はてなキーワード: 自衛隊員とは
日本だとイスラム教のモスク建設反対運動がある(キリスト教教会は許されるのに)クルド人に対する差別的発言を戸田市議員がしたりhttps://note.com/hearty_quail7285/n/nced9bd8c6279、江戸時代から続いた身分制度による差別、朝鮮人差別
黒人はくろんぼとか土人とか呼ばれるし沖縄県民に対しては大阪の自衛隊員が土人、シナ人と呼ぶし https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/192/syuh/s192072.htm
アイヌ民族は色々制限された。日本人に同化させる政策や旧土人法という法律もあった。
カナダでは白人女性がナチスと呼ばれて男性に押し倒された。日本人女性がバンクーバーで鼻を白人?男性に殴られて出血。
アメリカでは日本人に対して白人女性が Go back to China ! と言うしネイティブアメリカンは存在すらわからない。
真面目な話、自衛隊員が海外勢力との交戦で死亡した場合、靖国神社の扱いをはっきりさせておきたいという思いがある。
ここをはっきり決めておかないと、あとから喧々諤々の喧嘩(戦争かも)が勃発し兼ねないからだ。
個人的には先の大戦を美化するような施設に祀るなんてとんでもない!と思ってるが、多分保守派の方々はそうはいかないだろう。
だからといって『死=靖国で会おう!』とばかりに(本人意思関係なく)問答無用で祀るのは相当に問題だと思う。
仮に自衛隊員が交戦で死亡するような組織に変えるのなら、靖国合祀の可否を一隊員一隊員に至るまで徹底して確かめておく必要があると思っている。
まずメディアが自衛隊員が不足しているとバンバン報道し始め、政府が確実に自衛隊員保持法みたいな感じで法律を作って実質の徴兵制度が始まるだろうな
まずは最近自衛官になるハードルを下げた公務員が狙われるだろうね
裁判員制度みたく選ばれるようになりそう、まさに赤札だな
たまに憲法18条出してる奴いるけど、そもそも自衛官は苦役にはならないから拒否出来ないだろうね
よく素人が自衛隊に入隊しても使えないって言うやついるけど、誰だって最初は素人だし、雑用なんていくらでもあるから、人は幾らいても構わないんだよ
結局日本国民は実際に自分が巻き込まれない限り見て見ぬふりだからね
中国が半導体技術さえ身につけたら台湾は用無しになるから、実行するだろうね
自衛隊内部で起きているあらゆる理不尽な事象に対して、「あなたたちは理不尽なことをされても耐えなければいけない立場なのだから我慢しろ」という論理を使っている人を見かける。
よく考えてみてほしい。自衛隊員である前に彼らは日本国民だから、民法や刑法は適用される。だから、同僚から何千万円も借金して返さなければ罰される。実際に、そういう事案があった。
だから、自衛隊内部で暴力や不同意性交を強要されたら、それは当然のように犯罪行為。それが法治国家における前提。じっさい、自衛隊は憲法に拘束されてるよね。
自衛隊という立場に置かれた瞬間に「すべての理不尽なことを受容しろ」とはならないでしょう。彼らにも法に基づいて最低限与えられた権利がある。
軍隊は超法規的措置をとらなければいけないときに必要とされる組織だから、法的思考がなじまないのはわかっている。たしかに暴力を目前にすると、力無き道徳は無力だと思わされる瞬間は多い。あの空間はそういう感覚が狂いやすい。階級組織は階級を理由にあらゆることが正当化されやすいのかもしれない。
何が言いたいかと言うと、そういう前提を踏まえてもあなたの権利を侵害する馬鹿のことは許さなくていいし、それは自分が自衛隊員だからって本来は我慢しなくていいこと。
他の国の軍隊も同じ空気だからとか、シャバと自衛隊は違うからとか、そういう詭弁に耳を貸す必要はない。
あなたは日本国民。日本国憲法は自由の基礎法。義務を果たしてるなら権利は与えられる。もしあらゆる権利が組織の暗黙の了解によって無効化されるなら、憲法や法律が骨抜きにされてることを許してることになる。そんなのは公的組織として許しちゃダメだよね。
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【視点】問題の背景や文脈は異なりますが、2017年、当時の稲田朋美防衛大臣が、自民党の都議選候補の集会に出席し、「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」と、防衛省、自衛隊が組織を挙げて自民党候補を後押ししているかのような発言をし、同日、「誤解を招きかねない発言だ」と撤回を表明しました。記事中、江藤さんが「(自衛隊員が)政治的に動いているという疑いが出るとシビリアンコントロール(文民統制)の観点からも大きな問題」と指摘していますが、そうした観点も踏まえ当時、何が問題で、何を繰り返してはならないのか、自民党内で十分に議論し、それを反映しようとしてきたのか疑問です。
自民党大会に陸上自衛隊員が登壇し、国歌を歌った問題をめぐり、木原稔官房長官は自衛隊法には違反しないが、「反省すべきだと考えている」との認識を示した。今回のことがなぜ問題視されているのか。なぜ自衛隊員には政治的中立性が求められるのか。一橋大の江藤祥平教授(憲法学)に話を聞いた。
――政府は国歌の歌唱は、自衛隊法が制限する政治的行為には当たらないとの認識を示しています。これは政治的行為にはあたらないのでしょうか。
まず行為そのものと、どのような場なのかを切り離して考える必要があります。確かに、国歌を歌う行為は、一般的には政治的な行為ではないでしょう。例えば入学式などで先生が国歌を歌うのを政治的行為だという人はいません。
政治性が伴うかどうかは文脈に依存します。今回は、自衛隊員が職務としてではなく、私人として政党の大会で国歌を歌ったとしています。しかし問題は、客観的に見て自衛隊が党派的に利用されているように見えるかどうか、です。
――客観的にそう見えるか、とはどういうことでしょうか。
例えば「寺西判事補事件」(1998年)があります。市民集会で、裁判官であることを明かして発言した時に、それが裁判所法が禁じた「積極的な政治運動」に当たるとして処分を受けました。
同じように考えると、本人は私人として歌ったとしても、客観的には現職の自衛隊員が特定政党のもとで国歌を歌っているわけなので、党派性を帯びるとみられてもおかしくないでしょう。
――防衛省は私人であるとしていますが、党大会では制服を着た隊員が「陸上自衛隊が誇るソプラノ歌手」と紹介されて登壇しました。
二つの段階に分けて考えたほうがいいでしょう。一つは、自衛隊の制服を着て党大会に参加することの是非。どんな服を着ていくかは、その人がどういった立場で参加しているかを表します。たとえば裁判官が法服を着て市民大会に参加すれば、参加者はその人のことを「裁判官として振る舞っている」と見るわけです。
今回はそこに国歌を歌うという象徴的な行為が加わります。つまり、自衛隊員であることを示す制服の着用に、党大会という場で国歌を歌うという象徴行為が重なることで、政治的意味合いを帯びて受け取られる可能性が高まります。
――制服で参加する。または私服で国歌を歌う。そのどちらかだけなら問題ないのでしょうか。
自衛隊員として紹介されることもなく、私服を着てソプラノ歌手として歌っていれば問題ないでしょう。どんな場でも制服を着るのは自衛隊員としてのプライドなのかもしれませんが、そのプライドは政治的中立性の要請を上回るとは言えません。
――そもそも、自衛隊法に自衛隊員の政治的行為を制限する規定があるのはなぜでしょうか。
政治的中立性を求める規定は、自衛隊員以外の一般職の国家公務員や特別公務員に関してもあります。法を執行する立場の人たちが政治的な行為をしてしまうと、政治的に中立に法を執行していないのではないかという疑いが出てしまうためです。
さらに、自衛隊員は一般の公務員と比べても特殊で、政治的に動いているという疑いが出るとシビリアンコントロール(文民統制)の観点からも大きな問題となります。
自衛隊の職務自体が、政治の影響をもろに受けやすい職務といえます。自衛隊は防衛を担う実力組織である以上、文民統制の観点から法律に従って執行されているという「外観」を保つことが極めて重要なのです。
https://digital.asahi.com/articles/ASV4J319QV4JUTFK015M.html
90年代に大蔵省の役人がノーパンしゃぶしゃぶで接待を受けた件と、自民党大会で自衛隊員が君が代を歌った件は、根底で繋がっていると思うんだよね。
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偏差値的にレベルが低い大学からもある程度の数を国家公務員一種に採用するようになった
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役所や仕える政治家が何か問題起こしても「自分たちは正しいから正しいもん」が前提の破綻した論理を押し通すように
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自民党大会で自衛隊員が君が代を歌っても「法律より自分たちは正しいもん」という前提の論理を展開
みたいな。
まあ実際はもっと複雑な構造だろうけど、裁判でも法律からロジカルに辿り着く結論じゃなくて大衆迎合的かつ現状維持的な判決が出たりして(そしてそれが喜ばれる)、何か色々おかしいよ、という。
ところでノーパンしゃぶしゃぶって、今全国で何軒くらいあるの?
政治的行為は歌そのものじゃなくて特定政党の党大会に「自衛隊員として」参加したことじゃないの