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新国立競技場について

日記
08 /19 2014
(管理人より) 2020年の東京オリンピック開催にむけて現在の国立競技場を解体し、新しい国立競技場を建設する計画が進められていますが、この計画や新競技場のデザインには、すでに多くの問題(神宮外苑周辺の景観破壊、巨額の建設予算など)が指摘されています。著名な建築家の槙文彦氏をはじめとして、多くの良識ある建築家たちが計画に反対し、「伝統ある神宮外苑の景観を守ろう」と運動を続けています。今回は、この問題に詳しい「仙人」さんから、専門の建築家の立場からの投稿をいただきましたので、ご紹介します。(「仙人」さんは現役の建築家です。)



 1964年に代々木の体育館が完成した時、私は中学1年生でした。竣工直後にさっそく見学に行き、その存在感に圧倒されて絵葉書を買って帰りました。私が建築家という職業を選択することになった理由のひとつは、間違いなくこの時の衝撃です。
 代々木の体育館は東京オリンピックに向けて丹下健三の設計で建設されましたが、芦原義信設計の駒沢競技場も、また亀倉雄策というグラフィックデザイナーの手による東京オリンピックのポスターや、市川崑監督による映画『東京オリンピック』なども世界から高い評価を受けました。
 東京オリンピックは、戦後の焼け野原から立ち上がった日本人が経済的に復活を果たしたことを世界に示した一大イベントだったとよく言われますが、経済だけではなく、文化芸術分野でも日本が世界に引けを取らないことを示した大会でもありました。
 オリンピックの6年後の1970年には大阪で万国博覧会が開催され、ここでも日本の建築家たちは大活躍をして、世界の注目を集めました。
 大阪万博の時浪人生だった私は、その翌年建築科に進み、その後建築に関わる様々な人たちと触れ合ってきましたが、その中で知り合った多くの外国人は20世紀後半の世界の建築物の最高傑作に代々木の体育館をあげます。
 20世紀後半は、「構造や機能が合理的な形(例えば流線型など)は美しい」という神話のような確信があり、構造とデザインを一体で考えた丹下健三は建築分野でのその神話の代弁者と評価され、その彼の最高傑作で構造とデザインが見事に調和した作品が代々木の体育館である、というのが高い評価の理由です。
 いずれにせよ、日本の文化芸術は東京オリンピックをきっかけに世界に引けを取らないどころか、建築の世界では世界の中心になりました。その後も世界で一番厳しい耐震基準(デザインの可能性は制限されるが)などもあり、日本建築は世界をリードし続けてきました。
 そんな中で今回、賛否両論がある中、とにかく東京でオリンピックが開催されることになりました。
 50年前と同じように、若手も含めた日本の建築家にとって、新しい発想や技術を世界に問うチャンスが訪れたのです。そしてそのチャンスに最高の結果で答えることのできる人材が日本には溢れています。
 それなのになぜ、新国立競技場の設計に、あえて海外の建築家を使う必要があるのでしょう。
 私は個人的に、世界を感動させる名建築が日本に出現するのなら、設計する建築家は日本人に限る必要はないと思っています。しかし日本を訪れることもなしに、神宮外苑の環境を全く無視した、乱暴極まりない設計を見せられると、涙が出そうになってしまいます。
 設計したザハ・ハディドはイラク出身の女性建築家で、なるほどイラクのバグダッド近郊の赤茶けた砂漠の中にこの建物が建つのなら納得できます。一方逆に、ジャングルの中に忽然と建設されても違和感は持ちません。つまりどこに建てられてもびくともしない強烈な自己主張を背景とした存在感があるのです。
 日本の風景で最も醜く見える形態が、この種の自己主張です。日本にはこの建物とは正反対の、風景に溶け込む、控えめな奥ゆかしさを感じさせる建物こそが似合います。
 例えば逆に銀閣寺を砂漠の真ん中やジャングルに置いてみても、その美しさを感じることができないことでしょう。
 繰り返しになりますが、私は海外の建築家が日本で仕事をすること自体、悪いことだとは思っていません。フランクロイドライトの手による『旧帝国ホテル』や目白の『自由学園』、ル・コルビジェの『西洋美術館』、レイモンドの『群馬音楽センター』など、日本の風景に溶け込んだ名建築もたくさんあります。
 しかし、都民だけではなく、日本中の人々が親しんできた、緑豊かで文化の香りもする神宮外苑を根こそぎ壊して作りかえるような計画に納得できるはずがありません。
 日本のほんの片隅で建築文化の一翼を担う者として、ゼロから計画を見直すことを切に切に願っています。

 余談ですが、桝添都知事がオリンピック施設の全面的見直しもあり得るというコメントを出しました。
 桝添都知事もたまにはいいことも言うじゃないか、と思った人もいると思いますが、そう思った人は完全に勘違いしているように思えます。
 彼がコメントを出した理由は、オリンピック競技場の建設に関する決定権、別の言い方をしますと許認可権、さらに言い換えれば既得権益を東京都も持っているというアピールのためだけだと思います。
 よって東京都知事の既得権益を印象付けることに成功すれば、最も利権が大きいと思われるザハ・ハディド案にあっさりと乗るでしょう。
 彼には芸術性も文化も関係ありません。

 もう一つ余談です。
 槙文彦と同じように私が尊敬する伊東豊雄という建築家が、現在の国立競技場の増改築を提案しています。
 オリンピックの長い歴史の中で、同一の聖火台に2度聖火がともったことは一度もないそうです。
 物を大切にする日本人の文化に、22世紀に向けて世界が成し遂げなければならない課題を考えたとき、この増改築案(設計そのものは見ていませんが)がベストだと思います。
 あたりまえの話ですが、現在の国立競技場の解体工事が始まってしまうとこの案は実現不可能になってしまいます。ここ数週間が勝負です。

(2014-8-19 by 仙人)



(管理人からの補足) この問題については、以下の団体が反対運動、署名活動を行っています。是非、賛同のネット署名をお願いします。

http://2020-tokyo.sakura.ne.jp/

都市に棲むカワセミ

日記
08 /03 2014
 一瞬だった。
 川に飛び込み獲物をくわえ護岸に戻り、跳ねる魚を飲み込んだ。そう、滅多にない光景、飛ぶ宝石といわれるカワセミの行動を目の当たりにした。

 気付いたのは4年ほど前、川沿いに歩きながら何気に眺めていると、護岸から川面をじっと見ている小さな鳥、図鑑で見たカワセミに似ている、そっと、近づき確かめると「やっぱり」そうだ。ちょっと、うれしくて、みんなに話したいのを抑えた。人がカワセミ見たさに領域を侵し、やって来なくなるのを心配した。瑠璃色の羽、オレンジ色の腹が美しく、その姿に魅了されるのは無理からぬこと。川面すれすれに飛ぶのを誰もが観たいという心情を、理解はする。

 ここ藤沢は、市の鳥にカワセミを指定している。
 我が家は下流域、かって清流に住むといわれたカワセミが生きる術を身につけ、街中でたくましく生き延びていることに驚嘆する。聖地の清流を奪ったのは人なのだから、共存の道を用意しよう。藤沢の街中を流れる境川は、鉄柵とコンクリート護岸、ぎりぎりまで住宅がひしめいている。洪水対策なのだが、何とも味気ない風景。そんな環境にいるカワセミの存在は新鮮、感動も二倍となる。我が家の裏手は、高台に団地、取り囲む急傾斜面に雑木林が帯状に続き、うぐいすが鳴くなど、ほんの少し自然環境が残り、カワセミにとって安心の居場所かも知れない。

 以来、注意深く、川の周辺を見回すようになった。
 時折、望遠のカメラを持った男性に出くわす。もしかしたらカワセミを追っているのではと想像したが、言葉を交わすことはしなかった。
 社会新報配布の合間、観察し始めて、間近にカワセミの捕食ポイントとおぼしき処を2カ所見つけた。いつもせわしなく活動に明け暮れる私へ「神さまのプレゼントかな」と密かに喜んだ。じっくりと観察する時間を持てず、その中で、二度も捕食の瞬間に出くわしたのは、幸運だ。
 カワセミをもっとよく観ようと通販で双眼鏡まで買ったが、やはり安いのは拡大幅が小さく役に立たず、素早く飛ぶ姿を追うのは至難の業、ドジを踏んだ。

 実は、カワセミ観察、密かな楽しみが遠のいている。
 梅雨時の大雨が影響し、川の流れが変化、カワセミの捕食ポイントに砂利が堆積、餌捕りが出来なくなった。
 今頃、カワセミは適切な捕食ポイント探しで大忙しなのだろうか。

 私は、この夏、カワセミが元気に飛ぶ姿を探す日々が続く。

かわせみ

(2014-8-3 by 湘南のおてもやん 木村えい子)