2011年09月16日 18:34
「世の中は 何か常なる 飛鳥川 昨日の淵ぞ 今日は瀬になる」は世の無常を現した和歌である。
この世に常なるものは無い。それは理論的には理解してはいるが現実的にはなかなか受け入れられない。朝元気に学校へ出かけた子供達、職場へと出て行った家族が一瞬の津波で消え去り、その遺体さえ見つからない。どこかで生きているのではないかとの希望は永久に断ち切れない。朝にはみんな元気に食卓を囲んだ家族が、夕べにはもういない。朝食の時もう少しましな言葉をかけてやれば良かった、慌てて出て行く子供や妻になにも声をかけてやらなかった悔やみ。こうなる事が分かっていればああすればよかったこうすればよかったとの後悔が次々にうかんでくる。なんで一人だけ生き残ったのだろうと生き残った事に後悔する。一人ポッチになって、それでも生きて行かなければならない。そんな人々のことを放映していた。取り残された人間、どう生きて行けばいいのだろう。結局は今まで生きて来たように生きて行くしかなす術が無い。それでも死ねないのだったら、どうにかして生きて行かなければならない。悲しみを堪えて、全て流されてしまった店を再開し寂しさを紛らわす。今まで通り郵便を配達する。前向きに生きなければ、亡くなった者の分まで生きなければ。前向きに、前向きにと自分に言い聞かせる。
台風襲来で予想しなかった記憶だにない未曾有の大洪水。今まで溢れたことのはの無い川の氾濫、鉄砲水での家屋の流出と破壊、裏山の土砂崩れによる家屋の下敷き。命を失った者、逆に運良く命を取りとめた者、一瞬のうちに生死が決定される。まさに人の運命は儚い。那智勝浦の町長さんに至っては哀しすぎて泣くに泣けない。その日が婚約の予定であった娘さんと奥さんが家共々流され、行方が知れないという。なんという理不尽。なんという無常。
人の世の儚さをうたった名文として真っ先に思い起こされるのは鴨長明の方丈記であろう。
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。 あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず。或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。」
人の世の栄枯、盛衰、変遷、生死と常なるものはない。信長は舞「敦盛」の一節、「人生50年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり、一度生をうけ、滅せぬもののあるべきか」を好んで詠い舞った。
源平の戦いで須磨の浦における一の谷の合戦、平家の若き笛の名手であった武将平敦盛を討った源氏の武将熊谷直実が敦盛の首を落とさんと顔を見ると相手はまだ16歳の童顔の美少年。直実は同じ歳の我が子をこの合戦で失ったばかり。世の無常を感じて出家することになる。
優しい顔が時として獰猛に牙を剥く自然の力に押しつぶされ、なす術が無い。巨大な自然の前の一個の人間の無力さ、偶然に翻弄される命。科学はそのような自然に対して、様々な手を打って戦って来た。高い堤防を造成し、建物を耐震に、ダムを造り、土砂崩れ防止壁を作り、これで大丈夫だと過信していた。原子力の火を自在に操つれると思い込んでいた。しかし想像を超えた自然の脅威には歯が立たなかった。しかし人はそれを乗り越えようと、更に科学を進めて自然に立ち向かう。自然と科学の追いかけっこ。果てしない戦い。
栄枯盛衰は儚い人生の結末ではあるが、ある意味自業自得。しかし天変地異の変動によって左右される人の命の儚さはあらが得るべくもなく、突然理不尽に運命にのしかかる。これぞまさに無常。
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