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なぜ日米開戦を回避できなかったのか?

2013年09月24日 18:22

緒戦のドイツの大勝利に惑わされた日本

  明らかに国力では劣り、まともに戦っては勝てるはずが無い事が分かっていて、何故開戦に踏み切ったのか。最終的には、米国はハルノートで満州事変以前の状態に戻す事を求め、これではアメリカが日本に戦線布告をしてきたのと変わらないと受け取った。しかしこれはあくまで交渉が終盤にまで行ってしまったための結果で、もし日本が中国に侵攻せず、たとえ中国には侵攻していても、仏印に侵攻せず早くアメリカと妥協できなかったのか。刻々変わる世界情勢、特にヨーロッパにおけるドイツの圧倒的な戦況状態の時、有利な条件で妥協は出来なかっただろうか? 冷静さを欠きドイツにぞっこんの首脳にそんなことできる訳も無いが。又は、ドイツ劣勢になるのを早く察知し多大の犠牲を払ってでも妥協できたら、戦争には至らなかったであろうが,そんな事は可能であったか?

  なにしろ日本を戦争に駆り立てた大きな要素は「ドイツ軍の電撃作戦による、圧倒的な勝利により、ヒットラーのバスに乗って勝ち戦に乗じよう」という雰囲気が強く、更にオランダやフランスが屈服した今、主人のいなくなった蘭印やドイツの攻撃に手一杯のイギリスのいないインド、シンガポールなどを侵攻しようとの考えがあった。ドイツ軍はこの勢いに乗ってイギリスをいずれ打ち負かすだろうと楽観していた。ヒットラーは転進して、ソ連を攻めたが、これも当初は破竹の勢いで、ソ連陥落も時間の問題だと見ていた。
 そうなればアメリカは戦意を失うであろうと希望的観測をしていた。しかし思惑通りには進まず、イギリスは屈服せず、ソ連侵攻は逆にヒットラーの致命傷ともなった。

頼みのドイツ軍が敗戦するなんてことは予想だに出来なかった。日米開戦に至るまでにすでに、ドイツ軍凋落の影はすでに見えていたのに見ようともしなかった。ドイツ敗退の大きなサインは主に2つの戦いで見えていた。一つはヨーロッパの制空権を賭けての戦い、Battle of Britain(昭和15年7月−10月) と2つ目はソ連侵攻でのモスクワを巡っての攻防(昭和16年10月—11 )である。

どのような状況下で日本を戦争に駆り立てる大きな要素の日独伊3国同盟が結ばれたのかと、対米参戦に踏み切った経緯と時間経過について調べてみた。

1. ヨーロッパ戦線

a. ドイツと英国の戦いのターニングポイント, Battle of Britain

1940 年(昭和15年)の7月10日から10月30日までにイギリス上空とドーバー海峡でドイツ空軍(Luftwaffe)イギリス空軍(RAF)の間で戦われた航空戦。 ドイツ軍がフランス占領の後、英国は枢軸国が海峡を渡って攻めて来る事を予想した。予想通り、7月の10日に120機のドイツ爆撃機と戦闘機が英国の海峡にいる船を攻撃し、70機がSouth Walesの施設を攻撃した。英国は機数において600-1300機の戦闘機のドイツ軍にかなわなかったけれど、レーダー網を構築しドイツ軍の攻撃を察知できた。そしてSpitfireという優れた戦闘機を開発した。この戦闘機はいくつかの点でドイツ軍のメッサーシュミットBf109EとBf110Cより性能が優れていた。そしてアメリカ製のBrowning machine gunを装備し1500機のLuftwaffeを撃墜した。ドイツ戦闘機の最大の弱点は単機のエンジンで航続距離が短く、長い時間英国領空で戦えないことであった。
 9月7日にはヒットラーはロンドン空襲に踏み切った。最大の決戦は15日に行なわれた。ドイツ空軍の爆撃機の大編隊が海岸線を越えると同時に待ち構えていた英国空軍のスピットファイヤー戦闘機隊が迎え撃った。さらにハリケーン戦闘隊が続いた。ドイツのメッサーシュミット戦闘機も優秀であったが航続距離の関係で英国本土上空での滞空は20分に限られていた。いきおいドルニエ爆撃機は味方戦闘機の援護無しで戦わねばならなかった。こうして、Battle of Britainの最大の戦闘も夕方にはイギリス空軍の圧勝で終わった。かくしてヒットラーの英国侵攻の夢は微塵に砕け散った。昭和15年9月15日のこの情報や英国侵攻を目指してダンケルクに集合していたドイツ軍がそこを引き払ったことも情報として昭和15年の秋には入手できたはずだ。
この英国の圧倒的勝利で、ドイツ軍は制空権を奪う事が出来ず、結局英国本土への進行作戦Operation sea lionを諦めた。破竹の進撃を続けて来たドイツ軍が初めて挫折した戦いで、ヒットラーは英国への侵攻をあきらめ、兵をロシア攻撃へと向ける事を考え始めた。

b. ソ連侵攻の失敗

1939年8月23日に締結したモロトフ=リッベントロップ協定いわゆる独ソ不可侵条約の成立があったにも関わらず、1941年6月22日3時15分(昭和16年)、ドイツ軍は作戦名「バルバロッサ」の下にソ連を奇襲攻撃した。開戦当初は奇襲により各戦線でほぼドイツ軍がソ連赤軍を圧倒し、北方軍集団ではレニングラードを包囲、中央軍集団は開戦1ヶ月でミンスクを占領する快進撃を続けた。8月にはスモレンスクを陥落させた中央軍集団の主力部隊の矛先を南部に向け、南方軍集団を支援することによりウクライナ地方に展開していた数十万のソ連赤軍部隊は壊滅し、キエフ、ハリコフなどが陥落した。この支援により中央軍集団の首都モスクワへの進撃は約1ヵ月遅延した後、1941年9月にモスクワ攻撃に乗り出す。ドイツ軍はクレムリンまであと十数キロのところまで迫ったが、例年より早い冬によって発生した泥濘と降雪が進撃の足を止め、赤軍も猛抵抗したことによりドイツ軍の攻勢は頓挫した。短期決戦を想定していたドイツの目論見は外れ持久戦の様相を呈することになる。電撃戦を続けてきたドイツ軍にとっては初めてのケースであった。補給路が延び切った上、冬季装備の前線部隊への配送が滞ったドイツ軍は各地で進撃の停止を余儀なくされた。
 ソ連側は日本と日ソ中立条約を結び(1941年4月13日)、更にリヒャルト・ゾルゲなど日本の勢力圏で活動する諜報員からもたらされた情報によって、日本軍が参戦する可能性は無いと確信し、10月以降、満州やシベリア地区の精鋭部隊をモスクワ周辺に投入した。
1941年11月7日はモスクワ市が陥落の危機を脱したとアメリカが確認した時である。日本の対米参戦の1ヶ月前。ドイツ軍の損害はすでに投入兵力の35%、100万人におよび、この年だけで戦死者は20万人に達していた。このような状況の情報を何故日本は知らなかったのか?知らないはずはない。ソ連とはまだ中立条約締結中で、モスクワには駐在員もいたはずである。もし日本がドイツがソ連を攻めた時に同時にソ連を攻めていたら、または攻めるふりをしたらどうなっていたであろうか?

そしてドイツ軍の破滅への序章が始まり、坂道を転げ落ちるかの様に転げ落ちて行った。
1942年にはドイツ軍の一時的な反抗もあったが、冬季が訪れた11月には、ソ連軍の反撃により枢軸軍33万人がスターリングラードに包囲されてしまった(スターリングラード攻防戦)。ヒトラーはあくまで空輸を通じて徹底抗戦を命じるが、空軍の威信をかけて行われた補給事業は失敗し、包囲軍の衰弱と、空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングの権威失墜を招いた。
1943年1月後半、スターリングラードで包囲されていた約10万人の枢軸軍は、第6軍司令官パウルス元帥の決断により投降し捕虜となった.
1944年(昭和19年)圧倒的な物量・戦力差とヒトラーの厳命により撤退すら出来ない部隊はもはや機動戦すら出来ず個別に撃破されるという、開戦時と立場が逆転したのではないかというような状況となり、ドイツ中央軍集団は事実上壊滅した。
1945年4月30日。ヒットラー自殺。5月7日にフランスのランスで降伏文書の調印が行われた。

ドイツはいずれも緒戦においては破竹の勢いであったが長期戦になるにつれ、敗北が見えて来た。欧州本土を席巻した緒戦の大勝利の時に日本は三国同盟を結び、対ソ連へ電撃的に攻め込んだ時期に対米戦を決めた。もう少し情勢をみて決断できなかったのか? 
長くなるので、日本側の経緯は次回に廻したい。次回は日本サイドからドイツ情勢をにらみつつ三国同盟や日米開戦を決断した経緯について書く。

氷河期

2013年09月05日 18:42

現在、我々は氷河期に生きている事をご存知であろうか?しかし、氷河期とは裏腹にこの夏の暑さはどういう事だ。

現在、この地球上では人を頂点とする哺乳動物が栄耀栄華を誇っている。しかし、これもいくつもの偶然が重なり、地球の環境変化によって、敵対する生物が死滅し、哺乳動物が偶然生き残ったためだと言える。
地球上で起こった生物進化に大きな影響を与えた地球環境の変化としていくつか挙げられているが代表的な物として、1)火山活動が活発化し酸素濃度が極端に低下。2)巨大隕石の落下による粉塵が太陽光を遮断。3)氷河期による地球の寒冷化 などが挙げられる。

氷河期とは南北両極の氷床、山地の氷河が発達している時期を言う。つまり我々が住んで居る地球は現在氷河期にあり、その中の比較的温暖な間氷期にある。 氷河期の中でも気候は変動する。このため、氷河期であっても長く寒い氷期と比較的温暖な短い間氷期が交互に繰り返される。

現在の氷河期は、4000万年前の南極の氷床の成長により始まり、300万年前から起きた北半球での氷床の発達とともに規模が拡大した。更新世に向かうにつれて更に激しくなり、その頃から氷床の拡大と後退の繰り返しによる4万年と10万年の周期が世界中で見られるようになった。最後の氷期(最終氷期)は約1万年前に終った。

人類が進化してきたここ100万年間は、氷期と間氷期が交互に約10万年の周期で交代し、氷床量の変動は、海水準変動(海面の高低変化)に換算して130mにも及ぶものであった。しかし、このような気候と氷床の大変動の周期と振幅をもたらすメカニズムは謎であった。
阿部彩子東京大大気海洋研究所准教授はこの謎を解き、8月8日付けのNatureに発表した。 過去100万年の間、氷河期が約10万年の周期で繰り返しているのは、陸地を覆う氷(氷床)の重さで下の地盤がゆっくり上下するために起こる。 氷床が大きくなると、下の地盤は重みによって数千年遅れて沈み始める。融解した後には隆起する性質があり、上下動は約千メートルにも達する。地盤が沈めば、氷床表面の高度が気温の温かい位置に下がって解けやすくなるなど、上下動は氷床の形成に影響を及ぼす。彼女のグループは、こうした効果や日照量の変化、二酸化炭素(CO2)による温室効果を盛り込んだ計算モデルを作り、北半球の氷床の分布を過去40万年にわたって再現。氷床の重さに応じた地盤の上下が、10万年周期の大きな原因となっていることが分かった。
このような比較的穏やかな氷河期に比べ、地球上で起こった主な非常に過酷な氷河期には原生代初期(24−21億年前)のヒュウロニアン氷期、原生代末期(7.5億年前)のスターテイアン氷期、6.4億年前のマリノア氷期や更に古生代の4.6-4.3億年前のアンデスーサハラ氷期や3.6-2.6億年前のカルー氷期がある。

現在の氷河期とは比べ物にならない苛烈な原生代に起こった氷河期は、過去10億年のなかでおそらくもっとも厳しいものであり、氷が赤道まで覆いつくしスノーボールアース(全地球凍結)を作り出した。スノーボールアースとは、地球全体が赤道付近も含め完全に氷床や海氷に覆われた状態である。通常の氷河期とはスケールも発生メカニズムも違う。 スノーボールアースの状態は数千万年間続き、この間 地球は約 3000m の氷床で覆われた。地球全体の平均気温は-50°C、赤道部でも平均気温は-20°Cになった。海流は気温の変化を緩和するが、この間は海流がないので昼夜の寒暖差も激しい。全水分が凍結して、気候はカラカラに乾燥していた。雨雪も降らない。 しかし、微量の水分が氷から昇華して空気中に戻る。この水分が他所で再度凍結する循環であった。
スノーボールアースの考えは1992年にカリフォルニア工科大学のジョー・カーシュヴィンク教授がアイデアとして専門誌に発表したのが発端である。その後1998年にハーバード大学のポール・ホフマン教授が南アフリカのナミビアでのキャップカーボネイト調査結果などをまとめて科学雑誌サイエンスに投稿し大きな反響を得た。「全球凍結」という壮絶な環境変動が実際に起こったらしいこと、それが原因となって原生生物の大量絶滅(大絶滅)とそれに続く跳躍的な生物進化をもたらしたとされる。たとえば酸素呼吸をする生物の誕生や、エディアカラ生物群と呼ばれる多細胞生物の出現などがスノーボールアース・イベントと密接に関わっていると考えられている。凍結から脱する要素として火山活動に由来する二酸化炭素などの温室効果ガスの蓄積が挙げられる。また、生命についても凍結しなかった深海底や火山周辺の地熱地帯では一定の温度が保たれる場所で生きながらえてきたと考えられている。この氷河期の終結が引続き起きたカンブリア爆発の原因になったと言われているが、この説はまだ新しく現在も論争の的である。古生代に起こったカルー氷期ではスノウボールアース程にはならなかったが、歴史上最大の絶滅、生物種の96%の死滅が起こった。

なぜ「氷河期」が起こるのか。般的な総意としては、大気組成(特に二酸化炭素の減少)と、「ミランコビッチ・サイクル」として知られる、太陽を回る地球の軌道要素(おそらく銀河系を回る太陽系の軌道も関係する)、大陸の配置の組み合わせ、の3つの要素が組み合わされたものがその原因とされている
「大気組成の変化」は特に最初の氷河期について重要な原因とされている。スノーボールアース仮説では原生代後期の大規模な氷河時代の始まりと終りは、大気中の二酸化炭素濃度の急激な減少と、急激な上昇が原因であるとされている
北極圏と南極圏に大陸がどれだけ配置されているかも、氷河期が起こる際に重要であることがわかってきた。特に、新生代氷河期が始まった原因は大陸の配置の変化によるところが大きいとされる。

地球軌道要素は長期にわたる氷河期では大きな原因とはならないが、現在の氷河期の中で交互に起こっている凍結と溶解の繰り返しのパターンを支配しているように見える。

長い地球の歴史において、何億年何十億年という単位での環境の変化,特に炭酸ガス濃度の増減による、気温変化が生物の生死を分け、大量の生物種の絶滅を引き起こし、生物の進化に大きな影響を与えて来た。しかし、現在では自然が起こしてきた環境の変化を人間が引き起こしている。自然では考えられない短期間で炭酸ガス輩出を増加させ、地球を温暖化に向わせ、環境破壊によって多くの生物種の絶滅を引き起こす。人の欲望が長い進化を遂げて来た生物種を滅ぼしている。


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