新連載小説、辻原登「陥穽 陸奥宗光の青春」3月1日から
本紙朝刊小説、安部龍太郎氏の「ふりさけ見れば」は2月28日で完結し、3月1日から辻原登氏の「陥穽(かんせい) 陸奥宗光(むつむねみつ)の青春」を連載します。
主人公は欧米列強との不平等条約改正に尽力した明治の外交官、陸奥宗光です。青年期には立法府の要職にありながら、政府転覆計画に加担しました。彼を暴挙に駆り立てたのは何だったのか。波乱に満ちた前半生を通じ、捉えがたい人間像に迫ります。タイトルの「陥穽」は人を陥れる謀略を意味します。
辻原氏は1945年和歌山県生まれ。商社勤務などを経て作家デビューし、90年に「村の名前」で芥川賞、2009年11月〜11年1月に本紙朝刊で連載した「韃靼(だったん)の馬」で司馬遼太郎賞を受賞しました。深いテーマ性と物語性を両立させた作風で知られます。
挿絵は風景や静物などの詩情豊かな表現を得意とする画家、小杉小二郎氏が担当します。
作者の言葉
"日本外交の父"と呼ばれる陸奥宗光がケンブリッジに留学中の勉学ノート七冊が、神奈川県立金沢文庫に保管されている。三百ページ以上の部厚(ぶあつ)いノートに、英文筆記体の文字がぎっしり書き込まれている。漱石の英文ノートを見た時、感動したが、それ以上に美しい。異常な勉学への傾倒が伝わって来る。当時ウィーン駐在公使だった西園寺公望(きんもち)は、陸奥の勉強ぶりを、「陸奥の勉強は実に驚くべし」と伊藤博文に書き送っている。
その七年前の明治十一年(一八七八)、陸奥は「政府転覆計画」に加担した罪で、除族の上禁獄五年の刑を受け、山形監獄へ送られた。明治十六年初、特赦にあって出獄、その翌年の留学である。
起死回生を試みる彼の執念が美しいノートに結晶している。
下獄は、陸奥の大きな挫折だった。しかし、それは燃えさかる青春の躍動の証(あかし)でもあった。
彼の師・坂本龍馬は、「我海援隊中、よく団体の外に独立して自ら其志(そのこころざし)を行ふを得るものは、唯余と陸奥あるのみ」と評した。
龍馬が凶刃(きょうじん)に倒れ、その仇討(あだうち)に失敗したあと、陸奥はいったん我々の前から姿を消す。
再び現れた彼が、師の影を踏みつつ、明治藩閥政権を相手にどのような戦いを挑み、敗れたか。彼のその前半生を辿(たど)る旅である。
朝刊連載小説・辻原登「陥穽 陸奥宗光の青春」(小杉小二郎 画)のバックナンバーをお読みいただけます。