はてなキーワード: 学生さんとは
学会というのはコネを作る場でもあるから、たいていメインの会議が終わった日の夜あたりに大規模な宴会が開かれる。
自分も発表(まあ所詮ポスターだが)が終わって、気持ちを楽にして参加していた。だがポッと出の企業研究員である自分は、一緒に来たインド人の同僚の他に特に積極的にコネを作りに行く相手もいない。
彼が知り合いに声を掛けに行って、手持ち無沙汰になったので会場をふらつく。するとちらほら日本語が聞こえてくるテーブルがあった。
もっと国際的なコネを作ったほうがいいいんだろうが、異国の地の母語というのはどうも安心してしまう。
声をかけて、輪に入れてもらった。皆初対面で、おそるおそる会話している様子だった。ラッキー。
最初に金融系の会社からきた人と、その現地カノジョ? みたいなのと話した。その子は特に研究に興味はないが、暇だから入場料を払ってやってきたらしい。そんなやつ居るのか。会社で来てるんだから当然ビジネスクラスなんでしょ? と言われたのが刺さってしまった。すまんな、エコノミーで。自分が行きたいと言い出した出張なので、申し訳なさもあって旅費も抑えておいたのだ。
次は学生さんたちとしばらく話して、皆とびきり優秀だったんだが、そのうちの一人とバスで帰ることになった。会場はバスで1時間はかかる辺鄙なところにあって、修学旅行で隣にたまたま座ったケースくらい、いろんな話をする余地があった。
どこをどう研究の話から飛んだのか覚えてないが、恋愛からハプ○ーの話に飛んだ。彼はその存在は知っていて、目を輝かせて体験談の話を聞いていた。こんな異国の地まで来て何を話してるんだろうと、こんなおじさんですまんと思いつつ、求められるがままに話した。ああ、普段から女の子もこれくらい食いつきよく話を聞いてくれればいいのに。
彼はかなりいい大学のドクターの学生で、自分よりもさらに才能も研究成果もあるんだが、社会人の業務の片隅で研究しているだけの自分が、彼の望むものをなぜか持っていた。彼の方がよっぽどすごいのに。天才でも、人間的な欲求にはそりゃ逆らえないよなぁと気づいた瞬間だった。そんなことまで(大抵の場合我慢して)研究に邁進しなきゃいけないなんてと思うと、どこかここにねじれた関係とやるせなさを感じるのだ。
それに、お兄さんお姉さん、おじさんもおばさんも
これからしばらくしたら、肉はまぁまぁ食えなくなる。
イラン上陸作戦がほとんど不可避になったってことは、もう北米に中東の肥料は届かん。
小麦もとうもろこしも間に合わん。小麦はそれでも意地でなんとかするかもしれん。だが飼料用のとうもろこしはどうにもならん。
飼料の消費は北米だけじゃない。北米の主要輸出農産物のTier1だから、輸入してる多数の食肉生産国も打撃が凄まじい。
奪い合いが始まる。カネが物を言う。最終価格にどれだけ転嫁されるのか想像もつかん。
国産牛もすごいことになる。廃業農家が続々現れる裏で、グングン高くなるだろうな。
円安の進行も不可避だろう。ハンバガも牛丼屋も劇的な値上げ、それでも足りずに大量閉店もあるかもしれん。
今のうちに牛をな、牛をいっぱい食っておくんだ。
2年後3年後、また食えるようになったときまで味を忘れないように。
コミュ力と礼儀は別の話って話だよ。学生さんにありがちなカン違いや。
対面のコミュ力は、ただの人証把握なんだわ。いわゆる学生さんのいうコミュ力とは、初回の対面力。これは、合わないひととは離れることができる、感じの悪い人とは友達にならない、ということができるからこそ成り立つ「コミュ力」なんや。
しかし
ビジネスではそうはいかない。仕事仲間と離れることはできないし、プロジェクトにアサインされたらそのメンバーでしばらくやるしかない。お客様の担当者を変えてもらったり、逆に自分を外してもらうことも難しい。
礼儀による積み上げが必要になるんやな。最初に「感じのいい人」だと思われるだけじゃ足りない。それが継続できていることが重要。
で、ただ言語化できるだけでは、最初はよくてもそのうち「なんやコイツ」って思われる。オウムと同じだからや。そのうち、失礼な奴というレッテルをはられる。
あえて突拍子もなく「失礼な奴とレッテルをはられる」と書いた。これに対して「そんなことない(笑)」と思ってしまったひとは、コミュ力を少々カン違いしているのかもしれんで。残りの人生を苦しんで生きような。
久々に完全に見る態度を間違えてしまった俺が悪い映画体験だった。54点。
きっしょい点検作業員の男が女の家にやってきてきっしょい話をする話、学生さんが道端で困っている車椅子の老婆を助けたことから事件に巻き込まれる話、マッチングアプリで出会った女と男が喧嘩になるんだけどそれどころじゃなくなる話、運命を信じない男が自動販売機に入っていた手紙を通じて運命を知る話、きっしょいストーカー男が対象の隣人の家に忍び込む話、希死念慮に侵されたコンビニバイトが事件に巻き込まれる話。
給料日に繁華街歩いてたらちょっと高級そうな「鉄板焼き」の店があったので、ちょっと贅沢しちゃおうかなと思って入ってメニューみたらお好み焼きともんじゃ焼きと焼きそばしかなくて、いや確かに鉄板で焼くけど俺の口そっちになってないよ~!みたいな感じだった。
っていうのも、これ絶対に知ってから見た方がいいので書いとくんだけどエンドロールに
IMAGE Base on 日本のテレビドラマシリーズ「トリハダ」
って書いてあるんだよ。トリハダの詳細は省くけど、要するにこれって腑落ちしたりトリックがあったり捜査があったりっていう一般的なサスペンスやミステリではなくて、世界のハズレ値と出会って不条理に人が死んで「えぇ……」ってなって嫌な気持ちになるだけのタイプのホラー作品なんだよね。で、尚且つオムニバスのそれぞれがちょっと「え?どういうこと?」ってなるんだけど別にそれが最終章で解決したりはしない。それぞれの登場人物がちょっと被ってるくらいの世界観の共有はあるけど、それが映画として有機的に絡み合ったりは基本的にしない。そういう作品だと思って見ればよかった。
ってことは俺がこの映画に求めていたのは基本的にはそういう部分なのね。だから最後まで「で、子の話って結局どこに収束するの?」と思って見てたから、それが達成されずに最後のコンビニの話が終わってあれ?終わった?ってなっちゃった。まぁ、コンビニの話はその前のストーカーの話に繋がってはいたからそれはよかったんだけど。
なので、これに関しては最初から韓国版トリハダを見る気持ちで見ればよかったとめちゃくちゃ後悔してる。期待値コントロールを完全に失敗してしまった。
話としては基本的にどれも「えっ、そうなるの!?」ってなるような仕掛けがあって見ていて退屈はしない。演技巧者を集めてやってるので見応えがあるし、ハラハラ感やソワソワ感を引き立てる演出も冴えてる。冒頭のきっしょい点検作業員、目が完全に三角形(△)でネチネチネチネチきっしょいこと言うの本当に無理で草。良い演技。
個人的にトリハダ、ヒトコワ好きの俺の中では自販機の中の手紙を追いかけていく話とストーカーが隣の家に忍び込む話が良かった。特にストーカーの話はストーカーが隣の女性の家に忍び込んであれやこれやをやる中で洗面所の歯ブラシを発見しそれを永遠に咥えてるってゲロキショ描写があるんだけど、最終的にベッド下にぽつんと残された歯ブラシノショットに「あの歯ブラシどこやった?排水溝磨く用のやつ」って台詞が入って、何もかもうまくいかんかったな……っていう諸行無常感と笑いのエッセンスがまじりあったバランス感がめっちゃ好きだった。
逆に学生さんが事件に巻き込まれる話はつまりどういうこと?感が強すぎてちょっと微妙。オムニバスにあるハズレ回。
あとはアレだな多分見た人全員が言うと思うんだけど最終章のコンビ店員がなんかヤンキー女みたいな感じなんだけどこの役者がめちゃくちゃよかった。ビジュもそうだし演技の感じも力強い感じもありつつ人生を投げ捨てた希死念慮に囚われた女性って役をしっかりやっててよかった。
そんなこんなで韓国版トリハダとして見れば十二分に合格点は出ているでしょう。元から天井が高いジャンルでもないので。重厚な韓国ミステリ、サスペンス、スリラー映画を見るつもりじゃなくて最初からそっちを見るつもりでみるならまぁまぁオススメ。
あるときは行っていないと誤解されて後輩に切れられたことがあったけれど、大学の目の前の駅とかで野党の議員が政治に関心がある若者を褒めそやしていたそんな時代。
最近はあの頃ほど野党の人は「投票に行こう!」って言わなくなった気がする。
そういえば、東国原が都知事選に出ていたあの頃、俺たちがと評すれば東国原が知事になれてたのに...って行っている人がいたんだけれど、
ワイは地方出身者としてあれだけ宮崎を盛り上げようとしていた男が宮崎以外で政治家やろうとしているのが許せなかったので、別の人に入れている。
野党の人は今の学生さんにも「投票しよう!」とか「選挙行こう!」とか言っているんだろうか?
ゆたぼん氏が言われてない、つまりそういうことだ、みたいなことを言っているのは見たけど。
あれ、何の勧誘?
多分コロナくらいの頃からずっといるけど、学生さん笑じゃないので正体不明。
なにしろ私は、
コロナ当時から学生さんではないのだから、今はアラフォーに差し掛かっている。
とかを通り越して、恐怖を感じる。
芋全開のマスクとメガネをしているし、キャッチ自体も若そうなので学生判定がガバガバすぎる。
ババアなら共感できると思うが、ガキはババアを見分けられない。
でもなぜこんな恐ろしいことが起こるのか、よく考えてみた。
私は年相応の服装をしている。
当時のお母さんが私と同い年くらいで、もうお母さんみたいな服装にならざるをえないんだよ。
それに、寒いし。
オシャレは我慢だが、お母さんは我慢する理由も必要もないので、真冬と真夏は特にお母さんだよ。
グリーンレーベルとかの安いダウンコートにGUのパンツとブーツとかスニーカー。
お母さんだろ?
でもなんでお母さんが、学生さんですか!?というトンチキな声がけをされるのか?
考えてみなよ。
今の若い子たちも、
お母さんみたいな服装してんだよな。
良くも悪くもワナビー初心者が書く掌編小説みたいな映画だったな55点。
様々な境遇――受験に人生を支配される主人公、学校でいじめにあうはるか、病気で余命幾許もない諒――の3人はとあるオカルト情報を元に集まる。それは夏に廃飛行場で花火をするとサマーゴーストと呼ばれる幽霊に出会えるという噂。廃飛行場で花火を行い、最後の線香花火に火をつけたとき彼女は現れる。死を意識する人にしか見えないという彼女と少年たちのひと夏の思い出。
みたいな話。
40分の短編アニメーション映画で初期の新海誠監督作品、例えば「ほしのこえ」みたいな作風になってる。美しい背景にラフ画や絵コンテみたいなキャラクターがアニメーションするみたいな感じで2020年代、after成長した新海、鬼滅の刃時代にこのクオリティはかなり厳しいと感じる人もいると思う。まぁ見てるとあんま気にならなくなるし、監督はイラストレーターやキャラデザを行う方で原画なども担当しているとのことで、文字通り「絵になる」シーンも多い。
途中、サマーゴーストに連れられて幽体離脱し空を飛びそこから落下し地面に激突するかと思いきや地面という名の海の中に沈没していくシーンなんかは粗削りだからこそのダイナミックさやCG処理の美しさなどがあった。まぁ今どき空飛んで落下してドボンかぁというのはあるが。
だがストーリー面に関しては申し訳ないけど圧倒的に尺が足りないと言わざるを得ない。
あらすじでも書いたような重いバックボーンを抱えた3人が幽霊との出会いによって人生を少し変える話、としては最低でも後20分。できれば40分くらいはほしい。ただこれはだから悪い映画だと言いたいのではなくて、それくらいの長尺にも耐えられるだけの映画であるはずだという意味でもある。
まぁ、イラストレーターさんが中心に作った制作会社の初めての商業作品。原案はともかく脚本は乙一さんなのでもっと詳細な話も書けただろうけど、そうしなかったのは予算が厳しかったのか純粋にマンパワーが厳しかったのか、監督としての力量が厳しかったのかはわからないが、描けているところは素晴らしいがゆえに様々な欠落が目についた。
例えば死を意識した人にしかサマーゴーストは見えない。苛烈ないじめを受け実際に自殺未遂を図るはるかや、大好きだったバスケもできなくなり、後輩に春を迎えられないと語るも冗談にしてしまう諒はわかる。しかし主人公は母親に受験のために厳しく生活を制限され本当は描きたい絵も封印しているというところは伝わるが、他の2人に比べると動機があまりに薄く見える。ノベライズ版では母親の毒親描写がドチャクソに増えているらしいが本作では「厳しい教育ママ」という印象から抜け出さない。おそらくシングルマザーで父親は死んだのか出ていったのかは作中では明かされないが、そこに彼が本心では求めている絵を描くという行為を絡めて深みを出すこともできたはずだが、そこまでは触れない。
またこの3人が集まり、そこにサマーゴーストが加わることで4人のケミストリがおきそれぞれの意識が変わるというのがおそらくあるべき作劇だと思うのだが、3人はそれほど深く話し合ったりもしないしサマーゴーストと深くかかわって変わっていくポジションはほぼ主人公に託されてしまっている。
そんな様々な欠落を抱えながらも透明感のある画面と青春のみずみずしさや、乙一による「きっとおそらくここでは何かがあったんだろう」とは思わせてくれる話運びの巧みさはあるので「なんだこれ意味わからんおもんない」とは俺はならなかった。
特に自殺した女の霊だと思われていたサマーゴーストが実は殺されて埋められていたことがわかり、主人公は彼女の死体探しに没頭する。(おそらく)死を求めていた主人公が、死を探すことで自身の生を見つめ直す。そしてスタンドバイミーよろしく3人で死体を探し、それを発見し、いざ対面する時に主人公は自分の中の死と出会い「死者の国への最後の招待状」を突き付けられる。そこで彼を生に引き戻すのがもう招待状を受け取ってしまっている諒の声だというのは作劇としてあまりに美しい。
1年後の夏、母親を説得しおそらく芸大か美大の受験を決心した主人公、まだいじめは終わっていないが戦うことを決めたはるか、そして諒が3人揃ってまた廃飛行場で花火をしているシーンに移るがそこにはもうサマーゴーストはいない。そうして花火が終わると諒は消える。
決してハッピーエンドではないし自体は大きく好転もしない。それでもひと夏を通じて何かが終わり、何かが始まる。
そういう映画だった。
ちなみに劇伴はいかにもキレイ目なアニメ映画劇伴ですよ!って感じのピアノと弦楽器多めのメロディアスな曲が多くてあぁアニメってやっぱ曲と絵で盛り上げるエンタメだよなと最近は実写ばっかり見てたので強く思わされた。
俺は学生時代に小説投稿サイト(まだ小説家になろうとかが出てくる前か黎明期)に入り浸っていてその時に、学生さんが書く「イメージ先行」の掌編小説を山ほど読んだ。彼ら、彼女らの小説は情報や描写は足りず話はめちゃくちゃで「ちゃんとした小説」を目指す人から散々叩かれたりしていたけれど、ただちゃんとした小説を書いて商業に乗せたいというだけの人にはない「絶対にこのシーンが書きたい」という思いが見えたり「この文章を書きたい」という文章自体への高い熱量がある作品も少なくなかった。
インターネットによってつながっている時代なんてせいぜいここ20-30年くらいの薄い時代なんで、そんなもの無くても大丈夫です。
そもそも、SNSで人々が自分の日常を発信するようになったのがせいぜい20年くらい。
その前は家族のホームページを作っている奇特な人が少数いたり、日常をブログにする学生さんがいたりしたけど。
その前は研究者が自分の研究内容を公開するものだったと言えばいいのか、趣味人が集まって文字をかき集めていたパソコン通信だったと言えばいいのか。
そんなSNSが無かった頃のロールモデルは身近な人で、親や親戚、先生、先輩、友達だったりしたものだったな。
しかし、あくまでも参考にする程度でなりきろうとまではしたんだろうかとは思う。
いくら誰かをロールモデルにしているからといって、その人の当日の服までまねしたらむしろ失礼に当たるってみんな分かってるからね。
もちろん、ドレスコードに従ったら必然的にかぶることがあり得るような場合は除くけれど。
そして、変なまねの仕方をしたらものまねをして侮辱していると捉えられても仕方が無いから、そういうまねの仕方はしなかった。
なんかインターネット上の人まねをする人は多分目の前にその人がいないからかロールモデルと言いながらもかつては失礼とされたことをやってるって思うね。
...いや、なりきり君はリアルにもいるけれど、その場合は本人に尊敬しているしあなたみたいになりたいみたいなことを言って、相手も周囲も受け入れているから成り立つのか。
やっぱり、勝手にやったらだめでしょってはなしだな。