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研究費を取るには

2012年05月22日 18:02

研究費のあり方

研究者にとっての最大の関心事(問題)は論文作成、ポスト取得と研究費獲得で、この3つが一番頭を悩ませる事でもある。もしこれらがなければ研究程気楽な商売はなく、天国状態ということになるのであろうが、この3つのハードルが高く、完全に地獄状態。いいジャーナルへの論文の採択は限りなく低く、アカデミックポストを巡っての競争率は10倍以上がざらで随分と混み合った地獄だ。研究費(科研費)においても、平均の採択率が20%程度でものによっては10%以下。
そんな情勢であるが研究費の新しいあり方の提案がJCS(125, 165-167, 2012)にa little ideaとして載ったのでかいつまんで紹介する。

 みんなグラント(科研費)申請では苦労している。グラントを書くにはとてつもない時間が費やされ、非常な努力を強いられる。まず何を書くかに思いを巡らし、大体のアウトラインを画き、研究室の皆と相談をし、下書きを書き、皆の意見を聞き、思いをさらに巡らす。締め切りが近づきそしてもはやこれ以上伸ばすことができなくなって、絶望の淵をさまよいながら、書類書きに取りかかる。最初の原稿を書くのにともかく長い時間かかる。いろんな考えが浮かんでくる。少し寝て、起きてやっと書き上げる。とにかく、長い道のりだ。
書き上げて、更に推敲して、思いを込めて提出する。その後は、ほとんどその事は忘れている。というのは、あまりいい結果を得ることが少ないから。

と書いたが、実際はそうでもない。私が限られたファンドの中からそれなりの額をもらっていることを白状しよう。だから、文句を言う事は出来ない。たとえうまくいかなかったとしても、それも公平に行なわれた結果なのだろうから、グラントが取れなかったとしても、以前通りに仕事をし、今までに考えて来たことを淡々とやっていくことであろう。

 親愛なる読者諸君同様、私もグラントに対してはいっぱい言いたい事がある。ここでは非常にゆっくりとしか進まない、時間のかかるサイエンスについて話しをしたい。

研究テーマを決める場合、まず解決すべき問題を、非常に緊急を要する重要な課題を選び、グループとしてそれをやる事を決定する。そして、仕事を始め、様々な発見をした後、そのブレークスルーを発表する。時には、成果をあげて来た自分達を褒め、更にこの問題について、働き、働き、もっと働く。また少しの進展があり、次には大きな発見に遭遇するのを期待する。その間に、こどもが生まれ、学校に行き、卒業し、働き始め、彼らも家族を持ち、そして彼らの子供が成長する。しかしながら緊急を要する課題は依然解決せず存在している。

サイエンスは難しい。大きな問題を想定する事と実際にそれをおこなう事の間には長い隔たりがある。問題解決が如何に難しく、その解決には莫大な時間がかかることを自覚してはいるけど、事を少しばかりスピーデイーに運ぶ方法を考えてみた。それは過激で全ての人には向かないかもしれないが、考えてみる価値はある。

サイエンスの進歩は遅いだけではない。それは実に金がかかる。特に、生物医学研究は金がかかる。もし生物医学研究室を運営するとして、サラリー、実験器具、塩基配列決定、アレイ、スクリーニング用ライブラリー、多くの実験材料などの費用をまかなわなくてはならない。そしてもし、医学応用を目指すトランスレーショナルな研究をする場合には、更にかかるお金の額が跳ね上がる。研究を進展させるためにはお金が必要だ。

お金(グラント)を得るための、ピアーレビューシステムは我々が作り出す事が出来た、いいシステムである。これを読んでいる諸君の中には他の方法、リーダーの下に一括してお金を集め、仕事に応じて分配して行く、特定研究などで(例えば日本で言えば、脳研究、がん研究やゲノム研究など)必要な財源を集めている者もいるであろう。しかしそのシステムは内部崩壊の危険性を秘めている。多分、ある人はピアーレビューによる方法程には腐敗する事は無いと反論するであろう。しかしBenign dictator model(温和な独裁者モデル)は常に腐敗するものであり、それらの焦点は少々ずれているものである。
今あるpeer review 制度に代わる申請制度を提言しようとは思わない。というのは、それらは注意深く組まれた申請が多くの観点から評価され、優劣に応じてファンドが分配されているからだ。しかしこのプロセスとは異なったやり方があってもいいのではないかと思う。

 私の提案は結果に対するmicro-grant(小額予算)のアイデアに基づくものだ。ある重大な課題を解決するために作られた機関によって明らかにすべき問題が規定される。例えば、治らないような病気(難病)について。まずその治療目標について知識があり情熱がある専門家達が集められる。そしてmicro-grantをもらわないことに同意した人物がそのシステム運営に専念する。完全にオープンなアクセスシステムを作る。そして問題解決にせまる実験結果を募集する。これらの結果は出来上がった論文ではなく、明快な機序や付属する方法であり、何が起こっているかの観察だ。投稿者は実験の詳細や実験方法を提供し、結果が適切かどうかチェックされ、非常に速く発表される。そしてもちろん、個人個人の貢献が認められる。もし同時に他の研究者からの反対の意見や同様の意見が出されたら同様受け付ける。その間、reviewerやeditorのグループは密接な連携をとり、これらの発見を意味のあるものにまとめー論文というものに仕上げる。全ての貢献した研究者はそれの一部を持って、目的達成へのお互いの貢献を主張できる。

しかし、そのような努力に取り組むべきなのであろうか? 結局、もしキャリアーを積み、グラントを得る事を望むなら、我々は自分の成果のため自分自身の仕事を出版しなければならない。だからそこにmicro-grantが受け入れられる余地がある。各々のパズルのone pieceの回答が得られた研究室へは小さな投資がされる。より成果がでそうであればより多くのmicro-grantが受け取れる。このような出来高払いgrantには制限は無く、すでに行なわれた仕事に対して支払われる。

確かに、このlittle ideaの実現には多くの問題がある。我々は貢献度に差をつけ報酬を決めることが出来るのであろうか? 行なわれた仕事へのコストを考慮できるのか?発見の再現性は重要だと認識するにしても、どのようにして再現性のため同じ事を繰り返さなければならないという問題を回避できるのか?多くの問題がある。
しかし前に言ったように、研究費に於ける最も大きな問題はgrant分配の不公平だ。もしこのような事態が生じるのであれば、あまり参加したくない。そして、今まで通りに、誰かが自分のやっている仕事の一部をすでに出版してしまったので、さらに掘り下げていく仕事を始めるであろう。

このような大きな問題を解決するのはあなたしかないとお世辞を言われ、 そんな事はあり得ないだろうが。しかし、すでにこれに似たような事は過去に試みられている。
Open access journalの概念が出始めた時、それは共通認識としてうまく機能しないんではないかと考えられていた。きれいで、体裁のいいページで作られたジャーナルのeditorの一人は絶対にopenに利用できるような論文は作らないだろうとも言っていた。しかし、現在open access journalは実際に存在している。私は読者が積極的に参加して多くの問題点を考え、noというよりも建設的なる代案を出す事を期待している。
ある意味、この案はすでに行なわれている。少なくとも実験的にある興味ある分野で。数学的定理や蛋白質foldingの問題はon-lineの協同的創造力を利用して解かれつつある。

また実際には基礎医学研究が多くの場所で、非常に小額のお金で行なわれているということだ。ある研究室においては小額のgrantは次の実験に進むか否かに大きな意味をもつ。大きな裕福な研究室はこのような努力に貢献する事は望まないかも知れない。しかし多くの小さな研究室が自分たちの仕事をそのような組織に参加して行なうのは可能だと思う。

国民は少なくとも基礎医学研究のslow paceにいらだっている。Micro-grantが唯一の答えではないであろうが、もしsmall scaleでこのやり方を試せば、多分、うまく働くと信じる。

現在、論文の出版までに膨大なデータが必要で、多くの人手と時間がかかるようになって、その結果、まとまった論文がなかなか出ない。すると当然研究費も取れず、そのためポストも得られない、という事態になっている。小さな研究室は生き残りが大変な時代だ。ましてや個人ではなおさらだ。小さな研究室が生き残れ、scienceに貢献できるようにするシステムとして、著者が言っているように同じ分野の研究者が研究データを持ち寄って、一つの論文にまとめて、貢献度に応じて研究費を支給するという後高払いのシステムは考えてみる価値があるのかもしれない。アメリカと日本では少々事情が違うかもしれないが。

ヤモリを模倣しスパイダーマンを作る?

2012年05月08日 18:27

 ヤモリに学ぶ

 前にも生物模倣というブログを書いたが最近の日経新聞に生物の持つ機能を模倣した工業製品を作ろうとする生物模倣技術(Biomimetics)研究が日本で盛り上がっているとの記事(日経ものづくり編集委員 木崎健太郎)が載っていた。
その一つにヤモリが壁や天井を歩いても落ちない仕組みを利用した接着テープ「ヤモリテープ」が日東電工から実用化しようとしているとの話には驚かされた。

 日東電工が開発したヤモリテープは、直径数ナノ~数十ナノメートルのカーボン・ナノチューブを1平方センチメートル当たり100億本の密度でびっしり並べたもの。せん断方向の接着力に優れ、わずか1平方センチメートル程度の面積のテープで500グラムを保持できる。これはヤモリの接着力の8割強程度だが、実用的な接着テープとしては遜色ない。それでいて、めくれば簡単に剥離できる。従来の粘着テープのように粘着剤が残ることはなく、テープ自体も繰り返し利用できる。

 ヤモリの接着の仕組みが解明された最初の論文は、ケラーオータムらにより2000年6月のNature に掲載された。(Adhesive force of a single gechko foot hair. Nature 8 681-684, 2000)。電子顕微鏡でヤモリの指先を観察したところ、足の裏に細かな毛が1平方メートル当たり10万~100万本の密度で密生しており、さらに先端が100~1000本程度に分岐した構造を持つことが分かった。この細かな毛の1本1本が、対象物に極めて近い距離まで接近するため、ファンデルワールス力と呼ばれる分子間のある種の引力が生じ、ヤモリは壁に吸い付くことができるのだそうだ。

ファンデルワールス力(Van der Waals force)とは、電荷を持たない中性の原子、分子間などで主となって働く凝集力の総称でそのポテンシャルエネルギーは距離の6乗に反比例する。すなわち力の到達距離は短く且つ非常に弱い。この凝集力によって分子間に形成される結合を、ファンデルワールス結合と言う。
気体が冷却されて液体や固体になるのは、分子間力が存在するためである。水滴がガラスに付いたり接着剤がものをくっつけたりするときの力も分子間力である。

このファンデルワールス力とはまさに分子レベルの結合、たとえば雪の結晶の生成などに寄与する力であり、つまりヤモリはまさに、分子レベルで壁やガラスに吸着する驚異の能力を持った生物であると言える。ヤモリが生物の究極の機能をもって接着するとしたら、摩擦係数の非常に弱いテフロンにも接着できるのかという疑問が生じる。世の中広いもの、すでにその疑問に対しての実験をされた人がいた。
その論文のタイトルは「ヤモリはフッ素樹脂加工のフライパン上で滑るか」というもので(東京学芸大付属高校 川角 博先生)よってなされた。

やもりが垂直なガラス面や天井を逆さに歩ける仕組みとして、吸盤やわずかなでこぼこの利用が考えられて来たが2000年6月のNatureの論文を境にして、ヤモリが壁にくっつく仕組みはファンデルワールス力という分子間力によることが解明されたのはすでに述べた。前にも書いたがヤモリの足首には50万本もの毛が生えており、これがさらに100-1000本に枝分かれをし、その先に直径200nm程のスパチュラ構造がある。このスパチュラは、指がくっつく壁の接触面に分子レベルでの接触が出来、これにより分子間力が働く。1本1本の分子間力は弱いが一匹が接触面を10億個も持っており、壁にくっついて体重を支えるには全体の0.04%の接触で十分だと言われる。これは先に書いた通りである。では実験の結果はどうなったか?

ヤモリはガラス板、プラスチック版や紙の上を逆さまに歩けたが、テフロンの場合はすべって歩けなかった。テフロンは摩擦係数が氷よりも更に小さい。つまり分子間力が非常に小さい。そのためテフロン上を逆面にヤモリは歩くことは出来なかった。しかし斜めにしたテフロン板上では滑りながらも歩くことが出来た。テフロンにはヤモリもかなわなかったことになる。

日経の記事によれば2000年の論文に触発された日東電工は、当時の研究の最先端を走っていた米カリフォルニア大学バークレー校に前野氏を派遣。同校で先端部の細い毛が密集した構造をポリイミド繊維で再現してみたところ、繊維同士がファンデルワールス力で凝集してしまい、接着機能が発現しなかったという。ヤモリの足先の毛が先端部だけが細かく分かれているのは、凝集を防ぐという意味があった。

 前野氏らは、先端だけを分岐させる代わりに、高剛性の材料を使うことで凝集を防げると考え、カーボン・ナノチューブを毛のように並べたテープを開発した。カーボン・ナノチューブは直径が極めて小さく、非常に細長くできて剛性は高い。微細加工を施した基板上で生成条件を制御すると、一方向にそろって成長する。これを溶融状態のポリプロピレン基板に埋め込むことでテープ状とした。こうして、これまでとは全く異なる接着機構のテープが生まれた。貼り付け面積が極わずかで、体重100キロの人が垂直表面を登るのを支えられるという驚異の接着力。しかも張り付けたりはがしたりが簡単で、1000回以上着脱可能。さらに技術が進めば、人間が壁を自在に歩くためのスーツ・・・ 要するにスパイダーマンのスーツも充分に実現可能なのだそうだ。

 壁や天井などを自由に歩き回るヤモリの足は、世界の接着関係の技術者が競って研究開発を進めてきた対象だそうだ。物質・材料研究機構(NIMS)環境・エネルギー材料部門ハイブリッド材料ユニットインターコネクト・デザイングループリーダーの細田奈麻絵氏が調べたところでは、ヤモリの接着メカニズムの関連論文は05年から07年にかけて急増した。 基本原理が発見・解明されてから5~7年すると、それを工学的に応用する研究が大きく進む。これはヤモリに限らず、「ハスの葉の撥水(はっすい)効果」「モルフォ蝶の構造発色」といったテーマでも同様であるという。

 しかも、生物の微細構造を応用する材料系の論文が多かった。材料は、液晶用光学フィルムで日東電工が世界1位のシェアを持つなど、日本企業が強い分野。自然は人間がコントロールすべきという西洋的な発想よりも、人間は自然の一部であるとする東洋的な自然観の方が、生物模倣技術との親和性が高いと考えているからだ。
 日本企業ではシャープが、08年から生物の形状を部分的にまねて効率や性能を高めた製品、例えば「猫の舌にヒントを得たサイクロン掃除機」「海を渡る蝶にヒントを得た扇風機」などで生物模倣技術の活用を加速させているそうである。積水化学工業も木陰を模した屋外施設用日よけ材「エアリーシェード」を発売している。
 海外でも、生物模倣技術への関心は高まりつつある。中でもドイツは研究者も多く、11年にはドイツ政府の後押しで生物模倣技術の国際見本市が開かれたほどだ。生物模倣技術の概念や定義を明確化しようと、国際標準化に向けた活動を主導している。米国でも10年にサンディエゴ動物園からの委託で生物模倣技術の将来の経済効果についてレポートが報告され、25年に年間3000億米ドルの国内総生産、160万人の雇用創出があると予測されている。

 20世紀中に物理や化学の基礎研究において大きな発見が一段落し、現在は基礎理論による大きなブレークスルーは得られにくくなっているといわれる。

生物学は化学とか工学と違って新しいものを作り出すのではなく、すでに存在する生物の構造や機能を学習、解明して、医学や人間社会に応用しようとする学問だ。つまり自然から学び、その原理を明らかにするとかその結果を応用しようとする学問である。今や物理、化学の基本原理に基づいて新たな物を作ろうとする工学にはその限界が見えて来た。そのため自然界が40億年という長い試行錯誤の歴史を経て作り上げて来た莫大な種類の生物の持つ奇妙な造形の機能や原理を工学に応用しようとする学問が盛んになり、生物と工学との境目が無くなりつつある。
Biomimeticsは真似ようとする生物さえ見つかれば、実用に至るまでにかかる時間は、従来の開発方法に比べ、遙かに短くてすむそうだ。
これからは生物の持つ特殊技能に学んでそれを模倣して人間社会に役立てようとする産業が隆盛することであろう。





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