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永禄9年にあったわが国最初のクリスマス休戦のことなど

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Category大航海時代の西洋と日本
前回は、永禄10年(1567)に大仏殿をはじめ東大寺の多くの伽藍を焼失させたのは、松永弾正久秀ではなく三好軍にいたイエズス会のキリシタンであると、同じイエズス会のフロイス自身が記録していることを書いた。

東大寺と郡山城の桜 040

松永弾正は東大寺には火をつけなかったかもしれないが、それ以前に三好三人衆(三好長逸、三好政康、岩成友通)との戦いで多聞城の間際まで攻め込まれた松永弾正は、相手方が陣地として利用しそうな(般若寺、文殊堂など)寺を相次いで焼いている。
松永弾正、三好三人衆のうち、三好長逸はキリスト教に寛容なところがあったそうだが、全員が仏教を信仰する武士であった。それなのになぜ仏教施設に火を付けさせたのだろうか。あるいは配下の兵士達が自発的に火を付けて焼き払ったのか。

いろいろ調べると、松永弾正の配下にも、三好三人衆の配下にも、かなりのキリシタンがいたらしいのだ。
実は松永弾正は、東大寺が焼失した2年前の永禄8年(1565)に将軍足利義輝を攻め滅ぼした際に、キリシタンの宣教師を京から追放した人物である。また後に、織田信長によって京に宣教師が戻された時に、「かの呪うべき教えが行き渡る所、国も町もただちに崩壊し滅亡するに至る事は、身共が明らかに味わった事である」と信長に進言した人物でもあり、ルイス・フロイスから「悪魔」とまで呼ばれたキリスト教嫌いの人物でもあるのだ。

その松永弾正が率いる軍隊においてもキリスト教の信者が多くいたことに、多くの人が違和感を覚えるのではないか。また松永軍と戦っていた三好三人衆の軍隊にもキリスト教の信者がいたことから、永禄9年(1566)のクリスマス(降誕祭)の日に両軍がミサのために休戦したということが、今まで何度か紹介したルイス・フロイスの「日本史」に記録されていることを知って驚いてしまった。両軍の指導的立場にある武士に、相当数のキリシタンがいなければこのようなことはあり得ないはずだ。

しばらくこの戦場のクリスマス休戦の場面を引用しよう。

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「降誕祭になった時、折から堺の市(まち)には互いに敵対する二つの軍勢がおり、その中には大勢のキリシタンの武士が見受けられた。ところでキリシタンたちは、自分達がどれほど仲が良く互いに愛し合っているかを異教徒たちによりよく示そうとして、司祭館は非常に小さかったので、そこの町内の人々に、住民が会合所に宛てていた大広間を賃借りしたいと申し出た。その部屋は、降誕祭にふさわしく飾られ、聖夜には一同がそこに参集した。
 ここで彼らは告白し、ミサに与かり、説教を聞き、準備ができていた人々は聖体を拝領し、正午には一同は礼装して戻ってきた。そのなかには70名の武士がおり、互いに敵対する軍勢から来ていたにもかかわらず、あたかも同一の国守の家臣であるかのように互いに大いなる愛情と礼節をもって応援した。彼らは自分自身の家から多くの料理を持参させて互いに招き合ったが、すべては整然としており、清潔であって、驚嘆に値した。その際給仕したのは、それらの武士の息子達で、デウスのことについて良き会話を交えたり歌を歌ってその日の午後を通じて過ごした。祭壇の配置やそのすべての装飾をみようとしてやって来たこの市の異教徒の群衆はおびただしく、彼らはその中に侵入するため扉を壊さんばかりに思われた。」(中公文庫「完訳フロイス日本史2」p.55)
と、両軍の内訳については書かれていないものの、両軍で70名ものキリシタンの武士がいて、戦争では敵として戦いながら、信仰ではしっかり繋がっていたということは驚きである。このことはどう考えればいいのだろうか。



前回までの私の記事を読んで頂いた方は理解いただいていると思うのだが、イエズス会の日本準管区長であったコエリョをはじめ当時の宣教師の多くは仏像や仏教施設の破壊にきわめて熱心であり、九州では信者を教唆して神社仏閣破壊させたことをフロイス自身が書いている。

京都を中心に活動したイタリア人のイエズス会宣教師であるオルガンディーノも、巡察師ヴァリニャーノに送った書簡の中で、寺社破壊を「善き事業」とし「かの寺院の最後の藁に至るまで焼却することを切に望んでいる」と書いているようなのだ。とすれば、彼らは両軍にキリシタンの武士を増やして、寺社破壊を意図的に仕組んだということも考えられるのだ。

すなわち、キリスト教の宣教師は日本でキリスト教をさらに弘めるために、日本の支配階級である武士をまずキリスト教に改宗させて、戦国時代を出来るだけ長引かせ、キリシタンである大名や武士に神社仏閣を徹底的に破壊させ、彼等の力により領民を改宗させていくことをたくらんではいなかったか。

宣教師が戦争で戦っている両軍のキリシタンに寺社の破壊を吹きこんだとしたら、両軍の指導的地位にある彼らは大きな寺の境内に陣を構えて積極的に火を使えば、容易に宣教師の希望を実現することが出来ると考えても何の不思議もない。

高山右近

キリシタン大名として有名であった高山右近は高槻城主であった時に、普門寺、本山寺、広智寺、神峯山寺、金龍寺、霊山寺、忍頂寺、春日神社、八幡大神宮、濃味神社といった結構大きな寺社を焼き討ちにより破壊したといわれているが、私にはこれなども宣教師の教唆が背景にあるように思えるのだ。また織田信長も多くの寺院を焼き討ちしたが、信長の配下にはこの高山右近などキリシタン大名が多かったことと関係があるのかもしれない。

ルイス・フロイスの「日本史」の次の部分を読むと、三好軍にいたキリスト教の信者が、偶像崇拝を忌むべきものであることを宣教師から吹き込まれていたかがよくわかる。 ここに出てくる「革島ジョアン」は、三好三人衆の中でキリスト教に対して比較的寛大であった三好長逸の甥にあたる人物である。

「…彼(革島ジョアン)はどこに行っても異教徒と、彼らの宗教が誤っていることについて論争した。この殿たちが皆、津の国のカカジマというところで協議した際、このジョアンは他の若い異教徒たちと一緒に立ち去って、彼らとともに西宮という非常に大きい神社に赴いた。そこには多くの人が参詣し、異教徒たちから大いに尊崇されている霊場であった。

他の若い同僚たちは、キリシタンになったそのジョアンを愚弄して、彼にこう言った。『貴殿はあのような邪悪な宗教を信じたし、また貴殿は日本の神々を冒涜する言葉を吐いたことだから、近いうちに神々の懲罰を受けるであろう』と。

ジョアンはそれに答えて言った。『予が、死んだ人間や、木石に過ぎないそれらの立像に、いかなる恐れを抱けというのか。ところで予がそれらをどれほど恐れてはいないか、また悪魔の像を表徴しているにすぎない彫像を拝むことがどんなに笑止の沙汰であるかをお前たちが判るように、これから予がそれらをどのように敬うかを見られるがよい』と。

こう語ると彼は、非常に高く、すべて塗金されている偶像の上に登り、その頭上に立ち、そこで一同の前で偶像の上に小便をかけ始めた。…」(同書p.70-71)

この事件があってからは三好長逸も、司祭や教会のことには一切耳を貸さなくなったそうであるが、当時のキリスト教信者にとって仏教施設はすべて愚弄し破壊すべき対象物にしか過ぎなかったのだ。

十日戎

ここに出てくる「西宮」とは、毎年1月10日の本えびすの朝に「開門神事福男選び」が行われる有名な西宮神社だが、廃仏毀釈で仏教施設が破壊されるまでは、神仏習合でお寺も仏像も存在していたのだ。今は西宮社にあった大般若経が播磨三木市吉川にある東光寺というお寺に残されているようだが、仏像や寺院がどうなったかはネットで調べても良くわからなかった。

戦国時代にキリシタンの武士がさらに増えていれば、また戦国時代がもっと長引いていれば、もっと多くの日本の文化財がこの時代に破壊されていたことは確実だろう。

以前にも書いたが、豊臣秀吉が伴天連を追放し全国を統一して平和な社会を実現させたことが日本人奴隷の海外流出と寺社の破壊に歯止めをかけた。
もし秀吉がキリスト教を信奉していたら、あるいはキリスト教宣教師の野心を見抜けず何の対策も打たなければ、日本はこの時期にキリスト教国になっていてもおかしくなかったと考えるのは私だけなのだろうか。
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