前半生(1571年 - 1592年)
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「ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ」の記事における「前半生(1571年 - 1592年)」の解説
カラヴァッジョは1571年にミラノで三人兄弟の長男として生まれた。父フェルモ・メリージは、ベルガモ近郊にあるカラヴァッジョ侯爵家の邸宅管理人かつ室内装飾担当で、母ルチア・アレトーリは、同地方の地主階級の娘だった。1576年にはペストで荒廃したミラノを離れ、一家でカラヴァッジョ村へと移住したが、その翌年の1577年には父フェルモと祖父が死去している。カラヴァッジョは幼年期をこの村で送ったと考えられており、その後もスフォルツァ家やスフォルツァ家と姻戚関係にあったコロンナ家(カラヴァッジョの後半生に大きな役割を果たす)と繋がりを持ち続けた。 カラヴァッジョの母も1584年に死去し、この年からカラヴァッジョはティツィアーノの弟子だったという記録が残っているミラノの画家シモーネ・ペテルツァーノ (Simone Peterzano) のもとで4年間徒弟として修行している。カラヴァッジョは徒弟の年季が終了した後もミラノ近辺に在住していたが、ヴェネツィアを訪れて、後年フェデリコ・ツッカリがカラヴァッジョの絵画はこの画家の作品を真似ただけだと非難したジョルジョーネやティツィアーノらの絵画を目にした可能性はある。カラヴァッジョはレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』などミラノに保管されていた貴重な作品や、ロンバルディア地方の絵画に親しんでいった。硬直化し、大げさな表現に陥っていたローマ風のマニエリスム様式ではなく、飾り気なくありのままを表現するドイツの自然主義絵画様式に傾倒していった。
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