作品内容と反響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 14:57 UTC 版)
「北条時宗 (NHK大河ドラマ)」の記事における「作品内容と反響」の解説
鎌倉時代中期、北条氏嫡流得宗家に生まれた若き執権・北条時宗を主人公に、宝治合戦や二月騒動といった幕府内部の抗争および元王朝襲来を国際的スケールで描く。 原作は高橋克彦の『時宗』であり、『炎立つ』(1993年 - 1994年)と同様に脚本と並行して執筆した。主役の和泉元彌は大河ドラマ初出演で、脚本担当の井上由美子も大河ドラマ初執筆。ストーリーは原作と異なっている。 鎌倉時代中期を舞台とした作品は大河ドラマ史上初めてで、現在も本作以外に存在しない。 『太平記』(1991年放送)とは近時代であり、作中でも幼少期の北条高時や足利尊氏を登場させるなど、それを強調する演出もなされた(ただしナレーションを務めた覚山尼が史実より長く生きているため両者と会ったことになっているが、本来覚山尼は二人が幼い時に他界している)。また、時宗の母・涼子(葛西殿)については毛利季光の娘という説が採用され、これに関連する形で毛利家が相模の本領を失って安芸に追われる原因となった宝治合戦の顛末を描いている。 この作品までの大河ドラマでは未踏の時代を取り上げ、元寇を題材に西洋人の貿易商人や高麗使節、元王朝初代皇帝世祖までが登場する世界スケールの構想となり、中国やモンゴルでの海外ロケも行われた。 ご当地となる福岡市早良区のシーサイドももち公園内には、謝国明館・少弐氏館・唐人街など中世の博多を再現した中世博多展示会場が設けられ、オープンロケが行われ、同年には「中世博多展」が開催された。一方の鎌倉市街の様子は、横浜市青葉区の緑山スタジオ・シティの屋外スタジオにおいて中世の鎌倉市街を再現して撮影された。 主役の和泉元彌は伝統芸能界からでは『元禄繚乱』の中村勘九郎(のちの十八代目勘三郎)からわずか2年後の大河主人公役抜擢であり、能・狂言界から初めて。また本作の前年、2000年のNHK紅白歌合戦の白組司会を務めた。 北条時頼役の渡辺謙は1987年『独眼竜政宗』、1993~1994年の『炎立つ』以来の出演で、急性骨髄性白血病の長期療養からの復帰後第一作目となった。また、『独眼竜政宗』で伊達政宗の父伊達輝宗を演じた、謝国明役の北大路欣也との共演となった。 初回放送の「鎌倉大激震」での蒙古の大船団、後半放送の「蒙古襲来」「弘安の役」での蒙古の大群の上陸の様子など、デジタル合成やコンピューターグラフィックスを駆使し、スケールの大きな迫力ある映像で再現。前作『葵 徳川三代』に続く2度目の全編ハイビジョン作品となる。 平均視聴率は18.5%、最高視聴率は21.2%(視聴率は関東地区・ビデオリサーチ社調べ)。
※この「作品内容と反響」の解説は、「北条時宗 (NHK大河ドラマ)」の解説の一部です。
「作品内容と反響」を含む「北条時宗 (NHK大河ドラマ)」の記事については、「北条時宗 (NHK大河ドラマ)」の概要を参照ください。
作品内容と反響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 23:07 UTC 版)
「毛利元就 (NHK大河ドラマ)」の記事における「作品内容と反響」の解説
毛利元就生誕500周年記念作品として製作。元就の妻・美伊の方の登場から死までは永井路子の小説『山霧 毛利元就の妻』が、それ以前と以降は内舘牧子のオリジナル脚本が中心となっている。同じ永井原作の『草燃える』(中島丈博脚本、1979年)が北条政子を源頼朝と共に共同主役(実質上は主役)として掲げたのに対し、美伊の方は登場期間が長くないこともあり、ほぼ元就単独主役という形になっている。 残された自筆の文章や書状の内容を元に、謀略家のイメージが強い元就を愚痴っぽいが家族思いの男性として描いた。一揆という語で土一揆や一向一揆などの百姓一揆しか思い浮かばなくなっている多くの現代人に理解しにくい「国人一揆」を元就が盟主となって結ぶ場面で、国人一揆を「国人領主連合」なる現代語訳を用いてお茶の間の一般視聴者に対する配慮を行っていた。過去2回時代劇専門チャンネルで再放送された。 キャスティングは、歌舞伎俳優の中村橋之助(現・8代目中村芝翫)・中村梅雀・中村獅童、アイドルの森田剛・松本恵、舞台俳優の上川隆也・笹野高史、宝塚出身の一路真輝、当時、駆け出しの若手俳優であった西島秀俊、お笑いタレントの恵俊彰など様々なジャンルに富んでいる。また、小劇場出身の俳優が多数出演している。 基本的にホームドラマ形式だが、常に家庭を大切に想い続けながらも実直な青年から老獪な策略家に変貌していく元就、その元就に深く影響を与える梟雄・尼子経久、初期の毛利家や晴久の代以降の尼子家内部の醜い権力争いなど、シリアスな影の部分も丁寧に描いている。また、それまではおしとやか、もしくは妖艶な役柄などシリアスなキャラクターのイメージが強かった松坂慶子が、陽気でハイテンションな元就の義母・杉の方を演じ、これ以降松坂はドラマやCMでコミカルな役が増えるようになった。 最終回「よく生き、よく死に」では死の床に就いた元就の目の前に、既に亡くなっている登場人物達が敵味方関係なく現れ(ちなみにこの回、それらの人物を演じた役者陣のオープニングのクレジットには、特殊な効果が施されている)、「これまでの元就の行いが極楽に行くべきか、地獄に堕ちるべきか」を糾問するという、一風変わった内容となっている(実は、それ自体が元就の走馬灯であるかのようにも表現されており、終盤で元就の死ぬシーンが描かれる)。ラストはその人物達と共に堀立直正らの製造した船に乗って仲良く天へ昇るという演出も見られた(オープニング映像ともリンクしている)。 題字は、元就自身の自筆書状のものを使用した。主人公となった実在人物の書状が使用されたのはこの作品のみである。また、この結果大河ドラマでは唯一、主人公自身がスタッフとして扱われた作品となっている。 小泉純一郎元首相が使用している、スピーチの決まり文句として定着しつつある「人生には三つの坂がある。上り坂と下り坂、そして『まさか』だ」というたとえはこの番組の第41回「奇襲厳島」における元就の台詞がオリジナルである[要出典]。なお、劇中で尼子経久が使用し、後に元就も使用する「謀多きは勝ち、少なきは負ける」の台詞は、元就が息子達に残した遺訓状に記されたものである。 『紀行』のコーナーが『花の乱』以来3年振りに復活したが、10月12日の放送については大月駅列車衝突事故のため休止となった。なお、本作では紀行のコーナーは次週予告の前に放送していた(翌年の『徳川慶喜』以降は、次週予告の後で『紀行』のコーナーを放送している)。 NHKドラマで本格的にCGデジタル技術が生かされるようになったのも『毛利元就』からだった。群衆シミュレーションプログラムをはじめ、さまざまな画期的な試みをした。 平均視聴率は23.4%、最高視聴率は28.5%。
※この「作品内容と反響」の解説は、「毛利元就 (NHK大河ドラマ)」の解説の一部です。
「作品内容と反響」を含む「毛利元就 (NHK大河ドラマ)」の記事については、「毛利元就 (NHK大河ドラマ)」の概要を参照ください。
作品内容と反響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 14:13 UTC 版)
「風林火山 (NHK大河ドラマ)」の記事における「作品内容と反響」の解説
原作は、2007年に生誕百周年となる小説家・井上靖が1950年代初頭に執筆した同名小説『風林火山』で、井上作品の大河ドラマ化は初めて。武田信玄(晴信)の軍師として知られる伝説的人物、山本勘助の生涯を描く。戦国時代の甲斐国が舞台となった作品である。 原作は勘助の武田家仕官から始まるが、本作は前半生にあたる放浪時代からスタートし、序盤は農民の娘・ミツとの悲恋など、オリジナルの展開となった。第12回「勘助仕官」から原作部分に入り、勘助が討死したとされる第四次川中島の戦いが最終回となった。ただ、第12回以降もオリジナルストーリーを基本に原作部分を組み入れる方式を取り入れており、第12回以降もオリジナルドラマの要素が強い。ホームドラマ的な要素が多かった近年の大河ドラマとは一線を画し、戦国時代の価値観に極力近づけていることを特色としている。しかし、堅苦しい話ばかりではなく、時々登場人物たちのユーモラスなやり取りも挿入され、緩急のある骨太な人間ドラマが繰り広げられた。戦国時代を扱った大河ドラマとしては視聴率に伸び悩んだが、原作小説を元に、各登場人物を個性豊かに描いた大森寿美男による脚本が評価を得た。 一般の戦国ドラマでは登場することの少ない山城の姿はVFXを駆使して再現され、音楽は連続テレビ小説『ほんまもん』、アニメ『雪の女王』などの作品を手がけた千住明が担当。勇壮かつ重厚なオープニングテーマは大河史上でも傑作の評が高く、その後も民放やCMなどでしばしば流用されている。 オープニングタイトルの冒頭部分で、風林火山の句「疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し」が内野聖陽によって朗読されており、第30回放送分より新たに収録し直されたものを放送している。 本編・次回予告の後、関連する名所・名刹を紹介するコーナー「風林火山紀行」が設けられた。最終回では、武田家と上杉家のその後について紹介された。クランクイン当初は全49回(2007年12月9日終了)での放送予定だったが、番組の人気と、クライマックスである第四次川中島の戦いのロケで迫力シーンが多く撮れたことを理由に急遽1話分を増やし、全50回放送へと変更された。大河ドラマ放送途中での増話決定は例が無い。なおNHKが公開した「平成19年度収支予算と事業計画の説明資料」によると、1話当たりの制作費は6,080万円となっている。 最高視聴率22.9%、平均視聴率18.7%(視聴率は関東地区・ビデオリサーチ社調べ)。
※この「作品内容と反響」の解説は、「風林火山 (NHK大河ドラマ)」の解説の一部です。
「作品内容と反響」を含む「風林火山 (NHK大河ドラマ)」の記事については、「風林火山 (NHK大河ドラマ)」の概要を参照ください。
作品内容と反響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 21:32 UTC 版)
「義経 (NHK大河ドラマ)」の記事における「作品内容と反響」の解説
源義経を主人公として家族の絆・親子の絆をコンセプトに、疑似家族としての主従の絆、貿易立国の建設を目指す平清盛との親子的なつながり、武家政権を樹立するために弟を切らねばならない源頼朝の「政治家」そして「兄」としての葛藤と苦悩などを新しい解釈も取り入れて描いた。清盛・頼朝らとの葛藤や義経の想いを描くにあたって「新しき国」との言葉が何度も用いられ、これが物語上でも重要な要素となっている。 源義経が大河ドラマの題材となるのは1966年の『源義経』以来2回目である。原作は2001年~2004年に発表された宮尾登美子の歴史小説『宮尾本 平家物語』及び『義経』で宮尾原作の大河ドラマ化は初めて。1966年の大河ドラマ『源義経』の作者である村上元三が資料提供として名を連ね、『源義経』で架空の人物として登場したうつぼが本作でも登場(キャラクター設定は別)し、京に住む孤児うつぼを通じた現代の目線からの義経像が描かれた。 原作が「平家物語」であることもあって、平清盛とその妻・時子を中心とした平家一族の描写にも重点がおかれ、時子と清盛の妾となった常盤御前やその娘・能子との関係、清盛の遺言を時子が捏造し、安徳天皇をすり替えるなど一族に対する情念が描かれ、平宗盛の父・清盛との葛藤や弟たちへのコンプレックスなどが丁寧に描写された。一方、家族愛がテーマでありながら、平家に重点をおいたために、主人公・義経の家族関係の描写が希薄となる矛盾が見られている。 主演は滝沢秀明。滝沢の大河ドラマ出演は『元禄繚乱』(1999年・吉良義周役)以来で、主演は初であった。また、滝沢は『源義経』の主演であった尾上菊之助(現在の七代目尾上菊五郎)が持っていた大河ドラマ単独主演の最年少記録(放送開始時23歳)を更新した(放送開始時22歳)。その他に、上戸彩や石原さとみなど旬の若手役者を主要キャストとして起用。また、渡哲也をはじめ、平幹二朗、中井貴一、松平健、松坂慶子、丹波哲郎、高橋英樹など日本を代表する役者が脇を固めた。 メインディレクター・黛りんたろうの独特の美学に基づいた演出は、「時代絵巻」ともいえる美しい映像表現を生み出した。五条の大橋、壇ノ浦の戦い、鶴岡八幡宮での舞といった物語のクライマックスとなる場面において、それぞれ桜、金粉、紅葉を大量に撒き散らす大胆な演出を試みている。最終回での「義経が自害した後、持仏堂の屋根から“白く輝く光”が噴き出す」という演出は脚本の金子成人との打ち合わせで生まれた。 第1回の一の谷の合戦のシーンでは「播磨国一ノ谷」とクレジットが出たが正しくは「摂津国」である。再放送では「摂津国一ノ谷」と訂正された。 本作で幼年期の義経、即ち牛若丸を演じた神木隆之介は『平清盛』(2012年)において源義経役として出演している。作品を変えて、同一人物を演じるというのは『太閤記』と『黄金の日日』での織田信長(高橋幸治)、豊臣秀吉(緒形拳)、『秀吉』と『軍師官兵衛』での豊臣秀吉(竹中直人) 役が有名だが、役者の成長に合わせてのキャスティングは『秀吉』(1996年)と『天地人』(2009年)で石田三成を演じた小栗旬以来である。 最高視聴率26.9%、平均視聴率19.4%(視聴率は関東地区・ビデオリサーチ社調べ)。
※この「作品内容と反響」の解説は、「義経 (NHK大河ドラマ)」の解説の一部です。
「作品内容と反響」を含む「義経 (NHK大河ドラマ)」の記事については、「義経 (NHK大河ドラマ)」の概要を参照ください。
作品内容と反響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 09:09 UTC 版)
「太平記 (NHK大河ドラマ)」の記事における「作品内容と反響」の解説
鎌倉時代末期から南北朝時代の動乱期を、室町幕府初代将軍・足利尊氏を主人公に描いた物語。原作は1950年代末から執筆された、吉川英治晩年の小説『私本太平記』。吉川作品の大河ドラマ化は、1965年(昭和40年)の『太閤記』、1972年(昭和47年)の『新・平家物語』以来で、通算3度目となる。主演の真田広之は、1987年(昭和62年)の『独眼竜政宗』以来4年ぶりの大河ドラマ出演で、2度目の出演にして主役に抜擢された。脚本は池端俊策と仲倉重郎(後半の一部)が担当しており、共に大河ドラマ初執筆。また番組の終了後に、各回にちなんだ名所旧跡を紹介するコーナー「太平記のふるさと」が設けられた。このコーナーは翌年以降の大河ドラマでも継承され、「◯◯紀行」(「紀行」コーナー)として定着することになる。 原作をもとに、足利尊氏の挙兵から鎌倉幕府滅亡、建武の新政、南北朝動乱を経て尊氏の死までを描く。NHK大河ドラマでは初めて南北朝動乱を本格的に取り上げた作品であるが、全49回のうち中盤の山場となる鎌倉陥落の第22回までが鎌倉時代、南北朝成立の第38回までが建武新政期となる配分で、南北朝時代が描かれたのは最後半の10数回程度であった。 群馬県太田市には武家屋敷のオープンセットが作られ、足利、新田、楠木館のシーンが撮影された。また、栃木県足利市には鎌倉や京都の町並みを再現したオープンセットが作られ、中盤の山場となる第22話「鎌倉炎上」の撮影にも使用された。本作品のために撮影された「火を噴く大道芸人」や「炎上する門」などのシーンは、その後の大河ドラマやその時歴史が動いたにも流用されている。足利市伊勢町には観光案内所を兼ねた「太平記館」が放送終了後も残り、撮影で使用された鎧などが展示されている。 本作品の特徴の一つとして、病死する登場人物(足利貞氏、後醍醐天皇、清子、尊氏ら)の最期を直接描くシーンが皆無という点がある。病死の場合、息絶える瞬間を映すことがなく全てナレーションによる説明に留まっている。一方、討死、殺害、自害するシーンは数多くあったが、中には、千種忠顕のようにいつの間にか退場し、台詞で戦死したことに触れられるという人物もあった。『三木一草』がことごとく滅んだという描写はあるが、その中の一人、結城親光は名前だけしか登場しない(父親の結城宗広は登場している)。また中先代の乱を起こした北条時行も、作中では名前のみで存在が語られるだけである。 大河ドラマに登場する皇族や公家の言葉遣いは、1988年の『武田信玄』(信玄の正室三条の方とその侍女八重)以降、部分的・断片的に御所言葉が採用されることがあったが、歴代の大河ドラマの中でも皇族や公家が多く登場する本作品では御所言葉ではなく標準語に近い言葉を話し、物腰や語尾などで武士や庶民との違いを表していた。御所言葉は、1998年の『徳川慶喜』以降大河ドラマに定着した。 プロデューサーのインタビュー記事によると、局内でも時期尚早であるとの意見があったものの、機が熟して取り上げられる時期が来るものでもないだろうとの判断から、本格時代劇として制作されるに至ったとのことである。その後も、この時代に関する大河ドラマは本作品以外に存在しない。 平均視聴率は26.0%、最高視聴率は34.6%(関東地区・ビデオリサーチ調べ)。 完全版DVDが2008年に発売されている。
※この「作品内容と反響」の解説は、「太平記 (NHK大河ドラマ)」の解説の一部です。
「作品内容と反響」を含む「太平記 (NHK大河ドラマ)」の記事については、「太平記 (NHK大河ドラマ)」の概要を参照ください。
- 作品内容と反響のページへのリンク