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終わりに当たって

2017年03月22日 13:42

漸く日中は日差しも暖かく感じられるようになり、春がそこまで来ていることに気付かされる。
歳月人待たず。早いもので神戸に来て10年になろうとしている。最初は5年のつもりで安易にやってきたが、ずるずると長居をしてしまった。
私は10年を大きな区切りと思っている。仕事も立ち上げて6-7年くらいにピークが来る。それ以降は中だるみになりかねなく、10年を過ぎるとくだり坂に突入する。
 「stay hungry stay foolish」を保ち続けるのは至難のこと。いつの間にか変化を好まず、平穏な日常を過ごしたくなる。日常生活では穏やかな日々が続くことが最高の幸せであるが、研究では常に新しい、オリジナルなことを求め続けないと、たちまち衰退して、置いてきぼりを喰らう。
大きな発見をすればするほど、大きな成功を収めれば収めるほど、その落とし穴に陥りやすい。どんな成功例でも長くは続かない。ナポレオン曰く同じ戦略で戦えるのは3度まで、ゼロ戦のような素晴らしい飛行機でも3年も経てば古くなる。成功の山が高いほど、成功の余韻に引きずられ、次に来る谷は深くなる。「成功は失敗の始まり」であることを心しよう。研究も常に新しい事に挑戦し、変化していかないと明日はない。
このブログも10年という賞味期限が過ぎようとしている。最近は瑣末なテーマに流れて、勢いがない。
 新境地を求めてここでひとまず休止としようと思う。
 長い間ご愛読ありがとうございました。

播磨の古寺散策

2017年02月16日 14:44

昔の栄華を残す太山寺

 寒波の襲来の合間を縫って、小春日和の週末、今や訪れる人もいない、山里にひっそりと佇む播州の名刹を訪ねた。
神戸の町並みを外れ、明石に近い西区の山裾に佇む三身山太山寺(たいさんじ)。
本尊は薬師如来と十一面観音で奈良時代、藤原鎌足の発願で、長男・定恵が開山したと伝わる古刹。神戸唯一の国宝の本堂があり、仁王門と三重塔は国の重要文化財となっている。
建武中興(1334)の時は、朝敵鎌倉方を討つため後醍醐天皇の皇子で天台宗座主である大塔宮護良親王(だいとうのみや•もりよししんのう)の令旨を受けて(この時に活躍した赤松円心についてはブログで述べた)、衆徒はめざましい活躍をした。南北朝時代には南朝方として、この地方の一大法城として支院四十一ヶ坊・末寺八ヶ寺・末社六ヶ社を持ち僧兵も養い大いに賑わったが、世の中の変化、戦火によっての興亡・浮沈は著しく栄枯盛衰の言葉のごとく、今や当時の栄華の名残の仏塔を残すのみで、時代に取り残されたようにひっそりと佇む。
  しかし今も伽藍の規模から当時の繁栄が偲ばれる。山門を抜け、正面に国宝の本堂が、左手に阿弥陀堂がすぐ右手に3重の塔が見えて来る。
創建時の建物は1285年(弘安8年)の火災で焼失しており、本堂(写真1)は鎌倉時代(1300年頃)建て直された、密教本堂式と呼ばれる形態(写真2)で、入母屋造、銅板葺きの造りで、国宝に指定されている。堂内には本尊薬師如来像(写真3)が安置されている。
3重の塔(写真4−5)や阿弥陀堂は江戸時代前期に建てられたもので、阿弥陀如来坐像(重文)(写真6)は鎌倉時代の初期の定朝様の造りとなっている。

天高く澄み切った冬の青空の下、人一人としていない、広い境内を歩いていると伽藍から僧侶たちの読経が流れ、多くの参拝者で賑わっていた、往時が偲ばれる。

写真:1太山寺案内、写真2−3本堂(国宝)、写真4:薬師如来像、写真5−6:3重の塔、写真7:阿弥陀如来坐像





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穏やかな秋の夕暮れ

2016年11月22日 12:25

穏やかな秋の日を歩く。

高く澄んだ青い空、純白のうろこ雲。
のどかで、気持ちのいい、秋の夕暮れ。

黄金のジュウタンの敷かれた並木路をしばし歩く。
陽射しも柔らかく、風もさやかに。
黄色に染まった銀杏が、夕日に煌めくさざ波となって葉を揺らす。
一葉が舞い落ちる。

落葉を踏みしめ歩くと、かすかに樹々の声がする。
「すべてこの世はこともなし」
穏やかな秋の夕景の一刻にしばし身を委ねる。

 すると、みるみる空は青から群青色に、たなびく雲も薄墨色に。
色が喪われていく。
ビルの窓に燈が点り、ネオンが輝き初め、「夕暮れの哀れさ」を一瞬にして奪いさる。

いつの間に「春過ぎて夏来にけらし」

2016年05月13日 14:14

日常に流され感動が少なく
 
ここ数週間の季節変わりの速さに体は追いついていけない。桜の花が散ったかと思ったら、ハナミズキや辛夷、木蓮の花が忙しげに咲き、散っていき、今や道路沿いにはツツジが満開で、薔薇もちらほらと咲いて初夏の佇まい。

 山肌を露わにしていた六甲山もいつの間にか新緑の絨毯で覆われ、浅葱色、萌黄色、深い緑へと、遠くから見るとパッチワークのように華やいだ装いで、毎日少しづつその化粧を変えていく様子に、生命の息吹を感じる。

 このところ、日常の生活の忙しさにかまけて山や空をじっくりと見上げることはほとんど無い。毎日道端に咲く花や、六甲山や、山の上にかかる雲や空は見ていても、ただ見ているだけで心に残らない。「心ここにあらざれば視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず」のことわざ通り。心がそこへ集中してなければ、たとえ目線がそこに向かっていても何も見ていないのと同じ。
 集中していなければいくら勉強しても頭に入っていかない。時間ばかりかけても集中していなければ効率が悪い。毎日同じような研究をやって集中や感動に欠けると、惰性に流され、ついつい隠されている大きなことを見落としてしまう。まさに視えても見えずである。

  歳をとると義理とか人情とか人の儚さには涙もろくなるが、何気ない自然には感動を覚えなくなっている。忙しい日常の中で、そこかしこに、ありふれて存在する花や樹や山を見て、生命に思いを馳せ、心を揺さぶられることが少ない。心が日常に慣らされてしまっている。研究も予想できる結果を追い求め、新しいデータを採ることに汲々とする。
 少年の頃は、星々や宇宙の神秘に心を動かされ、火山や地震、台風など自然の脅威に慄き、昆虫の形の不思議さに驚き、深海の未知なる世界に興味深々、と心踊ることがたくさんあった。それが今や、感受性や創造性に乏しく、好奇心も薄れ、感動を覚えることが少ない。
こんなことで研究を続けてもオリジナルでユニークな研究成果はでてこない。ぼちぼち潮時かなと思う。

うららかな春の空に映える木蓮の花

2015年03月27日 16:34

辛夷の花、木蓮の花、泰山木の花

遠くからぼやっと白い固まりに見えていた樹が、次第に近づくにつれ辛夷の花だと気づいた。樹全体が無数の白い花で覆われ、碧空を背景に気品あふれた姿で立っている。辛夷の白い花の街路樹は年に一度この季節のときだけ、何の樹だったかを気づかせる。毎日車で通る道なのに、花が咲くまでは全く気にも留めていない。
こぶし(Magnolia kobus、写真1、2)は木蓮科の花樹の中で、白木蓮よりつぼみも花も小さく、また白木蓮の花がややクリーム色を帯びているのに対して、こぶしの花は純白に近い。赤い花をつける辛夷の木も遠くから見ると壮観であり、桜にも引けを取らない。
 こぶしの開花に前後して、白木蓮(Magnolia liliiflora、写真3)は辛夷よりもさらに大きな上品な白いつぼみを開かせ始める。木蓮は地球上で最古の花木といわれ、恐竜の時代からすでに現在と変らない姿で咲いていたそうだ。
辛夷にも増して気品のある気高さを感じさせる大きな純白の花をつけた大樹が碧空に映えて薫風を漂わせ、うららかな春の日に、ユートピアにいる境地に浸らせてくれる。
 木蓮の大振りな花と葉は太古にふさわしい。大きな恐竜がゆったりと大きな木蓮の木の周りを歩いている姿を想像すると、青い空を背景に、白い大きな花を付けた樹と恐竜がそれほど違和感なく受け入れられる。
 木蓮には、白木蓮のほかに紫木蓮がある。白木蓮は高さ10m以上に成長するが、紫木蓮のほうは普通樹高4、5mぐらいである。赤紫の大きな蕾が開くと薄赤みを帯びた花弁を春の日差しに受けて、青空に輝く。白木蓮にも増して、気高く気品あふれた花である
 時期を遅くして咲く木蓮科の大木に泰山木(Magnolia grandiflora)がある。東洋的な雰囲気を持つ泰山木は実は北米中南部原産。花期は5~7月頃。大きな葉の表面には光沢があり、裏面は毛が密生しており錆び色に見える。日本では公園樹としてよく植栽される。樹高20m以上にもなる。堂々たる大木で気品の高い白い花をつけている様は見る人の心を和ませる。
  高校の図書室の窓の外に堂々たる泰山木の木があって、年に一度大きな白い花を咲かせた。ふと読書で疲れた目を窓の外に転じると大きな清楚な花が目に映り、疲れた目だけではなく心までもリフレッシュされた。その当時、何の花かは知らなかったが圧倒されるような大木なのにつける花のなんと可憐で気高いことだろうと感動したものだった。
こぶし、木蓮、泰山木と木蓮科の花は無数の花が木全体を覆い、遠くからみても、ぼーっと景色の中から浮き上がったように見える。近づくと一つ一つの花びらは大きくかつ清楚な白で、また花が散った後は大きなビロードの葉に覆われ、見ているだけで、平穏と安らぎに包まれる。

画像は画像、季節の花画像300より
画像1白辛夷、2 赤辛夷; 画像3 白木蓮、4紫木蓮; 画像5 泰山木

辛夷画像1

辛夷赤 画像2

白木蓮画像3

紫木蓮画像4

泰山木画像5




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