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はてなキーワード: ボールとは

2025-01-04

義実家の何してるかわかんないおじさんが最高すぎる

今日夕方には帰らないといけないんだけど、子供達が帰りたがらない

年末年始義理実家とうちの実家で交互に帰ることにしていて2年に一回旦那実家に帰るんだけど

普通だったら年末年始義理の家で子供抱えて姑と一緒でかわいそうってなるんだろうが、もうこれがうちは最高すぎる

義実家に現れる独身おじさん、旦那の兄だ。

なんかよくわかんないが科学者してるみたいで、実家でもぶ厚いよくわからない難しそうな本読んでたりする

なんか子供が大好きみたいで、うちが子供二人を連れて帰ってくると、このおじさんが子供達を車で連れ出したり庭でアレコレ遊んでくれる

庭で何するかっていうと焚き火になんかぶちこんで炎色反応?とかなんだけど子供達は大喜び。スライムみたいなの作ったりもしてたな

ビーカーとか試験管みたいな理科実験室でしかたことがないような物を出してきて、年末年始よい子科教室をしてくれてる

子供達もうお目々キラキラ

毎日朝起きて、おじちゃん!!!!って叫んでおじちゃんを起こしに行って遊ぼう遊ぼうとうるさい

車で連れてっていいかって言うから了承したら、なんか広場ペットボトルロケット?作ったりして遊んでもらってたらしい

これにプラス実家の犬だ

田舎土地だけはあるので義理実家自作ドッグランがあり、子供達はボールを投げ犬は走り回る

もうおおよろこび、今だけ昭和世界

旦那実家だとこたつはいって動かないが、姑は楽しく世話をしているようなので嫁の私になんかしろかいわない

家にいると落ち着かないだろうから子供ちゃんと遊んでおいでっていわれるからおじさん兄と子供と出かけるが、本当に子供が楽しそう

大自然で雪玉投げて遊んでる

そしておじさん兄が謎の実験をしながら、これはなー?って子供達に説明してくれるから子供達は理科が楽しくなったらしく、

上の兄は、俺も将来はおじさんみたいに科学者になりたい!とか言いだした。おじさんは「やめとけ」と言ってたが

それ以外にも地元で町歩きタイプの謎解きイベントとかやってたりするとおじさん兄が車で子供達を連れて回って、子供

パネルを探しまくって「あったよ!」とか嬉しそうに走って報告してくる

旦那の姉も中学高校の子供を連れて帰ってくるんだけど、おじさーん!って言っておじさんのもとに吹っ飛んでいく

おじさん人気者過ぎ。聞くとやっぱり小学生まで毎年科学実験してたみたい。

この中学生と高校生の甥姪が帰ってくると大人数でなんか作り始める。今年は天体望遠鏡作ってた

子供の情操教育に最高すぎる義実家

最初に顔合わせしたときにはこんな愉快な家庭とは思ってなかった、楽しい

自分は生まれも育ちも東京なので新鮮すぎる経験が沢山だ。

それにしてもなにしてるかわかんない科学者兄おじさんがいないとこの楽しい実家はないだろうな…おじさん、元気で長生きして欲しい

2025-01-03

食事制限なんてやってられるか!俺は台所に戻らせてもらう!

ボールの中に大量の袋サラダを入れます

スパゲッティを茹でます

茹でたスパゲッティボールに入れ、大量のマヨネーズ、それとガーリックパウダーをかけてグルグルかき混ぜます

完成です!😟

2025-01-02

anond:20250102224731

ベトナムに俺と同期と後輩で行ったけど

同期はスパイクボールくらって死んだし

後輩はパンジステークに落ちて死んだ

愛猫の突然死

本当に本当に可愛がっていた愛猫が、亡くなった。

それも大晦日元旦にかけての時間に。

とんだ2025年の幕開けだよ。

特に大きな持病もなく、心臓は少し怪しくなりつつあるけれどまだ治療する段階ではないので、定期的にエコーで見ましょうねって状況だった。

年明けに病院へ行く予定だった。

全体的な健康診断もする予定だった。

でも死んでしまった。もし12月中に行っていれば、何か変わっていたのだろうか。

悔やんでも悔やみきれない。

からないけれど、恐らく、心臓が急に止まったのだろう思う死に方だった。

普通に元気だった。ご飯も全部食べていた。おやつも貰った。立ち上がって喜んでいた。

撫でられてご機嫌だった。

180センチ程の高さがあるキャットタワーの一番上に駆け上り、そこでいつものように横になって寝た。

朝、そのままの姿で死んでいた。

から、彼としては、幸せだったと思う。思いたい。

たぶん、苦しくなかったと思う。寝ているようにしか見えない穏やかない顔だったから。

でも、なんの心の準備もさせて貰えなかった飼い主達は、とても苦しい。

いつかは先に死ぬのはわかってた。その覚悟はあった。でも今日じゃないだろ。

もっと段階を踏むと思ってたんだ。

病院で、あー心臓悪くなってきてますね、治療始めましょうって言われてさ、お薬貰ってさ、お薬飲ますのむずかしーとか言ってさ、定期的に検査して現状維持ですねとか悪化してるからお薬増やしましょうねとか言われてさ。

そうやってちょっとずつちょっとずつ心の準備をしてさ。

そういう未来があると思ってたんだ。

介護でもなんでもするつもりだった。させてほしかった。

でも苦しいのは本当に可哀想から、どっちが彼にとって良かったのかはわからないや。

火葬の手配したくなさすぎ問題」がある。

今は、凍結しないように水道の水抜きをした冷蔵庫のように寒い部屋に彼を寝かせて、その横で飼い主は毛布にくるまって尿意我慢しながらこれを書いている。

左に手を伸ばして彼の大好きだった首筋を撫でれば、生前と全く変わらないふわふわ感触がそこにある。

これが失い難くて失い難くて。

燃やしてたまる精神が発動してしまペット火葬業者に全く連絡できないでいる。

寝ているようにしか見えなくて、今にも起き上がって私を見つめてくれそうで。無理。やだ。拒否

あの、火葬の、扉を閉めるあの瞬間。

あのクソイベントの事を思うと気持ちが全くノらない。

骨になってしまえば、多少の諦めがつくだろうというのもわかってるんだけど。なかなかね。

もうちょっとここにいてほしいな。ワガママかな。さみーよ!ふざけんなって思ってるかな。

彼が最後に食べたご飯。そのお皿。数粒のフードが残ったそのお皿も片付けられずにいる

給水機の水も捨てられない

ついこないだ、大容量の猫砂を買ったばかりだった。

いつものご飯ちょっと大きめサイズで買ったばかりだった。

おやつも残ってる。

猫草、枯れてきたから、新しく種を撒いたばかりだった。

まだ数センチしか伸びてないよ。あと数日経ってしっかり成長したら、

ほら新しい草だよ〜ってあげる予定だった。

そしたらきっと喜んでムシャムシャ食べて、その後毛玉を吐いただろうな。

ペット可の物件が少なくて、なんか変な形の狭いアパートしか借りれなかったから、

ペット可の一軒家を探してたんだ。

階段があったら、喜ぶかなと思って

何かあった時のために、毎月別に貯金してたのに

全く使わせてくれなかった。

まだまだ未来が続くんだとばかり思ってた。

さっき後悔してもしきれないって書いたけど、後悔してない事もある。

めちゃめちゃ愛したし、めちゃめちゃ愛された。

彼は飼い主が大大大好きなマザコンボーイだった。

彼は絶対幸せだったから、そこの後悔はない。

私も幸せだった。

本当に優しい猫だった。

私と彼は毎日毎日、愛のキャッチボールをし合って楽しく幸せふわふわ暮らしていたのに。

突然、わたしボールを投げてくれたきり、もう二度と受け取ってくれなくなっちゃった

投げる宛のなくなったボールを手に、私はひとり途方に暮れている。

彼はこれからどこに行くんだろう。

お母さん大好きマザコン子供部屋おじさんだった彼が、たったひとりで、どこかに行けるものなのかしら。

でもなんだかんだ行っちゃうんだろうな。行くしかないもんな。

いつもみたいに、お気に入りの白い猫じゃらしを咥えて、高い声で「んんん!」って言いながら、行っちゃうんだろうな。

向こうがあんまり楽しそうだったとしても、頼むから一度くらいは振り返ってよ。寂しいよ。

この文章を読んでくれた方、ぜひ、心の中で彼の旅路を祈っていただけたら幸です。

ついでに、私が火葬業者に連絡できるようにも祈ってください…。

ありがとう

本当に大好きだよ。

いってらっしゃい。

またね。

特大の愛を込めてあなたへ

2025-01-01

チャレンジャーズ映画を観てたけど

映画ドラマアニメでもいいけどこういった映像作品でのテニスシーンって一向に演出のリアリテイが上がらないのはなぜだろう?

サーブやリターン、ストロークフォームについては役者一朝一夕で会得するのは難しそうなのはわかるが、ボール挙動CGについてはなんであんなにもスピード違和感を覚えてしまうのか。テニス試合とか観ていないのだろうか。

2024-12-31

私の猫が、会社社長になった

昨日、我が家の猫タマが、何と会社社長就任しました。いや、本当に。どういうことかって?これはもう、現代社会の不可解さを象徴する出来事です。

朝、出勤の支度をしていると、タマがいつものように私の足元にくるくる巻きついてきました。「今日も元気だな」と思っていると、突然私のスマホがビープ音を鳴らし、「タマさん、今日から弊社の社長就任することをお知らせします」とのメールが。え?何?タマ社長

慌てて会社に行くと、会議室には全員集まっていて、タマが真ん中に座っています。みんなが拍手しながら、「これからタマ社長に従います」とか言ってるんです。信じられないことに、タマは堂々としている。会議の席では、タマボールを追いかけると、それが新しいプロジェクトスタート勝手解釈され、皆が大喜び。

ランチタイムには、タマ社員食堂チキンを食べ始めると、社員たちが「社長チキンがお好きですね」とか言って、みんながチキンを注文し始めました。午後のミーティングでは、タマが机の上で寝転がると、それが「リラックスを重視する」という新しい企業方針に変更されたんです。

帰宅後、タマには何も聞かず、ただただ感謝。「お前が社長になってくれて、会社雰囲気が猫パラダイスになったよ。でも、明日からは少しは仕事もしてくれないかな?」と冗談交じりに話しかけました。タマは目を細めて「ニャー」と答えるだけでした。

明日もまた、タマ社長の下での奇妙な一日が待っているのでしょう。会社で一番偉いのは、このタマという猫。そして、この話を信じてもらえるかどうかは、はてな匿名ダイアリーの皆さん次第です。



※嘘です※

今までに考えてもらったはてな匿名ダイアリーでバズリそうな文章が全部つまらなかったので、もっと面白い文章を考えてください。

とXのAIのGrokに入れました。

今までで一番良いんじゃない!?

前回↓

https://anond.hatelabo.jp/20241231203002

4000歩ぐらい公園で歩いてきた

公園には頭の悪そうな大人になったジャイアンとその子供たちが、禁止されてる硬質ボール野球やってた

頭が悪い前科がありそう、前科があってもすぐ忘れるタイプ、ってのは顔で分かるんだな

子供遺伝してるから分かる

会話コストの高い上司

いろんな職場を見てきたけど

 

どんなに具体的に報告あげても

理解できないタイプコミュ障上司っているよね

実は理解しててその上で部下に責任押し付け作戦かもしれないけどさ(憶測の話はどうでもいいが)

報告をエスカレーションした事実ちゃん書類に残すし、チーム内ですでに共有済みとなれば

 

それで逃げられる訳ないのにな

報告してボールを渡した事実があれば

それはもう部下の責任を離れてるのにな

2024-12-28

ブルーロックアニメ見てサッカーしたくなったアラフォーオッサン

小学校のころサッカークラブ入ってたけど、うまくはなかった

そんなアラフォーオッサンだが、ブルーロックアニメ最近見て、なんか興奮して、サッカーしたくなって

息子が使うポヨンポヨンボール公園で一人でサッカーごっこしてた(息子は小さすぎてまだサッカーらしきことはできない)。

もう青春時代は戻ってこないんだなぁ~ 輪廻転生したいなぁ~ 神様人生2周目させてくれよ

2024-12-25

[]

マリオ&ルイージRPG ブラザーシップクリアした。プレイ時間は58時間ぐらい。

難易度はほどほどで難しくもなかった。RPGだけどマリオということもあってアクション要素も濃かった。

サブストーリーも全部やったはず。チャレンジブラザーアタックエクセレント出すのだけやってない。面倒くさかった。


ストーリーマリオでやるなろう。異世界転移。内容はけっこう重めというか説教臭いというか。



バトルはアクション要素が強い。



ミニゲームは色々あるけど、どれもけっこう難しい。



良かったなと思ったのは以下。

  • ところどころ入るムービーがとてもよかった。入りも全然違和感がない。中盤や最終版でのクッパ軍団登場のところが好き。
  • テキストが充実していて、キャラクターそれぞれのテキストがけっこう頻繁に変わってよかった。
  • プラグは色々戦略性があってよかった。使うのはけっこう固定されてはいたけど。一定回数使うと充電中になるので色々使わざるおえないのが逆に良かったと思う。


気になったのは以下。



十分楽しめたと思う。クリア後の要素みたいなのは無さそうなので終わり。

チャレンジ埋めたりとかはやらない。ただの作業だし。

2024-12-24

俺は足の無えガキにサッカーボールや靴をプレゼントして嘲り笑うんだよ

贈られたものが嫌になるようなトラウマ、それを植え付けて人からの施しに恐怖を覚えるようにしてンだわ

そう思いながら日々を過ごしてるよ

2024-12-22

anond:20241222142408

40年くらいサッカーをやっているアラフィフだけど、若者のようなプラスの成長だけではやっていけない。

スピードや持久力など衰えを受け入れつつも、脳の部分(視野オフボール立ち位置)を少しずつブラッシュアップして、異なるプレースタイルスキルを持つ新しい若手と遊び続けてる感じ。

この前、Kazuのドリブルネタになってたけど、あれも同じ選手目線で見ると非常に興味深い。ワシより年上なのに若手のフィジカルを完全に受け止めて新しいエラシコとか試していて、むっちゃ刺激を受けた。

2024-12-21

トラックボールを2ヶ月ぐらい使ってみたけどやっぱいらんかもなぁ

マウス動かすスペースあるならマウスの方がいいよなぁと思った

 

画面の端から端まで動かすことが多いから疲れる

かい操作がやりづらい

ちょっとした汚れでボール抵抗がかなり変わってしま

サイドボタンが充実した機種が少ない(俺はみつけられなかった

などと思った

 

もっと長く使ってみれば感想変わるカモだけど、無理することはないよね

2024-12-20

【速報】大阪に慌てん坊の三択ロース現る

大阪府警によると、19日午後6時ごろ、大阪市城東区福西6丁目付近中学生への刃物突きつけ類似行為が発生しました。(実行者の特徴:若い男性中高生風、頭髪中央分け、黒色ダウンジャケット

■実行者の言動や状況

・生徒らにカッターナイフのような物を見せ、暴言を吐いた。

・「ボールを当てたやろ、刺されるか、土下座するか、ボールを当てられるか決めろ」

2024-12-19

過去に受けた虐待の話

きっかけがあり、虐待を受けた過去のことについてまとめます

こんにちは私自過去虐待を受けており、ただ受けただけじゃ元が取れない(?)ため、創作に活かしていただきたくこんなことありましたよ!というのをお話できたらなと思い筆をとっています不謹慎って思われないかなとか、人の経験だしネタしづらいなとかシコりづらいなと思われるかもしれませんが、マジでガンガンネタにして元を取りたいので好きにしていただけますハッピーです。自分経験ベースで、児童相談所とのやり取りがあった時に聞いたことも交えていきますね。

受けたものとしては経済的虐待ネグレクト)、教育文化的虐待精神・肉体的虐待性的虐待などが挙げられます

順番に思い出しながら書いていきます

基本的スペックとしては母は軽度のASD知的のしょうがいがあり、父はわかりませんがヤニ力スパチ力ス酒力ス浮気フルコンボでした。お手本のような力スです。力スの見本市。3歳頃に母方の祖父母宅に転がり込んで居候をはじめましたが、父はいつのまにか逃げました。

きょうだい構成は兄、私、弟です。

ネグレクトについてはよくある形ですが、まず父親が今生きてるのか死んでるのかわかりません。父親も幼少期、兄と弟と共に公園に連れて来られ、おもちゃを渡されて「ここで待っていてね」と両親に言われたがそのまま両親は戻って来なかったため児童養護施設で育ったと聞きました。血ですね~

父は気付けばいなくなっていました。

食事も食べられる時と食べられない時とあり、食卓につくとありとあらゆる動作や食べ方、箸の持ち方、口の動かし方、全てを罵倒され罵られます。ろくに食べられたもんじゃないし、味もわかりません。母は料理が上手じゃないくせにオーガニック(笑)だったため、添加物着色料など使う食材は徹底的に避けており、貧乏なのに国産無添加無農薬にこだわり、結果的に食べられるご飯の量は少なかったです。

食卓でまともに食事が出来なくてもお腹は空きます。育ち盛りの子供なら当然。そのため、夜中にこっそり起き出してキッチンで食べられるものを探しました。三角コーナーの生ゴミからまだ食べられる野菜の皮や芯を探して食べていたら、祖母に気付かれていたようで、バレた日からゴキブリ」と呼ばれるようになりました。草 誰がやねん

教育文化的虐待については、親の望む進学先ではないためお金を出してもらえなかった、などがありました。福祉に繋がることも出来ず、進学などが制限されるというのもよくあるケースのようです。弟も進学先を制限されて学費を支払ってもらえず、私が支払っています(よくあることらしく、親戚やきょうだいが払うケースは多いそうです)

精神虐待というと幅は広いですが、たとえば父と母の結婚は母方の祖母が元々反対していたらしく、家にいる間はずっと祖母が父の悪口を言っていました。母に対して「育てられないならなんで産んだんや」と金切り声で叫んだりなどしており、それを私たちきょうだいは黙って聞かされていました。生まれてくることを望まれていなかったのだという感覚形成されたのはこれがデカいのかな?と思います自己肯定感ダダ下がりポイント。母も母で言い返すことをしなかったのが余計に悪かったのかも。もしかしたら母にちゃんとそれを否定して欲しかったのかもしれないですね。今となってはどうにもならないことですが。

また、兄も父によく似た男でした。気に入らないことがあれば殴る蹴る、罵倒する、無能と罵り物を投げる、壁を殴る。など。実家の壁には多分未だに穴があります。兄は父親のことを憎しみ、嫌っていましたが、大きくなればなるほど兄の態度は父に似ていきました。それを指摘すれば烈火のごとく怒り狂い、怒鳴り、それがまた、酔って暴れる父親に酷く似ていました。

これ創作ならシコポイントだと思うのですが、実家いたころ私は背もたれのない椅子を使っていました。そのため、兄が後ろを通る度に後ろから蹴られ、頭を殴られ、怒鳴られるため、未だに年上の男性が後ろに立つとちょっと怖いです!多分厳密には自分より体格のいい人が、だと思います。どれだけ信頼していても、あっ!蹴られる!と思ってビクッとします。身体が強ばるような感覚で、全身に力が入るような一瞬の緊張があり、もう家を出て10年近く経ちますがいまだに抜けない癖となっています

あと、メンタルがぶち壊れて鬱をやった時、寝込む私に兄が硬式テニステニスボールや、ボール入れを頭に投げてきたことがあったため、未だに🎾これとかこれの容器を見るとオッ……となります。私の中で武器凶器に分類されるのかも。痛かったから。物はよく投げられましたね。お皿とかも投げてた気がします。

兄が暴れるのに怯えた祖母が金切り声をあげて泣き、母は抵抗せず殴られて、唯一力で抵抗できる祖父必死に止めて、という生活が続きました。兄も軽い鬱だったようです。

母もただ大人いかと言われるとそういうわけではなく、多分ですが発達障害ASD兆候があったように思います。同じ日本語を話しているはずなのに、全く話が通じず、言っていることの意味が全くわからないというようなことがありました(例を挙げるならば、私が家にいるのが限界になり児童相談所相談して一時保護を受けるか他のなんらかの施設に行くか……という話になった時、今まで服も全部お下がりなぐらい私にお金かけなかったくせに「古い一軒家を買い取ってそこに住めばいい」「父の自営業事務所代わりにも出来るし」と言い出したりとか。父は配送業全然勤め人だし、その頃にはもうろくに連絡も取れてなかったし、何より私は父から強姦されてたので一緒に住むなんてとんでもねえよという感じでした。それが嫌だと言ったら「実家から私たち家族引っ越しあなたが1人で住めばいい」とか言ったり。実家祖父母の家であり、そんな権限家庭内地位最下位の母にあるわけないし、もちろん同意を得られるはずもないのに)。

母の言い出すことはいだって意味がわからなくて、きっとこれまで母が受けてきた抑圧や苦しみ、刷り込まれてきた固定観念で雁字搦めになった価値観を私にも押し付けているようでした。いわゆるヒスお母さんに近いです。二段ベッドの上の段で寝ていた私が、メンタルぶっ壊して学校に行けなくなった時、大声で騒ぎながら私を二段ベッドの上から引きずり落とそうとしたり。足つかまれて引っ張られてたので、誰かに足首を掴まれたり、足を触られるのも今ちょっと怖いです。後ろに男性が立つ時ほどではないですが。

そして我が家貧乏で、母が乗っていた自転車も近所の人のをお下がりでいただいていました。古い自転車ブレーキがきしんで、坂道にある私の家に母が帰ってくる時はいつもキィキィと甲高い音が鳴っていました。あの自転車の音がなると、ああ母が帰ってくる、またきちがいが私の暮らしに入り込んでくる、祖母が母を怒鳴り罵倒ヒスり金切り声を上げる、と絶望したものです。

未だに自転車ブレーキのキィキィいう音を聞くと、こんなところに母がいるわけないのに、その時の嫌な気持ちを思い出します。母が帰ってくる。きちがいが帰ってくる。私をメチャクチャにする。

ここまではよくある(あっちゃいけないですが)家庭内での機能不全についてお話しました。かなり主観的視点で書いたので、お気分が悪くなったようでしたら少し休憩されたり、読むのを中断してくださいね

一番サビの性的虐待の話をします。

先述しましたが、辛くなったら読むのをやめてくださいね

メチャクチャ興奮していただく分には、不謹慎だ!とか思わないので、好きにネタにしてください!(私の方からネタとして差し出していますしね)

いちばんはじめに感じた違和感は、幼い頃からさせられていた習慣でした。物心いたころ(4歳とかぐらい?)から父親に「父ちゃん愛してるって言え」と言われ、キス強要されていた記憶があります。頬にとかではなく、普通に口で。舌を入れられたこともあって、それがとても嫌でしたが、キスをした後口を拭えばメチャクチャに怒られました。でも物心ついたときからずっとそうだったので、それが変なことだということは中学生ぐらいまで気付きませんでした。類似したことはたくさんあり、身体自分だけのもの、他の人は家族であろうとプライベートゾーンに触ってはいけない、ということを知らずに育っていました。

肩とかお腹とか、たぶん他の人からしたらおかしいんじゃないか?ってぐらいたくさん触られていたように感じます

決定的にこれはおかしいぞと感じたのは、小学校3年生ごろのことでした。私はそれぐらいの年齢にしては発育がよく、胸が大きくなっていたころだったのですが、お下がりばかりの服しか着られない貧乏家庭で当然ブラジャーなど買ってもらえるはずもなく、薄い服で胸を気にしながら過ごしていました。

ある日久々に父親と会った時(なんで会ったかは覚えてないな……)、不意に胸を触られて、「胸大きくなってきたな。もう女になったんか」と言われました。

キッショ。

今書きながらキモくてウケてますキモ

小3やぞ。女になったんかて。キモ。草。

そっからはもう、なんというか、転がるように良くない方向へ進んでいきました。車の中で、連れ出されたよく知らない建物の中で、父の知り合いらしい誰かの家の中で、身体を触られる地獄が始まりました。脱がしやすい服を着せられて、父のヤニ臭い白い車に詰め込まれ、どこかへ連れて行かれて。知らない場所まで連れていかれるから、帰り道がわからいから、逃げ出せなくて。父親の吸っていたECHO臭いが胸に張り付いて。私のからだははじめからのものではなくて、いつの間にかそれをされている間はぼんやりしているようになりました。現実逃避というか、精神身体から乖離しているような。

ずっとなにか、火を見ている気持ちでいたような気がします。自分でもよくわからないのですが、ゆらゆら揺れている炎の記憶がやたらとあります。もちろん暖炉とか火がある環境レイプされてたわけじゃないのに。なにか他のこと考えてないとやってらんなかったんでしょうね。

非常にはっきり覚えているのは、強姦されたときにいた和室の中で、破瓜の(あるいは膣の引き裂けた怪我の)血で汚れた畳のしみを、「お前が舐めて綺麗にしろ」と下卑た笑いを浮かべた男から言われたことです。

あれが父親だったのか、父が呼んだ他の誰かなのか、もうわかりません。「いぐさに染み込んだ血は舐めたって綺麗になりません」と言った私の頬を叩いて畳に押し付けたことだけ覚えています。朧気な記憶の中で、タンクトップの男が私を押さえ込んで、組み敷いて、汚い床の上で。身体はどこもかしこも裂けるほど痛くて、軋む音がして、換気扇の音がうるさくて、ヤニ臭くて、吐き気がして、息をしてるのかしてないのかわからなくて。ぐるぐるぐにゃぐにゃ天井が回っていて、汚い天井が揺れて、その記憶けがはっきり残っています

あとは気付いたらビニール袋を頭に被せられて、窒息しかけた記憶もあります。これも誰がやったのかわかりません。ビニール袋を被せられて、突き飛ばされて、倒れ込んだ私の腹に誰かが飛び乗るような感覚がありました。踏みつけられたのかな。わからないけど。

お腹の中でなにかがぐじゅりとおかしくなるような感覚がして、ビニール袋の中で声にならない悲鳴をあげて、意識が途切れて。その時内臓が破裂したみたいで、免疫が人より著しく低かったりだとか、そういう後遺症?みたいなものがあります

母にその後病院に連れて行かれた気がしますが、医者に「転んでぶつけた」と言い訳している記憶があります。無理あるだろと思ってました。

首を絞められた記憶もあります。これが結構多い。

酔っ払った父が私を突き飛ばして、顔から倒れ込んだ私の上に馬乗りになって首を絞める景色。畳しか見えなくて、もがいても逃げ出せるわけなくて、足掻いているうちに首に手を回されて。骨が軋んで、気管が狭まって、だんだん瞳孔が開いていくのか涙でか視界がぼやけていきます。焦点があわない視界で必死に瞬きをして。こひゅこひゅと喉からすきま風のように息が漏れて、喉が圧迫されて、必死でもがいていたら父がゲラゲラ笑って私の上から降りる。気まぐれに降りただけで、父の気が向かなかったら今私はここにいなかっただろうなと思います

首を絞められることは何度かありましたので、それでも今も生きているということは、殺してしまったらいけないという意識はあったのでしょうか。

或いは力や体格で絶対に敵わない弱いいきものが、自分の力加減ひとつ必死にもがいてあがいて生き延びようとする様を見て楽しんでいたのかもしれません。私を組み敷く父が下卑た笑いを上げていたのを見るに、その可能性が高いかもしれないですね。

首を絞められるにしても、前から絞められるのと、後ろから絞められるのでは苦しさが違います

正面から絞められる方が苦しいです。後ろから絞められる(人差し指~小指までが喉に触れる)状態だと、力の当たる面積が分散するからか、締め付けられている感覚はより大きいですが苦しさはマシでした。正面から首を絞められると、親指がぐっと気管を押さえつけてきますピンポイントで親指の一点に力が集中するため、苦しみが強いです。息ができない感覚が続いて、視界がぼんやりしてきたところで、ぱっと手が離されると、一気に外気が喉になだれ込みます。喉にはずっと何かが詰まっているような感覚がして、その後は1日ずっと咳が出ます

首を絞められた状態だと身体中に力が入りませんので、そのまま激しく体を揺さぶられたり、犯されたりすることもありました。

首を絞められた記憶がいまだに無意識でこわいのか、首周りを圧迫されることがめちゃくちゃ怖いです。

ネックレスも物によっては無理なレベルチョーカーとか全然つけられないし、ハイネックとかタートルネックとかもぴたっとしていると不意に圧迫感とあの時の恐怖を感じて過呼吸になりかけたりします。当然、人に首を触られるのも怖いです。首周りってやっぱ急所なのでだいたいの人間はそうだとは思うんですが、マフラーとかも辛くて巻けません。不意にパニック発作が出たりする可能性があり、リスキーなので。

性的虐待とは書きましたが、今思うと普通に暴行も多いですね。というか、虐待という場における性的ものは概ねほぼ暴力だと思います。もちろん快感とかはあるわけなく、痛みや屈辱の面が強すぎる。内臓を掻き回されて痛めつけられる、という感覚が強いです。

下品な話ですが匿名なため書いてしまうと、それが繰り返されたことで何年も経ったけどまんこがゆるい気がします。レズのため他の女の身体に触れた時、自分身体異端さを感じる時がありますガバマンすぎる。でもそりゃそうだよな。裂けて拡がったままになっちゃったんかな。わからないけど。

反射的に怯えてしまう、で言えば、足首掴まれ記憶から足首がきゅっとタイトになってる靴下あんまり得意じゃないかも!こわい!

これはよく聞く話ではありますが、私も性的虐待があって以来、その記憶を塗り替えなきゃ、という意識性的行為依存的になったように思います。付き合っていない女とセフレになったり、パパ活したりとか。「自分はもう汚いんだから」という記憶のせいで、自分大事にできない。自分を守れない。

長々と書いてしまいましたが、今のところこんな感じでしょうか。文章をお読みになってこのエピソードもっと深く知りたいなとか、ここ掘り下げてほしいなとか、この面ではどうだった?とかあれば、また書こうと思います。よければお声がけください。

繰り返しますがホンマにご遠慮なくネタにしてくださいね‼️今は𝑺𝒖𝒑𝒆𝒓 𝑯𝒂𝒑𝒑𝒚ウルトラ元気に過ごしております

2024-12-18

この時期になると思うこと。家族がつらい話

今後どうすればいいか深く考えたいと思い、思考を整理したくて書いた。無駄に長文。

こうした節目の季節や長期休暇の頃合いになると、決まって親から帰省の催促がなされる。

不快な思いをしながら、適当言い訳を付けて断るのをもうずっと続けている。家族とは今のところ折り合いが非常に悪く、諸々の事情からもう帰らない(帰れない)と心には決めている。

その気持ちを明言してしまい状況が変わってしまって面倒なことになってしまうのが嫌で、対話を避けてはっきりさせない気持ち悪い状態をずるずる続けている。

ただ、既に私もいい年だし、逃げ続けるのも良くないのではないか、もう親に影響されずに気持ちよく年を越したいと思い、これまでの半生を振り返ってどうすればいいか考えている。

私自身としては自らの親のことを毒親だと思っているものの、多分世間一般ラインからすれば普通の家庭なんだろうと思う。親も人間であり完全ではない、そんなこともわからずに、SNSに毒されて親に対して求めるものハードルが上がっていて、それを満たせていないから親が嫌なんだと。そんなふうに考えている自覚もある故に、割り切れないところもある。昔は本気でそんな思いだったものの、もう30を超えた今は流石にそれが間違いであることはわかる。でも親が憎くて嫌いなのは変わらない。そのあたりのおかしバイアスを指摘されたりするとわざわざ公開された場所に乱文を残す価値もあるんだろうと思う。

私は地方田舎で生を受けた。しばらくして妹も生まれた。家族は父母姉妹の4人だった。

きっと嫌なことが多かったんだろうと思う、年齢が一桁の時の記憶ほとんど無い。うっすらと、親に暴力をふるわれた事や、血筋の中でも頭が回る方で小学1か2年生くらいの最初はそれを褒めてくれた事は覚えているような気はする。

その時の母親の口癖は、「私があなたの頭を殴って大きなたんこぶを作ってから頭が良くなったんだ。」というものだったと思う。曖昧記憶でも、これは間違いなく覚えている言葉で、今でも子どもに対して暴力を振るいあまつさえそれを誇るような言動をするなんてとんでもない倫理観人間だと、親を嫌う理由の一つとなっている。

母親専業主婦であり、家事を一通り終わらせたら延々ネットゲームを行っており、家にいても常によく知らない誰かとボイスチャットをしていたのをよく覚えている。とにかく世間体を一番とする。痩せていると世間体が悪いからという言葉で少食なのに無理に食べさせられて今でも食事に苦手意識があるのと、拒否しているのに美容院に連れて行かれてそれらしい髪型強制されたのも記憶にあるところ。また、家族間では一切の秘密を許さないとのことでプライベートの全てを否定していたこともあった。うっかり見てしまたことがあるが、あなたパートナーが影で隠れてアダルトビデオを見ていることも把握しているのだろうか?ヒステリーを良く起こす方で、父親とは仲が良いようには思えず、常に離婚をちらつかせて喧嘩していた印象がある。たまに課金のためにコンビニに連れて行ってもらい、ついでにお菓子を買ってもらったこともあった気がする。総じて印象が良くない。

そんな母親に対して、父親には正直印象が無い。何をやってるのかよくわからない、たしか何らかの肉体労働だった気がする、氷河期世代で割の良くない仕事に早朝から遅くまで関わっており、休日不定期なこともあり、ほとんどコミュニケーションが無かった。もちろん低賃金ゆえ常に貧乏家庭でもあった。休みの日はもっぱらパチンコ漬けのようだった。社会人になってから思うと申し訳ないと思う気持ちはあるものの、正直普段同じ場にいない人間とは話が合わないし取れるコミュニケーションなんて限られてると思うし、今更仲を良くする価値も感じないところ。

そんな親の元過ごした小学生や中学生時代、確かに頭は良い方で学校の成績は5本の指に入るくらい良かった。ただ、その代わりに子供らしさというのを何処かに捨ててしまったらしい。良く言えば控えめで物静か、悪く言えば根暗コミュ障。外に出て運動をするより部屋で本を読んでいたほうが良い。そんな子どもらしくない子どもは、世間体を重視する母親イライラゲージを溜めてしまうらしい。頭の良さを褒められることも最初だけで、ある時からそれが当たり前で褒められることも無いし些細なミスで詰められたり、そんなようになってしまった。

一方で妹の方は私に比べればマシな人間だった。学校の成績は普通だが、いわゆる子どもらしい子どもであり、また、悪知恵も働いた。もちろん親は頭でっかちな姉よりも妹を好み、悪知恵により陥れられたことも何度もある。その都度姉なんだから我慢させられた経験は山ほどある。

中学の頃、決定的な事が起こる。運悪く治安が最悪な世代に混ざってしまった中学時代いじめは横行するし自殺未遂の話もあった。そんな殺伐とした空間思春期を過ごして平常でいられるわけがなく、必死で生きようとして荒んでいた時。妹との扱いの差や親のおかしなところに気が付き始める時。今でも解決してない自身性別に対しての悩みを持ち始める時。そんな難しい時に家族と買い物に出かけることになった。その時にとても不機嫌な対応をしたんだと思う。帰って自室に戻って一休み。催してトイレに行こうとした際に、両親のいる居間から「なんで◯◯なんて産んだんだろ、産まなければよかった」という声が聞こえてしまった。私が近くにいないと思ってそんな話をしたんだろう。実際可愛げのない私はいらない存在だったんだろう。それ以降、両親のことは一切信用しないことにした。喧嘩をしたとかの直接的な言い合いがヒートアップして出てしまったならまだしも、影でそのようなことを言うなんて、いっときの気の迷いとかではなく本気なんだろうなと妙に腑に落ちたところがあった。

以降の高校時代はそういう恨み言が続くだけ。勉強はできたので大学は行きたかったけれど、貧乏な家庭の上に当時の奨学金に対してのバッシングも相まって、大学は諦めることになり結局私自身も親と同じ高卒になってしまった。中学時代に仲が良く一緒に勉強を頑張った当時の友人は東京の有名な大学に行ったらしい。世の中は平等にできていないことを強く認識することになった。就職が近づくと老後は頼んだとか寒いことを色々言われた気がするが、もちろんもう何も信用してないのでさっさと親は捨てて一人で生きていくことを考えていた。一応長子だったので、そういう老後の世話や家を継ぐことを期待されたのも多かったと思う。

高校卒業後は当時のネット友達を頼り、地方を出て東京で職を得ることができた。

こんな得体のしれない高卒人間総合職として採用してくれた小さなベンチャー企業も、今では大きくなり比較的良い待遇仕事をさせてもらっている。パートナーもできてプライベートも充実した。

このときの悩みは今の仕事がどれだけ続けられるかというところと節目でやってくる親の帰省の連絡だった。親からメッセージの通知が来るたびに心臓が早鐘を打ち不眠になる。最初は真面目に帰省していた。わざわざ親の好む服装髪型にして。ここでの転機はコロナ禍の時だった。コロナ禍で帰省自粛していた頃合いだったが、流石に間が空きすぎたのとある時波と波の合間で落ち着いてきたタイミングであったこから断りきれず、久しぶりに帰省することになった。久々の帰省で大きなストレスを受け、パニック発作を起こすことになってしまった。そこからこじらせてしまい、本格的なパニック障害になり家から出ることもままならなくなってしまった。年単位時間をかけてなんとか仕事を続けられる程度には回復したが、未だに外出を行う際には辛さを伴うし、一人で遠出をすることもできない。なんとかある程度回復した症状をぶり返すようなこともしたくない。人生の全てが閉じられ終わってしまうようなあの感覚をまた感じたくはない。かくして帰省はしないものからできないものになってしまった。もっとも、世間体を気にする親は子の精神疾患なんて認められないだろうし、あるいは無理に連れ帰らせる、会おうとしてくるなど余計なことしかしないだろうことが想像できるので、この件も話してはいない。

このような人生を送り、この日記を書いた現在に至る。家族は嫌いで精神も壊した。それでも、一人で生き抜くことを決意してハードワークして作った資産もできた。昨今の好調株式市場のお陰でこれもかなり大きくなり、もう当分お金に困ることはないだろう。そうなるといよいよこの親との関係をどうするのかというところが割合として大きくなってくる。お金と一緒に順当に年も増え、もう30を超えてしまった。そんな年齢になってまで未だに身近にいない親を恐れ嫌いな親の期待に応えようとすることが馬鹿らしく感じ、整形なんかにも手を出したりもした。親が期待した娘は部分的にこの世から消えた。あまり実感がないものの、幼い頃の暴力が未だに影響しているような気がしていて、親のことは嫌いなのに親に直接刃向かうようなことを実行するのに未だに抵抗を感じてしまって辛くなる。そういう精神的なところから親を振り払うとともに、関係性もなんとかしたいと思うところ。

こんな長文をここまで読まれている方は稀有だろうと思うが、世間体と好みと役割を気にして私を直視しない私の憎む親と同様に、私もまた親のことを理解しておらず、対話を避け一方的に親を嫌っている事には気がつくだろう。私には色々な悩みや聞いてほしいことがあった。今の生活だって盤石ではないし、何かと家族と連絡がついたほうが生きやすいところはある。そういうのを全て過去の親の言動を延々に引きずり信用できないと切り捨て全部抱え込んで生きてきたのが今の私だ。これまでの言動や行動からどうせ否定されるだろうと決めつけ、またしまい込むのは簡単だが、どうしても筋が通ってないように思う。どうせなら自分過去のそういう言動で深く傷付き親を信用していないこと、自らはこういう悩みを抱えていて生きにくい事、その上で、あなた達が受け入れる気があり、私が許せるのであればマイペースに付き合っても良い。悪口というのは加害者は覚えてないだろうから、受け入れる受け入れない以前にそれでも許せるのかというのは難しいところではあるが。一方で理解できないこともあるんだから受け入れなくてもいい。誰にも迷惑をかけずひっそり生きていても、セクシャルマイノリティ迫害対象なのが昨今だし、別に親がそういう人間であっても不思議ではないし、むしろたまたま親になっただけの存在にそんなのを期待すること自体が贅沢なんだと思うようになった。それ以外にも複数嫌われるべき理由もあるし、そういう場合は縁を切ればいいだけ。そういう選択肢くらいは親に与えても良いのではと思うようになってきた。別に縁を切られたってこれまでの人生計画は親無しでやっていくつもりだったんだから、支障はないしむしろ公式に縁が切れれば親からの連絡に怯える日もなくなる。受け入れてくれるならそれもまた良いだろう。人間年を食うと丸くなると言うし、期待はしてないがそんな可能性もゼロではないだろう。人間関係希薄な令和の社会で、一人でも話ができる人間はいるに越したことはない。戸籍制度等のせいでどうやっても親と絶縁することが不可能日本社会において、親との関係性は悪いよりは良い方が良いに決まっている。もしこのルートで進むのであれば、将来親の葬式ポジティブ主催したいと思えるようになれたらなとは思う。最近始めた新しい趣味の話とかができたら良いなとは思う。本質的に私は寂しがり屋で、一人で生きるよう常に努力しているが、親という存在を欲しているんだなというのも俯瞰してると思うところ。

ここまで書いたら、支離滅裂な長文乱文な割に随分思考が整理されてスッキリしてきた気がする。私は親を許すつもりはない一方で理由も分から対話もせず消えてしまうのは筋が通ってないように思う。私は私の力で過酷なこの時代をなんとか生き抜くスキルを身につけられたと思っているが、認めたくはないものの、親の影響もそれなりにあるんだろう。少なくともこの年齢まで生き、ある程度の職と資産を得られた時点で虐待によって命を落としてしまった子ども、家庭の都合で高校にも行けず不本意な中卒でもなんとか生きる子ども、歪んだ教育犯罪に走ってしま子ども、それらの親であるところの真の毒親よりよほど良い親であったこともまた過程はともかくとして事実なんだろう。だから、今回の帰省キャンセルして、しばらくしたら思っていることをぶつけ、筋は通そうと思う。そんな厄介な子と関係を続けたいのか続けたくないのか、ボールは親に投げられる。今の時代覚悟さえできればスマホポチポチして三行半を叩きつけることができる。行動を起こすことでメンタル悪化するだろうが、こんな年齢でこんな馬鹿たことをしているのに耐えられなくなってきたし、じわじわ心を壊されるのも終わりにしたい。だから気持ちは伝える。これが結論未来自分他人からしたら甘いと思われそうではあるものの、縁切りも気持ちよく行いたい、そんな気持ちが強い。それに、双方納得の上で関係性を定義できれば、これ以上の干渉の無い理想的な形で終わらせることができる。頼もしい人生の味方を得られるかもしれない。だから、きちんと気持ちを伝えて、この気持ち悪い曖昧関係を終わらせようと思う。

2024-12-17

もっと邪道ゴルフゲームがしたい

王道

1.リアル寄りのゴルフゲーム

2.みんゴル

3.・

4.パンヤ

5.・ ← ここらへんがやりたい

6.・

7.カービィボール

邪道

 

パンヤ結局日本では出なかったな

海外アカウント作って途中までやったけどね、割と別ゲーだった

 

___

 

さんきゅーお前ら

パンヤシンガポール垢でやってたよ、PC版の方が好きだったけど

とりあえずマリオゴルフやろうかな

2024-12-16

運動音痴だけど体育は楽しみだった

それは別に教師指導が良かったからという訳ではない

ただ、バレーサーブが出来なくてもサッカーシュートへなちょこでもバスケドリブルボールを蹴飛ばししまっても

本気で怒ったり嘲笑したりする人がいなくて、出来ないなりにワイワイ遊んでいたからだと思う

要は休み時間の延長だった 楽しくない訳がない

きっとそれは体育の授業としては良くなかったのだろうけど、少なくとも自分は「ずっと恥をかかされている」なんて不貞腐れることはなかった

そしておそらく自分みたいな休み時間の延長みたいな体育だった人が多数派で、

から学校の体育を恨んでいる人がいるなんて知らなかった」と膝をつくNPOの人とかが生まれるのだろう

https://togetter.com/li/2480781

ディグダダグトリオを部屋の中でボールから出した場合、部屋の床はどうなってしまうのか

新しいターン制ストラテジー

イメージとして強いのはFFT(古いのは大戦略オウガバトルカプセル戦記)

これはチェス将棋拡張だ。戦略ストラテジーとも? 重複してるか。

1ターン1手だとゲームとしてつまらない(真剣味が増しすぎる)ので?

チェ棋の駒の通り、戦争を模している

戦争以外を主軸にしたい(敵を排除が要すぎる)

勝利条件

将を討つ、王道ゲームでは、拠点(味方重要ユニット)死守、敵拠点○○(だどりつく、破壊)などがある(将スだと討伐)。

これらも戦要素が強すぎる。

 戦争以外を色々考えてたら、スポーツってほとんど、敵陣にゴールするが目的だと気づいた。

 テニス等も敵陣深くまで敵を抜いてたどり着くのが目的ボール等だけでよい。

 これは矢やミサイルが届くとかい近代戦よりも、祭りでありがち? ご神体とか

勝敗がありそうな祭りルールゲームに活かせそう(スプラトマト祭りとか)

リアルタイムゲームもあるが、一人では対処しきれず、戦術がざっくりになりそうでターン制。

たどり着く系だとTDとかも多い。

初期のゲームは、避ける(生存)か倒す(殲滅)か、ゴールに行くだったかタイム

自軍と同等系の能力を持つCPU軍だと、倒し合いになる。カードゲームでも。

カードゲームでもカードを除けないのはヒントになりそう

カードじゃないがだと五目並べなど(五目ではなく設備を先に作ったほう勝ちとか)

せっかく争いから離れる(経路の違うゲームを作りたい)のだからもっと牧歌的目的に向かいたい

祭りカードゲームクラフト、見逃してるスポーツ、このあたりにいい感じの主要素ないか

アトラスとかシム系だと、敵のような存在と交互に戦うのがあったが。相手破壊好きがち。

結局陣取りか大将討ちになってしまうのか。

役(設備)設営が目的こいこいのようにどこで区切るかの選択ができるのは面白そうだ。

複雑な5~X並べのような。これなら相手と対等な条件(先手後手やマップ毎で目的が逆転はあるとはいえ

料理作る系とかもターン制考えてるんだろうけど、リアルタイムのほうが作りやすい(ターン制の要素が活かしにくい)のだろうな

2024-12-15

ブクマカ「体育ではちゃんと教えてもらってない!体育が嫌いな人もいる!体育教育はクソ!」

ん…?

ブクマカって学校マラソン大会でドベ付近を走ってた陰キャ集団サッカー時間ボールを前に蹴ることもできなかったあのチー牛だったの?

anond:20241215111332

そんなことよりチバ市(シティ)でオキアミボールが売っていないのに幻滅してないからオマエはモグリ外国人

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