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忘れ得ぬ店たち(21)オジンの天ぷら

AvatarA神戸旧居留地の北側、みなと銀行本店営業部の裏小路にてんぷら屋があった。

昼のランチ時のみ営業し、メニューはてんぷら定食1つだけ。
カウンターの奧でてんぷらを揚げるのは、気難しそうなこの店の老店主。
あと店員と言えば、ご飯と天婦羅の出汁を出し下げするおばちゃん一人。

客はカウンターに座ると、目の前の皿に5~6品の天婦羅が順番に出てくる。
老店主は、客と会話することなく黙々と天婦羅を揚げる。
みんなからッと揚がっていて美味だったが、中でも25cmぐらいの穴子の大きな天婦羅が飛びぬけて美味しかった。
初めて食べてから40年以上経つが、あれ以上の穴子の天婦羅にはお目にかかっていない。

店には看板もなかったので店名は分からずじまい。
仲間内では「オジンの天ぷら」と呼んでいた。

1995年の震災を生き延び、商売再開した時はうれしかったなあ。
でもすぐに老店主が、体調を崩し、しばらく店を閉じていたが、やがて廃業した。

この店は父も知っていて「あそこのオヤジは趣味で天ぷら揚げている」と言ってた。

あの頃、オジンの天ぷら食って、ゴムクラブでコーヒーを飲むのが最高の贅沢だった。

忘れ得ぬ店たち(1)ゴムクラブ (2013.12.25)
http://spacecowboys33.blog130.fc2.com/blog-entry-1835.html

テーマ : 美味しかった♪
ジャンル : グルメ

忘れ得ぬ店たち(20)森谷商店のコロッケ

AvatarA神戸元町鯉川筋に森谷商店という肉屋がある。

ビーフコロッケ等を店頭で揚げて、売っているんだが、いつも行列が出来る。
20~30人ぐらい並んでいても、5分も並べば買える。
会社員だった頃は、帰路小腹が減ると、コロッケとかミンチカツを買って、店の前の歩道でよく食べたものだ。
寒い季節に熱いコロッケは、ごちそうだ。

先日久しぶりに元町を通った時、行列が目に付いたので、寒空の下並んで買って食べた。
若い頃、60円ぐらいだったコロッケは、110円に値上がりしていた。
行列がなかなか進まず、10分以上並んだ気がする。(外国人観光客のせいで手間取っているように見えた)
そうして買って食べたコロッケは、期待通りにアツアツで満足した。

以前に「便乗値上」のテーマで、このコロッケを取り上げたことがある。
その中で2014/4に森谷のコロッケが、80円から90円に値上がりしたことを書いている。

便乗値上 (2014.4.21)
http://spacecowboys33.blog130.fc2.com/blog-entry-1961.html

あの時は、値上げについて非難がましい口調になったが、
諸物価高騰の昨今、あのアツアツで美味しいコロッケ1個110円は、安い。

テーマ : ご当地グルメ
ジャンル : グルメ

忘れ得ぬ店たち(19)吟

AvatarA今回はHに教えてもらった店の話をしよう。

東門街の入り口から30~40mほど東側のビルの2階にあった鉄板焼きの店「吟」だ。
Hに教えてもらい、美味しいのに値段が手ごろだったので、会社の後輩たちと良く行ったものだ。
鉄板焼きのコース10品で3000円ぐらいだったと思う(1990年前後の記憶では)。
特に美味しくて記憶に残っているのは、すりつぶしたジャガイモの焼きモノだ。

この店には料理以外にも思い出がある。

ある冬の夜、残業で疲れはてた私と後輩のF君は、「吟」の道をはさんで南側の歩道を歩いていた。
前から歩いてきた若い男が私の持っていたアタッシュケースにちょっとぶつかった。
男は「ちっ」と舌打ちをして通り過ぎようとした。
するとF君が大声で「コラッ、謝らんかい」とどなりつけた。
2人は取っ組み合いの喧嘩になり、男の頭突きでF君は鼻血を出していた。
向こうにもツレがいたので、それぞれ引き離した。
軽い興奮状態だったF君を「吟」に連れて行き、お手拭きで止血し、鉄板焼きを喰った。
F君は多分度重なる残業でストレスが溜まっていたんだと思う。
今にして思えば、おそらく残業の原因は私の差配のまずさにあったんだろう。
本来なら私に文句を言うところを先輩(私)を立てて不満をのみこんだので、ちょっとしたことで爆発したんだろう。

別の日、クリスマスイブだったので、私は同僚を誘い「吟」で食事を楽しんだ。
勘定書きには、いつもの倍ぐらいの金額が書いてあった。
「高いなあ」とぶうぶう言うと、「吟」のおばちゃんが、こう言った。
「あんたら今からもう1、2軒行くんやろ?今日はクリスマスやからこんなもんじゃ済まへんで」
「そんなバカな」と「吟」を出たが、おばちゃんのいう通りだった。

さて、そういうのん気な話が一気に吹っ飛ぶ災害が神戸を襲う。
1995.1.17の阪神淡路大震災だ。
東門街当たりのペンシルビルは軒並み壊滅的被害を受けた。
「吟」の入っていたビルも立ち入り禁止状態で、しばらくすると取り壊された。
廃業したかと思っていたら、加納町の交差点あたりで営業再開していたようだった。
今日「鉄板焼き 神戸三宮 吟」で検索したら三宮近辺でヒットする情報があった。
でもこれがあの「吟」の後継店なのかどうかは分からない。




私が行ってたのは1980年代で、Aに教えたわけだけど、その後大阪へ引っ越したから、トンと行ってなかった。
それが後継店なら行ってみたいな。

テーマ : 鉄板焼き・ステーキ・BBQ
ジャンル : グルメ

忘れ得ぬ店たち(18) 観音屋

AvatarA観音屋は元町商店街3丁目の東の角にある。
地下に降りて店に入る。
アンティークな椅子と机がいい雰囲気だ。
席と席の間は接近しているけれど、観葉植物などで遮られ、隣席の会話が気にならない。
地下なので窓がなく、穴倉に潜り込んだ気分になる。
つまり落ち着いて話ができる雰囲気なのだ。

そして必ず頼むのは名物のチーズケーキだ。
7~9cm、厚さ1㎝ほどのケーキ生地に熱して溶けたチーズがのっている。
甘さのあるケーキ生地と少し塩味のあるチーズがよく合う。
デンマークチーズケーキと書いてあるけど、他所でこのようなものは見たことがない。

ウチの家族はみんなファンなので、時々お土産に買って帰る。
しばらく買って帰らないと嫁さんからリクエストされたりする。

この店、チーズフォンデュも出してくれるみたいだが食ったことはまだない。
一度食べてみたいと思う。

テーマ : スイーツ
ジャンル : グルメ

忘れ得ぬ店たち(17) 阪急三宮東口のホットドック

AvatarA仲間としこたま飲んだ帰り道。
小腹がすいていて、終電まで時間がある時は、ちょっと腹に入れて帰る。
よくあるのは、雑炊とかラーメンだけど、私は何といってもホットドッグだ。

1980年代の夜、阪急三宮西口あたりに、車を停めて焼きたてのホットドッグを売ってる人がいた。
パンがパリッと焼けて、少し焦げてたりするのが美味しかった。

だんだん「忘れ得ぬ店」じゃなくて「忘れ得ぬ食べ物」になってきたな・・・

テーマ : 美味しかった♪
ジャンル : グルメ

忘れ得ぬ店たち(16) 阪急春日野道ガード下

AvatarA昭和を振り返るTV番組などで、よく登場するのが、あさま山荘事件(1972)だ。

武装した連合赤軍が管理人を人質に立てこもり、機動隊が押し入ってこれを逮捕する。
テレビで延々と生中継された。
2月の信州だから気温は低い。
この時、機動隊員が暖をとったのが、発売直後のカップヌードルだ。
カップヌードルをすする機動隊員の姿をカメラがとらえている。
これを機にカップヌードルは世に知られたと言われている。

実際、この事件後、カップヌードルの自動販売機が増えた。
阪急春日野道駅のガード下にも1台設置してあった。
学生の頃、冬の夜はよくここで立ち食いしたものだ。

自動販売機のボタンを押すとカップヌードルがコロンと出てくる。
そいつを自販機の側面のくぼみに入れて、別のボタンを押す。
先のとがった管が出てきて、カップ上面に張ってある紙を突き破る。
そのまま熱湯が注がれる仕組みだ。

これを手に改札を通り、吹きっさらしのホームで食べた。
冬の夜風は冷たいけれど、体の芯からあっためてくれた。

テーマ : 美味しかった♪
ジャンル : グルメ

忘れ得ぬ店たち(15) 垂水牡丹園

AvatarA中学高校時代、昼休みには仲間とテニスボール野球で遊んでいた。
大学入学後は、盆と正月に仲間が集まり、垂水の商大グランドでテニスボール野球を楽しんだ。
1日で5試合(4イニング制)をこなす強行スケジュールだった。
終わったらへとへとになり、汗まみれで飯を食いに行くのが、垂水の牡丹園だった。
そんな時必ず注文したのが、むし豚だ。
ドロドロに煮込んだ豚の角煮だなんだが、何故かむし豚と呼ばれていた。
疲れた体が脂ぎった食べ物を欲していた。
そんな時、一番の御馳走だった。
今では疲れた時はなるべくあっさりしたものを食べたいが、当時はごてごてした脂が元気を与えてくれた。

仲間が集まってその日のプレイについて語り合った牡丹園はもうない。
商大も学園都市に移転し、垂水駅から商大のあった高台への道の名「商大筋」にわずかに痕跡を残すのみ。
昭和は遠くなりにけり。

テーマ : 中華料理
ジャンル : グルメ

忘れ得ぬ店たち(14) アミーゴ

AvatarAこれも80年代の話だが、例によってなんとなく集まったHとKと私の3人は、晩飯をどこで食べるかを車の中で相談していた。
ふと誰かがその日は神戸まつりが開催されているということを思い出した。
そんな日に三宮にでも行った日には、駐車場探しから大変だ。
そこで本屋に行ってイエローブック(当時のグルメガイド)を買って、三宮以外で店を探した。
そして見つけたのが、アミーゴというイタリア料理店だった。

阪急西灘駅(今の王子公園駅)から東に延びる水道橋筋商店街の中にあった小さな店だ。
店の奥には、ベビーベッドが置いてあり、シェフの奥さんが赤ん坊をあやしていた。
こりゃ期待できないなと席に着いたが、意外に美味かった。
しかもリーズナブルな料金。
大いに満足したものだ。
その後も何度か訪れたが、いつの間にかなくなってしまった。
阪神大震災のせいかもしれない。
この店には「ジャンボピザを制限時間内に1人で食べたらタダにする」と貼り紙があった。
店主に聞くと、これまで成功したのは、小柄な女性1人だけだという。

後日HとKとIが、このジャンボピザを注文したという。
残念ながら私はいなかったが、その顛末はこうだ。
ジャンボピザは、我々の想像を遥かに超える大きさだった。
それを置いたら机がいっぱいになった。
Kは「天板を持ってきたのかと思った」と驚きを表した。
3人はタダに挑戦する気にもならず、3人でようやく食べきった。

帰り道、3人はお腹を下してピンチに陥り、新神戸駅のトイレに駆け込んだ。
当時は、トイレの紙は自販機かKIOSKで購入しなければならない。
トイレに入って気づいた3人はKIOSKに突進し、紙を購入しトイレに飛び込んだ。
バン、バン、バンとドアを閉める音が鳴り響いた。
ようやく落ち着いた3人の会話。
H「それにしてもKIOSKのおばちゃん手際よく紙を出してくれたな」
K「そうやな、あせってたから、ちゃんと言えなかったのに」
I「大丈夫や、3人とも顔に『うんこ』って書いてあったから」

今回、このメールを書きながらふと思った。
「アミーゴってスペイン語じゃないのか?」
調べてみるとその通りスペイン語の「友達」だった。
イタリア語の「友達」は「amico:アミーコ」だ。
あの店は「アミーコ」が正解だったかも。

テーマ : 思うこと感じること
ジャンル : ライフ

忘れ得ぬ店たち(13) 茶房ジャヴァ(JAVA)

AvatarA阪急三宮駅の高架下にある喫茶店だ。
阪急とJRの効果に挟まれた薄暗い路地を行くと茶房ジャヴァがある。
昭和28年開店のジャズ喫茶だ。
店の中は昔の喫茶店のように薄暗く、半地下や中二階がある。
店に入ると自分が生まれる前の神戸にタイムスリップしたような気分になる。
以前に紹介した杏花村にも通じる小林旭や赤木圭一郎がひょっこり顔を出しそうな雰囲気だ。

ジャズ喫茶と言えば昔の映画に出てくるモダンジャズが大音響でかかっているのを連想してしまうが、この店はいたって静かだ。
Hと三宮で飲んだ時はたいていこの店でシメだ。

阪神大震災を生き延び、ドトールなどの安いコーヒー店ブームにも耐えて続いている。
余り客が多く入っているのを見たことがないので、毎回「これが最後かも」と思う。
ここ2年ほどは、三宮の駅ビル工事でずっと閉まっていた。
「ついになくなったか」と思ったら、営業しているようだ。
なかなかしぶとい。

あとこの店で記憶に残っているのは、神戸ロケした「麻薬三号」という日活映画の雑誌の紹介記事が貼ってあったこと。
調べてみると1958年公開の長門裕之主演作だ。
日活無国籍アクションの大ブームが来る直前の作品のようだ。
ジャヴァでもロケしたようだ。
最近よく利用しているAmazonPrimeは、日活の古い映画が多い。
「麻薬三号」はまだ掲載されてないけど、聞いたことない古い日活作品がどんどん追加されているので、そのうちお目に書かれるんじゃないかと期待している。


忘れ得ぬ店たち(3)杏花村(2015.4.9)
http://spacecowboys33.blog130.fc2.com/blog-entry-2329.html

トアロードを歩いてみた PART1(2013.10.13)
http://spacecowboys33.blog130.fc2.com/blog-entry-1751.html

テーマ : 暮らし・生活
ジャンル : ライフ

忘れ得ぬ店たち(12) ゲイロード

AvatarA3か月ほど続いた外出自粛。
最後に外食したのはインド料理だった。

2月29日(土)に私の全快祝いで家族そろって三宮のゲイロードに行った。
コロナのせいかすいていた。
我々以外には1組しか客がいないというほぼ貸切状態。

昔から神戸でインド料理と言えば、ゲイロードかラジャ。
特にゲイロードはよく訪れる。

決まってたのむのは、
パコラ(インドの天ぷら)
サモサ(インドの揚げ餃子)
豆のスープ
チキンテッカ(グリルチキン)
シシカバブ(腸詰め)
そしてナンとカレー だ。

カレーは2~3種類頼むけど、必ず頼むのはマトンサグワラ。
余り食べる機会がないマトンと、若草色のホウレンソウカレーの組み合わせが好きなんだ。
ナンはプレーンなのも良いが、キーマナン(ひき肉入り)が最近の好みだ。

今回は豆のスープが無かったのが残念だった。

神戸には昔からインド人が多く住んでいた。
その割にはインド料理店は少なかった。
最近は、街でインド人を見かけることが少なくなった。
反比例してインド料理屋が増えてきた。
どういうことなんだろうね。

ところでゲイロードを知ったのは、Hの紹介だった気がするんだけど、どうかな?



はい、そうです。
ウチの一家は昔よく行っていた。
実は沢山ある内のどれかわからないけど香辛料が体質に合わず、店に行った翌日は必ず全員腹を壊してたのに、それを厭わず通っていたぐらいだ。

その後、私も妹も神戸を離れ、母も失くなって行く機会がなくなった。
その間店も震災にあって場所が変わったりしている。

それでも何度か新しい店には行ったことはある。

このブログでは自分たちが匿名なのに、相手の実名を挙げてネガティブなことを言うのは相手が権力を持つ存在である場合に限ろうと思っているんだけど、ここでお茶を濁すのも何なんで、本当のことを言う。

残念ながら昔の味は感じられず、足は遠のいた。
その後どうなったかは知らないが、つい最近話した神戸在住の知人の評価も、以前の味ではないというものだった。

AvatarA


そうなんだ。
それでも2000年以降にたくさんできたインド料理店に比べると美味しいよ。
南京町にあったラジャも、ある時からカレーの味が落ちて足が向かなくなった。






ところで、先にインド人の数とインド料理店の数が比例しない話が出てたが、最近の大阪の話をすると、沢山あるインド料理店は大概ネパール人がやっているそうだ。

テーマ : 食品・食べ物・食生活
ジャンル : ライフ

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spacecowboys A H

Author:spacecowboys A H
Space Cowboys は、2人の親父です
"A" システムエンジニア・
   中日ファン・世情に疎い
"H" 総務畑・てっちゃん・
   阪神ファン・雑学が得意
2人ともイーストウッド好きの還歴男

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