上走ってセレンゲ川の渡し場に到着。

しかし、ここでも問題が起きていた。

大雨で川が増水して川底が深くなり桟橋が低くなってしまったのだ。
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修復工事の真っ最中です。

かなり時間がかかりそうなので、あたりの景色を写真撮影。

これはマダガスカルにあるバオバブみたいな形をした木。
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でも裏側に仕掛けがあった。枯れて上部が無くなった大木の陰に新しい木が生えていた(笑)

屑弁「ちゃんと学校へ行ってるのか」(全部日本語)
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ゾルジさんの話ではモンゴルの学校の夏休みはとても長く、5月20日から9月1日までなのだそうだ。おそらく夏の間は家の手伝いをしなさいということだろう。そのかわり10月から4月までは厳寒の大地である。

退屈なので飛行機雲を撮影。広角レンズなのでこんなもんです。
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トリミングしたら機体のすぐ後ろに虹が写っていた。拡大するとうっすらと見えるよ。
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1時間くらいかかってようやくこっち側は修理完了。これからトラクターを積んで対岸を直します。
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1時間半くらい遅れてセレンゲ川通過。
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そのあとも障害物に何度も遭遇。
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ようやくムルン空港に到着。乗る飛行機には間に合わなかった。

プルゴンとランクルを比較する。エンジン部分はプルゴンのほうがかなり高い。
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さてこれからの予定はどうなる?
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オノン川へは行けるのかな?

オノン川はチンギス・ハーンが生まれたと言われている山間部を流れる川です。

まあここでジタバタしても仕方ないので、あとは煮るなり焼くなり好きなようにしてくれですな。

ちなみに追加料金は二人で1890USドルです。ポイント移動は時間もかかるけど、金もかかります(涙)
2011/06/26

モンゴル・タイメン釣行その3

ゲルの中は思ったよりずっと広かった。
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夏は涼しく、冬は暖かい。モンゴルのゲルの歴史は紀元前500年ころからと言われている。当時この地域に住む部族は匈奴と言われていた。前漢の時代の匈奴は漢から貢物を送られるほど強い国家だった。そしてそれから約1400年後にチンギス・ハーンが生まれ、やがてモンゴルは歴史上世界一の大国へと成長していく。モンゴルの歴史はゲルとともにある。


18日の早朝。第1次キャンプ場へと引き返すことに。

屑弁全力で回そうとするが、なかなかエンジンがかからない。
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最初の民家に到着。車もトラックもバイクもソーラーパネルも、そして衛星放送の受信アンテナもあった。
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ここ数年羊が高騰して遊牧民族の暮らしはかなり豊かになってきたそうだ。

お嬢様といったところかな。上品な顔だね。
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再び険しい岩だらけの坂道を登る。
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増水した川の前で立ち止まる。

流れも速く、水深も来たときの倍以上になっていた。

渡れるかな?
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突進です。
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グラグラと下流に流されながら前進して行く。
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無事渡りきった。
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続いて我々の車も
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けっこう緊張しました。モンゴル人はいたって平常でした。慣れてるんだろうな。

そしてまた凄い坂を登る。イロハ坂も箱根の坂もこれに比べたら何でもない坂だね。
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数百年前に馬車を通すために作られた道らしい。700年前とも、200年前とも、モンゴル人もその歴史はわからない道である。

そしてモンゴルでは普通の出来事。
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なかなかかからない。

どこからともなく助っ人登場。
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モンゴルパワーはこうやって鍛えられた?
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ようやくエンジンが動いた。
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大平原をひたすら走る。
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こんな流れはどうってことないのだ。
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我々が通過した直後に大きな流木が流れてきた。間一髪(^^;;;
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5時間走ってようやく到着。
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ちょっと休憩。
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休憩の間にガイドのゾルジさんは電話でムルンからウランバートルへのエアーチケットが取れるか確認。

キャンプ場の回りにある小高く盛った土の上に石が積まれているのは大昔の人の墓だそうだ。
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いったいいつごろの墓なのだろう。そんな興味がつきない大地である。

この山に屑弁が登った。
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そしてこの木の下に落ちていた木の実を拾ってきた。
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その木の実を見てガイドのゾルジさんの表情が変わった。

山の上に生えている木は聖なる木なのだそうだ。その実はたとえ落ちていても絶対に取ってはいけないのだ。

山の神の怒りに触れるかも・・・


そして第1次キャンプ場のスタッフとお別れとなった。
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我々は5時間走ってムルンに行き、そこで1泊。翌日飛行機でウランバートルに飛び、そこで1泊。翌日の早朝車で9時間走ってオノン川上流のバッチュレットに行くことに決まった。オノン川は増水してないので釣りができるそうである。

しかし、ポイント移動にオフロード5時間、1泊、飛行機2時間、1泊、舗装道路5時間、オフロード4時間かけるモンゴル人て凄すぎ!

そして着いたポイントでできる釣り時間はたったの3時間なのだ。すぐにウランバートルに戻らないと日本へ帰れなくなるのだ。


20分くらい走って川に到着。
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一気に突進していく。俺たちも慣れてきて恐怖感はほとんどなくなっていた。
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ところが!!!

ズボズボ

突然前部が水中に深く突っ込んだ。

あっという間に運転手とガイドがいなくなった。
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右側のドアから水がどんどん侵入してきた。
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左側にはドアがない。右側は水流で開けるにも開けられない。車は強い流れにグラグラと大きく揺れている。

こんな状態でもシャッターを押し続ける俺と楽しそうな顔をして動画を撮り続ける屑弁。
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しばらくして後部ドアから脱出成功。

プルゴンはこんなことになっていた。
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さあ今日中にムルンに到着できるのかな?

携帯も繋がらないところで時間はどんどん過ぎて行く。
2011/06/26

モンゴル・タイメン釣行その2

モンゴルは人口の10倍以上の家畜がいる国である。
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第1次キャンプ場の朝
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8月以降はこのキャンプの周辺で釣れるらしい。

チョロート川。しかし今回はここからさらに70キロ上流へ行く。
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この時期でもストーブが必要。燃料となる木材。
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同行の屑弁は大平原を走り回ってご帰還。
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韓国製らしい。日本製に比べてトルクが全然ない。
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9時、最終キャンプに向けて出発。

何度も小さな川を渡る。とにかく橋はないのだ。
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坂道の途中で休憩。休憩の理由はラジエーターを冷やすため。そのまま走ると間違いなくオーバーヒートとなる。
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ベテランのドライバーは絶対に無理をしない。
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この日のコースは起伏の激しい大平原。
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ガタガタと激しい揺れで心も体もガタガタ・・・
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始めて対向車に遭遇。
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キャンプ場の管理をしている民家に到着。

モンゴルのお母さん。実に逞しそう。
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坊やも逞しかった。
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負けじと日本男児も!
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5時間かかってようやく最終目的地到着。日本を発ってから51時間。
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目の前はチョロート川。水はまだ濁ってない。
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ログハウスの中。これからストーブに煙突を取り付ける。
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ここには風呂は無い。

タックルをセットして待機。
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ロッドはソウルズ。リールはステラ5000。ラインはPE2号。リーダーはナイロン40ポンドだ。

ガイドに案内されて釣りを開始。

スタートから30分でタイメンキャッチ!
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移動は長かったけど、釣りはあっけなかった。全長実測95センチ。

その後、80センチを2匹追加して終了。トータル10バイト3キャッチ。ヒットルアーはガンマの30だった。

しかし10バイト目のタイメンに石に巻かれてロストしてしまった。たった1個のガンマを無くして意気消沈。

同行の屑弁は・・・

その日の夕食は韓国風だった。
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現地では一番実績のあるネズミルアー
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翌日はキャンプから3キロくらい上流まで歩いた。
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大地の表面積の半分はウンコ・・・
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鹿の死骸。オオカミに食べられたのかな?
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このシーズンはこんな激流のところがポイントとなる。
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川の両岸の大きな石の下側の流れの緩やかなところにタイメンはいる。

まさにピンポイント。そこを執拗に攻めて行く。

結局、このポイントでは1匹もキャッチできず。3キロを再び歩いて帰る。

帰り際にオタマジャクシを発見。こんな激寒の大地にもカエルは生きている。
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午後から雨が強くなる。

昼からストーブの火が入った。
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煙突から出る煙。俺の幼少時代を思い出す。台所の燃料はすべて薪だった。
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モンゴルの女性はよく働く。昔の日本女性もよく働いていた・・・
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午後の釣りを開始。朝からの小雨が本降りになってきた。
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山の木の多くはまだ冬の枝である。枯れてしまったのか、それともこれから青くなるのか。
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冬は氷点下40度にもなるらしい。

降り続く雨で川の水も濁ってきた。
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ガイドの話ではこれ以上濁ると釣りは無理らしい。

そんな中、ラストチャンスを掴んだ。
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実測105センチ。目標のメーターを超えた!

雨はさらに強くなった。
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川の水はどんどん増えて行く。
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ベストタイムの7時以降の釣りは中止となり、明日の早朝第1次キャンプへ引き返すこととなった。

川はどんどん増水している。危険な予感が・・・

2011/06/26

モンゴル・タイメン釣行その1

モンゴルでこんなウィスキー発見!
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今回のターゲットはタイメン。行き先はモンゴル。モンゴルと言えばチンギス・ハーンと遊牧民族と大平原。
国土の広さは日本の約4倍。人口は270万人。家畜は約3300万頭(山羊1450万、羊1390万、牛210万、馬192万、ラクダ27万)です。

さて偉大なチンギス・ハーンを産んだ国はどんな国なのか。

遊牧民族は移動する民族である。それを強く感じた8日間だった。


今回の同行者はどこに行くにも長靴で飛行機に乗ります(笑)
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でも今回に限ってこれが正解だったような。

チンギスハーン空港に到着
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ホテルに到着したのは夜の11時ころでレストランはすでに終了。

俺、屑弁「腹へって我慢できねえぞ~!」

そんで

ホテルのバーで無理やり作らせたラーメン
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翌日の朝、ホテルの窓から見た景色
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生のゲルを始めてみて感激
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空港で朝食。辛ラーメンと肉まん4個。
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アメリカやロシアからもタイメン釣り師が来ていた。
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ウランバートルからムルンへ
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機内は釣り客だらけ
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ムルン到着。飛行機はスェーデン製のサーブ340。
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ムルンはタイメン釣りの玄関口。
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待機していたのはロシア製のワンボックス「プルゴン」。
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まずはスーパーマーケットでビールと食材を
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やたらと広い店内
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そして街から出た瞬間にこんな道となった。
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プルゴンの乗り心地は右に左に激しく揺れて最悪。どこでも寝れる俺が一睡もできなかった。

オフロードを2時間半走ってセレンゲ川に到着。
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我々が行くチョロート川はセレンゲ川と合流してバイカル湖に注いでいる。バイカル湖から流れ出た水はエニセイ川と合流して北極海へ流れ込む。エニセイ川はユーラシア大陸で最大の流域面積を誇る大河。

川には橋がない。ワイヤーに繋がれている鉄製の物体が対岸から近付いてきた。
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こちらの桟橋とドッキング。
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プルゴンが乗り込んだ。
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これが舵。ミヨシを行き先に向けると川の流れでその方向へと移動していく。エンジンもない実に簡単な仕組み。
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対岸に到着。所要時間は15分くらい。
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そこから再び大平原を2時間半走った。

車も人間も荷物も埃まみれ。

第1次キャンプ場(ログハウス)に着いたのは夜の9時過ぎだった。
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ログハウスの中
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ここは食堂
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遅い夕食をいただく。
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トイレは水洗。シャワーは温水となかなか快適。
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しかし、我々が行くところはここからさらにプルゴンで4時間だそうだ。
2011/06/15

世界遺産チチェンイッツァ

エジプトのピラミッドは王の墓。メキシコのピラミッドは儀式を行う場だったらしい。
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ピラミッドは太陽から当たる光の角度を細かく計算して作られている。光の影で1年に2回(春分の日と秋分の日)ククルカンが降臨するように出来ている。
ククルカン=マヤの最高神(羽毛のあるヘビの姿の神。ケツァルコアトルのマヤ語名)

マヤ文明には車輪を使った形跡がないらしい。また家畜もいなかった。ということはこのピラミッドは人間が運んで積み重ねたらしい。マヤ人の首が短いのは石を頭の上に載せて運んだから?

メソアメリカではジャガーは古くから神として崇められてきた。ここでもあちこちにジャガーの石像が見える。
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メソアメリカ文明=オルメカ、ティオティワカン、マヤ、アステカなど、メキシコからコスタリカにかけてかつて栄えた高度な文明の総称。

球技場の両側の壁の高いところにドーナツのようなものが見える。
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球技はこの穴にボールを入れたらしい。
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しかも手は使わずに腰で打って入れたらしい。最近、実際に球技をしてみたがこの穴に入れるのはかなり難しいそうだ。

勝ったチームの主将は生贄にされ、負けたチームの主将は殺されたとか。
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これは天文台。マヤ文明の天文学はかなり高度。現代天文学がコンピューターで計算した1年は365.2422日。望遠鏡もない時代に肉眼で観測してマヤは一年を365.2420日としていたというから驚き。
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ククルカンを神とするトルティカ人の時代の前にチャークを神とする文明があった。これはその時代のピラミッドらしい。
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聖なる泉セノーテ。ここでも生贄の儀式が頻繁に行われた。健康な子供や女性、ときには男が投げ込まれたらしい。近年潜水調査を行ったらたくさんの人骨が出てきたそうだ。
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他にも戦士の神殿、ジャガーの神殿などがあり、いずれも生贄が捧げられていた。それも生きたまま心臓を取り出すのだそうだ。鉄を使った形跡がないので、黒曜石などを削って尖らせたもので取りだしたらしい。

生贄にされるのは選ばれた者である。健康で知性のある男女である。そんなことを長年続けたら文明は先細りしてしまう。また生贄による人口減少を補うために周辺の部族と戦争も多かった。

そしてやがてすべてが滅亡した。

何世紀もの間、チチェンイッツァなどの遺跡はジャングルの中に消え去られていたのである。

紀元前2世紀ころに始まり、メソアメリカ最大の文明として栄えたティオティワカンも6世紀ごろ忽然と姿を消した。やはり生贄の儀式が頻繁に行われていたらしい。

メソアメリカの文明はいまだに謎が多く残されている。

文明が滅びた後はイグアナが守ってきた?
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いたるところでイグアナが日光浴していた。
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ガイドが説明している目の前に現れたお土産売りのお婆ちゃん。
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なぜか買ってました。

マヤの地図。
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通路の両側にお土産売りが多数並んでいる。いろんなお面が見ていて面白い。
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これは生贄にされた頭蓋骨をモチーフに
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三猿(見猿、聞か猿、言わ猿)も。これってマヤ文明???
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三猿は古代エジプト文明でも見られるらしい。それがシルクロードを経由して中国に伝わったとか。

いろいろあったけど、何も買いませんでした。
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生贄をモチーフにしたお土産が多い。

日本でも大昔は生贄の儀式は行われたいたけど、メソアメリカは生贄がすべてのような文明だった。

生贄に選ばれた人は喜んで命を捧げたそうです。

今の時代に生まれて良かった。


このテキーラは?
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芋虫が入ってました。
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3本買いました。あとで誰かに飲ましてあげますね(^^)

そのあと近くのドライブインで昼食を
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マヤ人はやはり頭の上に物を載せる習慣があったのだろうね。上手にくるくる回って踊ってました。
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謎に満ちた文明でした。


さて現在モンゴルのウランバートルです。この国も謎が多い国です。

チンギスカンの生まれた場所。そして墓。いずれもわかっていません。

北方民族の歴史も面白そうです。
2011/06/14

親父3人がカンクンを行く

味も色気もない親父3人のカンクンです。世界的な高級リゾートだそうですが・・・
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泊まったホテルはヒルトンカンクン。もっと安ホテルで良かったのに。
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夜もまたビューティフル!
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昼も夜もプールサイドを覗いたけどオバサンしかいなかった。

古代遺跡のピラミッドがモデルとなってます。
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久しぶりの日本食です。
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天ぷらうどん食べた。味はビミョウ。
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アウトレットでお土産を
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メキシコと言えばソンブレロ。でもかさばるので却下。
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やっぱプロレスだな。この覆面買いました。
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び~るだ~さんは辛いものとビールさえあればいつもご機嫌です。
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日清のカップヌードルがメキシコでは大人気です。でも味はメキシコ風になってました。
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このレストランでメキシコ音楽を聞きながら食事です。
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ベサメムーチョをリクエスト(他に知ってる曲がない・・・)
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夜の街に繰り出すと元気なオネーちゃんに威嚇された。こんな威嚇なら何度でも歓迎(^^)
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とにかく賑やかで熱~いカンクンの夜でし。
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ここは入口が長蛇の列でした。
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ちょっとおとなしいお店発見。最近、赤坂にもオープンしたようです。こういうホットなニュースはび~るだ~さんがやけに詳しい。
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一番可愛い子でし。性格も明るくて親切な子でび~るだ~さんのビールの量も凄かった。
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1リットルを立てつづけに!
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この店は音量が大きくて親父3人はちょこっと見るだけで退散しました。
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胸とお尻をブルンブルンと振りながらの踊りは圧巻でしたが(実は入りたかったよ)。

翌日のディナーはラーメンです。
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看板は店名がカフェで、メニューは寿司とうどんですけど(笑)

お酒を出せない店だったので麦茶で乾杯!
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とんこつ風の塩ラーメン。味は合格でし。
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歩き疲れた親父かな?
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いえ、俺に無理やり座らされてました(写真撮るために)


次号は古代遺跡チチェンイッツァ観光です。いまだに謎だらけの遺跡だそうです。


PS.今、韓国のソウルです。あと1時間後にモンゴルへ向かいます。
2011/06/13

イスラ・ホルボッシュでターポンを釣る②

このあたりに生息するフラミンゴは正式名ベニイロフラミンゴ。
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フラミンゴはアフリカ、南ヨーロッパ、カリブ海沿岸、南米に生息する。多いときは100万羽以上の群れを作る。
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現在はワシントン条約で保護されているが、過去には「世界一不味い鳥」と言われたことも。
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フラミンゴは子育てに愛情を注ぐ鳥なんだそうだ。

ベニイロフラミンゴの生態
http://animals.web.infoseek.co.jp/fowl/caribbean_flamingo001.html
東山動植物園より


こちらの黒い群れは・・・
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ペリカンでした。
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これはシギの仲間と思われ・・・
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ペリカンとウが休憩する場所
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他にグンカンドリやサギの仲間がたくさんいましたよ。


さて釣りに戻って

コガジャにようやくヒット!
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今回は大変貴重なターポンです。
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ビーチに上陸
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ホルボッシュの前。黄色い建物は灯台の残骸。
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ホルボッシュの桟橋
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5年前の大型台風で多くの桟橋が破壊されたそうです。いまだに壊れたままの桟橋があちこちに。

結局、2日目以降は風が強く、ビッグターポンのポイント(沖)には行けず、ラグーンのベビーターポン狙いが続いた。


夕食は毎日街に出て食べた。

これはトルコでよく見かけた回転焼肉。
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屋台は安いので大人気。
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4日目は風も強く、雨も降りそうなので釣りは中止とした。

5日目、いよいよ最終日である。

天気はほぼ回復してビッグターポンポイントに初めて行けることになった。

よし今日は釣るぞ!
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でも

ターポンは現れず

一日中クルージングとなりました。

ランチタイムは一緒に仲良く
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宿のスタッフと
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二人ともマヤ人です。首が短く肩が張っているのが特徴です。


そして夕食を食べに街中に繰り出すと


なんと!!!

世界のEIZO氏に遭遇!

この方が23年前に俺の人生を変えた方です。
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相変わらずお達者な方でした。この方が日本の釣りに多くの変化を与えてきました。

保護、マナー、モラル・・・

そのポリシーを我々は大切にしたいですね。


帰りの日が来ました。

2日前に到着したスペインの方々です。
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何か真剣に作ってます。
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アシストフックでした。
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見事な出来栄えに

「ビューティフル!」



言ったら1個プレゼントしてくれました。

ジギングが大好きだそうです。

ホルボッシュの沖には大きなシーマウント(曽根)があり、カンパチがたくさん釣れるのだそうです。

その通り、毎日大きなカンパチ(10~20キロ)をたくさん釣ってました。

俺もジギングが大好きですと言ったらとっても嬉しそうな顔をしてくれました(^^)


帰りの天気は最高でした。
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まあ今回は天気に恵まれなかったってことで・・・

再び仲良く可愛い二人です。
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フェリー、車でカンクンまで3時間。
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カンクン&チチェンイッツァ編に続く
2011/06/13

イスラ・ホルボッシュでターポンを釣る①

ホルボッシュの東側には無数のラグーンがある。
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俺が初めて行った海外はコスタリカである。1989年のことである。そのときに挑んだ釣りがフライでセイルを釣るだった。
海外も初めてならフライも初めて、そしてセイルも初めてである。
これが俺の釣り人生を大きく変えるきっかけとなった。以来、海外遠征がうなぎ上りに増えて、23年間で300回以上も行くはめになった。多い年は1年の間に20回である。

これは第1回目のコスタリカ遠征のときに購入したフライタックル。このときフライリール2台とフライロッドを3本購入した。当時の価格で60万円を超えた。当時茨城県内の工場で働いていた俺は究極の貧乏自炊生活と毎日6時間の残業で釣行費とタックルの合計140万を半年で払った。
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ロッドはイクシーク12番を2本とフェンウィック10番を1本。リールはビリーペイトのマーリンモデルとターポンモデル。引率は世界のEIZOこと丸橋英三さん。購入も丸橋さんのお店だった。

そしてフライ初挑戦で4匹のセイルをキャッチした。

翌年は当時働いていた会社の社長と再びコスタリカに行った。釣行費二人分はすべて社長が払ってくれた。今の俺があるのはこの社長の応援が一番大きい。毎月のように遠征のための休暇も取らせていただいた。3年前に久しぶりに挨拶に行ったが、初孫が生まれた直後だったにも関わらず病院から会社に駆けつけてくれた。


あれから22年が経った。

23年前に購入したフライタックルの出番が来た。正直俺はフライが好きになれず22年間もこのタックルを使ってない。ルアーでならターポンには5回挑んでいる(コスタリカ3回、ニカラグア1回、シエラレオネ1回)。体がギシギシいうような釣りが俺は好きである。もういつ壊れてもおかしくないボロボロの体ではあるが。

ターポンの迫力あるジャンプ写真を撮るために2台の高性能カメラを持参した。
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上が毎秒10回の連続撮影ができるEOS1D・MARKⅣとEF70-300mmズームレンズ。
下がEOS5D・MARKⅡとEF16-35mmズームレンズ。


ダラスを経由してカンクンに到着。
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2時間車で移動して港に到着。
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フェリーで1時間。最終目的地のホルボッシュに到着。

港から宿への移動はこの4輪車。
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62歳と59歳の乗っている姿が可愛かった(^^)

宿に着いたのは現地時間で夜の10時を過ぎていた。
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ビーチに面した宿はレストランも兼営。
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遅い夕食をいただく。
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翌日は朝の5時40分に朝食(パンとコーヒーだけ)をいただいて6時に出船。

ガイドが「ベビーターポンかビッグターポンか」と我々に聞いた。

初日ということもあり「ベビーターポン」と答えた。

これが後々後悔することに・・・


無数にあるラグーンを一つ一つ攻めていく。

ターポンの姿は見えるが、なかなかフライに食いつかない。

10時を過ぎたころようやくび~るだ~さんにヒットした。
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小さくてもターポンのファイトは楽しい。

何度もジャンプを繰り返す。

ようやく船べりに。
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とりあえずベビーターポンをキャッチ。
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しばらくしてスヌークもキャッチ。
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これがび~るだ~さん初スヌーク。

さらに(笑)
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初日はこれにて終了。


ディナーは宿で食べたが、我々で貸切だった。
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正直不味かった。


昼のホルボッシュは人通りが少なく活気がない。
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暑いから日中は出歩かないのだろう。
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ところが・・・

夜になると街は変身する。
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レストランも8時ころから賑わい始める。
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どの店の看板も見ていて楽しくなる。
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このあたりの名物は何と言ってもロブスター
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広場では町長さんらしい人の長~い演説が。
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バスケットボールの試合も気合満点だった。
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屋台にもたくさんのお客が。
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ちなみに昼の同じ屋台。
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あちこちから4輪車で集まってきていた。
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あちこちから音楽も聞こえてきた。

賑やかな夜は深夜3時を過ぎても静かになることはない。

おかげで毎日寝不足となる。



その2へ続く
2011/06/03

ジャカルタで初セミナー

今回も突然のお仕事でした(笑)
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1月にバリで釣りをしたときも前日にテレビ出演を知らされた。
今回も突然のセミナーでした。

でも出席した人はアンボンとか、スラバヤとか、遠くから飛行機で駆けつけてました。
釣り船の船長や、ショップのオーナー、そしてGT&ジギングの猛者ばかりでした。

正直言ってジギングなんかは俺より上・・・(^^;

まずはJALの機内で。すっちーに挟まれて鼻の下長くなりすぎの俺です。
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空港に着いてからが凄い待遇だった。

飛行機から降りるとスーツ姿の男性がプラカードを持って待っていた。

「モギサンデスカ」「パスポートヲオアズカリシマス」

そしてトントンと

入国審査もなく、税関検査もなく、あっというまに空港から出てきました。

モッコリさんとヨンさんの出迎えでジャカルタ市内の超高級レストラン「バサラ」に到着。

ここでもVIPルーム
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明日のミーティングの打ちあわせです。左からモッコリさん、ヨンさん、ジョンさん。
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宿泊先はインターコンチ。いつも泊まる安ホテルとはかなり違う(笑)
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そしていよいよセミナー当日。

セミナーの会場はバサラの大広間です。
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続々と集まってきた人たちと地図を広げて情報交換です。
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スクリーンも用意されました。なんでも国家機関から借りてきたらしい。
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インドネシアのあちこちから参加がありました。バサラの日本料理も大好評です。
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世界の茂木(笑)のセミナー開始
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長時間ファイトの基本、そして精神的なことを語りました。
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250キロのマグロをスピニングで釣ったビデオや、90キロオーバーのイソマグロを短時間でキャッチしたビデオなどがスクリーンから流れてました。全員がその迫力にビックリしてましたよ。

ルアーアクションも下手くそなのに語ってます(笑)
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俺のいたらないところはモッコリさんがインドネシア語で説明しました。
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モッコリさんはインドネシアの人気番組「マンチングマニア」に何度も出演している超有名な方です。俺のことは知らなくてもモッコリさんのことはみんなが知ってます。

ノットの質問も多かったです。俺は苦手なのですべてモッコリさんが教えてました。
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ジギングのアクション。潮の考察など、難しい質問に俺は終始アタフタしてました(^^;

今回のセミナーが好評のうちに終了したのはすべてモッコリさんのおかげです。

即売会も行われて、用意されたロッドはあっという間に完売でした。

日本最強のジギングロッドを購入した参加者です。
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スラバヤの釣具屋のオーナーさんです。
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他にもたくさんの参加者と写真を撮らせていただきました。

インドネシアはGTもジギングもまだまだ成長段階です。島も多く、未開のポイントもまだまだたくさんあります。

日本のタックルや最先端のテクニックに強い関心を持ってました。

次回は本物の達人を連れて行こうと思います(爆)


セミナーが終わってラーメンを食べに行った。

最近大人気急成長のラーメン屋です。現在インドネシア国内に14軒あるそうです。
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オーナーは日本人です。
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ラーメン大好きのインドネシア人です。
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これは俺が注文したワンタン麺。
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これはモッコリさんが注文した豚骨ラーメンセット。
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30人くらいの客席なのに、厨房には12人も調理人が。
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狭くて動くのも大変に見えました。
ウエイトレスも10人以上いました。
日本なら合わせても3~4人というところかな。5倍の従業員です。人件費は10分の1だからね。


日本の食材を売っているスーパーの隣は日本のケーキ屋(お菓子屋?)があった。
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きれいな日本人女性が一人買い物をしていました。その方はムナディさんの奥さんでした。ムナディは日本の大学院を出て、東京のシティバンクに長い間勤務した後に母国のシティバンクに転勤になりました。今ではかなりのお偉いさんです。日本にいる間にコモドやニュージーランド遠征に一緒に行ったり、現地の段取りをいつもお願いしてました。最近は奥さんに敷かれているようです(笑)


セミナーに参加した人の車にはMCワークスのステッカーが
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カーペンターやグルーパーボーイズのステッカーも貼ってありました。
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今回は別の用事と肩のリハビリを兼ねていったのだけど、いろいろ経験で来て収穫がいっぱいありました。
インドネシアに仲間が一気に増えた感じです。

肩は毎日中国式マッサージ(健全なマッサージ!)を受けたけど、いっこうに良くなりません。

年なのかな・・・

7月、8月の巨大マグロまでには治したい・・・