平家一族
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「平清盛 (NHK大河ドラマ)」の記事における「平家一族」の解説
平清盛(たいら の きよもり) (平太 → 平清盛) 演:松山ケンイチ(幼少期:前田旺志郎) 主人公。平忠盛の長男として育つが、実は白河院と舞子の子。幼名は平太(へいた)。 自分の出生の秘密を知ったことと、朝廷に忠実に仕える忠盛への軽蔑から荒れた少年期を過ごし、「無頼の高平太(たかへいた)」と呼ばれた。元服後も家を飛び出して西海で海賊退治をしていたが、都に連れ戻されて鳥羽院の北面の武士となったことで朝廷や貴族たちの実態と忠盛の真意を知り、父の生き方を理解していく。武士が蔑まれる世の中を少しでも「面白く生きる」ことを信条としており、宋の文物など新奇なものに惹かれる一方で、旧い権威や迷信の類を嫌う。 忠盛の死後、平氏の棟梁となる。鳥羽院と崇徳院をめぐる状況が悪化する中で両者の和解を願うが、自身の「守るべきもの」を優先し、鳥羽院に忠誠を誓う。保元の乱では旗幟を明らかにしないことで崇徳・後白河両陣営を天秤にかけ恩賞の吊り上げを図るが、後白河帝の挑発に乗る形で帝方へ参陣。戦後、信西の命に従って崇徳院方に着いた叔父・忠正の一党を処断し、敗れ去った者達の想いを背負って生きることを誓い、信西と組んで彼の政治改革を財力・兵力で支える。 信西に依頼されての熊野詣での最中に義朝らが謀反を起こすと、信西を救うために都に急行するが間に合わず、源氏との決着をつけることを決断。初めは恭順を装って源氏方の油断を誘う一方で、二条親政派の内通を誘って後白河院と二条帝を救出し、謀反人追討の勅を得ると直ちに行動し、源氏軍を打ち破る。戦後は源氏の残党の根絶やしを指示するが、池禅尼の懇願や常盤の姿に実母・舞子の姿を重ねてしまったことから頼朝や常盤の子らの命を助けてしまう。 二条帝の信頼を得て武士で初の公卿に上り、宋との交易を中心とした新しい国作りを目指すが、保守的な公卿たちの反対に遭ったことから更なる高みに上り、力を得ることを欲する。その野心に気付いた後白河院によって実権の無い太政大臣に据えられるが、在任中に一門の者達を次々に公卿に上らせ平家の権力を磐石なものとする。 50歳を迎えた直後に大病に倒れ、夢の中での白河院との対話から彼も自由に出来なかった「天下の三不如意」を意のままにすることを宣言し、棟梁を重盛に譲って出家し、都から離れた福原に隠退。福原を日宋交易を行う「平家の都」とする新たな国作りを目指す一方で、嘉応の強訴や殿下乗合事件で一門や都の人々に存在感を示し続ける。しかし、その過程で不満を持つ人々を力で押さえつけ、他者の犠牲を厭わない姿勢が兎丸の離反とその死を招く。 後白河院との関係が滋子の死を契機に破綻を来すと院の幽閉を図り、重盛に諫められ一度は思い止まるが、彼の死後、後白河院がその領地を奪うと怒りに任せて決起し院を幽閉、孫の安徳帝を擁して権力の頂に立つ。福原遷都など己が理想とする国作りを強引に進めるが、その精神は次第に狂気に支配されていき、頼朝の挙兵を機に正気を取り戻すが、既に心の軸を失い、剣すら振れない様になっていた。 後白河院との最後の双六に勝つと、武士が力で覇を競う時代の到来を予言して別れを告げる。間もなく熱病に倒れ、一門の人々に墓前に頼朝の首を供えるよう命じて亡くなった。死の直前に生霊となって西行の庵に現れ、一門の人々や頼朝へのもう一つの遺言を託していた。 平忠盛(たいら の ただもり) 演:中井貴一 平氏の棟梁。清盛の父。 武士の現状に強い不満を持っていた青年期に舞子との出会いと別れを経験し、彼女から清盛を託された時から「王家の犬で終わりたくない」との思いを抱くようになる。以後、清盛を武士の子として鍛え上げる一方で、朝廷に忠実に仕えることで武士の地位向上を図り、遂に武士初の殿上人となる。しかし、それは清盛との間に一時は溝を生じさせ、家盛を死に追いやる原因になった。 朝廷の意向により、公卿になることはかなわず、家盛を失ってからは「武士は何のために戦うのか」ということに自問自答し続け、「武士の世を作るために戦う」という答えを見出す。そして清盛を平氏の次期棟梁に定め、息子たちに愛用の品を形見分けし、また忠正ら一門の年長者と家人たちにはそれぞれの役目を遺言し、程なくして亡くなった。 平正盛(たいら の まさもり) 演:中村敦夫 忠盛の父。清盛の祖父にあたる。 「武士は院に仕えるもの」という考え方を持ち、忠盛が白河院に追われる舞子を匿うことに反対し、舞子を失った忠盛に院に逆らうことの愚かさを説いた。清盛が幼い頃に亡くなった。 平忠正(たいら の ただまさ) 演:豊原功補 忠盛の弟。清盛の叔父にあたる。 兄・忠盛の元で平氏一門を躍進させることを第一としており、一門の中でも高い発言力を持つ。そのため、忠盛が殿上人になった時には人目を憚らず嬉し泣きした。その一方で、平氏の血を引かない清盛を嫡男とすることに反対しており、家盛こそが平氏一門の正当な跡取りと考えていた。そのために一門の中でも、特に清盛に厳しく接する。ただし、清盛の息子たちには寛大な態度を取っており、「誰も好き好んで、血のつながりのあるなしで争わぬ」と言っている。 清盛の棟梁継承後も忠盛の遺言を守り、ご意見番として平氏を支える。保元の乱では頼盛が崇徳院方に参陣しようとしていることを知り、彼を一門の中で孤立させないため、そして平家一族の断絶を避けるために、頼盛に代って息子たちを率いて崇徳院方に参陣。清盛と骨肉の戦いを繰り広げるが、戦は帝方の勝利となり、敗走。のち伊藤忠清の縁者によって捕えられ、都に出頭させられる。清盛は助命に奔走するが、信西は忠正と息子たちの斬首を指示し、忠正は平氏の行く末を清盛に託して、斬刑に甘んじた。 平時忠(たいら の ときただ) 演:森田剛 時子の弟。滋子(建春門院)の兄。 出世の望みの薄い下級貴族の家の生まれである事から怠惰な暮らしを送っていたが、時子が清盛と知己であると知るや、清盛に取り入って利を得るという目的のため、先妻・明子を亡くしていた清盛に姉・時子との縁談を勧めた。時子が清盛の後妻になって以降は、一門の合議に加わるようになる。 平治の乱後は清盛の引き立てで右少弁に上るが、甥の憲仁親王の立太子を目論んだことが二条帝の不興を買い、清盛の命で官職を返上し、さらに二条帝を呪詛したとの疑いをかけられ、出雲に流される。その後間もなく都に召還されて参議に就任し、弁舌の才を生かして朝廷内での工作活動に従事する。清盛が病に倒れると、時子の実子である宗盛が棟梁を継ぐべきと主張し、一門にわだかまりを残す。 建春門院の兄として朝廷でも重用されるが、嘉応の強訴事件に巻き込まれ官職を剥奪されてしまう。以後は福原の清盛と後白河院の連絡役を務める一方、清盛の意を受けて摂政・藤原基房に殿下乗合事件の報復を行う。さらに禿(かむろ)を洛中に放って平家に批判的な人々を断罪し、これを批判した兎丸に「平家にあらずんば人にあらず 」と言い放つ。 清盛の死後も一門の都落ちに従い、壇ノ浦の戦い後、神鏡を守った功により死罪を免れ、能登に流された。 平家盛(たいら の いえもり) (平次 → 平家盛) 演:大東駿介(幼少期:藤本哉汰) 忠盛の次男。生母は池禅尼。幼名は平次(へいじ)。 眉目秀麗で才気煥発、また血の繋がらない清盛を兄として慕っていた。しかし祇園闘乱事件をきっかけに実子でないのにも関わらず清盛を立てる事を強要される母の事を想い、清盛に代わって自身が平家を担うと宣言。そして藤原頼長の引立てにより重用されるようになるが、実は逆に一門を窮地に陥れるための頼長の陰謀と知り愕然となる。失意の中、宗子に対して胸中を明かしてから、鳥羽院の熊野詣に同行するも、帰路に落馬事故によって死去する。 平経盛(たいら の つねもり) 演:駿河太郎 忠盛の三男。清盛・家盛・教盛たちとはいずれも異母兄弟。 やや存在感が薄く、たまに一門の者からも忘れられてしまう。武芸よりも和歌や糸竹の芸に関心を示しているため、時忠からは「(武芸に優れた)教盛と合わせて一人前」と揶揄される。清盛からは「これからも平家の文の軸たれ」と遺言される。壇ノ浦で教盛と共に入水した。 平教盛(たいら の のりもり) 演:鈴之助 忠盛の四男。清盛・家盛・経盛たちとはいずれも異母兄弟。 兄弟の中でも特に武芸に優れているが、文芸に疎いために時忠からは「(文芸に優れた)経盛と合わせて一人前」と揶揄されることもある。 平治の乱後は清盛の引き立てで常陸介に出世するが、憲仁親王立太子の企みに関わった廉で清盛の命で官職を返上している。清盛からは「これからも平家の武の軸たれ」と遺言される。壇ノ浦で経盛と共に入水した。 平頼盛(たいら の よりもり) (平五郎 → 平頼盛) 演:西島隆弘 忠盛の五男。生母は池禅尼。幼名は平五郎(へいごろう)。 直情径行型の清盛を苦手にしている。家盛と共に鳥羽院の熊野詣に同行し、家盛の最期を目撃した後、その最期の言葉を清盛に伝えた。家盛の死後は唯一の池禅尼の子としての立場から清盛をよく思わず、保元の乱では密かに崇徳院方に参陣しようとするが、池禅尼、そして忠正の説得にあって断念する。その後は自らの身代わりとなって崇徳院についた忠正への後ろめたさを清盛に見抜かれ、参陣を認められなかったことから清盛との間にわだかまりを抱える。平治の乱では忠盛から形見の品として受け継いだ銘刀「抜丸」を手に、源氏の軍勢と戦った。 平治の乱後は清盛の務めた大宰大弐の職に補され、大宰府に赴任する。しかし庶兄の教盛に参議昇進で先を越される等、一門の中では冷遇される。その後、摂関家や八条院の引き立てで念願の参議に上るが、職務怠慢を理由に後白河院によって解任される。失意の頼盛は清盛に一門からの放逐を願うが、清盛から福原造営の真意と自分が一門には不可欠な人間であると告げられたことで、「途轍もないことをしでかす兄を持った弟」の宿命を受け入れて一門を支えることを誓う。しかし、国の頂に立ち暴走する清盛を諫めたときは、聞き入れて貰えなかった。 清盛の遺言で「忠盛と池禅尼の血を守る」ことを託され、平家の都落ちには従わず、裏切り者の汚名を覚悟で鎌倉の頼朝を頼り、平家の血脈を残すことに成功する。壇ノ浦の戦いの翌年に亡くなった。 平忠度(たいら の ただのり) 演:ムロツヨシ 忠盛の六男。清盛たち兄弟の末弟。 熊野で生まれ育ったため、成人するまで兄たちとは面識がなかった。清盛の50歳を祝う宴にて兄達との対面を果たす。野生的な容姿だが、歌合で藤原兼実と互角に渡り合うほどに和歌にも造詣が深く、清盛からは「日本一」と認められている。 平家の都落ちに従い、一ノ谷の戦いで討ち死にする。 平重盛(たいら の しげもり) (清太 → 平重盛) 演:窪田正孝(少年期:平岡拓真 / 幼少期:丸山歩夢) 清盛の嫡男。母は明子。幼名は清太(きよた)。公卿となってからは「小松殿(こまつどの)」とも呼ばれた。忠正によると性格は「真面目すぎる」。 保元の乱で弟・基盛と共に初陣を飾る。乱後は清盛と共に昇進を重ねるが、自分を可愛がってくれた大叔父・忠正の処刑を命じた信西と手を組む清盛の生き方が理解できずに悩み、たびたび清盛と意見を対立させる。しかし院や山法師にも屈せず立ち向かう清盛の姿を目の当たりにするうちに考えを改め、父を支えることを誓う。 清盛が大臣に上った後を受けて大納言となる。清盛が病に倒れると棟梁の職務を代行するが、時忠に担がれた宗盛や時子との間にわだかまりを抱えることになる。 清盛が隠居すると跡を継いで棟梁となるが、その潔癖な性格を清盛に危惧されていた。殿下乗合事件を有職故実に則り穏便に収めようとしたが、清盛が報復を行わせたことで父との器の差を感じ、心を痛めて官職を退いていたが、妹・徳子の入内を機に復帰した。その後は清盛と後白河院の対立の和解に心を砕き、清盛が後白河院の六波羅幽閉を企んだ時は病身を押してこれを諫めるが、院近臣にして清盛の嫡男という微妙な立場ゆえに、院への忠節と父親への孝道との板ばさみとなって心身をすり減らした結果、42歳の若さで病死した。 平基盛(たいら の もともり) (清次 → 平基盛) 演:渡部豪太(少年期:末岡拓人 / 幼少期:池田優斗) 清盛の次男。母は明子。幼名は清次(きよじ)。忠正によると性格は「要領が良い」。万事を優秀な兄・重盛に任せて気ままに生きることを望んでおり、その様を清盛には「若い頃の自分に似ている」と評される。 平治の乱後は清盛の引き立てで遠江守に出世するが、憲仁親王立太子の企みに関わった廉で清盛の命で官職を返上している。平家による紫宸殿造営の成功を祈願するために高野山に向かうが、途中の宇治川で溺死する。その死は、崇徳院の怨霊によるものと噂された。 平宗盛(たいら の むねもり) 演:石黒英雄(少年期:草川拓弥 / 幼少期:村山謙太 / 7歳:黒澤宏貴) 清盛の三男。母は時子。幼名は清三郎(きよさぶろう)。 柔和でやや弱気な所がある性格。時子所生の兄弟たちの中では長子にあたり、実弟たちや叔父・時忠とは仲が良い。平治の乱の動乱の中で元服し、そのまま初陣となり、郁芳門を守る源頼朝軍と戦う。 平治の乱後は清盛の引き立てで順調に昇進し、参議に上って時忠・重盛とともに公卿となる。清盛が病に倒れると、時忠に唆され、棟梁の座を意識するようになる。 兄・重盛の死後に棟梁の座に就くが、重盛への劣等感と棟梁の座の重圧から宴三昧の日を過す。また源仲綱の愛馬・木下(このした)を強引に奪ったことが、以仁王の反乱における摂津源氏挙兵のきっかけとなった。しかし福原遷都への不満が出ると一門を代表して清盛を諫め、清盛に還都を決断させた。 壇ノ浦では嫡子・清宗と共に入水するが、沈まず泳いでいたところを捕えられ、後に斬首された。 平知盛(たいら の とももり) 演:小柳友 清盛の四男。母は時子。幼名は清四郎(きよしろう)。 文武に優れた青年。武術の稽古を軽んじる重衡を諌めるが、同時に単なる武門から脱しようとする平家の立場にも理解を示す。 清盛の死後は、平家の中核として源氏と戦うが、壇ノ浦の戦いで敗れると「見るべきほどの物は見つ」と言い残し、碇を身体に巻きつけて入水した。 平重衡(たいら の しげひら) 演:辻本祐樹(少年期:新田海統) 清盛の五男。母は時子。幼名は清五郎(きよごろう)。 無邪気な性格で清盛に心酔している。戦を知らずに育ったため、武術の稽古を嫌い、諫める伊藤忠清に「平家の権勢を前に戦を起こす者などいない」と言い放つ。平家に対する反乱鎮圧のため赴いた南都を焼き尽くし、平家に対する人心の離反を決定付けた。 平家の都落ちに従うが、後に捕えられ、南都に送られて斬首された。 平維盛(たいら の これもり) 演:井之脇海(少年期:大西勇哉) 重盛の長男。幼名は重太(しげた)。 「武芸より糸竹の芸の方が好きだ」と言って傅役の伊藤忠清を呆れさせた。 頼朝が東国で挙兵すると清盛より追討軍の総大将を命じられるが、日にちの吉凶を選ばずに出陣したり、陣中に遊女を招き入れる等、戦の常道を無視した行いで軍師の忠清と対立。挙句に水鳥の羽音を源氏の奇襲と勘違いして逃げ帰ると言う失態を犯し、清盛に散々に殴られる。 平家の都落ちに従うが、最後は一ノ谷の陣中より逃亡し、出家して那智の沖で入水自殺した。 平資盛(たいら の すけもり) 演:森永悠希(少年期:大西健誠) 重盛の次男。幼名は重次(しげじ)。 清盛の孫の立場に驕って摂政・藤原基房の行列を邪魔して辱めを受ける。後に維盛と共に富士川の戦いに向かう。 平家の都落ちに従い、壇ノ浦に死す。 重三郎(しげざぶろう) 演:石井蓮 重盛の三男。 平清宗(たいら の きよむね) 演:松本頼 宗盛の嫡男。 壇ノ浦では宗盛と共に入水するが、死に切れずに共に捕えられ、斬首された。 平長盛(たいら の ながもり) / 平忠綱(たいら の ただつな) / 平正綱(たいら の まさつな) / 平通正(たいら の みちまさ) 演:大地泰仁(長盛) / 久保山知洋(忠綱) / 山本卓(正綱) / 竹下諒一(通正) 忠正の息子たち。長盛が長男、忠綱が次男、正綱が三男、通正が四男。 保元の乱で父と共に崇徳院方に参陣。敗走後は父と行動を共にするが捕えられ、父とともに斬首を言い渡される。父が清盛に首を落とされると、父の旅路の供を願って清盛に早く首を落とすように願い出、いずれも清盛の手によって斬られた。
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