買う人が少なくなったんなら一人にたくさん買わせようっていう発想が凄い
1枚あれば十分なものを一人にたくさん買わせようって思いついて、しかもそれを実践するなんて、明らかに天才
これがイノベーションってやつなんだな
人の幸せを喜べるってそれ自体すごく幸せなことなんだね。余裕があったり、自分に納得していると言うことだから。私は人の幸せをふと邪魔してみたくなることがある。
羨ましい人やねたましい物事があったとき、「まあ幸せそうだけど見えないところでいろいろと苦労や苦痛があるんだろう」と考え、「だから羨ましがるのは辞めよう」と結論する。そう考えるから落ち着く。では、本当に見たまま幸せいっぱいで不幸の影などなかったとしたら、私は納得できるか。横目でほころびを探さないか。
とはいえ最近は、他人の幸せをいくら欲したって手に入らない、それは他人の人生だって分かりつつあるけれど。
憧れや願望だけでなく嫉妬だって自分を拡張する動力になるから有用だし、これしか自分の人生はないと早々決め付けるのも、妙な抑制だと思うけどそれはまた別の話。
私は心から誰かにおめでとうと言えたことがない。言えるようになるべきかな。それが成熟した大人かな。目指すべきだとしてできるようになるかな。わからないけど、冒頭の私の言葉が真ならやっぱり言えるようになりたい。
フィードバック制御出来ない男の人は嫌い。
というか、一般と比較して3割程度しか意図が伝わらず、空気が読めないのがうざい。
周りの状況うかがえよ。人の話きけ。
専門用語(笑)使って、「みんなが知らない知識を広めてる自分」に気持ちよくなってんじゃねーよ。
受け流せない私も私だと思う。色々余裕ないのかな。
社会的な正義/不正義は、技術的な「正しさ」とは関係なく決まることに、そろそろ気付くべきだ。
http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20110529.html#p01
その意味するところは、次のどちらなのか。
これを明らかにしてほしい。後者なら私も賛成だが、前者なら情報技術分野関係者は受け入れることはできないだろう。法務省は後者のつもりのはずと信じたい。
情報系技術者以外の人間にとっては、どちらであろうと、望まない被害を受けるという点に変わりは無い。ゆえに「一般人」が、「罰するなら両方とも罰するべき」という発想に傾くのは、まさにPL法の論理であり、極めて自然なことだ。
そもそも、「技術そのものに正邪がある」という発想を社会に発信し広めてきたという点で、高木先生、貴方にも確実に責任の一端がある。裏切られてから慌てても遅いのだ。
言うまでもないが、技術そのものに正邪などない。その技術が社会的な正義に適うものと看做されるか否かは、それが利用者にどう受け入れられるかに完全に依存している。良き意図を持った技術者によって生み出された技術が、必ずしも正義を実現するとは限らない。その逆も、また然りだ。
これは、ソフトウェア技術においては特に顕著だ。なぜなら、ソフトウェアには実体が無い故に、「情報処理の結果にどう価値を見出すか」という問題の答えは、完全に受け手に依存しているからだ。「善良な技術と悪徳の技術」という二分法の論理を認めた時点で、あらゆるソフトウェアは「善悪」の彼岸を容易に行き来しうるということに、もっと早く気づいて欲しかった。
今からでも遅くない。高木先生にはぜひ、「技術」というものに対するスタンスを、今一度考え直していただきたい。今から立場を変えたとしても、私は、そのことを絶対に笑いはしない。
ソフトウェアに必ずバグが潜んでいるように、議論の誤りが判明することは恥ずべきことではない。ただ、反省し修正すれば良いだけなのだから。
補足:
当然ながら、私はソフトウェアにPL法の論理は適用できないと考えている。その理由は、主に以下の二つ。
そもそも、近年のアジャイル開発の理論が主張するように、「利用者の要求は変化する」ものだ。ある時点での要求を完全に満たしたソフトウェアが、将来のある時点における要求を満たさない、といった事態は容易に起きうる。その場合、そのソフトウェアには「バグ」があると看做されるだろう。この場合でも、ソフトウェアの開発者には、それをメンテナンスする義務が発生するのだろうか?
ソフトウェアを「製造物」と看做す概念は、「完全な設計は可能である」とするウォーターフォール開発が長年の間主流を占めていることからも分かる通り、人々の意識に深く浸透している。
今こそ我々は、ソフトウェアに対する正しい理解を広め、社会との適切な関係を構築すべく、活動していく必要があるのではないだろうか。
増田の家庭は、増田と旦那を足しても姑の家事能力には遠く及ばず、その事に増田は引け目を感じてるのかな?
まだ若いんだし、家事を専門にやってる人がいるわけでもないから気にする必要はないと思うけど
遠出のお誘いしてみたら?
年に一回しか会わないにしても、嫁がが積極的に考えて企画してくれたんだって思えれば義両親も嬉しいだろうし。
ある程度の誇張表現は仕方がない
あくまでマネジメントについてはね
だから主人公は作戦がバカっぽいと思ってもなにも言わないし、試合中は応援するだけ
作戦についてはノーボールはいいとしても、ノーバントはあまり良くない
http://b.hatena.ne.jp/entry/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110530-00000046-jij-soci
http://b.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/select/jiken/news/20110530k0000e040080000c.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/affairs/news/110530/trl11053017440005-n1.htm
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/national/update/0530/TKY201105300242.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.yomiuri.co.jp/national/news/20110530-OYT1T00682.htm
大阪まとめ速報
http://b.hatena.ne.jp/entry/furyouzuki.blog18.fc2.com/blog-entry-3361.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/tokuteisuta.blog24.fc2.com/blog-entry-5002.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/alfalfalfa.com/archives/3429020.html
身近に感じられるもので人気がありインパクトの強いもの、という条件で高校野球を選択したんだよ
もしドラは高校野球のストーリーじゃない。マネジメントのストーリーだ
マネジメントには結果が大事と書いてある以上、中途半端では意味を成さないからだ
本当はあの野球部には逸材が揃っていた、だけどすべてマネジメントのおかげにするためにあえてその設定は表に出さなかっただけだ
今書くとしたらちょうど最近イノベーションを起こしたAKB48にするべきかもね
彼女達も当然逸材ぞろいだろうけど、ミスチルを上回るほどの逸材がいるのかというと否だろう
そこそこのアイドルを集めてその中で競争させ、顧客一人に数十枚~数百枚買わせるという手法でイノベーションを起こし歴代1位を塗り替えたのは素直にすごいと思う
言うでしょ、綱紀粛正って。
組織に属しているくせに組織を愛せない、組織の命令に従わないような人間は組織から締めだすべき。
あと、飲み会やプライベートでこぼした愚痴なんかは密告すると昇進の判定に良い影響が出る、というのもいいではないか。
っていうのが俺の理想で、どの組織にも属せない反社会分子をあぶり出し、見せしめに殺すところまでいければいいなって感じ。
というか、ファシズムだ北朝鮮だっていうけど、北朝鮮って国家間の協調体制に協力しないから糾弾されてるだけでしょ。いつミサイルぶっぱなすかわからないアキバの加藤みたいなのが北朝鮮。国歌で起立しない教師みたいなのが北朝鮮なんだけどさ、そういうの持ち出してる人ってほんと頭悪いよね、誰とは言わないけど。
俺はそういうの抜きにすれば北朝鮮は嫌いじゃないよ。喜び組とか軍隊の行進とか美しいじゃない。ああいう整然とした美は大事だよ。日本の自衛隊ももっとそういうとこアピールすればいいのに。
ものすごく不思議に思っているんだけど、
なぜ地下水についてきちんと伝えないんだろうね?
建屋の水位が何cm下がったとか上がったとか、ど~のこ~のと言ってるけど、
具体的な事については沈黙・・・・・・
極論ですねえ。
積極的に絶縁したい!! 嫌い!! ってほど悪い人じゃないからこそ増田で愚痴ってるんです。
本人たちは悪い人じゃないけどちょっと鬱陶しい、でも、私の大切な家族(旦那)の親で、今後何十年も付き合わなきゃだめとわかっている人と積極的に喧嘩するのは、私には出来ないです。
逆に自分のペースに持ち込めるよう、年一回くらい義理の両親を自分たちのマンションに招いて手料理を振る舞ったらどうかな?
そうすれば旦那がいつも通り普通に家事をする姿を義両親に見せる事ができるわけだし
生活ペースの違いも理解してもらいやすくなると思う。
こちらを否定する気はないんだろうなというのはわかります。悪い人じゃないので。
でも、なんというか無邪気に悪気なく「女の幸せ」や「世間の常識」のテンプレを信じているので、話がループします。
ちなみに、嫁という言葉には、厳密には、その家に入るとかそういう意味があるのかもしれませんが、私は嫁という言葉をあまり深く捉えておらず、妻というよりはなんか嫁のほうが言いやすいので嫁と言ってます。あまり私の中で「嫁」という単語が重くないので……旦那には「私は●●の嫁だけど、”××家”の嫁ではないよ」と言ったことありますが。
ちなみに、××家の嫁じゃない、みたいなことは舅姑に言ってはいますよ。なんといっても別姓の報告もしてますんで。
無邪気に忘れているのかも。
http://anond.hatelabo.jp/20110530204952
単に「違う」だけで、姑さんには「嫁ちゃんの生き方を否定する」なんて気持ちは、さらさらないと思うよ。思ったこと、そのまま言っちゃうだけで。ってーか、これだけ「夫婦は独立国。私は家に嫁いだんじゃない」という主張を並べておいて、「嫁」と自分を表記するのがわからん。「私、嫁じゃありませんからっ」って宣言したら、楽になるんでないかい?
いっそ鬱陶しい嫁だから来るなと思ってくれたほうがいいんですがね。
2度ほど、本当に仕事で行けなかったので旦那だけ行かせたことがあるんですが、「嫁ちゃんに嫌われてるのかしら」と気にしている感じで、「2人でおいで」と何度も言われ、結局行かざるをえない状況になります。いろいろ気を使ってくれ、いらないと言ってもお小遣いをくれようとしたり、すごく仲良くしようと気を使ってくれているのがわかります。
なんとなく重要そうな所を太字にしてみた。
「国際常識を身につけるため、国旗、国歌に敬意を」 国歌斉唱時の起立命令は合憲 最高裁が初判断
卒業式の国歌斉唱で起立しなかったことを理由に、退職後に嘱託教員として雇用しなかったのは違法として、東京都立高の元教諭が都に損害賠償などを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(須藤正彦裁判長)は30日、起立を命じた校長の職務命令を合憲と判断し、元教諭側の上告を棄却した。都に賠償を命じた1審判決を取り消し、元教諭側の逆転敗訴となった2審判決が確定した。
最高裁は平成19年2月、国歌伴奏を命じた職務命令を合憲と初判断したが、国歌斉唱の起立命令に対する合憲判断は初めて。
1、2審判決などによると、元教諭は16年3月の都立高の卒業式で起立せず、東京都教育委員会から戒告処分を受けた。19年3月の退職前に再雇用を求めたが、不合格とされた。
同小法廷は判決理由で、卒業式などでの国歌斉唱の起立は「慣例上の儀礼的な所作」と定義。起立を命じた職務命令について「個人の歴史観や世界観を否定しない。特定の思想の強制や禁止、告白の強要ともいえず、思想、良心を直ちに制約するものとは認められない」と指摘した。
「国際常識を身につけるため、国旗、国歌に敬意を」 国歌斉唱時の起立命令は合憲 最高裁が初判断
その上で、「『日の丸』や『君が代』が戦前の軍国主義との関係で一定の役割を果たしたとする教育上の信念を持つ者にとっては、思想、良心の自由が間接的に制約される面はあるが、教育上の行事にふさわしい秩序を確保するためには合理的だ」との判断を示した。
判決は4人の裁判官の全員一致の意見で、うち3人が補足意見を付けた。竹内行夫裁判官は「他国の国旗、国歌に対して敬意をもって接するという国際常識を身に付けるためにも、まず自分の国の国旗、国歌に対する敬意が必要」とした。
1審東京地裁判決は21年1月、職務命令の違憲性を否定したが、「起立しなかったのは1回だけで不採用は裁量権の乱用にあたる」として都に約210万円の賠償を命じた。2審東京高裁は同年10月、職務命令の合憲性を認め、命令がある以上、元教諭は従う職務上の義務があるとして、1審判決を取り消し、逆転判決を言い渡した。
だ、そうな。
勤め先は20床弱の老人病院(診療所)という場所柄なのだろうか、月に数名の患者様が亡くなられる。
つい先日、出勤したら患者様が亡くなったところだという。90余歳のお婆さん、大往生だった。
最後の研修とばかりに初めてエンジェルケアにご一緒させてもらった。
「もうお茶が飲みたいって言ってくれないんだねぇ」と語りかけ、
その言葉にハッとさせられ、後悔の念がこみ上げてきた。
起きている時はほとんど常に人を呼び、
「お茶が飲みたい・ベッドを上げてくれ・あれを取って・これをこうして…」
そんな要求が絶えない方だった。
寂しいのだろう、とみんな思っていた。自分も。おそらくそうだったのだろう。
呼ばれて飛んで行けばその場で用事を考えたりもされていた。
忙しい時などは「ちょっと待っててくださいね」と言って後回しにしてしまうこともあった。
今考えれば、もっとお願いを聞いてあげられたのではないだろうか?
寂しいのなら、もう少しお話を聞いて差し上げることもできたんじゃないだろうか…?
ご遺体をを拭きながら自分の狭量さに恥ずかしくなってきた。本当に今更な話だった。
他の患者様もいらっしゃるので全てのご要望を叶えて差し上げるのは無理だ。
だけどもう少し患者様の気持ちになって、もう少しの優しさを持っていれば。
そう心がけていれば、もしかしたらこんなに後悔はしなかったのかもしれない。
仕事で接する方だけではなくて、日ごろの人間関係にも同じ反省を。
もう少しの優しさと思いやりを持って身近な誰かの声に耳を傾けるような、思いを推し量れるような、そんな人で在りたいと思った。
義実家に行くのが嫌だ。
舅も姑も悪い人ではないが、そもそも親の家などという気を使うところに行きたくない。
私は自分の実家ですら、就職してから10年くらい帰省していない(正確には、地元の友人が地元で結婚式をするのに呼ばれた時なんかに、前日一泊したり着替えるために立ち寄ったりはするが、いわゆる「帰省」という意味では一度も帰っていない)。兄と弟がいるので、別に帰る必要もないと思っているし、向こうも帰ってこいと言ったことは一度もない。ちょくちょくメールでやりとりしたり、向こうがこっちに出てきた時に食事したりする程度。別に毒親ではないが、どちらも独立した家庭なんだから、何か困ったことがない限り積極的に関わる必要を感じないというスタンスの一家。
旦那も帰るたび親から子供扱いでいろいろ言われるので積極的に実家に行きたくはないようだが、波風立てるのもあれだからとやはり年2~3回ほどは行くはめになる。これが面倒で仕方ない。
もちろんやむを得ず義実家に行った時は、普通に会話をしてお手伝いして愛想はふりまくが、本当に面倒くさい。
→姑と旦那の妹(義妹)と私が食事の準備と後片付け。舅と旦那はほとんど動かない。せいぜい出来た料理を食卓に運ぶくらい。
→姑は専業主婦だったので舅が動かないのはわかる。だけど妹さんと私が働いてるのに旦那が動かないのは??? 後で旦那に「なんで動かないの? なんでお母さんと妹さんと私だけ働かせてるの?」と聞いたら、「昔からそうだったから、まったく意識してなかった」と謝られた。でも、その後もあまり変わらない。
→義妹さんは未婚で、そこそこやりがいのある仕事で土日出勤もある。その度に姑が「まったく仕事ばっかりで恥ずかしい」みたいなことを言う。「打ち込める仕事があるのはいいことだよ」「もう女は仕事しないとかいう時代じゃないんだよ」と旦那が言っても、「でも『女の幸せ』はそうじゃないでしょ~」という会話。このやりとり10回はやっている。
→妹さんの前の会社がつぶれ失職した時は、ここぞとばかりに家事手伝いをやらせ、求職活動をしようとする義妹さんを止めた。これがありとあらゆる姑の行動の中で一番理解できない。
→そもそも私も仕事をしてるし、わけあって2人で住むマンションのローンは私が筆頭者で組んだし、専業主婦なんて絶対向いてないし、働くのを辞めろと言われても辞める気など微塵もない。私の前で女が仕事をすることを否定しまくる意図がわからん。
●こっちの住むところに口を出したがる。
→私たちは特に舅姑に相談せず2人で住むマンションを買った。別に義実家から遠い場所じゃなく、ドアtoドアで50分程度の距離で、通勤に便利な都会寄り(ちなみに私の実家までは新幹線で3時間+在来線1時間)。でもいまだに納得いってないらしい。義実家のごく近くの一戸建てのチラシとかが机の上に置いてあり「ここ、安いぞ」などと言ってくる。
●別姓だって言ってるのに……。
うちは戸籍上はやむをえず私が旦那の姓にあわせたが、通常は別姓を使用しており、戸籍名が必要なとき以外は、すべて自分の姓を名乗ってる。
結婚報告ハガキも別姓で作って、表札も2人の姓を併記。義実家にも説明はしてる。
なのに、年賀状とか荷物を送ってくる時はすべて、旦那の姓に私の名前をくっつけて送ってくる。正直、不愉快。
そもそも女だからと改姓を当たり前に求められるのは不公平だと思っていた私の苛々が、それらの行動のせいでさらに募ってしまい、旦那と話し合いの結果、今は私が我慢して、歳をとって2人とも定年したら戸籍上は私の姓に変えるということになって、いったんは落ち着いた。
旦那は子供がまったく欲しくない、面倒臭いからいらないという。たとえ奥さんが責任持って子育てをしてくれるとしても欲しくないと。
私も子供はそんなに欲しくない。旦那が欲しいというなら産んでもいいが、その場合は旦那もちゃんと「子育てを手伝う」のではなく、「2人で一緒に責任を持って、子育てをする」のでなければ嫌。
そんな二人なので、当たり前に子なし。
でも舅と姑は、さりげなく「このマンションなら子供2人まではいけるな」「子供は何人ほしい?」などとちょくちょくプレッシャーをかけてくる。プレッシャーをかけるならまずは自分の息子である旦那にかけるべきだし、でもまあ孫が欲しい気持ちもわかるしデリケートな問題なので、旦那に「ちゃんとお父さんお母さんに説明しなさい」と言っているが、旦那は私に輪をかけて波風嫌いなので、子無しで行こうとしていることをなかなか説明する気がないようである。私が嫌がってると思われてたら嫌だなと思う。
●毎回「家にもちゃんと顔を出してるか?」と言ってくる。
私は前述した通り、結婚前から、そもそも自分の実家に帰っていない。帰ってこいとも言われない。近くならともかく、往復3万くらいはかかる距離なので、用がないならお金がもったいないというのもある。
なのに、舅姑は毎回、「ちゃんとあなたの実家には顔出してるの?」「駄目よ、顔出さないと」「ちゃんと顔見せてやれ」とうるさい。
そういう家じゃないんですよーと説明しても、欠かさず毎回言ってくる。いい加減、うっとうしい。
基本的に嫁イビリなどまったくないし、色々食べ物を送ってくれたりするし、マンションの合鍵わたしてるけど一度も来たことないし、おそらく世間の嫁姑バトルなどというものから遥かに遠い場所にいる。
だから、年に数回は顔を出す。
年に3回、まったく違う世界観と幸福論を持っている人と、永遠の水かけ論をやっている気分。
旦那も、小さい頃は姑に勝手に物を捨てられたり、いろいろ細かいことをぐちゃぐちゃ言われたりして、うっとうしいという思いはあるようだが、嫌な舅姑ではないので、まあ良いだろうという程度の認識らしい。それは当たり前だが旦那にとって舅姑が他人じゃないからである。
私は、たとえば旦那になら別に困らされてもいいし、意識のズレは話し合いですり合わせたいけど、姑と舅はやっぱり他人って意識が強いから、なんで他人にこんなうっとうしい気分にさせられなくてはならんのだという思いのほうが強い。