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「40人学級復活?」データの見せ方によるゴマカシにだまされるな

日記
10 /28 2014
本日の東京新聞トップは「教育の質より目先の財源?財務省『40人学級復活』を提起」というニュースを報じている。

財務省、35人学級の見直し要請 15年度予算で

財務省の主張は「いじめ防止などに目立った改善が見られない」ということらしいが、35人学級は本来、2011年、民主党政権時代に全学年で導入しようとしたが、「財源難」ということで現在は1年生だけを対象に導入されている、という事情からも分かるように、まだ改革は始まったばかりである。それをわずか3年半あまりで打ち切るというのはあまりにも乱暴で「教育の質より目先の財源?」という東京新聞のタイトルはもっともな話。

ところで、この記事の中で、財務省が主張するもう一つの理由は「小中学校向け支出に占める教員給与の割合」がOECD諸国と比較して高いということらしく(OECD平均が75.9%に対し85.9%)、その比較グラフも掲載されている。しかしこれは、典型的な「データの見せ方によるゴマカシ」である。そのことを指摘しておきたい。

東京新聞の記事でも指摘されているが、このグラフで隠されている事実は「日本の教育予算そのものが、対GDP比でOECD諸国中(比較できる中で)最低である、ということである。この事実については、Huffington Postが以下のように報道している。

教育への公的支出日本は最下位 奨学金制度が鍵=OECD報告書

学校と企業とは違うのかもしれないが、多くの企業で、人件費はコスト中の大きな割合を占める(これも「ビジネス常識」に類することと思うが)。全体のコストが小さいならば、人件費の占める割合が大きくなるのは当然のことである。だからここでの真の問題は、日本の教育予算が低すぎるということなのだ。それをさらに削減しようというのが、財務省の主張ということ。まあともかく、こういう話が出てきたら、こんな「データの見せ方」で誤魔化されないように気を付けよう!

(蛇足:今日のTBS「ひるおび」では「第3のビール、増税か」という話題を報じていた。その裏の理由として、いよいよアベノミクスが怪しくなってきて消費税10%は見送りか?という状況下で、財務省としては何としても税収を増やす道を確保しておきたいから、という説もあるようだ。この「40人学級に戻すことによる予算削減」も、それに備えてのことか?とも思えてくる。あくまでも推測にすぎないが、もしそうだとしたら、誠にみみっちい話ではある。)

(2014-10-28 by 山猫軒)

「女性の活躍できる社会」は「男子、厨房に入れ」から

日記
10 /11 2014
先日書いた「家事分担」というテーマの続きである。まずはNHK放送文化研究所の興味深いデータをご紹介しよう。

「結婚」や「家事分担」に関する男女の意識の違い

図18と図19が「家事分担」についての、とても分かりやすい図になっている。図18で見ると一週間で家事時間が5時間未満の男性は(15%の「家事分担0時間!」を含む)なんと64%、という結果だ。64%の男性は一日当たり、わずか42分以下しか家事をしていない。

これに対して女性の方は、「20時間~30時間未満」のところまでの累積%を計算すると63%、つまり63%の女性は一日当たり2.8時間以上、家事をやっているということ。これでは「不公平感」を感じない方がおかしい、といえよう。

図19は、家事分担を内容で分類している。この図によると男性が最も「分担していない」家事は「食事のしたく」だ。

この図19のような表現方法だとちょっと見えにくいが、日常の家事の中でも最も時間がかかるのがこの「食事のしたく」なのだから、ここでの「男性の寄与率」が少なければ、全体の分担時間が少なくなるのは当然の結果だ。

このことは逆に、この状況を改善する(=家事分担を平等化する)には、この最も寄与率の大きい「食事のしたく」の分担を変えるのが最善の策、ということを意味する。これはビジネス常識だが、改善活動の要諦は「まず、最も寄与率の大きい要因項目をたたく」ことだから。

何故、男性は「食事のしたく」を分担していないのか。色んな要因はあるが、単に「出来ないから(料理のスキルがない)」という人も多い。ならば、解決方法は単純だ。つまり「料理のスキルがないのなら、トレーニングを通じてスキルを身につければ良い」ということ。(ここでは、伝統的な「男子厨房に入らず」という心理的バリアーは一旦、おいておく。これについて論じるには、多くの紙幅を必要とするだろう。)

「料理は、生活のために誰でもが(男女問わず)身につけるべき必須のスキルだ」と筆者は考えている。「スキル」とは、順序だてた合理的なトレーニングにより、誰でもが身につけることが出来る能力である。

ちょっと話題がそれるが、かなり以前に「男の趣味としての料理」のようなものが流行ったことがあった。筆者はそういうのは有害無益のものだと思う。筆者は料理は好きだが、それが「趣味」というわけではない。料理には「趣味性」よりも「実用性」の方がずっと重要だと考えている。

話しを元に戻して、ここでの筆者の提案は「生活に必要なスキルなのだから、小学校くらいからしっかりと(男女とも)料理技術を教えたらどうか」ということだ。現在、小学校には「家庭科」の授業はあるようだが、どの程度のことを教えているのだろうか。生涯にわたって役立つ、実践的な「料理スキル」を全員に身につけさせる、というのが目標だが、それが達成できているのかどうか。

こんなアイデアはどうだろう。数日(できれば一週間)かけて、小学生を集めた「料理キャンプ」を実施する。最初の日は、包丁の使い方、ご飯の炊き方、みそ汁や酢の物など基本的な和食の作り方など、料理の基本技術をみっちり教える。2日目以降は、数人でチームを構成し、その後の朝昼晩の食事の献立をすべて、チームで決める。献立が決まったら、必要な食材をリストアップして、スーパーに買い物に行かせる(買った食材をうまく使いまわし、使い切ることが出来るような献立を考えさせる、というのがミソである)。

こういうキャンプを一度経験すれば、例えば「今日は冷蔵庫にこんな食材があるけど、買い物に行く時間がないから、こんな献立にしよう」といった、より実践的な料理技術の段階に発展していくことも可能になるだろう。料理をするときの「手順(段取り)」といった要素も含め、料理は、こういう一種「合理的な思考」を必要とするスキルだ。ゆえに、そのスキルを身につけることは、その人の人生を豊かにすることに通じる。

ということで、この記事の結論は「男子、厨房に入れ」だ。このような日常的な問題について主題的に論じる人が少なすぎるのが、日本のリベラルの弱点の一つではないだろうか。憲法24条の理念を本気で実現するためには、こういう地道な視点から開始する必要があるのではないか。そのような地道な実践こそが、個人も豊かにし、社会も豊かにすると筆者は思っている。

(2014-10-11 by 山猫軒)