道徳について、他
・道徳から自由(非道徳的)な人間ほど他人により厳しい道徳的規律を要求する。これは必然的結果。
・何故なら、道徳を気に掛ける人間は他人にそれを要求する時、その要求を自分自身が貫徹出来るかどうかをどうしても気に掛けてしまうからだ。勿論、本当に道徳を遵守してしまうような人間は生き残ることが出来ないから、人はそれを誤魔化して生きていく。しかしその気兼ねが他人に対する要求のブレーキになる。道徳から自由な人間はそのブレーキが弱いから、他人により強い縛りを要求することが出来る。
・いやむしろ、人は他人に強い道徳的規律を要求する時、より道徳から自由(非道徳的)になっていると言った方が適切かもしれないな。
・浜崎あゆみ『Rule』より~「だって全ては偶然じゃなく必然なんだってことをあの日の君に教えられたから」/あの日とは『オーラの泉』収録日のことで、君とは江原啓之のことですね。
・底辺の人間が「生きさせろ」とか言っているうちはまだいい。それは他人のことを自分の生死以上に配慮してしまうようなやわな人間が底辺に落ちているだけでしかないからだ。それが「俺は生きる」と言い切ることが出来るような人間が底辺に落ち始めてから、或いは底辺に落ちた人間が『もののけ姫』のキャッチフレーズ――生きろ――的な覚醒をしてからが本当の地獄だ。
・軽々しく「生きろ」とか言ってる奴は、その恐ろしさ、それが意味する本当のところを知らないからこそそれを口に出来る。これは「死ね」に関しても同じなのだが。何故なら、それが彼らを目覚めさせてしまうかもしれないからだ。
・そこではもはや道徳的呪縛を利用した自殺という間引きシステムは機能しない。これまで自殺していた奴らが一斉に生き延びることを第一義的に考えて行動するようになる。さて、日本でそれが実現した時、果たしてどのような状況が形成されるかな。
・生きるのに権利なんか必要ないだろう。何故そんな根源的なことにいちいち権利があるかないかのお伺いを立てなきゃならないんだ?生き残りたきゃ何をしてでも生き残ればいい。インかアウトかというのは要するに、「殺しても(自由を)奪い取る」をシステムに代行してもらうか自分の手で直接それを行うかだけの違いでしかないわけだし。そしてそれはシステムに上手く媚びて取り入るか、真っ向からそれに戦いを挑むかの違いでもある。
・いや勿論、本当に真っ向から勝負を挑んだらまず勝ち目はないが。だからそれは必然的にゲリラ的なものとなる。あと、アウトといっても暴力団とかは結局傍系システムに媚びて取り入っているわけで。
・しかし不思議なことに、日本ではそれらに媚びて取り入ることを「戦う」と言い、逆にそれらに対して距離を取ったり、真っ向から戦いを挑むことを「逃げる」と言う。まあそれは実質的状況を言い表しているのではなく、宗教的階級を言い表したものだということは知ってるけどさ。それにしても全く妙に思える。
・その「他者」とはもしかしてあなた自身のことなのではないでしょうか?>「他者を尊重しなさい」
・イングヴェイがうちの居候になった夢を見た。因みに、その夢では大災害(もしくは戦争?)が起きて知り合いが家族の心配をしていたので、軽々しく「きっとみんな無事だよ」と言ったら、後でその地域が完全に壊滅していたことが分かり、すごく罪悪感を覚えた。
・何故なら、道徳を気に掛ける人間は他人にそれを要求する時、その要求を自分自身が貫徹出来るかどうかをどうしても気に掛けてしまうからだ。勿論、本当に道徳を遵守してしまうような人間は生き残ることが出来ないから、人はそれを誤魔化して生きていく。しかしその気兼ねが他人に対する要求のブレーキになる。道徳から自由な人間はそのブレーキが弱いから、他人により強い縛りを要求することが出来る。
・いやむしろ、人は他人に強い道徳的規律を要求する時、より道徳から自由(非道徳的)になっていると言った方が適切かもしれないな。
・浜崎あゆみ『Rule』より~「だって全ては偶然じゃなく必然なんだってことをあの日の君に教えられたから」/あの日とは『オーラの泉』収録日のことで、君とは江原啓之のことですね。
・底辺の人間が「生きさせろ」とか言っているうちはまだいい。それは他人のことを自分の生死以上に配慮してしまうようなやわな人間が底辺に落ちているだけでしかないからだ。それが「俺は生きる」と言い切ることが出来るような人間が底辺に落ち始めてから、或いは底辺に落ちた人間が『もののけ姫』のキャッチフレーズ――生きろ――的な覚醒をしてからが本当の地獄だ。
・軽々しく「生きろ」とか言ってる奴は、その恐ろしさ、それが意味する本当のところを知らないからこそそれを口に出来る。これは「死ね」に関しても同じなのだが。何故なら、それが彼らを目覚めさせてしまうかもしれないからだ。
・そこではもはや道徳的呪縛を利用した自殺という間引きシステムは機能しない。これまで自殺していた奴らが一斉に生き延びることを第一義的に考えて行動するようになる。さて、日本でそれが実現した時、果たしてどのような状況が形成されるかな。
・生きるのに権利なんか必要ないだろう。何故そんな根源的なことにいちいち権利があるかないかのお伺いを立てなきゃならないんだ?生き残りたきゃ何をしてでも生き残ればいい。インかアウトかというのは要するに、「殺しても(自由を)奪い取る」をシステムに代行してもらうか自分の手で直接それを行うかだけの違いでしかないわけだし。そしてそれはシステムに上手く媚びて取り入るか、真っ向からそれに戦いを挑むかの違いでもある。
・いや勿論、本当に真っ向から勝負を挑んだらまず勝ち目はないが。だからそれは必然的にゲリラ的なものとなる。あと、アウトといっても暴力団とかは結局傍系システムに媚びて取り入っているわけで。
・しかし不思議なことに、日本ではそれらに媚びて取り入ることを「戦う」と言い、逆にそれらに対して距離を取ったり、真っ向から戦いを挑むことを「逃げる」と言う。まあそれは実質的状況を言い表しているのではなく、宗教的階級を言い表したものだということは知ってるけどさ。それにしても全く妙に思える。
・その「他者」とはもしかしてあなた自身のことなのではないでしょうか?>「他者を尊重しなさい」
・イングヴェイがうちの居候になった夢を見た。因みに、その夢では大災害(もしくは戦争?)が起きて知り合いが家族の心配をしていたので、軽々しく「きっとみんな無事だよ」と言ったら、後でその地域が完全に壊滅していたことが分かり、すごく罪悪感を覚えた。
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