新小説連載、諸田玲子「登山大名」2月1日から
本紙朝刊小説、辻原登氏の「陥穽(かんせい) 陸奥宗光の青春」は31日で完結し、2月1日から諸田玲子氏の「登山大名」を連載します。
主人公は江戸時代初期に豊後国(現在の大分県)岡藩の第3代藩主を務めた中川久清です。くじゅう連山の大船山(たいせんざん)にたびたび登り、「入山公」と呼ばれました。幕府への反骨を胸に、大胆な藩政改革に取り組んだ地方大名の知られざる生涯に迫ります。
諸田氏は1954年静岡県生まれ。会社勤務などを経て96年作家デビュー、2003年「其の一日」で吉川英治文学新人賞。05年5月〜06年7月に本紙夕刊で連載した「奸婦(かんぷ)にあらず」で新田次郎文学賞を受けました。繊細な観察眼で描く骨太な歴史小説で知られます。
挿絵は人物や風景を浮世絵を思わせる美的な画風で表現する安里英晴氏が担当します。題字は諸田雪嶺氏です。
作者の言葉
豊後国岡藩三代、入山公(にゅうざんこう)こと中川久清をご存じですか。くじゅう連山の大船山の山腹に自らの(大名の墓では日本一高所にある)墓を建立、人を馬に見立てた人鞍(ひとくら)に背負われ登山をしたと伝わっています。
久清はなぜ大船山に登ったのでしょう。登山が好きだったからでは、むろん、ありません。
一六〇〇年代の半ば、徳川家光の時代。島原の乱の後、岡藩の領内には切支丹が多数、潜伏していました。大坂の冬と夏の陣のあいだに生まれた久清は、生母の出自も定かでなく、くっきりした二重瞼(ふたえまぶた)の目に高い鼻という風貌が異彩を放つ殿さまでもありました。
久清は三千丁もの鉄砲を隠匿していたと幕府から咎(とが)められた際、水戸光圀に助けられています。鎌倉の大船の近くに早世した娘のため東渓院を建立しました。謎めいたこの殿さまは、一方で、時の権力者、老中酒井忠清の従兄(いとこ)でもあります。幼馴染(おさななじみ)であり、庇護(ひご)者であり、時に味方、時に敵となりつつ、二人は絆を深めてゆきます。
江戸から遠く離れた豊後の地で、幕府に逆らってまで久清が成そうとしたこと――それがなにかを本小説で解き明かしてゆきたいと思います。公儀隠密との死闘、岡城や岡城下の秘密、胸をふるわせる恋……皆さまにもはらはらどきどきしながら謎を追いかけていただければと願っています。
シリーズの記事を読む
朝刊連載小説・諸田玲子「登山大名」(安里英晴 画)のバックナンバーをお読みいただけます。