地域政党・大阪維新の会を設立し、大阪府知事も務めた松井一郎・大阪市長(59)が4月6日の市長任期満了をもって政界を引退する。既得権益の打破を掲げる「維新改革」で支持を集める一方、その手法は対立も生んだ。松井氏は何をやり遂げ、何につまずいたのか。退任を1カ月後に控え、毎日新聞の取材に政治家人生を振り返った。
「僕に首長は似合っていなかった」
<大阪府議だった松井氏は2010年春、橋下徹知事(当時)らと維新を旗揚げした。タレント弁護士出身の橋下氏の人気も相まって、翌年春の統一地方選で維新は府議会で過半数に達する>
橋下さんが知事になる時、僕は「自分の身分を見直すことからスタートして」とお願いした。だから彼はまず、知事の退職金を50%カットした。改革をする上で、政治家が優遇・厚遇を受ける状況では何を言っても響かない。府議会では過半数を取ってすぐに議員定数の2割削減も断行した。有権者に維新は本気だと思ってもらえただろう。
<11年秋の知事選に松井氏は出馬を決める。市長選に立候補した橋下氏とともに大阪ダブル選を制した>
僕自身は(首長に)似合っていないと考えていた。でも、市長への転身で生きるか死ぬかの勝負をかける橋下さんが「一緒に戦う相棒は松井さんがいい」と。もう逃げられなかった。
<15年の橋下氏の政界引退後、党代表と首長の二足のわらじを履き、25年大阪・関西万博の誘致も実現した。その背景には安倍晋三元首相や菅義偉前首相とのパイプがあった。一方で政権への接近で国政での存在感が低下し、党の低迷も招く>
安倍政権でなければ万博は誘致できなかった。菅さん…
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