2014/12/14

海難訓練?クリスマス島

現在、ニュージーランドのファカタネ(ワカタニかも)にいます。悪天候で出船中止。なんでブログ更新してます。今年の1月に行ったクリスマス島です。先日、1年分をまとめてアップしたはずが、抜けてました。まだあるかもしれません。



クリスマス島では貴重な体験をしました。やらないほうがよい体験ですが(-_-;)


クリスマス島、北東沖でエンジンが止まった。

船長は修理不能と判断

船長「飛び込め!」

我々「嘘だー!」


喜んでる場合じゃねえと思いますが
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ロリ丸のアドバイスで服も脱がず、足元もガッチリ固めて飛び込むことに。最後の波打ち際でサンゴで血みどろにならないために。
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飛び込む前に

ALL「靖国で会おう!」
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次々と飛び込んだ。
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水平線に陸地が見えてます。俺「遠い(-_-;)」


俺はカメラを持って飛び込んだ。

船を撮影していて気が付いたことは、全然船が離れない。
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ということは俺が一生懸命泳いでいるのは、まったくの無駄・・・


でも岸はちょっとずつだけど、近づいているように見えた。


お、陸がはっきりと見えるぞ!
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波の中で撮影する俺をロリ丸が撮ってました。
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ぬぬ?1人動かぬぞ。
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ガイドのイングリッシュに引かれるのは水死体?
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よく見ると「森爺だ!」

66歳の誕生日を先日迎えたばかりなのに


Vサイン
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なんだ死んだふりか

俺「死ね!」


大谷君も死んだふり?
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サメが多いからだそうだ。

そんな中、俺は必死にバタバタしてましたけど。

でも、移動するスピードは同じだった(-_-;)


背後から波が迫ってるけど、気が付かずに撮影する俺。
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あと300メートル?
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この辺から、かなりやばくなる。
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波に何度も水中に引きずり込まれた。


息絶え絶えになって、やっと浮くと、次の波が・・・
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もがきながらも水中でシャッター押してた。
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5回くらい引きずり込まれて、やっと足が届くところへ
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最後はイングリッシュに引かれて、波から脱出成功
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苦しかったっす。


無事生還。ロリ丸撮影。
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ちなみにロリ丸はサーファーでもあるので、ピンピンしてました。


全然余裕のロリ丸
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俺はまったく余裕なし。沖にボートが見える。この後に座礁したそうです。
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ボートに乗っていたほうが楽だった?


しばらく動けませんでした。
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最後の波でマジ死ぬかと思った。


全員生還(^O^)
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宿まで戻りたいけど、歩いたら丸1日かかります。いつ来るかわからない車を待ってます。
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ちなみに無線も携帯も繋がりません。

まあ、生きていたから、いいんじゃね。



良い経験をさせていただいたので、船代は全額払い、さらに帰りがけにチップ700ドル払った。

何が起こるかわからないところへ行って、つまらぬことは言いたくない。どんなことが起きても、文句は一切言わない。文句を言うような奴は最初から来なければよいのだ。

これがアメリカだったら、一銭も払わないし、損害賠償を請求します。




クリスマス島

ハワイから南へ2000キロです。飛行機は週に1便です。

海沿いの民家
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子供たち
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アオヅラカツオドリ
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アホヅラは俺の回りにいっぱいいますが(笑)


アカアシカツオドリの子供
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元気な爺さん
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もともと、このツアーは爺さんにそそのかされて行くことになった。

平爺「いつ死ぬかわからねんだよ。それまでにもう1回クリスマスに行きたい」

集まった爺は

66歳、65歳、62歳、60歳・・・


爺なのに、酒の量は半端でない。毎日ウイスキー2本空けてた。
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しかも、そのうち2本は1100ミリリットル



爺出動!
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左から、立爺66歳、森爺66歳、平爺62歳


梅爺
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立爺
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この爺さんたちと次の約束は

2年後のキューバです。


皆さん、長生きしてください。
2014/12/04

2014年の海外・7月から11月まで

7月はイギリスへ

ロンドンブリッジ、グリニッジ、バッキンガム宮殿、ウエストミンスター、そして大英博物館、トラファルガー広場を見学。そしてウインザー城。お決まりのコースを見た後は、ちょっと離れたところへドライブ。


まずはバース。その名の通り、風呂です。しかもローマ統治時代に作られた風呂です。
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この温泉の由来に関しては、諸説いろいろあるようですが、面白い話は最初にこの温泉を発見したのが、ハンセン病にかかり王子を首になった豚飼いだったこと。ある日、豚もハンセン病になったが、いつの間にか治っている。おかしいなと思って豚の後をおうと、その温泉に入っていた。豚飼いも温泉に入ったら、ハンセン病が治り、再び王子になって、やがて王になった。紀元前800~900年の話です。この王子が実在した証拠はありませんが。

その後ローマの統治時代(西暦43年~410年)に立派な温泉が建てられます。ローマ人は風呂好きですからね。それがこの遺跡です。ちなみに遺跡内に湧き出る温泉は数万年前にこの大地に降り注いだ雨だそうです。遺跡が建てられるより前に降った雨だそうです。


そして謎だらけのストーンヘンジへ
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農耕文化が定着した新石器時代に建てられたものです。神殿、儀式、埋葬、季節を知るため、いったい何が目的で建てられたのか、今でも解明できてません。今から5000年も前に大きな石を遠くから運んで・・・なんとなくイースター島のモアイと似てますね。


続いてアイスランド。2年前にノルウエーにアトランティックサーモンを狙って挑み、坊主に終わったリベンジです。
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なんと4人で32匹のアトランティックサーモンをキャッチ!
最大はメジ1号の94センチ、8キロ。

こんなに釣れた理由は・・・

アイスランドのルール

釣りあげた後に釣り場のあちこちに設置してある生簀にいったん魚を入れます。
のちに業者が孵化場に運んで、産卵、受精、孵化、飼育、放流となります。
これは自然界にリリースするよりも効率が良いからだと思います。自然界では卵、稚魚のうちにほとんどが他の魚、鳥などに食べられてしまいます。
生簀から離れたところでキャッチしたときはビニール袋に川の水を入れてから魚を入れて車で生簀まで運びます。そのときビニール袋に入れたまま長さを測ってました。
ちなみに我々は1匹もキープしていません。


アイスランドホース
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アイスランドの名物だそうです。写真集もいっぱい出てました。
温厚で頭が良いそうです。今日も釣り場で馬に囲まれました。ガイドが「噛まないから安全」というので顔をナデナデしてあげると喜んで、ずっと離れなくて困りました(笑)


続いてデンマークへ

広くて歩き疲れたクリスチャンボー宮殿。
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コペンハーゲンは道が狭くて、駐車場が少ない。コインパーキングに停めておくとポリス(監視員かな?)がチェックに来た。
ポリス「ちゃんと金払ったか」
俺「ダッシュボードの上を見ろよ」
ポリス、近づいて確認する。
ポリス「なぬ?」「うぬ?」
ポリス「ノンプロブレム」「2日分払ってある」
俺「えっ?」

2時間と2日間を間違えた(-_-;)


ハムレットの舞台となったクロンボー城へ

地下に眠るホルガー
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ハムレットで有名なクロンボー城だが、デンマーク人には英雄ホルガーが眠る城として有名です。長い地下道を下ると眠ったホルガーが壁の前に座ってます。ホルガーはずっと夢を見ているそうです。それは地上で起きていることを夢の中で見ているのです。そして地上に危機が訪れたとき、目を覚まし勇敢に戦うのだと。
昔、老人はよく孫などに聞かせたそうです。「お爺ちゃんは若いころホルガーを見たことがあるんだよ」「それはそれは勇敢な戦士だった」「あれは間違いなくホルガーだった」と。


城の売店で日本語訳のマッチ売りの少女を買った。子供のころに読んだ記憶はあるが、ほとんど忘れかけている。50年ぶりくらいに読んだ。子供のころより涙が出た。

アンデルセンの童話って、主人公が死んで結末となるのが多い。それは当時、とても貧しくて、中でも貧困層の子供たちは死ぬ以外に幸せになるすべがなかったからだそうです。
アンデルセンが亡くなった時は、フレゼリク王太子や各国の大使、子供から年配者、浮浪者に至るまで葬式に並び大騒ぎになったそうです。


7月下旬はカブトムシ隊の年1回の慰安旅行です。

今回はロシアです。

今回の引率はドングリ
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あちこち見て回った。でもほとんど覚えてない。昼食に入ったレストランでソファーに横たわり爆睡していたところをオネエチャンに「寝るな!」と怒られたのは覚えてます。

関西の屑2人
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日本とロシアの絆を深める旅?

ロシア人て親切な人が多いです。ロシア東部(シベリア)だけかもしれませんが。料理も美味しかったです。でも日本語はもちろん、英語もほとんど通じなかったです。現地で知り合った日本語通訳のロシア人にいっぱい助けていただきました。感謝感謝(^O^)

残念だったのはハバロフスクの博物館がすべて月曜休館でした。


8月上旬はアラスカへ

7年ぶり、4回目のアラスカ・コディアック島です。
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キングサーモンとハリバットいっぱい釣れた。レギュレーションはどっちも1人2匹までです。
今回の目的は「ハリバットのほっぺ」
「ハリバットのほっぺの刺身は一番美味い!」と言ったら5人集まった。
ところが
「どうせ、会長の言うことだから」「嘘嘘」と陰では言ってたらしい。
ところが、いざ食べたら全員感激!

少し俺の話を信用するようになったか?


1日目のキングサーモン竿頭はジギングで8匹キャッチのゴリ

2日目のキングサーモン竿頭は、トローリングでヒットしたのを、すべてやらされたドングリでした(笑)
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帰国が3日も遅れたことも報告しておきます。しかし3日も遅れたのに、誰一人困ってなかったのも事実です。

それと野生のラッコの大群は可愛かった。

ドングリをヒグマに食べさせたかったなあ。


8月下旬はカナダ・プリンスエドワード島へ

毎年恒例の「巨大クロマグロにヘロヘロにされてこいツアー」です。

今回のヘロヘロチャンピオンです。釣り上げた後はゲロゲロでした。
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クロマグロはすべて船べりリリースです。キープはできません。


子供に励まされて頑張ったお父さんです。
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子供たちからの手紙
3日目が終わり、いまだにチャンスが回ってこないぐっちは子供から預かった手紙を開けた。

手紙の封筒にはこんな文字が

「元気がなくなったら読んでください」

お父さんを励ます内容の手紙。読んだぐっちは涙ボロボロ・・・

「パパへ
釣りを楽しんでますか?
僕たちはパパがいないと少しさみしいですが、がんばって1日1日を過ごしています。
パパが300キロオーバーのマグロが釣れるように祈っています。体調にも気をつけてください。流星より」

「パパへ
マグロをつるの、がんばってね。
お祈りしてます。
さくらの予想ではつれます!何日目かは分からないけど、とにかくぜったい釣れます。
パパがいない間、さくらたちは大丈夫なので、パパは心配せずに、つりに熱中してください。
自分をしんじて、ぜったいつれると思っていたら、たぶんつれると思います。
頑張ってね!!!!
さくらより」

そしてお父さんは頑張った。

途中、ナイロンラインが何か所も裂けてボロボロになるトラブルも。50分過ぎからもう10メートルも出せない(裂けている部分で切れる)ファイトとなった。ドラグは27キロ、さらにスプールを両手で押さえて止めた。相手はかなりの大物。物凄いパワーで引っ張った。さらに目の前のラインが裂けた。もう1メートルも出せない。凄いファイトだった。まさしく格闘技。ロッドが限界まで何度も曲がった。

そして

ついに

お父さんは

勝った!

クロマグロ386キロ!

ファイト中、ずっと子供の顔が浮かんでたそうだ。

おめでとう。


さらに、66歳の長老も釣りました。

2007年からニュージーランド、アメリカ、カナダで巨大クロマグロに挑んでるけど、いまだに一人も交代がいない。

参加者の苦しい顔を見るのはほんとに楽しい(^O^)

続きは写真集を買って見てください(^O^)



10月はインドネシアのパプアへ

なんと乗り継ぎに5人が間に合わなかった。

間に合わなかった人です。
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この船に4泊5日。別名「難民船」です。
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釣果は?

JJJのブログ見てください。
http://blogs.yahoo.co.jp/umanami_jjj/12430196.html



10月下旬はネパールへ

ヒンドゥーの火葬
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ヒンドゥー教徒はお墓を持ちません。輪廻転生、生まれ変わるために、現世に何も残しません。

パシュパティナート寺院では毎日たくさんの火葬が行われて、遺灰はバグマティ川に流されます。この川は下流でガンジス川と合流するそうです。


ネパール人は博打が大好き
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一応、法律では禁止されてるらしい。
ところが、あちこちでトランプやら、貝を使った博打やら、昼間から堂々と公共の場で男どもは日が暮れても博打です。

俺も飛び入り参加。巻貝を使った博打。ルールは全然わからん。4つの数字から1つ選べと言われて1回目は5、2回目は3、両方とも勝っちゃった。しめて2000ルピー(日本円で2000円)儲けた。ネパール人の平均月収は5,000円くらいだから10日分以上です。

運転手のチリンさんは博打大好きで6,000ルピーの荒稼ぎ。俺の運転手だということも忘れて打ってました。

そのあとガイドのニロさんの親戚の家でお正月料理をいただいた。ネワル族の今年の元旦は10月24日です。なんと昨日です。ティハールというお祭りの4日目がネワル族の元旦です。そうなんです。俺が到着してから4日連続ティハール祭りです。
チリンさん(シェルパ族)は俺がネワル族の家に呼ばれている間も、せっせと博打を打ってました。
俺がネワル族の家でヒンズーの儀式をやっていると、チリンさんからニロさんに電話がかかった。
チリン「50,000ルピー負けて、すっぽんぽんになったから5,000ルピー貸してくれ」
50,000ルピー(約50,000円)てネパール人の年収と変わりませんが(-_-;)



そしてネパールからブータンへ

窓際の席を取って正解。世界最高峰のエベレスト(^O^)
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ブータン人は日本人にそっくり、そして「幸せの国」という別名があります。日本とも大変に仲が良く、昭和天皇崩御のときは国王が来日、ブータンは1か月喪に服しました。東日本大震災のときは人口70万人、GDP162位の貧しい国なのに100万ドルも寄付しています。


標高2950メートルの崖に建つタクサン・ゾン(タクサン寺)。よくこんなところに建てたもんです。
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ブータンの人々の信仰心は厚いです。同じ仏教でも、日本は葬式だけ。ブータンは毎日の生活に仏教がかかせません。

乞食も一人も見なかった。そして人々の生活に不満は感じられなかった。

そして殺生禁止なので釣りもできません。

素晴らしい国だけど、文明に毒された俺たちは住めません。毒を押さえるために、快楽が必要です(-_-;)


民家の壁にはチンチンの絵が
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これは魔除けだそうです。女性のを描くと悪魔が喜んで侵入するそうです。

来年は日本人観光客は観光税が半額になるらしいです。「日本が大好きなブータン」からのプレゼントです。


11月はニュージーランド・ランフリーバンクスへ

ランフリーはアングラーを裏切らない。

41キロ、39キロ、37キロなど、ジギングで大型連発でした。

ニュージーランド初挑戦のオサダ君は39キロと37キロ!
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シャチのファミリーにも遭遇。
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そして打ち上げはオークランドの焼き鳥KEN

ハプーカ鍋最高でした。


11月までの海外報告終了。次は国内報告です。


PS.現在ニュージーランドです。ファカタネのミック邸です。隣りで大酒飲みながら大仏たちが盛り上がってます(^O^)

2014/12/03

2014年の海外・1月から6月まで

今日は2014年12月3日です。ニュージーランドのオークランドにいます。今回が36回目のニュージーランドです。

ブログの更新がいよいよ1年遅れとなったので、一気にアップします。

まずは2014年海外の前半です。1月から6月まで。各海外の写真を2枚までと減らしてます。

忙しくて、今までのようにたくさんの写真を公開できません。

今後は写真集という形で写真を公開します。

まずは2015年1月中に1冊目の写真集を出します。

タイトルは「茂木陽一世界を釣る・海のモンスターたち」

巨大魚の写真の他、人々の暮らし、風景なども入れてあります。また釣りの未来を考えて資源保護に関する対談、写真も載せてあります。今後も各方面の方と対談を考えてます。

茂木の近況はFacebookに公開してます。そちらで住所不定の男がどこにいるのか知ることができますよ。
https://www.facebook.com/ymogi




では1月から順次写真を紹介。

今年も年末年始はニュージーランドでした。2006年からだから、9年連続ニュージーランドで年末年始だ。

今回最大はタツキの48キロ。ファイトはヘロヘロだったらしい。毎年2艇体制なので、俺は見てませんが。
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帰港後、全員で記念写真。みんな釣果に大満足の顔(^O^)
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40キロオーバーが4匹、30キロオーバーは30本以上釣れました。

ヒラマサは食用に1匹だけキープ、あとはリリースしました。



2月はアメリカのマイアミでゴライアスグルーパー。

100キロオーバーが今年は4匹釣れた。

まずは怪力ヒポが204キロ。
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続いてゴリが192キロ。
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他ペンペンが157キロ。ミッキーが100キロでした。

ゴライアスは、すべて船べりリリースです。キープも船に上げることも違反です。


3月はノースカロライナへ。毎年恒例となったマグロキャスティング&ジギングです。今年は前半組、後半組、ともに船を3艇ずつチャーターしました。

なんと前半組は悪天候で6日間全部釣りが中止(-_-;)

中止となった皆さんです。おかげでスミソニアン博物館に行くことができました。良かったじゃん(笑)
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後半はいきなり初日に100キロオーバーを7本もキャッチ!
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まあ、釣りってこんなもんです。天気には勝てません。

今年のレギュレーションは叉長72インチ以下なら船中1匹までキープOKでした。


4月は12月に亡くなったジム・シアーズのお墓詣りにいってきた。でもジムはヒンドゥーに改宗していたので、お墓がなかった。ヒンドゥー教徒はお墓を持たないのです。生まれ変わるために、この世に何も残さないのです。

ジムといっぱいカバを飲んで、いっぱいお話をした部屋です。
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翌日はフィジーで一番高い山に登った。ビクトリア山、標高は1323メートル。日本人初登頂?いえ、みんなに登るのを手伝ってもらったからファールです(-_-;)
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ちなみに、この山を登るのに麓の部落の長老に許可をいただきに行きました。まず朝からカバの儀式。そして下山後に部落の男ども100人近くとカバの儀式。なんと70杯のカバを飲みました。道案内のフィジアンは帰りの途中、助手席でゲロして意識不明となりましたよ。



4月ゴールデンウィークはニュージーランドのスリーキングへ。北島最北端のさらに北にある群島です。

2.5キロと1.6キロのサンメジグを持参した変態男が巨大バスをゲット。
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これがスリーキング岩礁(群島?)です。ちなみに人は住んでません。
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5月はギリシャへ

コルフ島(別名ケルキラ島)にある小さな博物館に日本の浮世絵(しかも全部本物)が1600点も。写楽、歌麿、北斎・・・全部でいくらになるのか?
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警備も薄いので、次回は警備服を着ていく予定です。

これは日本でも大変なニュースになったそうです。

「写楽 幻の肉筆画 ギリシャに眠る日本美術~マノスコレクション」

世界ふしぎ発見!
http://www.tbs.co.jp/f-hakken/

海を渡った写楽を追え!イオニア海の至宝ギリシャコルフ島
2013年9月14日(土) 21時00分~21時54分
正体不明の浮世絵師、写楽の肉筆画がギリシャのコルフ島で発見!一体なぜ日本から
この島に辿り着いたのか。そこにはある男の願いがあった。島の歴史を紐解きながら謎に迫る。


世界遺産のコルフ旧市街。
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5月はドイツも

お城の撮影とアウトバーンをぶっ飛ばす、この二つが目当てです。

これはノイシュヴァンシュタイン城
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これはホーエンツォレルン城
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ちなみにアウトバーンは220キロでぶっ飛ばしたけど、10台以上追い越された。借りたレンタカーが遅すぎ。

ハイデルベルクでは世界遺産の橋を車で渡りました。でも進入禁止だったらしく、渡り終わったところが通行止め。バックして戻った。橋の上には観光客がいっぱいでした(-_-;)


5月はさらにアメリカ・テキサスへ

アリゲーターガーという怪魚を釣りに行った。

こんなサイズしか釣れなかった。最大は3メートルにもなるので、これでは子供です。
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とんでもなく広い私有地での釣でした。道はこんなです。移動するのも大変。
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ちなみにガイドは元グリーンベレーで殺生が大好きでした。ライフルで無駄に野鳥を打ち殺してました。


続いてカウボーイの街「フォートワース」へ

人生初ロデオ観戦

命がけですね(-_-;)
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牛のパワーに驚きました。
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続いてサンアントニオへ

アラモの砦で有名な街です。

夜のリバーウオーク。人でいっぱいだけど、日本人はまったく見ませんでした。
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これがアラモの砦。
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1836年3月6日にテキサス独立軍(189名)がテキサス独立を賭けてサンタナ率いる10倍のメキシコ軍と戦い、全滅したところです。絶対的に不利の中、最後まで降伏しないで全員玉砕。この砦の敷地内に日本語の石碑がありました。ここを訪れた志賀さんという日本人が感動して石碑を贈呈したそうです。1914年9月という文字が刻まれてました。
日本の長篠の戦いで伝令として最後は武田軍に捕らえられ、磔されて殺された鳥居強右衛門と同じ運命をたどったジェームス・ボナハン。それは壮絶な最後でした。クロケット、トラビス、中学生のころに読んだ本を思い出しました。

その石碑のすぐ近くには同じく1914年に植えられた大きなカシの木が立ってました。
石碑には複数の弾痕がありました。1941年12月に日本が真珠湾攻撃をしたときに撃たれたそうです。そのとき石碑を撤去する話も出たそうです。

長篠城の本丸跡にはサンアントニオから寄贈されたカシの木が立っているそうです。そのカシの木はアラモに立っているカシの木の子だそうです。

なおサンアントニオ市と熊本市は姉妹都市の関係です。


以上、6月までです。簡単な報告ですいません。