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しばやんの日々

永禄9年にあったわが国最初のクリスマス休戦のことなど

前回は、永禄10年(1567)に大仏殿をはじめ東大寺の多くの伽藍を焼失させたのは、松永弾正久秀ではなく三好軍にいたイエズス会のキリシタンであると、同じイエズス会のフロイス自身が記録していることを書いた。松永弾正は東大寺には火をつけなかったかもしれないが、それ以前に三好三人衆(三好長逸、三好政康、岩成友通)との戦いで多聞城の間際まで攻め込まれた松永弾正は、相手方が陣地として利用しそうな(般若寺、文殊堂など)寺を...

1300年以上の古い歴史を持つ神峰山寺と本山寺を訪ねて

昨年の秋に「素晴らしい紅葉の古刹を訪ねて」という記事を書いて、大阪の茨木市の山奥にある大門寺という寺を紹介した。http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-111.htmlこの大門寺を開いたのは桓武天皇の異母兄である開成皇子(かいじょうおうじ724-781)だが、開成皇子は天皇家の直系男子でありながら、正史である「続日本紀」には全く現れず、「元亨釈書」(日本最初の仏教通史:元享2年[1322]成立)、「本朝高僧伝」(元禄...

「稲むらの火」のものがたりと安政南海地震の津波の真実

小学生の頃だったと思うが、「稲むらの火」という物語を読んだ。この物語のあらすじは、概ね次のようなものである。 五兵衛という人物が激しい地震の後の潮の動きを見て津波を確信し、高台にあった自宅から松明を片手に飛び出し、自分の田にある刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に次々に火を着けはじめた。 稲むらの火は天を焦がし、山寺ではこの火を見て早鐘をつきだして、海の近くにいた村人たちが、火を消そうとして高台に集ま...

飛鳥時代から平安時代の大地震の記録を読む

「日本書紀」には様々な地震の記録がなされているが、天武天皇(?~686年)の時代はとりわけ地震の記述が多いことを友人から教えてもらった。そんな話を聞くと、自分で確かめたくなって実際に日本書紀を紐解いてみた。「日本書紀」の地震の記録を読む前に、少し天武天皇の歴史を振り返ってみよう。671年に大化の改新以来政治の中心であっ天智天皇が崩御され、皇位継承をめぐって皇子の大友皇子(弘文天皇)と皇弟の大海人皇子との間に...