2012/09/27

インドネシア・ジョグジャカルタ編その2

ジョクジャカルタには世界遺産が二つあります。ボロブドゥールとプランバナンです。
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早朝とか夕方は三脚持って行かないと良い写真が撮れないね。今回は不満だらけの写真です。


代表的伝統民芸品、影絵人形芝居のワヤンを制作中
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1枚購入しました。
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でも段ボール箱ごとどこかに忘れてきた(-_-;)


翌日、8世紀後半に建てられたボロブドゥール寺院に行った。

神聖な場所なので見学する前に腰にサロンを巻きます。
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1814年にイギリス人に発見されるまで1000年近く眠っていた石造遺跡です。

現在の高さは33.5メートル(元々は42メートルあったらしい)。一辺が115メートルです。世界最大級の仏教寺院です。
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なんと安山岩のブロックを200万個も積み重ねてます。


石段を上がり石門をくぐり抜けてアブダブツ世界へと入る。たくさんのストゥーバが並んでいた。
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頂上には釈迦の遺骨を納めたというひときわ大きいストゥーバが建っていた。


東の方向には何度も大きな噴火を起こしたムラピ山が見える。高さ2911メートル。
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ストゥーバの数は72基。規則正しく並んでいる。
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ムラピ山(右)とMerbabu山(左)の間に太陽が。
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ストゥーバの中には釈迦像が安置されている。
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内部を覗くと
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しかしほとんどの釈迦像は首から上がない。
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他に1万人が登場するレリーフなど。

ボロブドゥールはまだまだ謎だらけの遺跡です。


世界遺産と言えば観光客を狙った物売りが多いです。中国でもエジプトでもローマでもいっぱいいました。偉大な歴史はこういう人もたくさん育てました(笑)
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ボロブドゥールからの帰り道にムンドゥット寺院を見学。ボロブドゥール寺院と同時代に建てられて、やはり1000年近く発見されませんでした。

寺院はたいしたことがないので省略

隣に巨大なガジュマルの樹が立ってました。樹齢1000年(かなり怪しい)だとか。
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ここでもモッコリはモテモテです(笑)
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続いて2年前に大噴火をしたムラピ山へ
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このバイクに乗って登ります。
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あらら
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楽しそうなモッコリです。
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おいおい
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2年前の大噴火の痕。
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燃えたバイク。でもタイヤが燃えてない(不思議でやんす)
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火山灰で丸焦げ
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溶岩は20キロ以上も離れたところまで流れ出たそうです。
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ジープ班もいました。
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続いてヒンドゥー教の遺跡「プランバナン寺院」です。

エロモッコリはここでもドゥルガー女神の胸を触ってます。
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今頃は女性に興味がないかもね(笑)


プランバナン寺院は9世紀から10世紀にかけて建てられた。ボロブドゥールは仏教だけど、こっちはヒンドゥー教です。このころからヒンドゥー教が広まっていったそうです。
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1000年の歴史を見たような・・・
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左からヴィシュヌ堂、シヴァ堂、ブラフマー堂。裏側から見ています。
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ナンディ堂の中には牛の石像が。ヒンドゥーでは牛は神様の使いだったかな?
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何度も大地震に遭い破壊された。19世紀末ごろから修復が始まったが、2006年5月27日の大地震で再び大きな被害を受けた。
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続いてジョグジャカルタ近郊の釣り堀へ

この船に乗って対岸へ
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このオネエ様がロープを引っ張って船を動かします。
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帰りは不在でした。我々でロープを引っ張って帰りました。


このイカだの上で釣ります。
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タックルセット
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餌です。
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JJJ会長とグルーパーボーイズ会長の世紀の一戦が始まった。

真剣です。
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かなり手ごわい相手です。
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沈黙が続いた。
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やられた・・・
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JJJの勝ち~



インドネシアの旅終わりです。

次回はケープコッドのマグロです(いつになるやら)

2012/09/22

インドネシア・ジョグジャカルタ編その1

ジャワ原人と記念撮影?
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ジャワ島中部の王朝の都として栄えたジョクジャカルタ。この近くでジャワ原人の骨が発見された。


タイから来た婦人団の一行。賑やかなおば様たちでした。
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今回のガイドさんです。名前忘れた。
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王宮のガイドさんです。谷村新司だそうです。
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確かに本物かも(笑)
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ジョグジャカルタは今でも王様が住んでいます。その王宮スルタン・パレスに行ったけど、正直たいした建物じゃない。でもジョグジャの人たちは王様に強い敬意を持っています。インドネシアのあちこちに行ったけど、ここだけ違うということを強く感じます。教育水準も高く、交通マナーも教科書通りの素晴らしさです。ジャカルタやバリとはまるで別の世界です。


先代の王様はカメラが趣味だったそうです。
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ポラロイド
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コンタックス
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ジャワ原人の子孫か?
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続いて男のあこがれ?水の王宮タマンサリ


この2階の窓から王様はプールを眺めます。
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プールにはいつも40人以上の女性が全裸で水浴びをしてました。
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王様?こんな感じで品定めをしていたそうです。
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そこに現れた子供たちにナンパの極意を教える王様(笑)
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王様に選ばれた女性は覗き窓の裏側にあるプールに連れてこられて王様と二人で沐浴を楽しんだ。
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そのあとは1階の「愛を語らう部屋」で・・・・

それでも足らなければ、今度は3階に上がって品定め・・・

実に素晴らしい!


ここを訪れた女性はカメラを向けると喜んでポーズをとってくれるよ。
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とてもイスラムの女性とは思えませんな。う~ん王様がうらやましい。
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昔からの言い伝えで写真を撮られると良いことがあるんだそうです。どおりで喜んで撮られるわけだ。



続いてバティックの工場見学


母と娘かな。手書きで模様を描いてます。
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染めたり、洗ったり、いろんな工程を経て完成します。
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バティックは宮廷文化の中で生み出され発展していったそうです。
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かつては王様しか着られなかった柄も、現在では一般用に作られてます。
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続いてジョクジャの人々の暮らしに潜入
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狭い路地は民家の台所にもなってます。
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小さな川に出ました。釣り人発見。
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ここにも釣り人が
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対岸にもいっぱい。
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しかし暇そうです。
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90歳のお婆ちゃんをナンパしてます。
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モッコリが現れると、どこも笑いの渦になります。
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こんな若くて可愛い娘にも大うけです。
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ジョクジャの人々は交通マナーがとっても良いです。
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おっ、人力車だ。
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ベチャと言います。さっそく乗って市内巡り
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ここでバティックの絵を購入。
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釣具屋発見。潜入します。
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ソルティガそっくり。その名もソティガ(笑)
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しかも26000ルピア、約2000円です。ボールベアリング13個入り、さらに替えスプール付き!

購入して帰国後分解したら、とても使えないということが判明(-_-;)

メイドインチャイナ。コピー大国中国の安物です。


これはオーナーの宝物。非売品だそうです。
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腹減ったのでレストランへ
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地元の方々のレストランです。
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ティッシュと思いきや、トイレットペーパーでした(笑)
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お疲れ様のベチャ
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モッコリがいると旅の楽しさが2倍になるよ!(^^)!


その2へ
2012/09/12

インドネシア・ジャカルタ編

ジャカルタに戻って、宴会と釣りと市内観光です。

ドゥルガー女神です。女性が胸に触ると安産?だったかな。男性が触るとオカマになるんだとか。
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ドゥルガー女神て、メチャクチャ強くて怖い女神です。結婚したシヴァ神はかなり困り果ててたみたいです。


ジャカルタ市内に今年の3月オープンしたプロショップMです。かなりマニアックなお店です。横浜にも似たような店がありますが(笑)
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店長のYonkさんです。
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プロショップMはジャカルタ市内のショッピングモールの中(3階?)にあります。


続いて昼食です。日本の大手建設会社が建てたデパート(だったかな?)です。
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使用前、使用後の親子です(笑)30年で変り果てるようです。
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夜はbasaraで宴会です。いつも最高に美味しいレストランです。
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JJJ(ジャパン・ジャカルタ・ジガーズ)のユニフォームが完成。
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帰り際にコンビニに
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こんなもの売ってます。
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レジの右奥でオニギリ作ってます。
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出来上がったオニギリ
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オデンもあります。
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翌日はプラブハンラトゥーまで行ってスローピッチジギングです。

3時間くらい走って到着。道は6年前に来たときよりかなり良くなっていた。
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6年前の釣行記です。
「貧乏人限定インドネシアツアー」
http://www.grouperboys.com/chokoki06a/bin06/bin06a.htm
思い切り笑えますよ。

6年前は1日チャーター7000円の船だったけど、今回はジョンさんのクルーザーです。快適でやんす。


まずはすぐにウニガメさんが釣った。さすがジャカルタ一の達人です。
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仲良くすろーぴっちじゃーくしてます。
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ウニガメ師匠さらに追加
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俺も頑張った。
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モッコリ上等兵も必死です。でもでかいのにやられました。
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そして蚊帳の外だったYH君に大物がヒット!
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見事なスマガツオ!美味しそう!
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冷えたスイカがとっても美味しかったです。
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このイカダで夜の漁をします。明りに集まってきた魚を網で獲ります。他にも追い込み網、刺し網、いろんな方法で獲ってます。おかげで魚はとっても小さいです。大きくなる前に獲られちゃうのです。こういう海域は小物釣りのテクニックが進化しますね。日本も似たようなところが・・・
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このときの詳しいレポートはJJJのブログを見てちょ。
http://blogs.yahoo.co.jp/umanami_jjj/6126225.html


ジャカルタに再び戻って、次の日は市内観光です。ムナディさんも駆けつけた。俺の13年来の釣り仲間です。現在はジャカルタシティバンクの部長さんです。
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いま、ジャカルタは日本ラーメンブームです。お店が次々オープンしてます。

そんな中で一番人気のラーメン屋に行った。

その名は「山頭火」です。いつ行っても行列ができてます。
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山頭火の向かいのホテルは元日航ホテルです。
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チャーシューを炭火で焼いてます。
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これなら行列ができるわけだ。メチャ美味かったです。
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30分待たされたけど、美味いのでOK!
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ジャカルタ国立中央博物館です。
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ヒンズー教の石像が多い。モッコリに似た石像も多かった。
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これは仏像です。顔がヨーロッパ人ですけど。
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お~~~!
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うぉ~~~!
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立派なもんです。うらやましい・・・


次は最強の女神様です。
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どれもこれもオッパイが艶々してます。
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モッコリも片っ端から触ってました。

後日、現地のガイドから聞いた。
「女性が触ると安産。男性が触るとオカマになります」と。

ガハハ!


インドネシアの伝統的短剣「クリス刀」。ギザギザした刀です。こんなのに刺されたらさぞかし痛えだろうな。
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次はジャワ島中部のジョクジャカルタ編です。ジャワ原人の骨が見つかった近くです。
2012/09/12

インドネシア・スラバヤ編その2

スラバヤでセミナーを終えた翌日はブロモ山観光へ
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一番高い山がRaung山です。高さ3332メートルの​火山です。その手前はArgopuro山の南の頂、その​手前がLamongan山です。なんとも不思議な景色でした。


早朝の3時ころです。このホテル(Lavaビューロッジ)前からブロモ山へジープで行きます。
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俺たちが乗ったジープは超古いランクルでした。
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真っ暗な道を走る。
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プナンジャカン山頂(海抜2770メートル)の展望台から見た日の出
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展望台は人でいっぱい。良い場所へはなかなか入れません(入りましたけど)
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ブロモ全景。一番高い山がスメル山(3676メートル)。ジャワ島で一番高い山です。
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ブロモ山の火口。
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Argopuro山の山頂。3088メートル。
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同じくArgopuro山。
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Penanggungan山(1653メートル)
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同行の3人(ジョン、アチュン、カディック)
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展望台にある小さな食堂で朝食を
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朝食はインスタントラーメン
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展望台を下りながらブロモ山を撮る
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アリのように見えるのは全部ランクル。
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カルデラ内を走るランクル。
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ブロモ山の登山口にはたくさんのランクルが。
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これから登ります。
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この馬(ポニー)で。
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ガイドに引かれて登ります。
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飲み物を売るテングル族のおばさん。ミネラルウオーターが50000ルピア!ぼったくりじゃん。
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下ってきたときは10000ルピアに値下がりしてました(笑)


階段も手すりも壊れたままの階段を上る。火山灰がすごいのでマスクが必要。
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ブロモ山の火口です。たくさんの人がお供えの花(造花)を投げ込んでました。
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その花を回収する人です。インドネシアにはいろんなお仕事があります(笑)
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お花は50000ルピアで売ってます。約420円です。俺は420円で火口を降りるのは嫌です。


ブロモ山の隣の山です。名前は忘れました。
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Lavaビューロッジに戻って、そこからブロモ山を望む。
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帰りはテングル族の部落を抜けながらスラバヤへ
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テングル族はインドネシアでは数少ないヒンズー教徒です。インドネシアは9世紀までは仏教、10世紀からヒンズー教、そして16世紀からはイスラム教が勢力を伸ばしてきた。テングル族はヒンズー教を捨てきれず山奥へと逃げ、ここに定住したそうです。他のヒンズー教徒はバリへ逃げて、バリヒンズーとなった。

■テンゲル族
ブロモ山中に住むテンゲル族は、体格が小柄で、14世紀に東部ジャワに繁栄したモジョパイト王朝最後のヒンズー文化の流を受け継ぐ部族と言われている。 24部落から構成されるテンゲル族の中でも、トサリ部落、ガディサリ部落は一般に名が知られている。 とりわけ、ガディサリ部落は、一説によると、13世紀に東部ジャワへ襲来した元軍の敗残兵士の子孫であると言われている。 現在のテンゲル族は、山の傾斜地にキャベツなどの数々の野菜を栽培して生計を立てている。ブロモ山周辺の傾斜地は急勾配で、勤勉さがなければなしえない野菜栽培である。

■ 民話 「生贄儀式(カソド)」
昔々、ブロモ山麓に子供のいない夫婦が、平和な自然の中で幸福に暮らしていた。 夫婦は、いつしか年をかさねている中に寂しさを感じはじめた。 日増しに子供が欲しいと思うようになった。 思いあまった夫婦は、ある日ブロモ山に棲む創造神に祈願した。
くる日もくる日も二人は真心をこめて祈願を続けた。これ知った創造神ブラフマは、二人の願いを叶えてやることにした。妻が祈願の最中に創造神からのお告げを聞く。
「最初の子供さえ生贄として献げるのなら、汝ら夫婦に25人の子供を授けよう。」
「はい、約束します。」と妻は思わずと答えてしまった。
時が経つと、ブラフマのお告げが事実となった。妻は身ごもり、男子を出産した。 夫婦は、大いに喜び、男の子を大事に育てた。
男子の誕生してからというもの、夫婦の生活には昔のような幸せと明るさがもどってきた。 男子は、クスマと命名され、日増しにたくましく成長していった。 それから、妻は次から次へと産み続け、25人の子供を出産した。その息子たちはすくすくと成長した。
夫婦は、あまりの幸福な生活にブラフマ神との約束を忘れていた。
それまで静寂を保っていたブロモ山が、突然として地響きを立て噴煙を吹き上げた。 夫婦に警告を発してきたのだ。夫婦はブラフマとの約束を思い出した。悲しみがこみ上げてきた。 どうしてあんなに可愛い長男を噴火口に投げ入れることができようか。 
夫婦は、出来ることなら長男の身代わりに自らが投身しようと願うのですが、神は剛健で若いクスマを望むことに変わりはなかった。
ブロモ山は噴火を止めようとせずに、火口から溶岩が吹き出し、日ごとにその激しさをましてきた。
こうしたある夜に、夫婦は神のお告げを聞いた。
「約束を守れ。もし、クスマを献げることをためらうなら、長男ばかりでなく残る24人の息子も全て召し上げてしまうぞ」と。
夫婦は気が動転し、心臓が激しく鼓動した。 クスマは、母が悲しむ様を見て、その原因を尋ねたが、口を開いてくれなかった。
しかし、執拗にたずねるクスマに、母は根負けして遂に打ち明けてしまう。 母の話を全て聞き終えると、クスマは口を開いた。
「母さん、もういいです。 私は、父さん、母さん、弟たちの幸福とテンゲル族のために望んで生贄になります。」
数日後、クスマは生贄として火口へ運ばれ、大勢の住民が見まもる中、クスマの体は火口へ投げ込まれた。 生贄は、神に受け入れられ、ブロモ山の噴火が止み、地響きが鳴りやんだ。 そして、ブロモ山周辺一帯には平和が再び訪れた。 
農夫は安心して畑で働きはじめた。老夫婦も24人の息子達と幸福な暮らしを続けという。
(原典:「Asal Mulanya Upacara Korban di Gunung Bromo, 『Cerita Rakyat IV』, 1972年 文部省編纂 Balai Pustaka 出版 」

伝説中の生き残った24人の息子は、現存するテンゲル族の24部族を意味するという。 
今日、儀式の生贄になるものは、農作物や鶏・羊が火口へ投げ入れられるという。 テンゲル族の山岳信仰はヒンズー教へ変わり、毎年バリ島から僧侶を呼んでバトック山麓の寺院で儀式が行われている。

参照ブログ
http://tamanbudaya.jp/jawa4.html



しばらく走ってシドアルジョに到着。ここでは道路を横断する手助けをする人達がいました。ほんといろんなお仕事があります。
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即席でできた竹の階段を上る。
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泥の大地です。
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2006年5月に天然ガスを試掘中に泥とガスが大量に吹き出し、2008年6月までに8つの村が埋まってしまった。
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この工事をやっていた会社の経営者が次期大統領の有力候補だとか。この惨事も自然災害として片付けようとしているとか。インドネシアは賄賂で固められた国だからね。
ジャカルタの国際空港もスラバヤとマドゥーラ島を結ぶスラマドゥ大橋も多額の賄賂が使われたそうな。それは実際の建設費より多いというお話です。


高さ15メートルの土手を築き、泥水を川に流すようにして、ようやく被害の拡大は防げた。
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埋まってしまった8つの村はやがて地図からも消えていくんだろうな。
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次回はジャカルタ編です。