放浪時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 19:34 UTC 版)
マムルーク朝成立後、シャジャル・アッ=ドゥッルに代わってスルターンとなったアイバクはバフリー・マムルークを危険視し、1254年にアクターイを殺害する。バイバルスはカラーウーンら仲間とともにエジプトから脱出し、ダマスカスのアイユーブ王族マリク・アン=ナースィルの元に亡命する。 やがてナースィルと不仲になると、バイバルスたちはカラクのアイユーブ王族ムギースの元に移った。バイバルスたちはムギースにエジプトへの進軍を依頼するが、エジプトのマムルーク朝との戦いに敗れ、ムギースからも疎まれるようになった。 シリアでの放浪時代はバイバルスにとって辛い時期であったが、「バイバルスは苦境に耐え、決して仲間を見捨てなかった」と伝記の著者アブド・アッ=ザーヒルは彼の人格を称賛している。
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