関西弁はなまりなのか?
男はつらいよ第27作「浪速の恋の寅次郎」(1981)は大阪が舞台だ。
作品の中であれこれと関西弁の面白さがピックアップされている。
そんな中で気になったシーンがある。
源公(佐藤蛾次郎)がさくら(倍賞千恵子)に団子代を「これなんぼ?」と聞くがなかなか通じない。
ようやく関西弁で「いくら?」と聞いていることが分かった時におばちゃん(三崎千恵子)がこう言う。
「源ちゃん、(葛飾に来て)もうずいぶんになるのに、なまりがぬけないのね」
東京の人は、関西弁をなまりだと思っている!?というのにちょっとびっくりした。
それになまりを直すのが当然だと思っていることにも少し驚いた。
東京に住んでいたHに聞きたい。
東京の人は、東北や九州弁と同じように関西弁をなまりだと思っているんだろうか?
思っている。
と言うか、実際訛りである。
ただ、東北弁(九州弁はちょっとおいておく)の訛り方とは違う。
その前に方言と訛りの関係を整理しておこう。
まず、方言にも広義と狭義があり、狭義は発声、アクセントは除いたその地域独特の語彙だ。
但し、その語彙が語られる時、実際はその地域流の発声、アクセントで語られるので、広義の方言にはそれも含まれることになる。
そして、私の解釈では訛りにも広義、狭義があり、広義と言うか、一般的には標準語と違う発音を訛りと言い、それにはアクセントの違いも含む。
その意味において、関西弁も訛りだ。
但し、訛りという言葉には発声の違い、すなわち50音表を読んだ時既に一音一音の発声が違うものを指すというニュアンスもある。これを狭義の訛りとしよう。
Aの捉え方はこれではないか?
あるいは「なんぼ」は狭義の方言であって、訛りではないということだろうか?
確かに同じ言葉がないなら、発音、アクセントが違うと言っても比べようがない。
しかし、単語一つ取り上げればそうであっても、全体として関西弁に標準語と異なる発音、アクセントがあるのは間違いない。
広義、狭義の方言と訛りは微妙に絡み合って話はややこしいが、(狭義の)方言=語彙、アクセント、発声の三要素に分けることもできようか。
さて、東京の人が、訛りは直すべきと思っているかという点についても、基本的には直すべきと思っている。
一般の人は先の三要素などと明確な分類をするはずもないが、まず語彙は知らないものはわからないから使わないで欲しいと思うだろう。
そして、発声の違いは違和感があるから直すべきと当事者も含めて思っている。
で、微妙なのはアクセントの違いで、差異は明確なので違和感を感じるから発声と同じように直すべきと考えるようだが、こちらは当事者は別に五十音表は普通に読めるからいいやんと思ってる部分があり、直す場合も矯正というより使い分けという感覚になる。
だから、関西人は故郷に帰れば大半の者が瞬時に関西弁に戻れるが、東北人はしばしば発声自体が変わってしまう。
ただ、東京の人が方言を直すべきと思っているのは、必ずしも自分たちの言葉を上位と見ているわけではなく、標準語の原型の地域に育った人達は単純に、テレビ等の標準語と自分達の会話に丁寧さの差はあれど基本的に言葉は一種類だと思っているところがあるということで、範疇外のものには違和感を感じるようだが、そんなに常に意識しているわけではないので、その感知精度は案外低く、地方出身者の側が気にするほどには気がつかない面もある。
私が承服できないのは関西弁を標準語に対し「なまっている」とする認識だ。
「なまる」てことは、なにか元となる言葉があって、それが変化している、という意味じゃないのか?
関西弁も変化はしてきているとは思うけど、その元は標準語ではない。
だから関西弁が「なまっている」というのはどうもしっくりこないのだ。
なるほど、確かに「訛る」には「変化する」というニュアンスがある。そして関西弁は標準語が「変化した」ものではない。
しかし、その意味においては東北弁も別に標準語が「訛った」ものではない。
むしろ、標準語の方が後で人工的に作られたものだ。
と言うか標準語より後にできた方言は余り思い浮かばない。「変化する」の意味で用いられる「訛る」は他方言との比較というより、同一方言内での語彙の一部の変化を指すことが多いと思う。
標準語は作られた言語か・・・
明治政府が富国強兵のため、コミュニケーション力を高めるために行った施策なんだろうが、他国にもあるだろうか?
多くの国の標準語は政治経済の中心地の言葉をベースにしているが、成立の際その多少は別にして何らかの加工は行われているだろう。
中で明確に意図的なものがあった例はフランスだろうか。
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