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東京五輪開催決定、歓喜のなかで

日記
09 /14 2013
 検察当局は9日、東京電力福島第一原発事故について、業務上過失致死傷などで告訴・告発された東電幹部や政府関係者ら42人全員の不起訴処分を発表した。

 原発は一旦事故が起きれば人知が及ばない、制御不能な事態を招く。だからこそ原発推進を図ってきた自民党、電力会社は地震や津波など予測困難な状況も視野に、対策を講じるべきではなかったのか。

 社民党は、従来よりこのことを指摘し、脱原発を主張し、自然エネルギーなど、再生可能エネルギーの取り組みを訴え続けてきた。

 誰が責任ある対応をするのか。「責任を問わない、問われない、誰も責任を取ろうとしない」無責任体質が健在(?)なまま推移するとしたら、空恐ろしい。この国は法治国家ではないのか。

 それにしても、ロシアで行われたG20の会合を早々に切り上げ、ブエノスアイレスに飛んだ安倍首相、東京五輪招致への意欲には並々ならぬものがあった。そして、あの安倍首相のプレゼン。「福島第一原発汚染水漏れ事故は0.3平方キロ内にコントロール出来ている」という粉飾された言葉は、脱原発に取組んできた多くの市民の怒りを買った。

 あの場で「汚染水漏れ問題には、安倍首相が全て責任をもって対応する」と言った「国際公約」を、東京五輪招致の方便に終わらせないように監視しなければならない。事実としてはその後、もっとひどい汚染水漏れ状況が報じられてさえいるのだから。

 何よりも、安倍首相が五輪招致にみせた行動力と迅速さは、福島第一原発事故対策にこそ、最優先で発揮されるべきことではなかったか。いまだに避難生活を送っている15万人の方々の生活の見通しはたっていない。東京五輪開催を心から歓迎して貰えるには、程遠いのが現状だ。

 東京五輪は経済効果だけに着目するのではなく、オリンピック本来の理念であるスポーツを通した平和外交、国境の垣根を低くする機会に変えなくてはならない。また東京五輪の選手村や競技場は太陽光やミニ水力、波力、バイオマスなど、地域の自然環境を活かした分散型エネルギー、再生可能エネルギーの取組みを提案していく場としていきたいものだ。

 福島原発事故は人災であり、五輪開催の歓喜の中、全てのものがうやむやに許されて良いわけがない。しっかりと事故の検証をし、責任の所在を明確にするべきだ。未来への責任を果たすべく、安倍政権と東電は脱原発への道筋を示し、一日も早い福島の復興を果たしていく責務があると思う。
 
 私たちも政権に対して、しっかりと実効ある取組みを迫っていこう。

(2013-9-14 by 木村えい子)

婚外子差別「違憲判決」に思う

日記
09 /05 2013
最高裁は4日、全員一致で民法の婚外子相続差別を「違憲」とする判断を示した。近年にない画期的な判決であり、快哉を叫びたい。この最高裁判決を受けて、国会は速やかに法改正の手続きを進めるべきである。

ところでこの問題について新聞各紙は、今回の最高裁判断の根拠は「家族観の多様化」と報じている。それは確かに事実ではあるが、この問題に以前から関心を持ってきた人は、何か違和感を感じないだろうか。

一言でいえば、この問題の根幹は普遍的な「人権」の問題であって、本来、一国内の「家族観」で左右されるようなものであってはならないはずだ。ここには何か根底的な「(日本国内と、その外側の間での)意識のずれ」があるように思われる。

この「意識のずれ」こそが、日本がこれまでこの問題について、長年にわたって国連人権委員会や子どもの権利委員会から法改正への勧告を受けながら、なんら改善に手をつけようとしなかった(つまり国際社会から何と言われようと、「ダンマリ」を決め込んできた)理由なのだろう。

以下のページに、婚外子の地位に関わる国際条約と、これまで日本が国際社会から受けてきた「勧告」がまとめられている。

http://www.geocities.co.jp/NatureLand/2255/page019.html

これを見ると分かるように、国連人権委員会が婚外子を差別する民法改正を勧告したのは20年も前のことである。昔からよく「日本は外圧に弱い」と言われるが、実際には全く逆で、事実は「どんな外圧(国際機関からの改善勧告)があろうと、国内事情(国内世論)優先」ではないか。「外圧など、知ったことじゃない」というのがホンネなのだ。

さらに、このように「国際社会から見られている」こと自体を知らないという人も多い。これは「人権(情報)の鎖国状態」だ。この点については「女性差別撤廃条約」も同様の状況に置かれている。そういう状況をあまり伝えないメディアの責任は大きい。メディアは広く国際的な情報を伝えることによって、国際社会の一員として恥ずかしくない国民を育てる役割も担っているはずだ。

メディアの責任は一旦おくとして、つまるところ、日本社会では「普遍的な人権の価値(個人の基本的人権)」ということが十分に理解されていないのではないか?とも考えられる。そう考えなければ、「個人」よりも「家」の方が重視されるような社会習慣が何時までも残っている現象は理解できないからだ。

何も難しい話ではない。例えば結婚式。この世界では相変わらず、招待状や式場の掲示で「○○家・××家結婚式」という表現が一般的だ。憲法には「婚姻は、両性の合意のみに基づき。。。」と書いてあるのだが。人々の意識は「結婚とは、○○家の女性が××家に嫁ぐこと」のままなのか? そこが変わらないと、なかなか社会全体も変わっていかないのではないか。

政治に関するある市民講座で、大文字のPoliticsと小文字のpoliticsという話を聞いた。小文字のpoliticsとは、個人レベルの日常をどう(良い方向に)変えていくか、ということ自体が、一つの「政治(politics)」だということだ。大文字のPoliticsだけが「政治」ではない。私たちの意識や習慣(内なる差別意識、時代遅れの習慣、等々)を、日々変えていくことが、ひいては大文字のPoliticsをも動かしていくことになるのだと思う。

(2013-9-5 by 山猫軒)

【ブログ管理者からの注】先日、書きましたように、このブログはタイトルも「木村えい子と仲間たちのブログ」と変更して、今後は社民党神奈川の党員の誰でもが投稿できるブログとして活用していきます。本日は党員の「山猫軒(ペンネーム)」さんからの投稿です。

基地はいらない

日記
09 /01 2013
基地はいらない  (1982年9月作) 作詞きむらえいこ 作曲K・T

潮騒のざわめきが似合います 私のまち横須賀  
沖を照らす灯台は 命の火守るのです
だけど 水平線の向こうから 
硝煙や血のにおい運ぶ 原潜・空母 
港は 嵐避ける 船たちのものです

鳥たちのさえずりが似合います 私のまち厚木〔綾瀬・大和〕
空は自由に駆け巡る 鳥たちのものです
だけど 闇をつんざく爆音は
安らかな眠り犯す 戦闘機
思いは 花や鳥の園つくり 昼寝です

太陽のまぶしさが似合います 私のまち藤沢
見えぬ基地を知らぬげに 息づいています
だけど 非常口のない檻に 
生きる私たち 核の傘
私も 共に生きる 声をあげていきます
私も 共に生きる 声をあげていきます
 
 この9月2日に、第四次厚木爆音訴訟は横浜地裁での結審を迎えます。第一次訴訟提訴から37年、いまだ爆音被害は変わっていません。飛行差し止めの判決を待ちたいものです。

 横須賀港に米原子力空母が入港するたびに米海軍厚木基地では艦載機の離発着訓練などが行われ、住民は大変な爆音被害に遭っています。

 よく勘違いされますが厚木基地は厚木市ではなく、綾瀬市と大和市にまたがっており、基地は米軍と日本の自衛隊が使用しています。そして、米軍艦載機の訓練による爆音被害に遭っているのは、大和市、綾瀬市、海老名市、座間市、藤沢市、相模原市、町田市と近隣周辺自治体です。この周辺は200万市民が住んでいる人口密集地です。

 「基地はいらない」の歌を創って31年、藤沢市から厚木基地はみえないけれど、原子力空母艦載機の爆音や核が私たちの生活を脅かす状態に、いまだにあることが残念でなりません。この歌が時代遅れとなる平和な世界を願い続けていますが、アメリカのシリアへ軍事介入の模索、安倍政権の憲法改正の動きが活発になっている今、私たちも多様な表現でアピールし、行動することの必要性も感じています。

 何よりも子どもたちに安心の未来のために。

 また、下記の取り組みが行われます。お出かけ下さい。

日時:10月12日(土)10:00~15:00ピース・フェティバルin大和・綾瀬2013
場所:大和駅東口広場 ピースコンサートや基地問題を考えるパネル展示
主催:ピース・フェティバルin大和・綾瀬2013実行委員会

(2013-9-1)