「10.24原発事故避難者の住宅問題集会」報告
日記
森ひでおさんより、10月24日に開催された「原発事故避難者の住宅問題集会」の報告をいただきましたので、掲載します。(ブログ管理人)
2011年3月11日東日本大震災と福島第一原発事故から7年7か月が経過し、長期の避難生活によって生活や健康の問題を抱えた人が増えている。福島県は地震と津波による死者数よりも、震災関連死(避難を余儀なくされたことによるストレスなどが原因となる間接的な死)とされる死者数が多い。また宮城県、岩手県と比べて福島県は突出して多い。(2017年9月復興庁発表震災関連死者数、福島県2202人、宮城県926人、岩手県464人。)これは原発事故避難の過酷さを物語っている。
放射能汚染による健康被害を軽減しようとすること。まちとしての機能が低下して生活が困難であること。農林水産漁業や商売その他の生業ができなくなったこと。すでに避難先で学校や職場、地域社会での生活を始めていること。元の家が住める状態ではないことなど、避難している人の中には複合的な理由によって、帰るに帰れない状況にある人がたくさんいる。
しかし政府と福島県は2017年3月、避難指示区域外の避難者1万2539世帯に対する住宅無償提供を打ち切った。この措置によって生活困窮となり、精神的に追い詰められる避難者が続出し、自ら命を絶ってしまう人がいた。さらに福島県は2019年3月で2万円の民間賃貸家賃補助を打ち切り、避難先の国家公務員住宅から追い出そうとしている。加えて住宅無償提供を、避難指示解除区域の2389世帯には2019年3月に、浪江町・富岡町・飯館村・葛尾村の帰還困難区域の3298世帯には2020年3月に打ち切ろうとしている。生活の根幹である住まいが奪われることは、命に関わることである。
こうした状況の中、10月24日参議院議員会館で「原発避難者の住宅と人権保障を求める共同行動」の呼びかけと記者会見が行われ、その後、原発事故避難者の住宅問題について、避難者・支援者と政府・福島県の間で話し合いが行われた。共同行動の要求として、8項目が挙げられた。
●緊急要求
1.区域外をはじめとする全ての避難者の生活実態調査と包括的な支援策の実施
2.浪江町、富岡町、飯舘村、葛尾村の帰還困難区域の応急仮設住宅の無償提供継続
3.南相馬市、浪江町、川俣町、葛尾村、飯舘村の避難指示解除区域の応急仮設住宅の無償 提供継続
4.避難指示区域外避難者に対する応急仮設住宅打ち切り撤回と無償提供の継続・再開及び、
5.国家公務員住宅等に居住する区域外避難者の公営住宅への入居確保、及び安定した住いが確保されるまでの入居継続
6.区域外避難者2,000世帯への民間賃貸住宅家賃補助の継続
7.避難者に対する立ち退き訴訟や調停の国・福島県の責任による解決
8.「子ども・被災者支援法」に基づく支援対象避難者の公営住宅入居の優先・特例措置の継続及び同法の支援対象地域の維持
政府・福島県との話し合いでは、住宅支援を打ち切り「個別に相談対応していく」と回答する福島県に対して疑問の声が上がる。「引っ越し費用がありませんという相談を受けて問題が解決しただろうか?社会福祉協議会の貸付金の紹介をされたとしてそれで対応できるのだろうか?貸付金を借りるにはハードルが高い。お金がない場合は住まいを失うことになる。相談だけでは対応できない。経済的な支援が必要だ。」
避難者が怒りと悲しみを帯びて質問する。「なぜ私たちは避難し続けるのか理由をこたえてください。」 しかし政府はここでも、「個別の問題がある」とだけ答える。さらに避難者は続けて、「なぜ避難しているのか認識を聞きたい」と質問するが、政府も福島県も誰も答えようとしない。浪江町から避難している別の避難者は「放射能汚染しているのに子どもを連れて帰れるのか?家を解体しなければならない人が帰れるのか?しかもイチエフの二号機はまだ放射能を出している。子ども・被災者支援法で支援しなければならないのでないか?」これに対して政府は答える。「線量不安、戻りたくても戻れないという声は承知している。帰還のための生活環境整備に努めている。」
このやりとりから見えてくるのは、放射能被害の実態を直視せず、避難者のリアルな生活を把握しないまま、ただ闇雲に帰還政策を推し進める政府と福島県に対する避難者の怒りと悲しみだ。2万円の家賃補助を打ち切って本当に大丈夫なのだろうか?家賃補助は、収入制限があり生活が楽ではない人に適用されている。だからこそていねいに対応してほしい。そのためにも避難者の生活実態調査を実施してほしい。しかし政府と福島県は動かない。住宅支援を打ち切ることを決めて「個別に問題を把握していく」のでは命に関わってしまう。現在、個別に問題を把握できていないのだから、住宅支援を打ち切ってはいけないのだ。これ以上避難者を追い詰めるようなことは許されない。命を守りたい。会場に集まった避難者と支援者の思いを活かしていきたい。
(2018-10-27 森ひでお)
2011年3月11日東日本大震災と福島第一原発事故から7年7か月が経過し、長期の避難生活によって生活や健康の問題を抱えた人が増えている。福島県は地震と津波による死者数よりも、震災関連死(避難を余儀なくされたことによるストレスなどが原因となる間接的な死)とされる死者数が多い。また宮城県、岩手県と比べて福島県は突出して多い。(2017年9月復興庁発表震災関連死者数、福島県2202人、宮城県926人、岩手県464人。)これは原発事故避難の過酷さを物語っている。
放射能汚染による健康被害を軽減しようとすること。まちとしての機能が低下して生活が困難であること。農林水産漁業や商売その他の生業ができなくなったこと。すでに避難先で学校や職場、地域社会での生活を始めていること。元の家が住める状態ではないことなど、避難している人の中には複合的な理由によって、帰るに帰れない状況にある人がたくさんいる。
しかし政府と福島県は2017年3月、避難指示区域外の避難者1万2539世帯に対する住宅無償提供を打ち切った。この措置によって生活困窮となり、精神的に追い詰められる避難者が続出し、自ら命を絶ってしまう人がいた。さらに福島県は2019年3月で2万円の民間賃貸家賃補助を打ち切り、避難先の国家公務員住宅から追い出そうとしている。加えて住宅無償提供を、避難指示解除区域の2389世帯には2019年3月に、浪江町・富岡町・飯館村・葛尾村の帰還困難区域の3298世帯には2020年3月に打ち切ろうとしている。生活の根幹である住まいが奪われることは、命に関わることである。
こうした状況の中、10月24日参議院議員会館で「原発避難者の住宅と人権保障を求める共同行動」の呼びかけと記者会見が行われ、その後、原発事故避難者の住宅問題について、避難者・支援者と政府・福島県の間で話し合いが行われた。共同行動の要求として、8項目が挙げられた。
●緊急要求
1.区域外をはじめとする全ての避難者の生活実態調査と包括的な支援策の実施
2.浪江町、富岡町、飯舘村、葛尾村の帰還困難区域の応急仮設住宅の無償提供継続
3.南相馬市、浪江町、川俣町、葛尾村、飯舘村の避難指示解除区域の応急仮設住宅の無償 提供継続
4.避難指示区域外避難者に対する応急仮設住宅打ち切り撤回と無償提供の継続・再開及び、
5.国家公務員住宅等に居住する区域外避難者の公営住宅への入居確保、及び安定した住いが確保されるまでの入居継続
6.区域外避難者2,000世帯への民間賃貸住宅家賃補助の継続
7.避難者に対する立ち退き訴訟や調停の国・福島県の責任による解決
8.「子ども・被災者支援法」に基づく支援対象避難者の公営住宅入居の優先・特例措置の継続及び同法の支援対象地域の維持
政府・福島県との話し合いでは、住宅支援を打ち切り「個別に相談対応していく」と回答する福島県に対して疑問の声が上がる。「引っ越し費用がありませんという相談を受けて問題が解決しただろうか?社会福祉協議会の貸付金の紹介をされたとしてそれで対応できるのだろうか?貸付金を借りるにはハードルが高い。お金がない場合は住まいを失うことになる。相談だけでは対応できない。経済的な支援が必要だ。」
避難者が怒りと悲しみを帯びて質問する。「なぜ私たちは避難し続けるのか理由をこたえてください。」 しかし政府はここでも、「個別の問題がある」とだけ答える。さらに避難者は続けて、「なぜ避難しているのか認識を聞きたい」と質問するが、政府も福島県も誰も答えようとしない。浪江町から避難している別の避難者は「放射能汚染しているのに子どもを連れて帰れるのか?家を解体しなければならない人が帰れるのか?しかもイチエフの二号機はまだ放射能を出している。子ども・被災者支援法で支援しなければならないのでないか?」これに対して政府は答える。「線量不安、戻りたくても戻れないという声は承知している。帰還のための生活環境整備に努めている。」
このやりとりから見えてくるのは、放射能被害の実態を直視せず、避難者のリアルな生活を把握しないまま、ただ闇雲に帰還政策を推し進める政府と福島県に対する避難者の怒りと悲しみだ。2万円の家賃補助を打ち切って本当に大丈夫なのだろうか?家賃補助は、収入制限があり生活が楽ではない人に適用されている。だからこそていねいに対応してほしい。そのためにも避難者の生活実態調査を実施してほしい。しかし政府と福島県は動かない。住宅支援を打ち切ることを決めて「個別に問題を把握していく」のでは命に関わってしまう。現在、個別に問題を把握できていないのだから、住宅支援を打ち切ってはいけないのだ。これ以上避難者を追い詰めるようなことは許されない。命を守りたい。会場に集まった避難者と支援者の思いを活かしていきたい。
(2018-10-27 森ひでお)