具体性を求められる時代

「現代は具体性を求められる時代だ。」
糸井はこれを否定的なニュアンスで言っていた。
仕事の上では会議などで抽象的・観念的な意見を述べると「もっと具体的に」と要求されることが多い。
糸井はきっとそのようなシーンを思い描いて言ったんだと思う。
宣伝コピーでも映画でも小説でも、具体的に語りすぎると臭くなる。
どこかに受け手側の想像力を働かせる余地がないと、受け手はそれを楽しめない。
だから糸井は「もっと具体的に」という現代の風潮に異議を唱えているように見えた。
なのにビジネスの現場では「具体的」であることが、どんな場合でも当てはまる真理であるかのように語られることがある。
でも場合によっては具体的であることをやめ、抽象化が必要なことがある。
例えばSEがプログラムを設計する時には、ビジネスルールを具体的事例と合わせてインタビューし、分析した上でそれを適度に抽象化する。
このように「具体」と「抽象」は局面により使い分けるもののはずだ。
具体性のみを金科玉条のように扱うのはダメだと思うし、我田引水かもしれないが、糸井が言いたいのもそういうことだと思う。

具体性のみを金科玉条のように扱う人ってそんなに多くいるんだろうか?
具体性が最も重要な場面と言えば他人に指示を与える時だ。
専ら指示を受ける人はそうなるかも知れない。
しかし、与える側はそこに至るまで思考する際に抽象化の作業はしているはずなんだが、中には定石という名の受け売りをしてその作業を抜かしている者もいるかも知れない。
そう考えると、何でもマニュアルのある現代は、確かに具体性の求められる時代と言えるのかも知れない。
抽象化は人間にしかできないことで、「動物は言葉がわかるか?」で話したように、そもそも言葉は抽象的な音素にまで分解して認識することで初めて少ない音数で無限の意味を持つことができるものだ。
それを放棄しちゃおしまいだな。
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