2009/10/19

外房ヒラマサキャスティングゲーム

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外房と言えば近海ジギングの発祥の海である。俺も14年前に初めて外房のジギングに挑んだ。当時ジギングと言えば、まだナイロンラインが主流でPEラインを使っている人はごく一部だった。そんな中でPEラインをリールに巻いて松鶴丸に乗りこんだ。
前日は潮が速く、ジギングは底が取りにくく根掛かりが続出して釣りにならなかったと船長が言っていた。そういうことなので船長のお勧めで沖にカツオ、キメジを釣りに行くことになった。
沖でカツオ、キメジがそこそこ釣れたので、俺は船長に「帰り際でいいですから1回だけジギングポイントを流してくれませんか」と言った。
潮は速かったがPEラインなので底は確実に取れた。そして1回目の流しでヒット。3キロくらいのヒラマサをキャッチした。これが俺の外房初ヒラマサである。初挑戦でキャッチだった。ジグは3オンス(84グラム)だった。当時3オンスと言えばヘビーの部類だった。

そして外房は近海ジギングの人気スポットとして多くのジガーを育ててきた。

アシストフックを発案したのも外房ジガーである。長年日本のジギングに多大な貢献をしてきた。

そんな外房で2年くらい前からキャスティングで狙うヒラマサが人気上昇中だ。

サイズが大きい。そしてヒットの瞬間が見える。スポーツ性の高いこの釣りはまたたくまに多くのジガーを取りこんで大型のヒラマサが次々とキャッチされていった。

キャスティングでヒラマサを釣ることをブームにした一人として佐賀のサンライズの田代誠一郎船長が真っ先に浮かぶ。奄美でGT船のクルーとして長年働いてきた田代はヒラマサにおいても同じ可能性を求めていた。田代の師匠はあの福井健三郎である。ポイント開拓の大好きな師匠の下で働いていたこともあり、積極的にポイントを開拓していった。そして結果が出るまでにそう時間はかからなかった。

その田代船長が外房に初めて現れたのが2008年の2月8日である。ロッド1本、ルアー2個、リーダー5メートルをたばねてコンビニ袋に入れて親交のある山正丸に乗りこんだ。そのときお付き合いしたのが野澤と谷口である。

結果は田代が15.9キロと9.8キロ。野澤が9.3キロだった。田代が初挑戦でオオマサを2本もキャッチしたニュースは瞬く間に外房ジガーに知れ渡った。

あれから1年8カ月が過ぎた。

おりしも数日前からとんでもないサイズが釣れ出していた。10月11日22.1キロ。10月13日25.1キロ。他にも10キロオーバーが続々キャッチされていた。まさにニュージーランドとアベレージサイズは同じかそれ以上だった。

そして外房ジギングトーナメントの前日、多くの仲間と山正丸に乗りこんだ。その中にはあの歴史的な1日である2月8日に田代と一緒に乗り込んだ野澤と谷口もいた。その日は谷口もオオマサを掛けたのだが一方的に遊ばれて完敗だった。

当日は土曜日ということもあり22名も乗りこんでいた。こんなに乗っていてキャスティングができるのかなと思ったが、さすが外房の常連はレベルが高い。日ごろからハイレベルな釣りを求めているだけにキャスティングは素晴らしかった。

そしてまず外房の実力者野澤のBC-γ60にヒラマサが襲いかかった。
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水深は15メートル。外房は日本全国でもトップクラスに難しい海である。

野澤はすぐに主導権を取ると一気に勝負に出た。ほとんど走らせず2分でキャッチ。16.4キロだった。
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ロッド:MCワークスEX704SSR"SOTOBO SP" プロト





続いて小澤にヒット!これもBC-γ60である。

8キロのドラグで1分強でヒラマサは浮いた。
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サイズは12キロ。
ロッド:BC73MLR


二人とも速効勝負だった。外房は走らせて取るか、強引に勝負するかのどちらかに分かれる。強引にやればヒラマサも本気になる。逆に力をかけないファイトをすればヒラマサも本気にならない。どちらを取るかとなる。俺は力勝負しかできないが・・・
ニュージーランドの経験からわかったことは20キロのヒラマサは本気になれば20キロのドラグを引き出すパワーを持っているということだ。そして障害物が目の前にあればよりパワーを出すことも。

しばらく平穏が続いたあと。

今度は谷口のBC-γ60にヒラマサが襲いかかった。
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ロッドはBC79LR、ラインはPE4号、強引なファイトはできない。前者の二人とは対照的なファイトとなった。

船長の操船も素晴らしかった。この浅いところで巧みに根を交わし、確実に距離を詰めていった。

仲間が見守る中、最後はぐるぐると円を描きながら浮いてきた。

そしてネットへ
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1年8か月前の完敗から外房に通い続けること25回。坊主の連続。そして返り討ちにも遭った。

こみ上げてくるものに耐え切れず、ついに涙が・・・
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声を出して泣いた。



おめでとう!
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12キロ、18.2キロ、16.4キロ
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その日の宴会では谷口が主役だった。
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あのダックス会長が小さくなった。
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PS。俺も釣ったのだが、影はほとんどなかったよ。
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2009/10/13

NY観光とボストン沖クロマグロ

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ノースカロライナ沖のジギングから一旦ニューヨークに戻った。翌日J・F・ケネディ空港で前半組を見送り、後半組を出迎える。明日からボストン沖のクロマグロなのだが天候が思わしくない。夕方まで船長からの連絡を待ったが数日間は風が強く出れそうもないという返事だった。

それではニューヨーク市内観光ということになった。同行のAさんは20年ぶりのニューヨークに懐かしさでいっぱいのようだった。Q君は美大出身なので美術館めぐりをしますと大喜びだった。ニューヨークには大きな美術館や博物館がいっぱいある。そしてエンパイアステートビル、自由の女神、グランドゼロ、SOHOなどなど。とても3日や4日では見回れそうもない。

まず行ったのがエンパイアステートビルだった。ブルックリンから地下鉄でマンハッタン島に入り、ある駅で降りてから歩いた。初めてなので駅を間違えて1時間くらい歩いてようやくエンパイアステートビルに。

86階から見たマンハッタン。
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続いてメトロポリタン美術館。ここで美術館オンリーのQ君とお別れ。
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俺とAさんはナチュラルヒストリーミュージアム(アメリカ自然史博物館)へ
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2日目はSOHOに行った。Q君はこの日も美術館めぐり。

そして3日目は俺だけサミ宅でお休み。AさんとQ君は美術館めぐり。

そして4日目も観光となり、まず3人で自由の女神のあるリバティ島へ。

リバティ島から見たマンハッタン。
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現在の景色
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テロ当日。2棟の高層ビル(世界貿易センタービル)に飛行機が突っ込んだ。
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建設中のグランドゼロ一帯
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AさんとQ君は結局1日も釣りができず、帰国となってしまった。俺だけ残った。サミが明日から天気がよくなる。3日間ずっと凪だよというのでマイレージでチケットを取って3日間延期することにした。何しろ80万マイルも貯まっているんで。そして時化後は期待できる!?

サミの自宅があるニュージャージーのプリンストンを真夜中の12時頃出発してボストンへ走る。
明け方到着して1時間ほど待機してから出港となった。

予報どおり、ベタ凪である。

これは乗合船らしい。
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これは突きん棒船
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これも突きん棒船。こんな漁が継続しているということはマグロが多いからかな?
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これは1日目に乗った船。船長がキャスティングに夢中になっている。
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そしてサミが1日目に40キロくらいのマグロを釣った。ルアーは猛闘犬丸。
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俺も翌日30キロくらいのマグロを釣ったが擦れ掛りだったので船べりリリース。朝一なので余裕でリリースしたのだが、その後はパッタリヒットせず。

朝方ははあちこちでマグロが跳ねていたが10時頃からパッタリと跳ねなくなった。

ジギングを始めるとマダラが入れ食い。
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手前の船に1日目、奥の船に2日目、3日目と乗った。小さいけど大きな船外機を付けているのでスピードは25ノット前後と速かった。どっちの船長もマグロキャスティングに完全にはまっていた。操船を忘れて投げてばかりだったからね(笑)
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3日目はケープコッドの周辺を攻めたが、マグロの姿は確認できず。

そこは鯨だらけだった。100匹以上は見ただろうか。とにかく凄かった。船の周りは鯨だらけである。
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結局、目標としていた100キロオーバーには遭遇できなかった。跳ねているのは大きくて50~60キロくらいだった。日本と同じでマグロは世界どこへ行っても簡単には釣れない。サミに来年また来ると言って帰路に。

今回はサミにほんとに世話になった。ノースカロライナ往復、ボストン往復、そしてNY市内観光の送迎などなど。4000キロ以上を一人で運転してくれた。そしてサミの家に何日も泊めてもらった。サミがホテル代がもったいないからうちに泊まりなさいというので。

サミのファミリー
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アメリカでは多くの友人ができた。みんな良い人ばかりだった。
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帰国後、2週間くらい経ってサミからメールが届いた。全員で7匹のマグロをキャッチ、そのうちの5匹をサミが釣ったそうである。
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ボストン沖のクロマグロは船中1本しかキープできない。あとはすべて船べりでリリースである。

クロマグロは世界中で激減している。ちょっと前に大西洋マグロの輸出入禁止の法案も出された。これからますます厳しい環境になっていくのは間違いない。

いつまでもこの釣りをしたいならリリースは重要な選択肢である。

自分に問う「国内で釣ったマグロをリリースできるの?」

答え「多分無理です」