モンゴル・タイメン釣行その3
ゲルの中は思ったよりずっと広かった。
夏は涼しく、冬は暖かい。モンゴルのゲルの歴史は紀元前500年ころからと言われている。当時この地域に住む部族は匈奴と言われていた。前漢の時代の匈奴は漢から貢物を送られるほど強い国家だった。そしてそれから約1400年後にチンギス・ハーンが生まれ、やがてモンゴルは歴史上世界一の大国へと成長していく。モンゴルの歴史はゲルとともにある。
18日の早朝。第1次キャンプ場へと引き返すことに。
屑弁全力で回そうとするが、なかなかエンジンがかからない。
最初の民家に到着。車もトラックもバイクもソーラーパネルも、そして衛星放送の受信アンテナもあった。
ここ数年羊が高騰して遊牧民族の暮らしはかなり豊かになってきたそうだ。
お嬢様といったところかな。上品な顔だね。
再び険しい岩だらけの坂道を登る。
増水した川の前で立ち止まる。
流れも速く、水深も来たときの倍以上になっていた。
渡れるかな?
突進です。
グラグラと下流に流されながら前進して行く。
無事渡りきった。
続いて我々の車も
けっこう緊張しました。モンゴル人はいたって平常でした。慣れてるんだろうな。
そしてまた凄い坂を登る。イロハ坂も箱根の坂もこれに比べたら何でもない坂だね。
数百年前に馬車を通すために作られた道らしい。700年前とも、200年前とも、モンゴル人もその歴史はわからない道である。
そしてモンゴルでは普通の出来事。
なかなかかからない。
どこからともなく助っ人登場。
モンゴルパワーはこうやって鍛えられた?
ようやくエンジンが動いた。
大平原をひたすら走る。
こんな流れはどうってことないのだ。
我々が通過した直後に大きな流木が流れてきた。間一髪(^^;;;
5時間走ってようやく到着。
ちょっと休憩。
休憩の間にガイドのゾルジさんは電話でムルンからウランバートルへのエアーチケットが取れるか確認。
キャンプ場の回りにある小高く盛った土の上に石が積まれているのは大昔の人の墓だそうだ。
いったいいつごろの墓なのだろう。そんな興味がつきない大地である。
この山に屑弁が登った。
そしてこの木の下に落ちていた木の実を拾ってきた。
その木の実を見てガイドのゾルジさんの表情が変わった。
山の上に生えている木は聖なる木なのだそうだ。その実はたとえ落ちていても絶対に取ってはいけないのだ。
山の神の怒りに触れるかも・・・
そして第1次キャンプ場のスタッフとお別れとなった。
我々は5時間走ってムルンに行き、そこで1泊。翌日飛行機でウランバートルに飛び、そこで1泊。翌日の早朝車で9時間走ってオノン川上流のバッチュレットに行くことに決まった。オノン川は増水してないので釣りができるそうである。
しかし、ポイント移動にオフロード5時間、1泊、飛行機2時間、1泊、舗装道路5時間、オフロード4時間かけるモンゴル人て凄すぎ!
そして着いたポイントでできる釣り時間はたったの3時間なのだ。すぐにウランバートルに戻らないと日本へ帰れなくなるのだ。
20分くらい走って川に到着。
一気に突進していく。俺たちも慣れてきて恐怖感はほとんどなくなっていた。
ところが!!!
ズボズボ
突然前部が水中に深く突っ込んだ。
あっという間に運転手とガイドがいなくなった。
右側のドアから水がどんどん侵入してきた。
左側にはドアがない。右側は水流で開けるにも開けられない。車は強い流れにグラグラと大きく揺れている。
こんな状態でもシャッターを押し続ける俺と楽しそうな顔をして動画を撮り続ける屑弁。
しばらくして後部ドアから脱出成功。
プルゴンはこんなことになっていた。
さあ今日中にムルンに到着できるのかな?
携帯も繋がらないところで時間はどんどん過ぎて行く。
夏は涼しく、冬は暖かい。モンゴルのゲルの歴史は紀元前500年ころからと言われている。当時この地域に住む部族は匈奴と言われていた。前漢の時代の匈奴は漢から貢物を送られるほど強い国家だった。そしてそれから約1400年後にチンギス・ハーンが生まれ、やがてモンゴルは歴史上世界一の大国へと成長していく。モンゴルの歴史はゲルとともにある。
18日の早朝。第1次キャンプ場へと引き返すことに。
屑弁全力で回そうとするが、なかなかエンジンがかからない。
最初の民家に到着。車もトラックもバイクもソーラーパネルも、そして衛星放送の受信アンテナもあった。
ここ数年羊が高騰して遊牧民族の暮らしはかなり豊かになってきたそうだ。
お嬢様といったところかな。上品な顔だね。
再び険しい岩だらけの坂道を登る。
増水した川の前で立ち止まる。
流れも速く、水深も来たときの倍以上になっていた。
渡れるかな?
突進です。
グラグラと下流に流されながら前進して行く。
無事渡りきった。
続いて我々の車も
けっこう緊張しました。モンゴル人はいたって平常でした。慣れてるんだろうな。
そしてまた凄い坂を登る。イロハ坂も箱根の坂もこれに比べたら何でもない坂だね。
数百年前に馬車を通すために作られた道らしい。700年前とも、200年前とも、モンゴル人もその歴史はわからない道である。
そしてモンゴルでは普通の出来事。
なかなかかからない。
どこからともなく助っ人登場。
モンゴルパワーはこうやって鍛えられた?
ようやくエンジンが動いた。
大平原をひたすら走る。
こんな流れはどうってことないのだ。
我々が通過した直後に大きな流木が流れてきた。間一髪(^^;;;
5時間走ってようやく到着。
ちょっと休憩。
休憩の間にガイドのゾルジさんは電話でムルンからウランバートルへのエアーチケットが取れるか確認。
キャンプ場の回りにある小高く盛った土の上に石が積まれているのは大昔の人の墓だそうだ。
いったいいつごろの墓なのだろう。そんな興味がつきない大地である。
この山に屑弁が登った。
そしてこの木の下に落ちていた木の実を拾ってきた。
その木の実を見てガイドのゾルジさんの表情が変わった。
山の上に生えている木は聖なる木なのだそうだ。その実はたとえ落ちていても絶対に取ってはいけないのだ。
山の神の怒りに触れるかも・・・
そして第1次キャンプ場のスタッフとお別れとなった。
我々は5時間走ってムルンに行き、そこで1泊。翌日飛行機でウランバートルに飛び、そこで1泊。翌日の早朝車で9時間走ってオノン川上流のバッチュレットに行くことに決まった。オノン川は増水してないので釣りができるそうである。
しかし、ポイント移動にオフロード5時間、1泊、飛行機2時間、1泊、舗装道路5時間、オフロード4時間かけるモンゴル人て凄すぎ!
そして着いたポイントでできる釣り時間はたったの3時間なのだ。すぐにウランバートルに戻らないと日本へ帰れなくなるのだ。
20分くらい走って川に到着。
一気に突進していく。俺たちも慣れてきて恐怖感はほとんどなくなっていた。
ところが!!!
ズボズボ
突然前部が水中に深く突っ込んだ。
あっという間に運転手とガイドがいなくなった。
右側のドアから水がどんどん侵入してきた。
左側にはドアがない。右側は水流で開けるにも開けられない。車は強い流れにグラグラと大きく揺れている。
こんな状態でもシャッターを押し続ける俺と楽しそうな顔をして動画を撮り続ける屑弁。
しばらくして後部ドアから脱出成功。
プルゴンはこんなことになっていた。
さあ今日中にムルンに到着できるのかな?
携帯も繋がらないところで時間はどんどん過ぎて行く。