基礎研究という神話の終焉?
今年、第12回読売・吉野作造賞を受賞した「アカデミック・キャピタリズムを超えて」と題する上山隆大教授の著書には、科学技術政策に携わる人間にとって括目すべき指摘がある。特に、第5章「基礎科学/応用科学という神話」では、これまでの基礎研究への国による投資の前提となってきた論理は、永遠の真理ではなく、米国の科学技術政策の歴史の中で形作られた神話であることを明らかにしているのである。上山氏の著書は専ら学問的な成果をまとめたもので、神話に過ぎないという暴露には、基礎研究への公的資金投入を抑制して差し支えないというような政策的な意図はまったくないにせよ、科学技術政策の前提が覆されれば、将来的に、我が国の基礎研究が資金面で窮地に陥ることもありうると考える。
上山氏によれば、第2次大戦後に、ローズベルト大統領から科学の将来構想への答申を求められたバニバー・ブッシュ氏らがまとめた「科学~果てしなきフロンティア」には、次のような論旨が展開されている。第1に、科学研究は公共財であり、公的な知識を作り出すためには、公的な資金が必要である。第2に、このような資金の受け皿は、公共財としての基礎研究を行うにふさわしい場所としての大学(特にエリート研究大学)である。こうした公的な資金投入を正当化する論理は、後に「イノベーションのリニアモデル」と呼ばれた理論で、基礎研究から最終的な工業生産まで知識は直線的に流れていくので、基礎研究を支援することは、新たな製品開発と付加価値を生み出すことによって社会に貢献できるというものである。
我が国において、基礎研究への投資については、一般論として、比較的好意的な支持が得られてきていると思う。数々のノーベル賞の受賞や小惑星探査機「はやぶさ」の成功などへの国民的熱狂を見るとき、そんなに基礎研究の将来を心配することはないのではないかとも感じるが、一方で、世界一の性能を目指すスパコンのために巨額の投資を行う必要性に関して疑問が呈され、国の無駄な歳出を削減するという観点からは、科学者の自由にはさせられないという政治的な意志が示されたことは、記憶に新しい。
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