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楠木正成と正行父子の戦い

2012年04月25日 17:52

学校界隈の並木道の楠の大木は、漸く訪れた春の陽光を浴びて、萌葱色の新たな葉を吹き、近くの湊川神社にも柔らかな日差しの下、三々五々参拝する人も増え、のんびりとした穏やかな佇まいを見せている。しかしこの地は今から去る676年前の5月25日、楠木正成が壮絶な戦いの後、自害し果てた激戦の地だ。

限りない自由と平等を謳歌し、自己の権利と損得を主張し、義務や自己犠牲を極端にいやがる大衆迎合的民主主義の下、国の政策が何も決まらない現在日本で、まさに自己犠牲に生きた楠木父子はその対局にある人物として、また戦国の世の知将真田昌幸、幸村親子の生き方にどこか似ている気がしてならない。

当代はやりの歴史好き、武将好きには真田父子の生き方に共感するフアンが多いが、同じ知将の楠木父子にそれ程の人気がでないのは、戦前皇国史観に利用され修身教育で奉られた反面、戦後では徹底した反国粋、民主教育で忠君愛国的精神が完全に否定された時代が長かったせいであろう。

楠木正成の場合
楠木正成が圧倒的な足利軍に最後の絶望的な一戦を試みた湊川の戦いは、南北朝時代の1336年の5月25日に、摂津国湊川で行なわれた。九州から東上して来た足利尊氏・足利直義兄弟らの軍を迎え撃つべく、後醍醐天皇方の楠木正成は新田義貞と湊川で待ち受けた。

この年の初め、足利尊氏は新田義貞・楠木正成・北畠顕家らに敗れて京都を追われ九州へ落ち延びていた。正成は後醍醐天皇(宮方)に、状況が有利な今のうちに足利方と和睦する事を進言するが、後醍醐はこれを退け、義貞を総大将とする尊氏追討の軍を西国へ向けて派遣した。なお、正成は和睦を進言した事で朝廷の不信を買い、この追討軍からは外され、国許での謹慎を命じられた。

義貞が播磨国の白旗城に篭城する足利方の赤松則村を攻めあぐねている間に尊氏は多々良浜の戦いで九州を制覇して体制を立て直すと、京都奪還をめざして東進を開始した。尊氏は高師直らと博多を発ち、備後国の鞆津を経て、四国で細川氏・土岐氏・河野氏らの率いる船隊と合流して海路を東進して来た。
尊氏軍の東上に遭い、撤退を始めた新田軍に赤松勢が追撃を仕掛け、新田軍は大量の寝返りや足利軍への投降者を出しながら敗走、体制の立て直しを図るべく、兵庫まで兵を退いた。

一方、京都の後醍醐天皇らは、急いで軍議を開いた。この軍議で楠木正成は現状では大軍勢の足利軍に勝つ術はない。ここは一時京を退却して再起を図るべきである、という策を述べた。しかし、参議の坊門清忠が天皇が京都を捨てるなどという事は面子上あってはならないと反対したため、正成の案は却下されてしまう。どころか、後醍醐天皇は正成に兵庫で足利軍と戦うよう命じ、援軍として差し向けた。

命を受けた正成は、一族郎党およそ700騎の小勢で兵庫へ向かった。敗戦を覚悟の正成は、西国街道沿いの摂津国「桜井駅」で、嫡男の楠木正行(くすのき まさつら:当時11歳)を呼び寄せ、今生の別れをした(桜井の別れ)。桜井(現在の大阪府島本町、大阪、京都の境の大山崎の近く)の駅跡(古代の律令制度下で駅逓事務を取扱うため設定された町場の事)には陸軍大将乃木希典筆「楠公父子訣別之所」という碑や東郷平八郎元帥の書いた碑が現在立っている。

兵力一万の新田軍は、本陣を二本松(和田岬と会下山の中間)に置き、和田岬にも脇屋義助・大館氏明などの軍勢を配置して水軍の上陸に備えた。700騎余の楠木軍は湊川の西側の会下山に布陣した。1336年5月25日。朝靄の中に、数千におよぶ足利軍の兵船が沖に姿を現した。午前10時頃、兵力で勝る足利軍は3方向から一斉に攻撃を開始した。足利直義を司令官とする陸上軍の主力は西国街道を進み、少弐頼尚は和田岬の新田軍に側面から攻撃をかけた。また、斯波高経の軍は山の手から会下山に陣する楠木正成の背後に回った。さらに、細川定禅が海路を東進し生田の森から上陸すると、義貞は退路を絶たれる危険を感じて東走し、楠木軍は孤立する。楠木軍 は、阿修羅の如く奮戦する大将 正成 を筆頭に、決死の戦いを展開。一時は 直義 を追い詰めるまでになるが、衆寡敵せず、次第に人数を減じる。死力を尽くしての激闘は 6時間にも及び、最後の刻が迫ったのを知った 正成 はわずかに残った73騎とともに死に場所を探し、現在の湊川神社で、正成と弟の正季(まさすえ)と兄弟刺し違えて自害して果てる。
正成は死の直前、正季に何か願いはあるかと問いかけたところ、「七生まで人間に生まれて朝敵を滅ぼさん。」と答え、正成も「いつかこの本懐を達せん」と誓ったといわれている。
 戦前、多くの若者が「七生報国」を誓って戦場へと、特攻へと出征した皇国史観教育の精神的柱ともなった。
楠木軍は壊滅。正成は弟の楠木正季ら一族とともに自害し、義貞は京へ退却した。というのが湊川の戦いの大筋である。

現在の神戸駅から5分ほど山の手に行ったところに、正成・正季兄弟終焉の地として楠木一族を祭神に祀った湊川神社があり、徳川光圀自筆の「嗚呼忠臣楠子之墓」の石碑などが存在する。

楠木正行の場合
正行(まさつら)は父の遺言通り、正成や義貞亡き後は南朝の支柱として戦い続け、狭山池尻の戦い、藤井寺の戦い、爪生野の戦いなどで相次いで幕府軍を撃退させ、目覚しい活躍を見せた。その爪生野の戦いの折、北朝軍の背後に、大きな川があり、そこにかかる渡辺橋に南軍が押し寄せた。

そのため幕府軍は狭い橋から落ちて水に溺れる者はその数知らずであったという。
渡辺橋から落されて川に流されていった幕府軍の武士500余人を、正行は助け、川から引き上げた。冬の寒さは肉を破り、暁の氷は皮膚に結び、生きながらえれようとは思えないのを、正行は、小袖を着替えさせて彼らの身を暖めてやり、薬を与えて傷を治療をさせた。4、5日ほど労ってやった後、馬に乗ってきた者には馬を与え、鎧を失った者には鎧を着せてやり、礼をつくして送りだした。

その恩に報いていこうと決意した人々は後日、楠木の軍に加わり、四条畷の合戦に討死にしていったそうである。
事態を重く見た幕府は足利家の有力な武将である高師直(こうのもろなお)・師泰(もろやす)兄弟の率いる大軍を正行追討のため出陣させた。正行は四条畷(しじょうなわて)に於いて、幕府軍を迎え撃った。
正行は、一族四十人ばかりをつれて、吉野に参って後村上天皇に拝謁し、また後醍醐天皇の御陵に参拝して御暇乞を申し、如意輪堂の壁板に一族の名を書きつらねて、その末に、
「かへらじとかねて思へば梓弓、なき数にいる名をぞとどむる」
といふ歌を記し、死を決して河内に帰り、四条畷で戦つた。

当初、正行は「敵の大軍が押し寄せて来たら金剛山に立て籠もって戦え」という父・正成の遺言に従って戦うため東条、赤坂、千早の各城の防備を固めていたが(実際、楠木一族は篭城城、山岳戦、ゲリラ戦を得意としていた)、その正行の戦術を理解しない公卿の北畠親房がなかなか出陣をしない正行を叱責した事から、正行は僅か二千余騎の小勢で、四国・中国・東海・東山から動員された幕府の大軍と四条畷で戦う事になった。そして、正月5日の早朝、四条畷で、正行にとっては人生最後となる合戦の戦端が開かれ、正行達は幕府の大軍と死闘を展開。正行は、討死を誓った143人と共に高師直の本陣へ駆け寄って師直の首を狙うが、上山六郎左衛門が師直の身代わりとして討たれて師直を逃がしたため、ついに師直を討ち取る事はできず、正行達は激戦の末に敗れた。そして正行は、父・正成と全く同じように、弟(正時)と刺し違えてその生涯を終え、父と同じように愚直な程真っ直ぐに忠義を貫いて玉砕した。享年若干25歳の命

現代人の一般的な感覚からは、「桜井の別れ」の故事や、正成・正季・正行・正時ら楠木一族の「天皇への絶対的な忠誠」というものを強く感じ、 “時代錯誤”的な違和感を覚えてしまうが、そういった「忠誠」や「七生報告」に象徴される生き方とともに、律儀さや自己犠牲の精神にも注目し強調すべきなのではないか。義務よりも権利ばかりが強調される“民主主義”を教わって育った現代の日本人の多くは、一切損得勘定抜きに生きて桜の花のように潔く散った正成・正行の生き様は、なかなか理解できないのではないかと思う。少し意味合いは違うが、東北大震災の時、津波警報を叫び続け自己を犠牲にして多くの人の命を救った女性と相通ずるものがある。

写真1:会下山頂上の東郷元帥による碑 写真2:楠木正成像,逆光でよく見えない 写真3:湊川神社にある水戸光圀による碑 写真4:桜井の駅跡 写真5:桜井の駅跡説明 写真6:乃木希典筆 写真7:近衛文麿筆
写真8:資料館にある湊川から桜井の駅及び河内長野の鳥瞰図
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論文投稿とOn line Journal

2012年04月06日 17:49

どこに論文投稿する?

苦労して研究してきた結果を載せた論文を投稿しようとする時、できるだけいいジャーナルに載せたいと思うのは誰しも同じであろう。Nature, Cell or Science? それともその姉妹紙?
Rejectされた場合の2nd choiceは?と考えた場合、PLoSグループのOn lineジャーナルを考える人が増えて来た。新聞記事でもなぜかCellに載った論文の紹介よりPLoS Oneの論文を紹介する事が多い(朝日新聞は特に好きらしい)。などのなぜPLoSグループのジャーナルが注目を集め出したのかを考えてみた。

近頃、ジャーナルのチェックは学校の図書が購読を契約している雑誌をネットで見て、わざわざ図書館に行ってプリントされた雑誌を見る事はまずない。そればかりか、ジャーナルに投稿する場合も、ネット経由で投稿し、プリントアウトした論文を送る事も無いし、査読の結果もE.mailで送られてくる。
といったように、全てがネット経由で行なわれて、昔ジャーナル購入も論文投稿も郵便で行なっていた頃に比べて、格段の早さと手軽さである。

更に最近は、印刷物を刊行せず、On line 上でのみ発行されるジャーナルが増えて来た。On lineのみで刊行することにより、諸経費が押さえられ、論文投稿や掲載時のチャージが低く抑えられるというメリットがある。そのためOn line Journalが増えてくるのは自明の理であるが、それでもジャーナルを見るには契約し、お金を払う必要があった。しかし、それさえ乗り越えて、だれでも全くFreeにAccessできるジャーナルが出現し、学術出版界に確固たる地位を築きつつある。その代表がPLoSジャーナルでPLoS Biology, PLoS Genetics, PLoS Medicine, PLoS Pathogens, PLoS Computational Biology, PLoS Neglected Tropical Disease, PLoS Oneの7種が発行されている。近年、PLoSグループは学術雑誌出版界の革命児的存在となって来ている。

これらのジャーナルの戦略は購読料がタダで、free accessということだ。誰でも自由に読めるとあって、当然目を通す人も増える、インパクトファクターも結構高い。では諸経費はどうやって稼いでいるのかというと、Publication Chargeを論文投稿者から取るというシステムをとっている。論文の質を高めようとするとrejectする数が増え、掲載論文は減ってしまう。そのため、収入が減り、当然のようにPLoSジャーナルは赤字経営であったが、賢い人もいる物で、出版論文数を上げ、収入を増やす方法を考えPLoS Oneという雑誌を作った。このジャーナルでは採択、非採択の大きな要因であった、仕事の意義や重要性は問わず、方法が正しく、倫理上問題なく、きちんと記述されていれば採択という方針を取ったことだ。その編集方針により掲載論文数が爆発的に増えて年間7270本とインパクトファクターの高いPLos Medicineの掲載数が227本でPLoS Biologyが407本に対し10倍以上と稼ぎ頭になっている。

面白い事は、掲載料がインパクトファクターに比例して高くなっている事(表を参照)だ。PLoS Oneの編集方針でどのくらいのインパクトファクターが稼げるかと興味が持たれていたが、出てみると論文の内容の面白さは問わないという、編集方針にもかかわらず、4.4と以外と健闘しているのが分かる。PLoS BiologyやPLoS Medicineはpeer reviewをして質の高い論文を掲載する方針で採択率が10 %程度で、採択されるまでに半年程度かかるのは仕方ないとして、PLoS Oneは速報性をうたって発足し、採択率は60-70%と言われるにもかかわらず、採択に至るまでが他のPLoS誌と同じように半年から3ヶ月程度かかっている。という事は採択率を上げると行っても、ある程度の体裁が必要であるということであろう。

これらfree accessのジャーナルの健闘振りは、NatureやScienceなどの一流雑誌のeditorには脅威である。Scienceの刊行しているOn line ジャーナルにScience signalingという姉妹紙があるが、それを読むにはScienceとは別に購読料を払わなければいけないためか、Scienceの姉妹紙にもかかわらず、インパクトファクターは6.354と伸び悩んでいる。NatureにもNature communicationsというOn line誌ができたが、こちらの方のインパクトファクターはまだ出ていない。それにしてもPLoSグループの成功は学術雑誌の出版に大きなインパクトを与えた。
これからの論文の投稿先にPLoS Journalを候補の一つに上げてみてははどうであろうか?
表にPLoS Journalのインパクトファクター(IF)と一年間の掲載論文数および掲載料を載せた。
まさにインパクトファクターと掲載料が比例し、掲載論文数はインパクトファクターや掲載料に反比例してることが分かる。

             IF         論文数        掲載料
 PLoS Biology     12.472       407       2900ドル

 PLoS Genetics    9.543      779       2250ドル

 PLoS Medicine    15.617      227      2900ドル

 PLoS Pathogens     9.079      718      2250ドル

 PLoS One        4.411      7120     1350ドル


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