大学でパワハラ防止法への関心が低いままでいいのか?
2019年5月に、「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律」が成立し、早ければ大企業には2020年4月から施行と報じられている。この改正法の中で、いわゆる労働施策総合推進法の中に、パワハラが法制化されたのだが、大学現場には、ほとんど浸透していない。パワハラは、①職場において行われる、②優越的な関係を背景とした言動であって、③業務上必要かつ相当な範囲を超えたものと定義されている。雇用主は、労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じる義務を負う。端的にパワハラ自体を禁止していないものの、防止措置義務が定められたので、パワハラ事案の発生が認定されれば、結果として措置が不十分だったと断じられることを覚悟しなければならなくなるだろう。また、パワハラのない職場で働く権利を侵害したとして損害賠償も課せられることになりそうである。
法律専門家の見解では、パワハラ事案は、スポーツ及び学校において、とりわけリスクが大きいとされる。この点に関しては、Jurist2019年4月号の、川井圭司教授(同志社大学)及び横田光平教授(同志社大学)の論考を参照されたい。要は、スポーツ及び学校には、構造的にパワハラ事案が発生しやすいリスク環境が宿っているということである。学生は、教育サービスの顧客であり、大学との雇用関係はないが、パワハラの法制化をきっかけに、研究室や運動部で教職員から受けたパワハラへの告発が進むものと思われる。運動部は、スポーツ及び教育の共通集合という意味で、とりわけハイリスクである。にもかかわらず、大学現場では、上記の改正法に対する認識も、リスクに対する認識も,いまだに稀薄である。ある意味で、現場には、昔から、「教育指導」としてパワハラ(時に暴力)が蔓延しているため、当事者の感覚がマヒしていると思われる。しかし、これからも昔のままで済むわけがない。早くマヒしている感覚を、世間並みにリセットしなければならない。これまで当たり前にやってきたことが、実はパワハラになりうる(なっている)からである。
大学の方も、意図して目を背けているわけではなかろうが、国立大学は、運営費交付金の評価に基づく配分の拡大に戦々恐々としており、私立大学は、私学法改正に伴い、今年度内の寄付行為変更等の手続きが課されている。また、すべての大学で、新テストの導入に伴う入試の在り方の見直しも必須になっている。さらに、国立大学協会は利害の不一致で組織がバラバラになりかけている。要は、目の前の案件処理で忙しすぎて、パワハラ防止のことに気が回らないのではないか?スポーツ庁は、目前の東京2020の成功しか見ておらず、大学への指導力も乏しい。大学スポーツ協会(UNIVAS)が発足したと言っても、相当数の有力大学が不参加で、利害の異なる競技団体と大学を同じ会員とした構造上の無理もあり、当初の目標であった日本版NCAAには、ほど遠い状態である。文部科学省高等教育局は、中教審答申において、2040年における高等教育の未来予想図を示せなかったように、政策面での地位低下が著しい。総括すれば、パワハラ防止という教育・学術・スポーツの現場にとって、重要なテーマに、誰もリーダーシップを発揮できない状態に陥っている。
このまま改正法の施行に移行すれば、最もリスクが高いとされているスポーツ及び学校は悲惨なことになりそうである。教職員(及び学生)からのパワハラ事案の告発への対応に翻弄されるとともに、予防のためのリスクアプローチの実行に、相当な時間とカネがかかる。いまだに大学を悩ましている研究不正以上に、件数も金額も、大学にとって大きな負担になるに違いない。経営者は、課題を正しく認識し、教職員の意識改革を含む総合的な対策に乗り出さねばならない。意外に大きな危機が、静かに忍び寄っているのである。
最近のコメント