平家滅亡のあと畿内を襲った元暦2年7月の大地震
元暦2年(1185)3月に壇ノ浦の戦いで栄華を誇った平家は滅亡したのだが、それから約4か月後の7月に大地震が発生している。この地震は元暦年間に発生したので「元暦地震」と呼ぶ研究者もいるが、この地震の被害があまりに大きかったので翌月に「文治」と改元されたことから「文治地震」と呼ばれることが一般的だという。中世の日本においては、地震や疫病流行で改元されることが良くあったようだ。この地震に関しては様々な記録が残さ...
わが国史上最大の火山災害である「島原大変」の被害者の大半は津波で死亡した
前回の記事で大規模な山の崩壊や地盤の崩壊で津波が発生し得ることを書いたが、今回はその事例について記すことと致したい。島原半島の中央部に活火山の雲仙岳があるが、この山は三岳と呼ばれる普賢岳・国見岳・妙見岳ほか、総計20以上の山々から構成されている。平成3年(1991年)の5月に、雲仙岳の三岳の一つである雲仙普賢岳に溶岩ドームが出現し、それが日々成長したのち小規模な火砕流が頻発するようになり、6月3日には溶岩ドー...
現存する唯一の忍術屋敷を訪ねて~~甲賀歴史散策その1
滋賀県の甲賀と言えば「忍びの里」を思い浮かべる程度だったのだが、調べてみるとこの地域には貴重な文化財や伝統文化が残されているのに興味を覚えて、週末に日帰りで甲賀市の名所旧跡を巡って来た。最初に訪れたのは『甲賀流忍術屋敷』(甲賀市甲南町竜法師2331 ☏0748-86-2179)で、この住居は甲賀忍者であった望月出雲守の旧宅であり、現存する唯一の忍術屋敷だという。外見は一般的な平屋の日本建築で元禄時代に建てられた住居...
甲賀の総社・油日神社、平安仏の宝庫・櫟野寺などを訪ねて~~甲賀歴史散策その2
甲賀流忍術屋敷を楽しんだのち、油日(あぶらひ)神社(甲賀市甲賀町油日1042 ☏ 0748-88-2106)に向かう。この神社は、平安時代に編纂された『日本三代実録』に、陽成天皇の元慶元年(877)に従五位下の神階を授けられたとの記録が残されている古社で、神社の東に聳える油日岳をご神体とし、油の神様として崇敬を集めてきたばかりではなく、「甲賀の総社」として甲賀武士の結束の中心であったという。両脇に石垣が積まれた参道を進むと...