葵祭りの由来について
5月15日は京都の三大祭りのひとつである「葵祭」(賀茂祭)のとりおこなわれる日だ。上の写真はこのブログで以前何度か紹介した江戸時代の安永9年(1780)に刊行された「都名所図会」にある、「葵祭」の絵である。 「都名所図会」は、国際日本文化センターのサイトにアクセスすれば、誰でも全文と翻刻文を読む事が出来る。http://www.nichibun.ac.jp/meisyozue/kyoto/c-pg1.html 絵の上の方に草書で「加茂のあふいまつりは四月中の酉...
祇園祭の「祇園」とは
もうすぐ京都の祇園祭(ぎおんまつり)だ。 今日10日から鉾町で鉾が組み立てられ(鉾建て)、ついで12日からは山が組み立てられる。そして山鉾巡行はいよいよ17日で、今年は土曜日だからすごい人出だろう。 京都には有名なお祭りがいくつかあるが、私は子供の頃から祇園祭が大好きだった。今でもあの祇園囃子の音色を聴くだけで気分が高揚してくる。しかしながら子供の頃に、ふと疑問に思ったことがあった。祇園祭の「祇園」という地名...
二つの祇園祭の関係
前回は祇園祭の「祇園」の事を書いた。今度は「祇園祭」のことを書こう。この祭りは大阪の天神祭、東京の神田祭とともに、日本三大祭の一つとされているのだが、八坂神社の祭礼でありながら山鉾巡行が八坂神社の前を通らないことを誰しも不思議に思う。上の図は、7月17日の山鉾巡行のコースだが、それぞれの山鉾は四条通に入って東進したのち、四条河原町で河原町通りを北上し、河原町御池で西進したのち元の場所に帰っていく。...
祇園祭山鉾巡行と神幸祭を見に行く
学生時代に家庭教師をしていた生徒の親御さんから祇園祭山鉾巡行の特設席の切符を頂いたことがある。私が教えていた生徒の家は、祇園祭の頃は近くに山鉾が立ち並ぶ場所にあった。 特設席は御池通りの北側の京都市役所の近くで、その時に総ての山と鉾の巡行を鑑賞できたので、祇園祭のすべてを観終わったつもりになっていて、それから随分長い間山鉾巡行を観て来なかった。5年前にたまたま17日が週末だったので家内と四条通と御池通...
天神祭と大阪天満宮とあまり知られていないお寺のこと
7月25日は日本三大祭りの一つである大阪天神祭の日で、随分久しぶりにこの祭りを見てきた。若かりし頃大阪市中央区の北浜で勤務していた時に、先輩から「祭りを見に行こう」と誘われて、船渡御を少し見てからすぐ飲み屋に向かった記憶がある。そんなことがもう一回くらいあったが、二回ともすごい人だかりで、遠くでいくつかの船が大川を進んでいくのがわずかに見えただけだった。その時は、仕事が終わってから天神祭を見に行った...
戦国時代の祇園祭を見た宣教師の記録を読む
以前何度かこのブログで紹介したが、戦国時代の日本にイエズス会の宣教師として来日したルイス・フロイスが当時のわが国の記録を詳細に残しており、中公文庫の『フロイス日本史』でその日本語訳を読むことができる。フロイスのこの著書の第1分冊に、今年ももうすぐ山鉾巡行が行われる京都『祇園祭』の記録を見つけたので紹介したい。イエズス会が我が国に派遣したポルトガル人宣教師ガスパル・ヴィレラについての1562年の記録の一...
日本三大山車祭の一つ、長浜曳山祭の歴史と子ども歌舞伎
竹生島から長浜港に戻って、ホテルにチェックインしたのち長浜市の中心部に向かう。この日(4月13日)の夕方は十三日番といって、長浜曳山祭の各山組に曳きだされた豪華絢爛な曳山の舞台で、化粧をした子ども役者が可憐に歌舞伎(曳山狂言)を演じる最初の日なのだ。この祭りは毎年4月9日~16日に長浜八幡宮の春季大祭にあわせて執行され、13日~16日は「曳山」が登場して子ども歌舞伎が演じられるのである。この祭りは京都の祇園祭、...