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1959 シボレー・コルベット

シボレー
07 /30 2013
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アメリカを代表するスポーツカーとして知られるシボレー・コルベットですが、53年に登場した当初は、あくまでも「雰囲気を楽しむ」車でした。

現在、巨大なV8エンジンで400馬力という高出力?を生み出すコルベットも、元はといえば、平凡な直6(アメリカでは安物エンジン的な扱いです)エンジンのみで、しかもトランスミッションも、2速のオートマのみ・・・と、おおよそスポーツカーとはかけ離れた存在だったのです。

第二次大戦中、そして戦後、多くのアメリカ兵が、ヨーロッパに駐留し、彼の地で目の当たりにしたのが、アメリカには無い、小粋なスポーツカー達だったのです。
馬車の代わりとして発展したアメリカの自動車に対して、裕福層の趣味として発展したヨーロッパの自動車たちは、明らかに異なる個性を有しており、特に2シーターのスポーツカーは、アメリカにとって、大変に新鮮なモノだったのです。

こうやって、多くのヨーロッパ製スポーツカーがアメリカ本国にも持ち込まれる様になり、やがて、GMも、そういった需要に応える様になるのでした。

コルベットというと、初代以降、一貫してFRP製のボディーを採用していますが、50年代初頭の段階では、完全な手作りによる作業で、しかもノウハウの不足は如何ともし難く、ひび割れ、熱による歪みを発生したと言われています。


写真は、59年型ですが、初期に比べて4灯ヘッドライト、2トーンカラーによって、幾らか豪華な雰囲気になっているのが目に付きます。

そして当初、何かと批判された非力なエンジンも、55年モデルでV8エンジンに載せ替えられ、マニュアルミッションの搭載により、段々とスポーティーな車へと変貌していきましたが、それでも、同時代のフォード・サンダーバードと同じく、どちらかと言うと、雰囲気を楽しむ車・・・というのが、この第一世代の特徴だと思います。

63年に登場した、2世代目では、従来のコンバーチブル主体から、クーペが主体となり、この世代こそが、現在のコルベットの先祖と言える様な気がします。

当初ライバルであったサンダーバードは、58年モデルで4シーターへと変貌し、それ以降、ラグジュアリークーペに変貌して行きましたが、コルベットは、より本格的なスポーツカーへと変貌することで生き延び、互いに全く似ても似つかない車になっていきました。

ベントレーのSUV?

イギリス車
07 /25 2013
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今日、Yahooカナダを何となく見ていて発見しました。

凄まじいデザインですね・・・。かつて、ベントレーといえば、ロールス・ロイスの兄弟車で、よりパーソナルカー的な性格の車でした。

それが、10数年前の買収劇のゴタゴタの末、フォルクスワーゲンの傘下に入りましたが、当然そうなると、非効率極まりない旧ロールス製シャシーは廃止され、フォルクスワーゲン・フェートンの兄弟車に成り下がりました。

遥かに安上がりな車で、しかも大量生産が可能な為、ベントレーの販売台数は飛躍的に増え、北米でもよく目にする様になってきました。
昔は成功したビジネスマンといえば、キャデラックのリムジン・・・コレが定番でしたが、最近は、ベントレー辺りが、その座に付いた様に思います。

以前、ロールス・ロイスの時も言いましたが、どうもドイツ人というのは、イギリス的なシックな佇まいというものを理解出来ないのでしょうか?ベントレーの持っていた気品というか、歴史と共に刻まれた熟成の香りでも言いましょうか?
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大量生産になると共に、それが完全に消え失せた様に見えるのです。
そして挙句が、売れれば何でも良いといった感じのSUV・・・・内装も、ドイツ人が勘違いしたイギリス的・・・にしか見えません。

正直、巨大なミニ・・・・こんな印象です。ご存知の様に、ミニも同じく、ドイツのBMW傘下に収まって射ます。

それにしても、ポルシェもランボルギーニもベントレーも、フォルクスワーゲングループは、何が何でもSUVをラインナップしだいんですね・・・。

まあ、この手を買う人というと、実は余り細かい事を気にしない、高ければ何でも良いみたいな感じでしょうから、正直私の様な者がどうこう言うべき車では無いでしょうね・・・。

イセッタ

ヨーロッパ車
07 /24 2013
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隣のゴミ箱と比較して、如何に小さいかが判ります。

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第二次大戦の主戦場となったヨーロッパは、戦後、経済的に困窮しており、それ以前でも、アメリカに比べ、自動車が身近な存在とは言えませんでした。

そんな中、簡単に製造でき、コンパクトで安価な車として一頃生産されたのが、バブルカーと呼ばれるもので、イセッタも、そのバブルカーの一つです。

イタリアのイソ社によって1953年に発売されたものですが、イタリア国外でもライセンス生産されており、特にBMWによって生産されたBMWイセッタも有名なところです。

ドアはフロント全体は開く様になっており、シートはベンチシートで大人二人、子供一人が何とか入るスペースが確保されています。

エンジンも2ストローク単気筒で、初期は250ccで、写真の後期のモデルは300ccと、オートバイのエンジンそのままといった感じのものでした。

後ろから見ると、リアタイヤのトレッドが非常に狭いのが目に付きますが、コレは、4輪でありながら、リアにディファレンシャルを使わない様にする為の措置でした。

尚、イギリス向けに、3輪のバージョンも有った様です。

主に50年代に人気を呼んだバブルカーですが、60年代には、その人気も完全に失ってしました。ミニをはじめとした新世代の大衆車が登場したこと、そして経済的に安定してきた事も大いに関係あると思います。

因みに同時期、日本でも、軽自動車に関して、様々な試行錯誤が繰り返されていましたが、ソレ等も、ある意味、バブルカーの親戚を言えるのかも知れません。そして、その決定版として、58年にスバル360が登場し、それ以降、軽自動車は、日本独自の文化として、ガラパゴス的な進化を遂げて行きました。

因みにバブルカーという名称は、形状がシャボン玉の様に丸っこいからというところから来ていますが、日本でバブルカーと言うと、バブル時代に生産された贅沢な車というニュアンスがあります。

カナダの整備士免許取得

カナダ情勢
07 /21 2013
今日、正式にカナダの整備士免許を取得しました。

カナダでは、整備士免許は、州によって管理されており、他の州から転居した場合でも、新たに免許を取り直す必要があります。

一般的に整備士になるには、実務経験を積みながら、週に数回学校に行き、理論を覚えるというのが普通です。

そして、その整備士の資格を取るに当たり、9600時間以上の実務経験が必要で、約5年近い経験が必要ということになります。

私の場合、ニュージーランドで最初に勤めた会社一社で、その時間数は十分だったのですが、実際に以前勤務していた会社に書類を書いて貰い、そしてコチラからも照会が行きます。

そして、受験資格は得られたものの・・・・難しい学科試験に合格する必要があるのです。
その試験対策には、大学でそれ専用のコースが用意されており、しかも政府が授業料も払ってくれるのですが・・・1500ページもある百科事典の様なテキストを最初から最後まで読む必要があり、オマケに授業で習った数々の事を覚えた上、練習問題を沢山こなす必要がありました。

カナダのテキストを読んでいた気が付いたのは、色々な名称が、日本やアメリカで使われているものと違い、しかもアルファベット3~4文字の省略語がやたらと多いことでした。例えばDVOM・・・何のことか判りますか?
答えは、「デジタル ボルト オーム メーター」つまりサーキットテスターのことなのです。
この手の省略語は、特に外国人には難しい所でしょう。

私は以前から、キャデラックのアルファベット3文字の名前が覚えられないと言っていますが、ココでも苦労しました。

試験は基本的に4択なのですが、当然まぎらわしい問題も多く、中には全部正解の中で、一つ最適なものを選ぶ・・・というのが有り、この手は大変に紛らわしいのです。一つ、答えが二つ有る問題があり、クレームを付けました。
日本の整備士試験が、車の構造をメインにしたものであるのに対して、コチラのは、故障診断をメインにしたもので、整備士の試験としては、やはりコチラの方が理にかなっています。
配線図を読む様な問題も幾つもあり、この辺りは、大変に実用的な試験と言えるかも知れません。

私もコースを受講しましたが、そこでの問題が・・・実は英語力だったのです。
私は、どうしても英語の読みが苦手で、人より時間が掛かるのです。模擬試験をやっても、間違いの数よりも、むしろ時間が掛かることの方が問題でした。

講師も、その事を心配して、通訳を雇うか何かした方が良いと言われたのですが、英語で勉強した内容を、改めて日本語に直すというのは、かえって面倒なので、普通に試験を受けることにしました。

試験は、毎週行われており、コース終了から1ヵ月後に日にちを設定しました。私の英語力から、講師はもう少し延期した方が良いと言われたのですが、取り敢えず経験も兼ねて、7月11日、一度目の試験を受けました。

正直試験の内容は、コースでやっていた模擬試験よりはレベルの低いもので、思った程難しくなかった・・・という印象でした。それでも見直しも合わせて、規定時間の4時間をフルに使い、何とか試験を終わらせました。

そして今日、正式に合格通知が郵送されてきました。
この試験は、一回受験料を払うと、2回受験できる様になっているのですが、それは即ち、殆どの人が一回では通らないという意味だ・・・ということでした。

まあ、一緒にコースを受講した中では、一番英語力が低かったものの、同時に一番経験が長かったのに救われたんでしょうか?

今のバンクーバーは、驚くほどの資格社会になっています。車の洗車係になるのに12週間のクラスがある位なのですが、政府による規制、安全性といった知識にも時間を割いています。

ニュージランドでは、最後の大きな試験は無かったものの、エンジン、電装、燃料装置、エアコン・・・といった特定の授業を大学で受講し、一部の科目は、仕事場で行う必要があり、それだけでも半年以上掛かったので、トータルでカナダの方が楽だったのかも知れません。



デトロイト市が財政破綻=米自治体で過去最大

アメリカ情勢
07 /19 2013
【シカゴ時事】米中西部ミシガン州のデトロイト市は18日、同州の連邦破産裁判所に対し、連邦破産法9条の適用を申請した。米メディアによると、米国の地方自治体としては過去最大の破綻となった。
負債総額は180億ドル(約1兆8000億円)を超えるとみられ、2011年に40億ドル超の債務を抱えて破綻した米アラバマ州ジェファーソン郡を大幅に上回った。
デトロイト市はゼネラル・モーターズ(GM)が本社を構え、米自動車産業の中心地として知られるが、産業の規模縮小や治安悪化に伴って居住者が流出。最盛期に180万人を超えた人口が約70万人まで減少したほか、不動産価格低迷、州の財政支援削減などを理由に、税収の落ち込みに悩まされていた。 

ある程度予想は付いたとは言え、やはり驚かされます。

かつて、デトロイトといえば、アメリカの繁栄の象徴でもありましたが、特に80年代以降、その存在は、アメリカの衰退の象徴と言われ続けていました。

ビッグ3の繁栄と共に大いに栄えた街も、60年代の高速道路拡大により、住民の郊外流出が始まり、70年代以降の自動車産業の衰退に伴い、その流れが加速し、同時に貧困層が流入することで、極度に治安が悪化したのです。

そうなると、新たな産業を呼ぶのも難しく、衰退する一途を辿りました。

アメリカの都市部は、何処も同様に、高速道路の整備と共に住民の流出が始まり、70~80年代にかけて荒廃したものですが、多くの街が、90年代に入ると、観光地化に力を入れることで、一応の再生を達成したのですが、デトロイトの様に、特別な観光資源の無い街では、そうも行きませんでした。

自動車の様な重工業は、既にアメリカの主要産業とは言えず、自動車産業と共に発展した街は、自動車産業と運命を共に・・・・同様の流れは、かつて、製鉄で栄えたインディアナ州ゲーリーでも起こりました。

余りの治安の悪さから、新たな産業を誘致する事ができなかったのです。

映画「ロボコップ」が製作されたのは1987年、凶悪犯罪都市と化した近未来(2010年)のデトロイト・・・という設定でしたが、あながち間違いではありませんでした。そして、そのロケに用いられた都市は、同じくかつて製鉄で栄え、製鉄の衰退と共に荒廃したペンシルバニア州ピッツバーグでした。

アメリカの西部開拓時代には、人の移動と共に、アチコチにゴーストタウンが出来ましたが、これらの街は、正に現代版ゴーストタウンと言えるのかも知れません。

ボルボ120シリーズ

ヨーロッパ車
07 /16 2013
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輸入車の台頭の激しい、昨今のバンクーバーですが、それでも、かつてはアメリカと同じ、ビッグ3による独占が長く続いていました。

80年代にアメリカの品質が著しく低下したこと、より経済的な車が求められる様になった辺りから、輸入車が求められる様になりましたが、その中で、ボルボは、比較的健闘していたと言えるでしょう。

そして現在、ヨーロッパ車のクラシックは、大変に少ないのですが、そんな中で比較的目にするのが、このボルボ120シリーズです。

1956年から70年までと、大変に長い期間販売された車ですが、やはり時代的に、アメリカの全盛期に相当し、控えめながらもテールフィンの影響を見て取ることができます。
地味な外観とは裏腹に、世界に先駆けて3点式シートベルトを採用したり、ダッシュボードに衝撃吸収パッドを張ったり、安全性を本格的に考えた車の第一号とも言われています。

60年代に入ってから、北米にも輸出される様になりましたが、ヨーロッパでは中級車に相当するものの、当時のアメリカの常識からすると、全長4.4mと、大変にコンパクトな車でした。

スウェーデンと気候状況が似ているせいか?ボルボは比較的カナダでコンスタントに支持されてきた様で、私が初めてバンクーバーに来た15年前、特にボルボ240辺りが大変に多いのが印象的でした。日本では高級車として扱われていたソレが、マニュアル、パワーウィンドウも無いシンプルな仕様で、極普通の日常の足として酷使されていたのです。

後の700、800シリーズ辺りまでは、比較的頻繁に目にしたものの、それ以降、急速に廃れていった様です。

やはり価格が高くなり過ぎたのでしょうか?それとも質実剛健な従来の角ばったスタイルを捨てたからか・・・現在は、正直何時カナダから撤退してもおかしくない位、販売は低迷している様です。
既にGMが販売していたサーブも無く、フォード傘下にあったボルボも風前の灯・・・そんな印象がある中、こんな古い車が逞しく生きているのは、何とも健気に見えます。

65 キャデラック・エルドラード・コンバーチブル

キャデラック
07 /15 2013
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通りで見かけたキャデラック・エルドラード・・・丁度スーパーの駐車場に入っていったので、追跡して写真に収めました。

エルドラードという名前は、キャデラックの中でもトップグレードのもので、57年式以外、伝統的に2ドアクーペのみとなっていました。

前年までが、50年代の余韻を残した、比較的丸みを帯びたスタイルであったのに対して、コチラは直線的なものになっています。

テールランプも、59年式で有名なジェット噴射型から、段階的に、後にキャデラックのアイデンティティーとなる縦型テールランプになる、正に最終段階といった感じで、縦型ながらも、ジェット噴射型の面影も十分に残したもので、そしてテールフィンも、その名残を留めています。

テールフィンの始まりは、48年型キャデラックの出っ張ったテールランプだと言われており、特に50年代後半に大流行した後、60年モデルで縮小が始まり、62年頃にはほぼ消え去ったのですが、結局キャデラックが最後まで、その面影を留めていたと言えます。

67年以降、エルドラードは、FFシャシーに移行し、ビュイック・リビエラ、オールズモビル・トロナードの兄弟車となりますが、この世代までは、ド・ヴィル等、他のキャデラックと共用のFRとなっています。

全長5,7m、全幅2mオーバー、エンジンも7リッターV8と、正に恐竜の様な巨大なボディーですが、何にも遠慮する事も無く、自由にデザインが出来た時代のアメリカ車・・・やはり理屈抜きに良いデザインですね・・・。

フォーマルでもあり、スポーティーでもあり、ファッショナブルでもあり・・・後のキャデラックは、単にフォーマル路線ばかりになり、オーナーの高齢化に悩まされることになり、そして、その解決策が、アート&サイエンスという、自己否定でした。

海に飛び込み、高2死亡=「友人驚かすため」―広島

ニュース
07 /11 2013
10日午後10時20分ごろ、広島市佐伯区五日市港の広島はつかいち大橋で「友人1人が溺れている」と119番があった。橋から約30メートル下の海に友人2人と飛び込んだ定時制高校2年の石原寛展さん(18)=同区=が約2時間半後に救助されたが、死亡が確認された。
広島県警広島西署によると、他の2人は自力で岸まで泳ぎ、うち高校2年の男子生徒(16)=同市西区=が背中を打つなどして軽傷。2人は「友人を驚かせるため飛び込んだ」と説明しているという。
当時、橋の周辺には3人の友人でいずれも10代の男女9人がいた。その中の1人が、石原さんが溺れているのに気付き119番した。石原さんの死因は、海水を大量に飲み込んだ窒息死だった。 

例えば3~4m位の高さから飛び込んだことがある人なら、その高さでも、結構な衝撃を感じることをご存知だと思います。

それを高さ30メーターというと・・・・10階建てマンション並みの高さです。
そんな高さから冗談半分に飛び込もうと思う辺りが凄いですね・・・・。

子供が外で遊ばなくなった上に、ナイフの使い方も知らない、ケンかもした事が無い、危険な事を一切やらないで育ち、危険さ、痛みというものを予想出来ない若者が増えているのでしょうか?
人間は、高い所に行けば恐怖を感じるという本能がある筈なのですが、その辺の感覚も、十分に成長していないのでしょうか?

10階の高さなんて、どう間違っても「友達を驚かすため」なんていう理由で飛び降りられる高さじゃないと思うのですが・・・。
二人が生存しているのは、正に奇跡としか思えません。

<追記>
私の住んでいるバンクーバーには、南に橋が3本架かっていますが、ヨットや大型の船が通れる様に、非常に高くなっているのが特徴で、正直、下を見ると、足がすくむ位です。その一番中心のグランビル・ブリッジの高さを調べてみたら、27.4m......あの橋より高い所から飛び込んだ・・・・やはり、コレは事件性を考えるべきですね・・・・。

バンクーバー バイク事情

Motorcycle
07 /11 2013
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私の住んでいるバンクーバーでは、自動車保険がベラボウに高いということは、以前から何度もお話ししていますが、それは、バイクでも例外ではありません。

例えば、私の84年式ホンダCX650ユーロに保険を掛けるとしたら、毎月150ドル程掛かることになります。
単純に年間18万円ということです!

別にコレは、初心者の保険料では無く、最高額の割引込みの保険料なのです。

そして、84年式の、コチラの感覚で言えばポンコツバイクと、新車のハーレーの保険料に殆ど差が無いのも特徴です。確かにハーレーは事故率が低いというのはあるにしても、10倍の価格差を考えると、とても納得出来るものではありません。

政府の管理する保険は、皆に平等に・・・と言って始まったものが、著しい悪平等に陥っているのです。

ところが、そんな中でも、400cc以下のバイクは、1/3程度と、非常に良心的な保険料になっていたりするのです。
そこで、例えば現在、ホンダがカナダでどんなバイクを売っているんだろう・・・?と思い、調べてみました。

驚いたことに、この安い保険を適用出来るモデルといえば、オンロードバイクだと、CBR250Rだけだったりします。
その上がCB500Fで、既に通常のボッタクリの保険料になります。

カナダに来て感じたことは、とにかく小型車が少ないことです。ニュージーランドでは、初心者は250ccまでという規制がある為、結構125~250ccのバイクが多いのですが、コチラでは、殆ど見かけません。

今でも中古で、400ccクラスの出物が無いか調べているのですが、古いモデルでも、意外と少ないのです。

写真は、街で見かけたカワサキKZ400です。
2気筒のOHCツインという大変にシンプルなモデルで、日本では何とも地味で人気もイマイチだったのですが、今こうやって見ると、結構良いものですね・・・。

バンクーバーで車を所有するのは、大変に金が掛かることです。保険とガソリン代、駐車場代を入れて、月500ドルは当たり前に飛んで行きます。
そして、実際に運転してみると・・・自分の行きたい場所には、先ず駐車場は無いか、有っても有料。郊外でもない限り、渋滞が凄まじい上に、何処に行っても駐車場探しに終始して、結局バスより遅い・・・ということになります。

その状態で月500ドル+車のローンを払うというのは、途轍も無く贅沢な話しです。

私のCX650ユーロでも、駐車場は無料、ガソリン代は安くても、やはり保険料は高く、冬の間まで乗る気にはなれません。

そうなると、やはり、少し前の400ccなんていうのが、非常に魅力的に見えてくるのです。たまにホーク3なんかが売りに出ていますが、3000ドル近くと、決して安くありません。

北米というと、何かと大きいバイクに目が行く傾向にありますが、そんな中で、地味で、かつ全く注目されないが故に、その抜け穴の様な法律が適用される400ccが魅力的だったりするのです。

<福島第1原発>吉田元所長が死去 事故時に現場対応

ニュース
07 /09 2013
東京電力福島第1原発の吉田昌郎(よしだ・まさお)元所長(58)が9日午前、死去したことが分かった。東電関係者が取材に明らかにした。在任中の2011年3月に東日本大震災と原発事故が起こり、現場対応に当たった。同年12月に退任。12年7月に脳出血で緊急手術を行った。(毎日新聞)

吉田氏は、記事でもある通り、福島第一原発事故の現場を取り仕切った人物です。
そんな人物が体調を壊し、癌になり・・・そんな状況でも、絶対に原発事故とは無関係だと言い張るんでしょうね・・・。
絶対に何があっても、この事故が原因の死亡者はゼロということになりそうです。認めなければ良い訳ですし、何とでも言い様があります。

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アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。