平家一族とは? わかりやすく解説

平家一族

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 15:55 UTC 版)

平清盛 (NHK大河ドラマ)」の記事における「平家一族」の解説

平清盛たいら の きよもり) (平太平清盛) 演:松山ケンイチ幼少期前田旺志郎主人公平忠盛長男として育つが、実は白河院舞子の子幼名平太(へいた)。 自分出生の秘密知ったことと、朝廷忠実に仕え忠盛への軽蔑から荒れた少年期過ごし、「無頼の高平太(たかへいた)」と呼ばれた元服後も家を飛び出して西海海賊退治をしていたが、都に連れ戻され鳥羽院北面の武士となったことで朝廷貴族たちの実態忠盛真意知り、父の生き方理解していく。武士蔑まれる世の中を少しでも「面白く生きる」ことを信条としており、宋の文物など新奇なものに惹かれる一方で旧い権威迷信の類を嫌う。 忠盛死後平氏棟梁となる。鳥羽院崇徳院をめぐる状況悪化する中で両者和解を願うが、自身の「守るべきもの」を優先し鳥羽院忠誠を誓う。保元の乱では旗幟明らかにしないことで崇徳後白河陣営天秤にかけ恩賞吊り上げを図るが、後白河帝挑発乗る形で帝方へ参陣。戦後信西の命に従って崇徳院方に着いた叔父・忠正の一党処断し、敗れ去った者達の想い背負って生きること誓い信西組んで彼の政治改革財力兵力支える。 信西依頼されての熊野詣で最中義朝らが謀反起こすと、信西を救うために都に急行するが間に合わず源氏との決着をつけることを決断初め恭順装って源氏方の油断を誘う一方で二条親政派の内通誘って後白河院二条帝救出し謀反人追討の勅を得ると直ち行動し源氏軍打ち破る戦後源氏残党根絶やし指示するが、池禅尼懇願常盤の姿に実母舞子の姿を重ねてしまったことから頼朝常盤の子らの命を助けてしまう。 二条帝信頼得て武士で初の公卿上り、宋との交易中心とした新し国作りを目指すが、保守的な公卿たちの反対に遭ったことから更なる高み上り力を得ることを欲する。その野心気付いた後白河院によって実権の無い太政大臣据えられるが、在任中に一門の者達を次々公卿に上らせ平家権力磐石ものとする50歳を迎えた直後大病倒れ夢の中で白河院との対話から彼も自由に出来なかった「天下の三不如意」を意のままにすることを宣言し棟梁重盛譲って出家し、都から離れた福原隠退福原日宋交易を行う「平家の都」とする新たな国作りを目指す一方で嘉応の強訴殿下乗合事件一門都の人々存在感示し続ける。しかし、その過程で不満を持つ人々を力で押さえつけ、他者犠牲厭わない姿勢が兎丸の離反とその死を招く。 後白河院との関係が滋子の死を契機破綻来すと院の幽閉図り重盛諫められ一度思い止まるが、彼の死後後白河院がその領地を奪うと怒り任せて決起し院を幽閉、孫の安徳帝擁して権力の頂に立つ。福原遷都など己が理想とする国作りを強引に進めるが、その精神次第狂気支配されていき、頼朝の挙兵機に正気取り戻すが、既に心の軸を失い、剣すら振れない様になっていた。 後白河院との最後双六に勝つと、武士が力で覇を競う時代到来予言して別れを告げる間もなく熱病倒れ一門人々墓前頼朝の首を供えるよう命じて亡くなった死の直前生霊となって西行の庵に現れ一門人々頼朝へのもう一つ遺言託していた。 平忠盛たいら の ただもり) 演:中井貴一 平氏棟梁清盛の父。 武士の現状に強い不満を持っていた青年期舞子との出会い別れ経験し、彼女か清盛託された時から「王家終わりたくない」との思いを抱くようになる以後清盛武士の子として鍛え上げる一方で朝廷忠実に仕えることで武士の地位向上を図り遂に武士初の殿上人となる。しかし、それは清盛との間に一時は溝を生じさせ、家盛を死に追いやる原因になった朝廷意向により、公卿になることはかなわず、家盛を失ってからは「武士何のために戦うのか」ということ自問自答し続け、「武士の世を作るために戦う」という答え見出す。そして清盛平氏次期棟梁定め息子たち愛用の品形見分けし、また忠正ら一門年長者家人たちにはそれぞれの役目遺言し程なくして亡くなった平正盛たいら の まさもり) 演:中村敦夫 忠盛の父。清盛祖父にあたる。 「武士は院に仕えるもの」という考え方持ち忠盛白河院追われる舞子匿うことに反対し、舞子失った忠盛に院に逆らうことの愚かさ説いた清盛幼い頃亡くなった平忠正たいら の ただまさ) 演:豊原功補 忠盛の弟。清盛叔父にあたる。 兄・忠盛の元で平氏一門躍進させることを第一としており、一門中でも高い発言力を持つ。そのため、忠盛殿上人になった時には人目を憚らず嬉し泣きした。その一方で平氏の血を引かない清盛嫡男とすることに反対しており、家盛こそが平氏一門正当な跡取り考えていた。そのために一門中でも、特に清盛厳しく接する。ただし、清盛息子たちには寛大な態度取っており、「誰も好き好んで血のつながりのあるなしで争わぬ」と言っている。 清盛棟梁継承後も忠盛遺言守りご意見番として平氏支える。保元の乱では頼盛が崇徳院方に陣しようとしていることを知り、彼を一門の中で孤立させないため、そして平家一族の断絶避けるために、頼盛に代って息子たち率いて崇徳院方に参陣。清盛骨肉戦い繰り広げるが、戦は帝方の勝利となり、敗走。のち伊藤忠清縁者によって捕えられ、都に出頭させられる清盛助命奔走するが、信西は忠正と息子たち斬首指示し、忠正は平氏行く末清盛託して斬刑甘んじた平時忠たいら の ときただ) 演:森田剛 時子の弟。滋子建春門院)の兄。 出世望みの薄い下級貴族の家の生まれである事から怠惰な暮らし送っていたが、時子清盛知己であると知るや、清盛取り入って利を得るという目的のため、先妻明子亡くしていた清盛に姉・時子との縁談勧めた時子清盛後妻になって以降は、一門合議に加わるようになる平治の乱後は清盛引き立て右少弁上るが、甥の憲仁親王立太子目論んだことが二条帝不興を買い、清盛の命で官職返上し、さらに二条帝呪詛したとの疑いかけられ出雲流されるその後間もなく都に召還され参議就任し弁舌の才を生かして朝廷内での工作活動従事する清盛が病に倒れると、時子実子である宗盛棟梁を継ぐべきと主張し一門わだかまりを残す。 建春門院の兄として朝廷でも重用されるが、嘉応の強訴事件巻き込まれ官職剥奪されてしまう。以後福原清盛後白河院連絡役を務め一方清盛意を受け摂政藤原基房殿下乗合事件報復を行う。さらに禿(かむろ)を洛中放って平家批判的な人々断罪し、これを批判した丸に平家にあらずんば人にあらずと言い放つ清盛の死後も一門都落ち従い壇ノ浦の戦い後、神鏡守った功により死罪免れ能登流された。 平家盛(たいら の いえもり) (平次平家盛) 演:大東駿介幼少期藤本哉汰忠盛次男生母池禅尼幼名平次(へいじ)。 眉目秀麗才気煥発、また血の繋がらない清盛を兄として慕っていた。しかし祇園闘乱事件きっかけ実子でないのにも関わらず清盛立てる事を強要される母の事を想い清盛に代わって自身平家を担うと宣言。そして藤原頼長引立てにより重用されるようになるが、実は逆に一門窮地陥れるための頼長の陰謀知り愕然となる。失意の中、宗子に対して胸中明かしてから、鳥羽院熊野詣に同行するも、帰路落馬事故によって死去する平経盛(たいら の つねもり) 演:駿河太郎 忠盛三男清盛・家盛・教盛たちとはいずれ異母兄弟。 やや存在感薄く、たまに一門の者からも忘れられてしまう。武芸よりも和歌糸竹の芸に関心示しているため、時忠からは「(武芸優れた)教盛と合わせて一人前」と揶揄される。清盛からは「これから平家の文の軸たれ」と遺言される。壇ノ浦で教盛と共に入水した平教盛たいら の のりもり) 演:鈴之助 忠盛の四男。清盛・家盛・経盛たちとはいずれ異母兄弟兄弟中でも特に武芸優れているが、文芸疎いために時忠からは「(文芸優れた経盛合わせて一人前」と揶揄されることもある。 平治の乱後は清盛引き立て常陸介出世するが、憲仁親王立太子企みに関わった廉で清盛の命で官職返上している。清盛からは「これから平家の武の軸たれ」と遺言される。壇ノ浦経盛と共に入水した平頼盛たいら の よりもり) (平五郎平頼盛) 演:西島隆弘 忠盛の五男。生母池禅尼幼名は平五郎(へいごろう)。 直情径行型の清盛を苦手にしている。家盛と共に鳥羽院熊野詣に同行し、家盛の最期目撃した後、その最期言葉清盛伝えた。家盛の死後唯一の池禅尼の子としての立場から清盛をよく思わず、保元の乱では密かに崇徳院方に陣しようとするが、池禅尼、そして忠正の説得にあって断念するその後は自らの身代わりとなって崇徳院についた忠正への後ろめたさ清盛見抜かれ、参陣を認められなかったことから清盛との間にわだかまり抱える。平治の乱では忠盛から形見の品として受け継いだ銘刀抜丸」を手に、源氏軍勢戦った平治の乱後は清盛務めた大宰大弐の職に補され大宰府赴任する。しかし庶兄の教盛に参議昇進先を越される等、一門の中では冷遇される。その後摂関家八条院の引き立て念願参議上るが、職務怠慢理由後白河院によって解任される。失意の頼盛は清盛一門からの放逐を願うが、清盛から福原造営真意自分一門には不可欠な人間であると告げられたことで、「途轍もないことをしでかす兄を持った弟」の宿命受け入れて一門支えることを誓う。しかし、国の頂に立ち暴走する清盛諫めたときは、聞き入れて貰えなかった。 清盛の遺言で「忠盛池禅尼の血を守る」ことを託され平家都落ちには従わず裏切り者汚名覚悟鎌倉頼朝頼り平家血脈を残すことに成功する壇ノ浦の戦い翌年亡くなった平忠度たいら の ただのり) 演:ムロツヨシ 忠盛の六男。清盛たち兄弟末弟熊野生まれ育ったため、成人するまで兄たちとは面識がなかった。清盛50歳を祝う宴にて兄達との対面を果たす。野生的な容姿だが、歌合藤原兼実互角に渡り合うほどに和歌にも造詣深く清盛からは「日本一」と認められている。 平家都落ち従い一ノ谷の戦い討ち死にする平重盛たいら の しげもり) (清太 → 平重盛) 演:窪田正孝少年期平岡拓真 / 幼少期丸山歩夢清盛嫡男。母は明子幼名は清太(きよた)。公卿となってからは「小松殿こまつどの)」とも呼ばれた。忠正によると性格は「真面目すぎる」。 保元の乱で弟・基盛と共に初陣を飾る乱後清盛と共に昇進重ねるが、自分可愛がってくれた大叔父・忠正の処刑命じた信西手を組む清盛生き方理解できずに悩み、たびたび清盛意見対立させる。しかし院や山法師にも屈せず立ち向かう清盛の姿を目の当たりにするうちに考え改め、父を支えることを誓う。 清盛大臣上った後を受けて大納言となる。清盛が病に倒れると棟梁職務代行するが、時忠担がれ宗盛時子との間にわだかまり抱えることになる。 清盛隠居すると跡を継いで棟梁となるが、その潔癖な性格清盛危惧されていた。殿下乗合事件有職故実則り穏便に収めようとしたが、清盛報復を行わせたことで父との器の差を感じ心を痛めて官職退いていたが、妹・徳子入内機に復帰したその後清盛後白河院対立和解に心を砕き清盛後白河院六波羅幽閉企んだ時は病身押してこれを諫めるが、院近臣にして清盛嫡男という微妙な立場ゆえに、院への忠節父親への孝道との板ばさみとなって心身をすり減らした結果42歳若さ病死した。 平基盛(たいら の もともり) (清次平基盛) 演:渡部豪太少年期:末岡拓人 / 幼少期池田優斗清盛次男。母は明子幼名清次(きよじ)。忠正によると性格は「要領良い」。万事優秀な兄・重盛任せて気まま生きること望んでおり、その様清盛には「若い頃自分似ている」と評される平治の乱後は清盛引き立て遠江守出世するが、憲仁親王立太子企みに関わった廉で清盛の命で官職返上している。平家による紫宸殿造営成功祈願するために高野山に向かうが、途中宇治川溺死する。その死は、崇徳院怨霊よるもの噂された。 平宗盛たいら の むねもり) 演:石黒英雄少年期草川拓弥 / 幼少期村山謙太 / 7歳黒澤宏貴清盛三男。母は時子幼名清三郎(きよさぶろう)。 柔和でやや弱気な所がある性格時子所生兄弟たちの中では長子にあたり実弟たちや叔父時忠とは仲が良い平治の乱動乱の中で元服しそのまま初陣となり、郁芳門を守る源頼朝軍と戦う。 平治の乱後は清盛引き立て順調に昇進し参議上って時忠重盛とともに公卿となる。清盛が病に倒れると、時忠唆され棟梁の座を意識するうになる。 兄・重盛の死後に棟梁の座に就くが、重盛への劣等感棟梁の座の重圧から宴三昧の日を過す。また源仲綱愛馬木下このした)を強引に奪ったことが、以仁王反乱における摂津源氏挙兵きっかけとなった。しかし福原遷都への不満が出ると一門代表して清盛諫め清盛還都決断させた。 壇ノ浦では嫡子・清宗と共に入水するが、沈まず泳いでいたところを捕えられ、後に斬首された。 平知盛たいら の とももり) 演:小柳友 清盛の四男。母は時子幼名は清四郎(きよしろう)。 文武優れた青年武術稽古軽んじる重衡諌めるが、同時に単なる武門から脱しようとする平家立場にも理解を示す清盛の死後は、平家中核として源氏と戦うが、壇ノ浦の戦い敗れると「見るべきほどの物は見つ」と言い残し、碇を身体巻きつけて入水した平重衡たいら の しげひら) 演:辻本祐樹少年期新田海統) 清盛の五男。母は時子幼名清五郎(きよごろう)。 無邪気な性格清盛心酔している。戦を知らず育ったため、武術稽古を嫌い、諫める伊藤忠清に「平家権勢前に戦を起こす者などいない」と言い放つ平家対す反乱鎮圧のため赴いた南都焼き尽くし平家対す人心離反決定付けた平家都落ちに従うが、後に捕えられ、南都送られ斬首された。 平維盛たいら の これもり) 演:井之脇海少年期大西勇哉) 重盛長男幼名は重太(しげた)。 「武芸より糸竹の芸の方が好きだと言って傅役伊藤忠清呆れさせた。 頼朝東国挙兵すると清盛より追討軍の総大将命じられるが、日にち吉凶選ばず出陣したり、陣中遊女招き入れる等、戦の常道無視した行い軍師の忠清と対立挙句水鳥の羽音源氏奇襲勘違いして逃げ帰ると言う失態犯し清盛散々に殴られる平家都落ちに従うが、最後一ノ谷陣中より逃亡し出家して那智の沖で入水自殺した平資盛(たいら の すけもり) 演:森永悠希少年期大西健誠) 重盛次男幼名は重次(しげじ)。 清盛の孫の立場に驕って摂政藤原基房行列邪魔して辱めを受ける。後に維盛と共に富士川の戦いに向かう。 平家都落ち従い壇ノ浦死す重三郎(しげざぶろう) 演:石井 重盛三男平清宗(たいら の きよむね) 演:松本頼 宗盛嫡男壇ノ浦では宗盛と共に入水するが、死に切れずに共に捕えられ、斬首された。 平長盛(たいら の ながもり) / 平忠綱(たいら の ただつな) / 平正綱(たいら の まさつな) / 平通正(たいら の みちまさ) 演:大地泰仁(長盛) / 久保山知洋忠綱) / 山本卓(正綱) / 竹下諒一(通正) 忠正の息子たち。長盛が長男忠綱次男、正綱が三男通正が四男。 保元の乱父と共に崇徳院方に参陣。敗走後は父と行動共にするが捕えられ、父とともに斬首言い渡される。父が清盛に首を落とされると、父の旅路の供を願って清盛早く首を落とすように願い出いずれも清盛の手によって斬られた。

※この「平家一族」の解説は、「平清盛 (NHK大河ドラマ)」の解説の一部です。
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