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大阪都大狂想曲

2015年05月21日 15:54

シルバーパワーに負けた
  
 東京から神戸に移って早や7年たった。未だに関西人のfeelingにはなじめないところがある。
しかしなんと言ってもその思いを大きくしたのは今回の大阪都をめぐる論争だ。大阪のおばちゃんやおじちゃんが口角泡を飛ばして議論し合っていたが、だんだんとお互いに罵り合うだけとなってしまった。議論は結局都に移った場合の自分たちの損得勘定に矮小化されてしまった。
将来の大阪を繁栄させ、魅力ある都市にして、東京に伍するようになんぞという地域繁栄のための布石という意味合いは全く議論されず、2重行政改革などという題目に隠れて、自分たちの補助金が削減される恐れがあるという点が一番重視された。
その結果、わずかな差で都構想反対が勝った。若い人は賛成が多く、年寄には反対が多かった。シルバー民主主義の勝利と言われるゆえんである。子供や若者の未来を明るくなんていう他人事より、バスや地下鉄の無料パスの廃止が行なわれるかもしれないと言う不安が勝った。

 橋本さんは現在の政治家において、カリスマ性のある希有の存在であろう。話は分かり易く、ストレートで、目標を決めてそこへ突進するタイプだが、過激なことを言い過ぎ、言わなくてはいいことを言って、しばしば顰蹙をかい、反対派を増やしてしまった。反対派を浮かび上がらせて潰して行く方針が、反対に反対派を増やしすぎ叩き潰されてしまった。

本人はこれで政界から引退すると言っている。強引で独善的でワンマンな政治家は根本的改革を行なわなければならない時代の切り札としてのワンポイントリリーフがよく、長くやっていると独裁になってしまう。改革は短期間で強引にでも行わないかぎり成功しないものである。
革命家は政治家に向かないとはよく言われるが、あるものをぶち壊す作業と新しいものを作って、現実に即した政治を行う事は相容れない。
 明治維新においてもまずは吉田松陰のような思想家が現れ改革を説いた。続いて高杉晋作や西郷隆盛などが今まであった秩序をぶっ壊した。そして最後に、伊藤博文や大久保利通のような実務家が新たな秩序を構築し明治政府の政治を行った。
 橋本さんは革命家で、人々をアジテートして古い組織をぶっ壊そうとした。しかし現在は民主主義国家、なんといわれようと一票でも多い方が勝ち。年寄りは自身の権利を守るのには熱心だが、市がどうなろうと、日本がどうなろうと無頓着。一方、若者は政治自身に興味無く、日本の将来にも期待していない。もっと若者を目覚めさせないと橋本陣営は勝てなかった。

 年寄りパワーに押されて、お金もないのに補助金を乱発し、年寄り優遇。予算がふんだんにあればそれでいいが、予算はぎりぎり、年寄り向け社会保障か、子供向け、若者向けの将来を見据えた補助かを選ばなければならない切ない時代。
 日本の財政を改善し、日本の将来のためには、少し我慢して子育てや教育への補助を増やして行かないことには日本の将来はない。

 橋本氏の都構想信任への投票行動を見て日本の将来の暗雲を見た。

STAP細胞に踊らされた人々

2014年04月28日 19:13

STAP 騒動

 研究者仲間が出合った時の最大の話題はSTAP細胞騒動であろう。Nature発表と同時に行なわれた、センセーショナルな記者会見は前例にない程の注目を集めた。ピンクに塗られた壁とムーミンのシールが貼られた研究室に割烹着姿の若い女性の研究者、小保方さん。これがSTAP細胞開発の主人公。新しいタイプの研究者としての演出で、颯爽と売り出した。従来の研究者のイメージを一掃し、未知の扉を開いた若きヒロインの登場と誰しも思った。なにしろSTAP細胞は細胞を弱酸性の溶液に浸けるだけという簡単な操作ででき、iPS細胞のように遺伝子を導入するという煩雑さもなく、がん化の恐れも無い、とてつもない用途が待っていると思われた。

 しかし、間もなく、図を差し替えた改竄疑惑や肝心要の図が、本人はうっかりミスだと主張をしているが、博士論文で用いられたのと同じである事が分かってきた。また最も重要な事は、簡単に出来るはずなのに、STAP細胞の再現にだれも成功していない事である。本人はすでに200回以上も樹立に成功しており、「STAP細胞はあります」と記者会見では言っている。色んな細かいノウハウがあって他人には出来ないのだと。しかし論文にした以上、論文に書かれたメソッドで再現がきかなければならない。それがサイエンスと言うものである。
 また論文に大勢の著名人が名前を連ねているが、誰一人として全体を把握出来ていない。責任著者に至っては論文を書くのを手伝っただけで、最後の2ヶ月間だけ携わったので自分には改竄や捏造の責任は無いと言っている。でももしこの論文がうまくいき、ノーベル賞の候補になったら、今度は逆に自分の貢献度の大きさを主張するのであろうか?
 何はともあれ、日本人研究者としてはSTAP細胞が存在することを願いたい。

 この研究のきっかけは小保方さんが早稲田大学の大学院生のときに、東京女子医のY先生の研究室で研究を開始した事に始まる。Y先生は極性を持った上皮細胞が多層化するCell Sheetの研究で著明な研究者で、発想豊かな人物である。小保方さんが行なった、細胞にストレスをかけて細胞を万能化させるというアイデアはY先生が出し、小保方さんが研究をしたというのが事実のようである。最初は細胞をキャピラリーの細い管を通してストレスを与えるということをやっていたが、ハーバードのVacanti教授の研究室に移ってからは弱酸性の液に浸けるという方法に変わった。しかし、今でもVacanti教授はキャピラリーを通して、弱酸に浸けることがSTAP細胞樹立に必要だと言っている。

 実は当研究室に早稲田大学の博士課程でY先生の下でCell Sheetの研究をしていた人物が医学部の学士入学で入ってきた。今は卒業して医師の卵になっているが女子医では小保方さんと同じ研究室の一年先輩にあたる。その人物に対し、論文発表で大騒ぎになっていた頃、「もしY先生の研究室に残って、研究を続けていれば、論文に名前がのって、有名にもなって、あわよくばノーベル賞をもらえたかも知れないのに、それを棒に振って、なんともったいない事」と言っていた。しかし、問題が発覚して、大騒動になった後では、「大学院を辞めてうちに来て、医者になってよかったねえ。そのまま居たら、今頃は騒ぎの渦中に巻き込まれて、研究者生命も危うかったよ」。と180度言い分が変わった。

 人の運命とは分からないものである。個人のおかれた環境で否応無しに事件/出来事に巻き込まれてしまうことがある。特に、いい潮流に乗って大きな豪華客船が進んで行くときは、誰しもその船にのりたがる。一旦、乗ってしまうと、いい事ばかり夢見て、悪いことなんて思いもしない。STAP現象は夢のような、生物学史上に燦然と輝く、画期的な発見であるはずであった。多くの一流の研究者が疑う事もなく、船に乗ってしまった。降って湧いたような幸運の前に、疑ってかかれと言うのが酷なのかもしれない。船が座礁してやっと事態に気づくのが普通の人間であろう。

 もしも自分だって、その船に誘われたら,喜んで乗ってしまったかも知れない。そして催眠状態に陥り、詰めが甘くなっていたであろう。本来なら、論文に名前を載せる以上、厳格にチェックして、責任を全うしなければならないのだけど、大きな名誉や利益がちらつくと、そうあって欲しい。信じたい。研究者のモラルとは。分かっているけど。自分が直接船の操船に関わってないのに、黄金の国に連れてってもらえ、黄金がざくざくいう甘いささやきが聞こえてくる。欲望はリスクを隠してしまう。 人間ってなんと弱い生き物か。
 ただ今は、幻想ではなく黄金の国が本当にあることを祈りたい。

ナンバー2はこうして消される

2013年12月16日 17:37

張成沢氏の粛正

最近の驚きの事件の最たるのは北朝鮮のナンバー2の張成沢氏の粛正。失脚させてどこかに蟄居させるのかと思っていたら、軍事裁判にかけて即刻銃殺刑にしたというから驚き。それも機関銃乱射で身体はバラバラ、その上火炎放射器で跡形無く始末したという。まさに恐怖政治の再たるもの。昨日までは金正恩第一書記の叔父としてナンバー2として権勢をふるっていた。処刑の理由がまたふるっている。「卑劣な手段で国家転覆を計った」「見下げ果てた犬にも劣る人間のくず張はーーー」とまで張を貶めている。なんともいやはや昨日まで持て囃し、天国から一気に地獄へと引き摺り下ろす。このギャップがすごい。一週間で逮捕から、有無を言わさず処刑へと。

ナンバー2の悲哀は歴史的にもよく書かれている。
それは 「飛鳥尽きて良弓蔵われ、狡兎死して走狗烹らる」という故事に尽きる。
「飛ぶ鳥がいなくなれば良い弓は蔵に仕舞われてしまう。狡賢い兎が死んでしまえば、猟犬は煮て食べられてしまう」という中国の古い諺である。言い方を変えれば、「用があれば大事にされるが、用がなくなれば仕舞われたり、食べられたりしてしまう」ということである。弓や犬であれば良いかも知れないが、人間もそうであるとする。


司馬遷は史記の中の「越王句踐世家」で呉越(紀元前585-473)についてのくだりで述べている。越王勾践には范蠡という謀臣がいた。越は呉王夫差により攻め滅ばされ、勾践は命だけは助けてもらっていた。それから20年間じっと我慢の(臥薪)嘗胆を味わいようやく、悲願の呉を攻め滅ぼす事が出来た。呉王夫差は勾践に対して以前にはおまえの命を助けてやったではないかと命乞いをしたが許されず自殺した。
こうして呉を討ち滅ぼすという長年の夢がかない有頂天になっている勾践を見て范蠡は密かに越を脱出した。亡命後范蠡は勾践の家臣の文種への手紙の中で「私は『狡兎死して走狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵る』」と聞いていますが、越王の容貌は長頸烏喙(首が長くて口がくちばしのようにとがっている)です。こういう人相の人は苦難を共にできても、歓楽はともにできないのです。どうして貴方は越から逃げ出さないのですか」と述べたが文種はその忠告に従わず、結局自殺に追い込まれる。その范蠡は後陶朱公と名乗って商売で大成功して、巨万の富を得た。老いてからは子供に店を譲って悠々自適の暮らしを送ったと言う。
漢楚(紀元前206-202)の戦い(項羽と劉邦の戦い)中での功労者である韓信は、漢と楚が戦っている内は漢の初代の皇帝劉邦に重用されたが、漢楚の戦いが終わり天下を取ると、あれ程劉邦のために尽くし、漢設立に貢献していても結局殺された。 このような例は枚挙にいとまない。

 ナンバー2の地位はつねに風前の灯なのである。
金正恩にとって北朝鮮王朝を世襲してしばらくは叔父の張成沢は後見人として、独り立ち出来るまでは、頼りになった。しかし、いまや独り立ちし、ワンマン体制も整ってくると、張成沢が邪魔になってくる。また色々な諫言で、疑心暗鬼にもなり、叔父であっても、今はもうお役目ごめんで目障り、将来歯向かうようにならないとも限らない張成沢を今のうちに除こうという気が出てくる。まさにもはや用無し、もはや狩るべき兎がいなくなり、ご主人様に楯突く犬は煮て喰えという事になる。

ここまで生死を伴わない事態でも、このようなたぐいの話はいっぱいある。人間の心理状態は太古の昔でも現在でも変わらない。
会社でのプロジェクト成功の功労をめぐっての上司と部下の争い、会社でずっと一緒に上り詰めやっと社長になったら、一緒に苦労して来た専務が疎ましくなる、研究の貢献をめぐって教授と部下との争い、大きなもの程この争いは熾烈となる。ナンバー2はあくまでナンバー2、ボスあってのナンバー2であることを忘れてはいけない、この喧嘩に勝ち目はない。時々ボスとうまくいかず、けんか別れして、一人で研究室の片隅で、周囲と浮き上がって研究をしている人を見かける。このような状態が一番まずい。意地を張らずにささっと出て行って、新しい所で勝負する方が長い人生幸せである。


人の本質は誰にも邪魔されない地位に上り詰めた後にのみ露呈する。最高の地位に上がるまでは周りに遠慮し、言いたい事も我慢する。しかし誰にも遠慮する必要がない地位に上りつめると、意見されたり、出しゃばられたりするとかちんと来る。もうお前なんか必要ないとなる。
こうして張成沢は粛正されるべくしてされた。彼が粛正されないためには、辞めて隠居し、年老いて弱ったとかぼけたとかを装おうかしかない。


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