400年以上前に南米や印度などに渡った名もなき日本人たちのこと
Category大航海時代の西洋と日本
ブラジルサンパウロ州サンパウロ市で発行されている、日系人や駐在員向けの日本語の新聞で「ニッケイ新聞」という新聞がある。この新聞はネットでも読む事が出来るが、その新聞に2年前に連載された記事を見つけたときに衝撃を受けた。
その記事とは、フランシスコザビエルが日本でキリスト教の布教をしていた時期から1600年頃までの約50年間に大量の日本人が南米に渡っている記録がいくつか残されているという話なのだが、それも主体的に日本人が海を渡ったというのではなく、むしろポルトガル人によって連れて行かれたと言うべきで、もっと端的に言うと、日本人が奴隷として売られていったということである。
このニッケイ新聞の記事を読むと、「アルゼンチン日本人移民史」(第一巻戦前編、在亜日系団体連合会、〇二年)という本の中に、アルゼンチンの古都コルドバ市の歴史古文書館で日本人奴隷を売買した公正証書が発見されたことが書かれているそうだ。
http://www.nikkeyshimbun.jp/2009/090409-61colonia.html
上記のURLの記事には、
「1596年7月6日、日本人青年が奴隷として、奴隷商人ディエゴ・ロッペス・デ・リスボアからミゲル・ヘローニモ・デ・ポーラスという神父に八百ペソで売られたことになっている。
その日本人青年の属性として「日本州出身の日本人種、フランシスコ・ハポン(21歳)、戦利品(捕虜)で担保なし、人頭税なしの奴隷を八百ペソで売る」(同移民史十八頁)とある。残念ながら、日本名は記されていない。」
と、書かれている。
この青年は裁判で勝訴し二年後に自由の身分となるのだが、ほかにも1965年に大学生の研究グループが、同古文書館から奴隷売買証書を発見し、コルドバ大学から「1588年から1610年代迄のコルドバにおける奴隷売買の状態」(カルロス・アサドゥリアン著)という書物にまとめられて出版されているそうだ。
ブラジルについては奴隷に関する一切の公文書が1890年に焼却されたので検証できないが、ペルーにも1614年に行われたリマ市人口調査に20人の日本人がいたことが確認できるそうだ。
<ブーランジェ 『奴隷市場』>
日本人奴隷については、わが国では新聞や雑誌などで語られることはほとんどないが、戦前には西洋の世界侵略の実態については様々な研究があり多くの書籍があったようである。しかし昭和21年~23年にかけてGHQによって市中に出回っていたその種の書籍がほとんど焚書扱いとされ本屋の書棚から消え、今ではわが国で西洋の侵略や奴隷制をわが国で語ること自体がタブーのようになってしまった。
わずかに、戦後活字となった研究書はいくつか存在するがマスコミが取り上げる事はなく、中南米の日系社会のメディアがこういう話を伝えているだけというのは淋しいかぎりである。
つぎのような記述を読めば、日本人の多くは絶句してしまうだろう。日本人にはなぜこのような歴史が知らされないのだろうか。
【以下引用】
日本人奴隷に関し、…(中隅哲郎さんは)…『ブラジル学入門』の中で、「日本側の記録がないのでわからぬが、ポルトガルにはいろいろな記録が断片的に残されている」(百六十四頁)とし、外交官でラテン・アメリカ協会理事長だった井沢実さんの『大航海夜話』(岩波書店、七七年)から次の引用を紹介している。
「インドのノーバ・ゴア発行の『東洋ポルトガル古記録』の中に日本人奴隷関係で、まだ訳されていない重要文書が含まれている。ゴアにはポルトガル人の数より日本人奴隷の数の方がより多いなどということはショッキングである」
中隅さんは書き進め、「日本人奴隷は男よりも女が好まれた。行き先はゴアを中心とする東南アジアだが、ポルトガル本国にも相当数入っている」(前同)と記す。
『近代世界と奴隷制:大西洋システムの中で』(池本幸三/布留川正博/下山晃共著、人文書院、1995年、p158~160)には、次のような記述もある。
「1582年(天正10年)ローマに派遣された有名な少年使節団の四人も、世界各地で多数の日本人が奴隷の身分に置かれている事実を目撃して驚愕している。『我が旅行の先々で、売られて奴隷の境涯に落ちた日本人を親しく見たときには、こんな安い値で小家畜か駄獣かの様に(同胞の日本人を)手放す我が民族への激しい念に燃え立たざるを得なかった』『全くだ。実際、我が民族中のあれほど多数の男女やら童男・童女が、世界中のあれほど様々な地域へあんなに安い値でさらっていって売りさばかれ、みじめな賤業に就くのを見て、憐憫の情を催さない者があろうか』といったやりとりが、使節団の会話録に残されている」
【引用終わり】
http://www.nikkeyshimbun.jp/2009/090410-62colonia.html
Wikipediaによるとザビエルが日本を去ってからの話であるが、イエズス会の宣教師たちはポルトガル商人による奴隷貿易が日本における宣教の妨げになり、宣教師への誤解を招くものと考えて、たびたびポルトガル国王に日本での奴隷貿易禁止の法令の発布を要請したそうだ。
そして1571年に国王セバスティアン1世から、日本人貧民の海外売買禁止の勅令を発布させることに成功したのだが、それでもポルトガル人による奴隷貿易はなくならなかったという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E8%B2%BF%E6%98%93
そのために、天正10年(1582)の遣欧少年使節で4人の少年がローマ教皇のもとに派遣された際に、4人は各地で日本人奴隷と遭遇するにいたった。調べると、4人のうち有馬晴信の従兄弟にあたる千々岩ミゲルは後にキリスト教を捨てているが、旅先で奴隷を見たことの影響が少しはありそうだ。
ちなみにこの4人の会話は「天正遣欧使節記」(デ・サンデ著/雄松堂書店)にでているが、この会話の部分の翻訳文を次のURLで読む事が出来る。千々岩ミゲルの発言に注目したい。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060313#p2
最初に紹介したニッケイ新聞の記事には日本人奴隷に関する多くの書物が紹介され、引用されている内容は興味深いものばかりである。その当時奴隷として売られたのは黒人をはじめ中国人、韓国人、日本人、インド人、ジャワ人など様々であったこともわかる。
では、結局どの程度の日本人が奴隷として売られたのだろうか。鬼塚英昭氏は「天皇のロザリオ」という本の中で50万人と言う説を立てているそうだが、このレベルの数字は当時の日本の人口が1200万人程度だから、あまりにも多すぎる。いろんな人がいろんな説を立てているが、数千人から数万人の間というのが常識的な数字だと思う。
こういう暗い話は知る必要がないと考える人もいると思うが、こういう史実を知らずして、なぜキリスト教が禁止され、なぜキリスト教信者が弾圧されたかを正しく理解できるとは思えないのだ。
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【ご参考】
このブログで書いてきた内容の一部をまとめた著書が2019年4月1日から全国の大手書店やネットで販売されています。
また令和2年3月30日に、電子書籍版の販売が開始されました。価格は紙の書籍よりも割安になっています。
【電子書籍版】
大航海時代にスペインやポルトガルがわが国に接近し、わが国をキリスト教化し植民地化とするための布石を着々と打っていったのですが、わが国はいかにしてその動きを止めたのかについて、戦後のわが国では封印されている事実を掘り起こしていきながら説き明かしていく内容です。最新の書評などについては次の記事をご参照ください。
https://shibayan1954.blog.fc2.com/blog-entry-626.html
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その記事とは、フランシスコザビエルが日本でキリスト教の布教をしていた時期から1600年頃までの約50年間に大量の日本人が南米に渡っている記録がいくつか残されているという話なのだが、それも主体的に日本人が海を渡ったというのではなく、むしろポルトガル人によって連れて行かれたと言うべきで、もっと端的に言うと、日本人が奴隷として売られていったということである。
このニッケイ新聞の記事を読むと、「アルゼンチン日本人移民史」(第一巻戦前編、在亜日系団体連合会、〇二年)という本の中に、アルゼンチンの古都コルドバ市の歴史古文書館で日本人奴隷を売買した公正証書が発見されたことが書かれているそうだ。
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「1596年7月6日、日本人青年が奴隷として、奴隷商人ディエゴ・ロッペス・デ・リスボアからミゲル・ヘローニモ・デ・ポーラスという神父に八百ペソで売られたことになっている。
その日本人青年の属性として「日本州出身の日本人種、フランシスコ・ハポン(21歳)、戦利品(捕虜)で担保なし、人頭税なしの奴隷を八百ペソで売る」(同移民史十八頁)とある。残念ながら、日本名は記されていない。」
と、書かれている。
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わずかに、戦後活字となった研究書はいくつか存在するがマスコミが取り上げる事はなく、中南米の日系社会のメディアがこういう話を伝えているだけというのは淋しいかぎりである。
つぎのような記述を読めば、日本人の多くは絶句してしまうだろう。日本人にはなぜこのような歴史が知らされないのだろうか。
【以下引用】
日本人奴隷に関し、…(中隅哲郎さんは)…『ブラジル学入門』の中で、「日本側の記録がないのでわからぬが、ポルトガルにはいろいろな記録が断片的に残されている」(百六十四頁)とし、外交官でラテン・アメリカ協会理事長だった井沢実さんの『大航海夜話』(岩波書店、七七年)から次の引用を紹介している。
「インドのノーバ・ゴア発行の『東洋ポルトガル古記録』の中に日本人奴隷関係で、まだ訳されていない重要文書が含まれている。ゴアにはポルトガル人の数より日本人奴隷の数の方がより多いなどということはショッキングである」
中隅さんは書き進め、「日本人奴隷は男よりも女が好まれた。行き先はゴアを中心とする東南アジアだが、ポルトガル本国にも相当数入っている」(前同)と記す。
『近代世界と奴隷制:大西洋システムの中で』(池本幸三/布留川正博/下山晃共著、人文書院、1995年、p158~160)には、次のような記述もある。
「1582年(天正10年)ローマに派遣された有名な少年使節団の四人も、世界各地で多数の日本人が奴隷の身分に置かれている事実を目撃して驚愕している。『我が旅行の先々で、売られて奴隷の境涯に落ちた日本人を親しく見たときには、こんな安い値で小家畜か駄獣かの様に(同胞の日本人を)手放す我が民族への激しい念に燃え立たざるを得なかった』『全くだ。実際、我が民族中のあれほど多数の男女やら童男・童女が、世界中のあれほど様々な地域へあんなに安い値でさらっていって売りさばかれ、みじめな賤業に就くのを見て、憐憫の情を催さない者があろうか』といったやりとりが、使節団の会話録に残されている」
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Wikipediaによるとザビエルが日本を去ってからの話であるが、イエズス会の宣教師たちはポルトガル商人による奴隷貿易が日本における宣教の妨げになり、宣教師への誤解を招くものと考えて、たびたびポルトガル国王に日本での奴隷貿易禁止の法令の発布を要請したそうだ。
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そのために、天正10年(1582)の遣欧少年使節で4人の少年がローマ教皇のもとに派遣された際に、4人は各地で日本人奴隷と遭遇するにいたった。調べると、4人のうち有馬晴信の従兄弟にあたる千々岩ミゲルは後にキリスト教を捨てているが、旅先で奴隷を見たことの影響が少しはありそうだ。
ちなみにこの4人の会話は「天正遣欧使節記」(デ・サンデ著/雄松堂書店)にでているが、この会話の部分の翻訳文を次のURLで読む事が出来る。千々岩ミゲルの発言に注目したい。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060313#p2
最初に紹介したニッケイ新聞の記事には日本人奴隷に関する多くの書物が紹介され、引用されている内容は興味深いものばかりである。その当時奴隷として売られたのは黒人をはじめ中国人、韓国人、日本人、インド人、ジャワ人など様々であったこともわかる。
では、結局どの程度の日本人が奴隷として売られたのだろうか。鬼塚英昭氏は「天皇のロザリオ」という本の中で50万人と言う説を立てているそうだが、このレベルの数字は当時の日本の人口が1200万人程度だから、あまりにも多すぎる。いろんな人がいろんな説を立てているが、数千人から数万人の間というのが常識的な数字だと思う。
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