中国人苦力を全員解放させた日本人の物語
19世紀に奴隷制の廃止運動が起こり、イギリスでは1833年、フランスでは1848年に奴隷制度が廃止され、アメリカは少し遅く南北戦争後の1865年に漸く奴隷制度が廃止されている。しかし、これで完全に世界で奴隷制度がなくなったわけではなく、奴隷商人たちは彼らに代わる奴隷をアジアの地に求めるようになった。かくして中国人の苦力(クーリー)貿易がアヘン戦争直後の1845年から本格化する。彼らは建前上は契約労働者であったが実態は...
ハワイ国王を援けられなかった明治の日本~~GHQが封印した歴史4
ハワイの先住民族はポリネシア系に属し日本と同じモンゴロイドで、宗教も多神教であったそうだ。人々が島々で平和な暮らしをしていたのだが、1778年にイギリス人の探検家ジェームス・クックに発見され、それから欧米人との接触により急速に変貌していった。それまでハワイ先住民は小さな部族に分かれていたが、ハワイ島のカメハメハがイギリスから武器や軍事顧問などの援助を受けて、マウイ島、オアフ島などの周辺の島々を征服して...
アメリカ人が王朝を転覆させたハワイ王国の悲劇と日本~~GHQが封印した歴史5
前回は、アメリカ人の武力による圧力で署名させられた憲法により、国政に対する権限のほとんどを奪われたカラカウア王が、失意と孤独の内に1891年1月に病死し、その志を継いだ妹のリリウオカラニ女王が即位したところまでのことを書いた。 今回は、その後ハワイがいかなる方法でアメリカに奪われたかを記すことにする。リリウオカラニ女王は、アメリカ人を中心とする共和制派との対決姿勢を強め、純粋なハワイ人の王朝を回復する...
アメリカはいかにしてスペインからフィリピンを手に入れたか~GHQが封印した歴史6
前回まで2度に分けてアメリカによるハワイ王朝打倒の話を書いたが、ハワイ以降のアメリカによる19世紀末の太平洋進出を理論的に正当化した人物として、A.T.マハンという人物がいる。彼は『海上権力史論』という著書の中で、欧米史においてシーパワーがいかに重要であったかを論証したのだが、そのA.T.マハンが、1897年の米上院外交委員会の報告書で次のように記している。 「現下のハワイ紛争は、めざめつつある東洋文明の力と西洋...
キリスト教国を相手に開国したわが国がキリスト教を禁止し続けた矛盾
江戸時代の末期に、わが国は米国からの要求をきっかけに西洋諸国に門戸を開くようになり、通商条約が結ばれたことで各国の外交使節と共に多くの宣教師が来日している。【大浦天主堂】横浜には1862年に聖心教会(その後移転し、現在の山手教会)が建てられ、1865年には長崎に大浦天主堂が建てられたのだが、二百数十年にわたり『隠れキリシタン』として代々人目を忍んで信仰を守り続けていた浦上村の村民たちが、大浦天主堂を訪ねてキ...