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集団的自衛権について

日記
03 /14 2014
 日米安保条約で、命を張って日本を守ってくれているアメリカの軍隊が他国から攻撃されているところをすぐ横で見ていても、集団的自衛権の行使を認められていない日本の自衛隊はその米軍を助けることはできない、というような言い方を集団的自衛権容認派はします。

 ちょっと聞くともっともな話のような気がしますが、この言い方の裏側には嘘やごまかしやまやかしが隠されています。

 たとえば日本近海に自衛隊と米軍が共にいて、自衛隊を無視して米軍だけを攻撃する国があるでしょうか。同盟国の軍隊が一緒にいれば当然自衛隊も攻撃を受けるはずで、集団的自衛権など使わなくても自衛のために自衛隊は武器を使用することができるはずです。つまり前述のケースでは集団的自衛権は必要ないのです。

 仮にもし、何らかの理由で米軍だけを攻撃することが本当にあるとしたら、その時こそ自衛隊は攻撃を控えるべきでしょう。攻撃される理由は米軍だけが持っているわけですから、そこで自衛隊が攻撃を加えることに大義はないからです。

 また、日本はPKO法やテロ特措法などで海外に自衛隊を派遣してきましたが、その派遣先は非戦闘地域に限られていました。非戦闘地域ですから、原理的にここで同盟国が攻撃を受けることはありえません。よってここでも集団的自衛権は必要がなくなります。

 仮に非戦闘地域であったはずの地域が突発的に戦闘地域になり、同盟国が攻撃されたケースでも、最初に述べてケースと同じく戦闘地域になってしまったのなら自衛隊も攻撃を受けるわけですから、自衛のための武器の使用は集団的自衛権がなくても可能なはずです。

 それならばなぜ、安部総理は集団的自衛権にこれほどまでこだわるのでしょうか。

 ここで安部総理になったつもりで最も穏やかな理由を考えてみますと、海外の非戦闘地域で自衛隊が活動中に、そこからたとえば50キロ離れた地点にいる戦闘地域の米軍が攻撃を受けた時、直ちに駆けつけて援護ができるように集団的自衛権が必要なのだ、ということなのではないかと思います。

 こちらから敵軍の元に出かけて行って援護することが自衛なのでしょうか。自衛ではなくこれは普通の攻撃なのではないでしょうか。

 海外の非戦闘地域ではなく自衛隊が日本の国内にいて、地球の裏側で戦っている米軍が援護の依頼をしてきたらどうなのでしょう。50キロなら援護するけど2万キロ(地球の裏側までの距離)は援護できないと言えるのでしょうか。50キロのケースを『最も穏やかな』と表現した理由はここにあります。

 仮に同盟国から依頼を受けたら集団的自衛権を根拠として地の果てまでも応援に馳せ参じなくてはならなくなるとしたら、平和憲法など何の意味もなくなり、自衛隊はごく普通の軍隊になってしまいます。

 というより、それが安部総理の隠れた目的、本音であることは明らかです。

 つまり、仲間が隣で攻撃されているのにそれを見殺しにするのか、という言い方は屁理屈であり、ごまかしなのです。

 それにしてもいったい誰が、集団的自衛権などという都合の良い言葉を考えたのでしょうか。ちょっと考えれば、集団的自衛権は同盟的交戦権と同義であることがわかるはずです。敵を圧倒している戦況でも敵の攻撃が少しでもあれば、集団的自衛のために自衛隊が攻撃に参加することができることになるからです。

 また、日本上空をアメリカに向けたミサイルが通過するとき、集団的自衛権が認められていないとそれを撃ち落とすことができない、という言葉もよく耳にしますが、個人的には人間が乗っていないミサイルは撃ち落としても良いのではないかと思っています。ただし、その場合は日本上空を通過するすべてのミサイルを攻撃すると宣言するべきです。全てということは逆にアメリカから大陸に向けて発射されたミサイルも撃ち落とす、という意味です。

 同盟関係にある国が常に正しいとは限りません。誰が見ても利益のためだけに他国と交戦する可能性はあります。というより、いろいろ理屈をこね回してもほとんどすべての戦争は利害をその原因とし、大義など後から付けた屁理屈に過ぎません。

 平和憲法は利益のための、言い方を変えれば金のための大量殺人に日本人が加担することを防いでくれています。人類5000年の歴史で到達した知性の結晶が平和憲法です。

 集団的自衛権などという詐欺的なもっともらしい概念で平和憲法をドブに投げ捨てるような、無知性な行為を許すことは断じてできません。

(2014-3-14 by 仙人)