http://news.livedoor.com/topics/detail/5463829/
乙武氏のインタビュー記事が評判だ。いわく、震災に際して催しを自粛するのはよくないという、至極ご立派な意見である。この記事に対して、どこの誰もが大絶賛を送っている。
私は催しを制作する責任者の立場から、震災にあたって2つのイベントを自粛した。もともと吹けば飛ぶような小さな催しではあったが、それでも待っていた人には残念な思いをさせたと反省している。
震災直後、ビートたけしが「こんなときに笑いは無力だ、勇気を与えるなど慢心だ」と断言して、一部のお笑いファンから批判を浴びた。「プロの芸人なら、こういうときにこそ笑顔を届けるべきだ」というものだ。だが、たけしのあの発言に、私は救われた。たけしでさえ、己の職業の無力に慄いているのだ、と思った。
私が催しを自粛した理由は、1にも2にも演者への負担が大きすぎるという判断によるものだ。舞台の上に立つのも、同じ、この国の人間なのだ。同じように震災にショックを受け、自分たちの仕事が何の役に立てるのか、誰が今自分たちを必要としているのか、眠れぬほどに悩みぬくような、普通の人間なのだ。私の仲間たちは、平時でも「不謹慎だろw」と、PTAのみなさんが眉をしかめるような演者たちである。彼らが輝くには、それなりの条件が必要であり、その条件が整わないうちは、私は彼らを客前に出すことはできなかった。たとえることが許されるなら、それは整備されていない凸凹のアイススケートリンクにフィギュア選手を送り出すことはできないという、そこでトリプルアクセルを飛ばせれば彼らは大怪我をするだろうという、そういう類の判断だ。彼らは、客前に出れば、それでも思い切り飛んでしまうのだ。
それは自粛ではなく萎縮だと言われれば、そうだ、としか答えられない。これだけの大被害だ。ただでさえ心を痛めている仲間たちが、その責任感から舞台に上がってさらに自分を傷つけてしまうことを、私は恐れた。無用の誤解と批判にさらされることを恐れた。神をも恐れぬスーパースターなら別だが、私たちのような泡沫エンタメ家業にとっては“不謹慎厨”の存在そのものが脅威であり、同時に“不謹慎厨”も大切なお客様なのだ。見世物家業はイメージがすべてだ。それはエンターテインメント業界だけでなく、商売の世界でもきっと同じだろう。
だからどうか、日本中にいる私たちの仲間の、自粛や萎縮にも、寛容になっていただきたい。「批判を恐れるあいつらはプロじゃない、根性がない、演者としての自覚がない」などと、彼らを責めないでいただきたい。そして、もう少ししたら、また一緒に笑ってほしい。
一生忘れない。
「典型的な症例」って書いた増田だけど、ぶっちゃけそんなのどうでもいいぞ。
京大原子炉の今中先生ってカルトな反原発kitty-guyたちにわっしょいされてたから
彼も同類なのかなと勝手に思っちゃってたけど、夕方のニュースでのインタビューやこのレポート見る限り
かなりまともな人っぽいな。やはり数字で語ってなんぼだな〜。
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/seminar/No110/iitatereport11-4-4.pdf
なんかまともな原発撤廃運動してる人たちがせっかくの世論を原発撤廃に向かわせられるかもしれないタイミングなのに
一部のマジキチオカルト過激派反原発人間のせいでかわいそうなことになっているような構図が見えた。
何を今更って感じですがね。にしても線量高いなー。
1980年代大阪府北摂地方の話。その後卒業と同時に関東に引っ越したのでその後不明。
職員室には、日教組の団結旗?が飾ってあり(おそらく教職員)の名前が書いてあった。
担任やってた先生が、いきなり担任外に外され、子供ながらに何が変だと感じていた。
相対評価の5段階評価でも3段階評価でもなく、絶対評価の2段階評価だった。
○と◎、できたか良くできただったと思う。×はあったかもしれないが、覚えが無い。
部落とか在日への差別を無くしましょうとか、彼らは弱者だから日本人が守る必要がありますとかそういった内容。
でも子供の間ではチョン校とむやみに関るなというのがルールだった。
何でかというと電球口にくわえさせたまま顔殴るとか、俺らのルールでは禁じ手とされている内容を普通に使うのが、彼らのやり口だったから。
なので、差別してはいけませんと言われても、無理だよという空気。
今思うに、土地のルールを守らずに自分勝手に振舞えば、そりゃ元からいた連中に嫌がられる訳だし、そこにいるならルール守るようにするのが先だろうと。
いやなら帰れなんだから。
少し前まで出ていた帰国船に乗らずに残ったのだから、土地のルールは守るべきだよな。
指導要綱には無いと思う、どこぞにハングル教えている小学校があるそうだが、そういったものは裁量の範囲で教えていると思いたい。
福島はしばらく十年スパンで時間のかかる後処理に追われるだろう。現地で頑張っている皆様に追い討ちをかけるようだが、現状も対応も大変マズかったとしか評価できない。
だが、日本の電気を30%補って、多くの市民の生活を維持しているのが原発だというのも同じ現実であって、これなしで病院とか維持できないのも確かだ。
福島は世界的にもまれに見る大失敗だったが、それでも各地の原発はなきゃ市民の生活が成り立たない。イヤな言い方だが、それはそれ、これはこれ、別々の政策、ということになる。
これは手垢のついた議論だけど、どこからを「いじめ」と呼ぶかによって、責任の所在も変わってくるわけで…
単なる「仲間ハズシ」自体をいじめと呼ぶなら「いじめられっ子に起因がある《場合もある》」と言えるだろうし(さもなければ、「仲間」の取捨選択は許されないということになる)
投稿内容を相手に話してみたらどう?
というかそもそも「拡散希望」する人は、各人のフィルターを通した精査など受けない、まさに「それ自体が自律的な運動をともなって」いるかのような広がりを願ってんじゃないかな
つまりそこでは、「拡散」に加担する人間は「シェアする相手」とはみなされてはいなくて、単に伝達経路であることだけを期待されてるんだろう
どう思うかと問われれば、うーん、「中2」かな。
話の流れで、こっちが何かを発言した時に
「お前、よく笑いながらそういう事言えるよな」と真顔で返してきた
自分はそう返された時に「ああ、すまんすまん(そういえばこれって笑って話せる話題じゃないんだっけ)」といった感じだった
「性病移されました、ヤリ逃げされて堕胎を余儀なくされました」
「単位を落としすぎて5年次確定で、実家がお金を出してくれなくて、奨学金も出ません」
ああ、そう、それで?
駄目そうなら駄目だと言うし、笑いだって入れる
現実に起こっていて珍しいことじゃないのなら、それは日常なんだよ、何の変哲もない
自分からしたら「自動販売機でお金飲まれた」とか「朝寝坊して会社に遅刻した」といった話の延長線上でしかないのだが
他の人はどう思うのだろうか
あなたがそもそも嫌っている「拡散」という行為だって、本来「一人ひとりの情報精査が前提」なんだよ。
それが機能しないほどにライトユーザーは知恵が無いというだけで、言葉を「シェア」に置き換えた所で結局は同じことが起きる。
あなたが批判したいのは、何も考えずに「RT」と書いてつぶやきのコピーを量産するライトユーザー、
それを期待してしまい「拡散希望」なんて驕った言葉を書いてしまう輩だろ?
それを「拡散」の語感が悪いからといって「シェア」にすれば全てが良くなるとか言ってしまうのは、
新潟県中越地震の時に「あい続く天災をストップさせるには昔なら元号でも変えるところだが、今必要なのは政権交代ではないか」とか
「シェア」に変わっても結局は事態は変わらず、
今度は、「シェアという言葉は外来語なので意味を履き違えてしまっている、日本語である“共有”にするべきだ」とか言ってしまうのがオチ。
ホットスポットと言っても
パソコンが通じるところじゃない。
放射性物質が、距離の離れたところへ
風にのって運ばれて、
ドカン!と落ちてくる場所のことだ。
あったらしい。
東京の人間が吸い込んだり食べたりする可能性があるということである。
ガンになったり白血病になったりする。
安心できないということだ。風があなたの
安心を打ち砕くw
海に流すという報道もあった。
魚や海藻で濃縮された放射性物質が、
我々の口に入ることにもなるだろう。
で、まあ。結論としては。
どうあがいても「運」に左右されてしまうということだ。
まあリスクを低くしようとする気持ちはわかる。
度胸を決めるしかない。
もちろん、単なる無鉄砲・鈍感が良いと言っているわけではない。
「客観的な判断力」と、
「度胸(≒決断力)」を併せ持っている者が、
結局は生き残ると思う。