2008年12月26日 16:22
年の瀬の最後のブログとして
(1)新年を迎える心境
世界中が未曾有の不景気に突入しようがしまいが新しい年はくる。100年に一度の大混乱だそうだ。不謹慎かもしれないが大混乱を経て歴史はかわる。もう少し若いときに、この混沌に出会いたかった。どのような新しい秩序が打ち立てられ、歴史がまた動き始めるのか見極めるのが楽しみ。彗星のごとく現れたオバマが魔法の杖で持って鮮やかにこの混乱をおさめるのか?更なる混沌が現れるのか?残念ながら日本はその改革の主役にはなれないことは明らかであろう。
私は老兵として鮮やかなお手並みでこの困難さを一気に解決してくれる人物もしくは明治維新のように一群の人物の登場を待ちわびるのみである。
(2)更なる愛の形 (3)
清水辰夫作「イーツ!」
この変わったタイトルの小説も少年時代の淡い恋を描いた、大人になりかかる少年の純な心情と背伸びした少女とのときめきと、切なさを伴った愛の形がうまく描かれた作品。
榊原加奈子は母子家庭に育ち、母親はあやしげな飲み屋を経営している。加奈子は「容貌は校内の女子生徒の中でもずば抜けていた。大柄で、四肢のバランスが取れ、躯のまるみが他の生徒とはまるでちがった」という男子生徒の憧れの、なにかと噂の多い女性である。
時々店にでて母親を手伝っている。啓介は風呂の帰りに、加奈子が客の酔っぱらいに絡まれて、怒り、逃げるように歩いている所に出くわす。「ろくに街灯もない暗い街だったが、西の空に月がでていた。あと2、3日で満月になろうかという大きさだ。その月の光に照らされ,加奈子の姿は薄れながらもまだ見えていた。啓介はあとを追い始めた。4、5分行くと城山に突き当たる。山地の端にある勾配のきつい山で、手前の峰の頂上に中世の山城の跡があった。この山頂へ、高校一年の秋、ふたりでなんどか通った。秋の演劇祭に参加したときの稽古を、この城山でやったのだ。出し物はイプセンの「人形の家」。啓介は石段の上まで戻ってきて腰をおろした。眼下に街の中心部が望めた。駅の北側は一面の田だった。いま、月の光を浮かべて巨大な湖のように静まり返っているのがそれだ。田植え前の水が張られているせいだった。ところどころ青い蛍光灯がともっている。まだ残っている、誘蛾灯だった。その先は闇に沈んでなにも見えない。日本海が5キロ先の丘陵の向こうにあった。」石段に腰掛けての会話。「カウンターの中にしかいないわよ。疑ってるんでしょう」「吸ってるわよ。煙草ぐらい。お酒はあんまり好きじゃないけど」ばか。イーツ!だ。「今夜はまだ吸っていないわよ」
啓介の父親の経営している工場も不況で、借金取りが押し掛ける有り様だ。啓介は借金取りが押し掛けてくる家を離れ、よく城山の木陰で勉強した。とある神社のお祭りの夜。神楽の見物客のなかに英語教師の殿村が奥さんらしい女性といた。そこから少し離れた竹やぶの陰に加奈子がいた。からっとした空気の気持のいい夜だった。あいにく月は出ていなかった。城山に向かい、いつもの石段を上がって、一番上で腰をおろした。「勉強はかどっている?」「全然。それどころでじゃなくなりかけている。大学へ行けるかどうか怪しくなってきた。工場がつぶれるかもしれない」「この街が嫌いなのね」「嫌いだ」あたしもよ。「大嫌い」「どこに行くか当てはあるの?」「前は神戸に行こうと思っていた」叔父の一人が芦屋に住んでいた。大学の第一志望を旧神戸高商、いまの神戸大学にしていたのはそのせいだ。「わたしも行こうかな」「さっきお宮で殿村を見かけた。奥さんらしい女の人と一緒だった。あいつとつきあっているという噂はほんとか」「気になるの?」
工場はついに差し押さえられる。啓介が外に出て,町中を歩いていると、そこに殿村の妻が血相を変えて、加奈子の母親のやっている飲み屋に飛びこんだ。「このメス猫が、メス猫がが」というきしむようなわめき声が漏れてきた。頭を手でかばった女性がなかから転がりでてきた。加奈子だった。加奈子が顔を上げて、啓介であることに気づいた。彼女は顔をゆがめて激しく狼狽し、両腕で胸を抱えてうずくまった。ワンピースが引きちぎられ、そこから乳房がのぞいていた。日が暮れてきた。明かりがともり、目の前が滲んできて、色彩が少しずつ消え始めた.鰯雲がでていた。柿が色づきかけている。さっきまで飛び回っていた秋あかねが姿を消し、代わって蝙蝠が飛び始めた。
加奈子はそれから学校へでてこなかった。殿村のほうは謹慎処分になって自宅待機を命じられた。
「この一週間毎日ここに来て、君を待っていた。はじめは懐中電灯を持ってきて、その光で参考書を広げていた」加奈子が真顔になって聞いていた。加奈子は時計をみた。「いかなきゃいけないところがあるの。そろそろ下りなきゃ」「どこに行くんだ」加奈子は駅の方を指差した.
ぱらぱらとしか人影を見なかった。駅の待合室は空っぽで、駅前広場のバス停には灯りのついていないバスが一台停まっているきりだった。「もういいから帰ってよ」浜崎と書かれた行き先表示灯に赤ランプがともった。車内の灯りがともった。こちらを見ていた男の顔がはっきり見えた。英語教師の殿村だった。
「なにを考えているんだ。行くんじゃない。残るんだ。加奈子。やり直そう。ぼくと一緒にやり直そうよ。一緒にこの街を出て行くんだ.君の面倒をみてやれるやつはぼくしかいない」加奈子が涙をぼろぼろこぼしながらうなずいた。目をしばたき、顔をくしゃくしゃにして、溢れでる涙を手で拭った」うなずいてみせた。加奈子はありがとうと言っていた。バスのドアが閉まり、運転手がギアを入れた。つぎの瞬間、加奈子は身を翻すとバスめがけて駆け出した。加奈子がガラス窓に顔をおしつけて啓介を見ていた。バスが彼の前をさしかかると突然加奈子はイーツ!という顔をしてみせた。さびしくて、かなしくて、うれしくて、せつなくて、くやしくて、加奈子は涙を流しつづけていた。バスは加奈子を乗せて走り去った.波が引くような音を残してすべてのものが啓介の前から走り去った.
このラストのシーンもうまい。高校3年生の男の純情でいとしいくらい切ない感情とその年頃の女性の背伸びした、しかし大人になりきっていない感情がうまく表現されていて、青春時代のときめきと、言い表せない切なさと、さらに現実の厳しさを扱った小説として秀逸。
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