元寇
蒙古襲来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 09:55 UTC 版)
日本と元との戦いである元寇が起こり、弘安4年(1281年)、2度めの戦いである弘安の役に際して、その一月前に祖元は元軍の再来を予知し、時宗に「莫煩悩」(煩い悩む莫(な)かれ)と書を与えた。 また、「驀直去」(まくじきにされ)と伝え、「驀直」(ばくちょく)に前へ向かい、回顧するなかれと伝えた。この祖元の言葉はのちに「驀直進前」(ばくちょくしんぜん)という故事成語になった。無学祖元によれば、日本が元軍を撃退した事に対して時宗は神風によって救われたという意識はなく、むしろ禅の大悟(だいご)によって精神を支えたといわれる。 弘安5年(1282年)、時宗は巨費を投じて、元寇での戦没者追悼のために円覚寺を創建し、祖元は開山となる。 弘安9年(1286年)、建長寺にて示寂。享年61。墓所も建長寺にある。
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