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リンカーン・コンチネンタル・マーク5 アメリカ政府との繋がり???

リンカーン
11 /29 2012
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アメリカ車のデザインというと、直線的なゴシック調・・・という印象が強いですが、それは何時頃からなのでしょうか?

80年代の日本車は、とにかく直線的で角ばったデザインが多かったのですが、アメリカでは、それが一足先に始まっていました。

写真は77年に発売されたリンカーン・コンチネンタル・マーク5です。先代のマーク4に比べると、明らかに直線的なデザインになっています。

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リンカーン・コンチネンタル・マーク4・・・・適度に丸味を帯びています


そして77年といえば、GMがフルサイズカーの第一回ダウンサイズを施した年に当たりますが、リンカーンの方は逆に大きくなっており、全長5.85M、全幅2.01Mという、途轍もなく巨大な車になっていました。

因みに77年型GM車も、デザイン的に、より直線的になっており、かつてのグラマラスな雰囲気は、随分とスポイルされています。

時代的に排ガス規制が始まった時期にも当たり、巨大になった反面、エンジンは7.5リッターから6.5リッターにダウンサイズされる等、大型化の反面、全体的にパワーダウンしているのがこの車の特徴です。

80年に登場するマーク6は、デザインこそ継承しているものの、大幅なダウンサイズが施されており、その辺りからも、この辺が最後の古き良き?フルサイズカーと言えるのかも知れません。

それにしても、今この記事を書いていて思ったのですが、フォード・マスタング2が発売されたのが74年。オイルショックによる未曾有のガソリン高騰の中で、セールス的にも成功したことは、以前の記事で述べましたが、このマーク5が発売されたのは77年、丁度オイルショックの影響が一段落して、再びフルサイズに顧客が戻った時期に当たり、そして、ダウンサイズされたマーク6が登場したのが80年、第二次オイルショック勃発の直後でした。

車の設計というのもは、最低でも数年を要し、時代背景に合わせて急に設計変更する様な事は不可能です。それが、これだけ丁度良い時期に発売されたという事実・・・・やはりある程度、フォードという会社が、政府と繋がっていた様な気がしてならないのですが・・・・。

因みに、かつての国防長官ロバート・マクナマラは、元フォードの社長でもあり、70年代当時のフォード社長、リー・アイアコッカ氏は、その部下であったことも知られているところです。

オマケにアイアコッカ氏は、早い時期からFFの小型車の必然性を説いていたものの、それが当時の会長、ヘンリー・フォード2世に握り潰されており、後にクライスラーで、そのプロジェクトが実を結んでいます。
そして、アイアコッカ無き後のフォードは、オイルショックの影響から、長い低迷期に入ることになりました。

この辺りからして、やはりアイアコッカ氏は、普通の人とは一味違う情報通だったのではないでしょうか?


ICBCを即刻廃止せよ! 事故続報

カナダ情勢
11 /22 2012
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ICBCを即刻廃止せよ!

先日お伝えした友人の奥さんの事故ですが、保険会社の判断で、100%友人側が悪いという結果が出ました。

その理由は、相手側に証人が居ること、大型トラックが右折の合図を出している時は、道を譲る必要がある事、その2点のみなのです。

1.事故車両の検証を保険会社、警察共に行わないで、修理を済ませる様に言う。

ドアミラーの折れ方から見て、明らかに後方からのダメージだということが分かりますが、そんな事はお構いなし。むしろ、証拠隠滅の為に、早く修理をさせようとするのです。

2.証人の言っている内容の検証も無し。

前にも言った通り、トラックのぶつかった位置からして、交差点の事故が発生した位置にでも居ない限り、大型トラックのサイズからして、どの方向からも見える訳の無い事故でした。

画像に加えた黒の位置に証人が居たということですが、その位置から、友人奥さんの動きなど、見える訳がありませんし、

トラックは、一番外側(奥さんが居たレーン)と2番目のレーンの真ん中に居た所に・・・・となっていますが、仮にそうだとしたら、奥さんの車が横を通り過ぎる事など、無理です。

そして、証人は、ぶつかった瞬間は見えなかったと言っているのです。

こんないい加減な証言の何を信じろというのでしょうか?

普通なら、この証人の言っていることが正しいか否か?が重要な事なのですが、私の住んでいるBC州のICBCでは、そんな事はどうでも良いのです。

嘘は言えば言うだけ良いのです。嘘に対するペナルティーも、法的制裁も何もありません。

何が何でも、面倒じゃない一番手っ取り早い方法で片付けようとするのです。

実際に証人の供述書を見せて貰いましたが、余りの酷い内容に驚きましたし、そんなモノを採用するICBCという政府管轄の独占企業が如何に腐敗しているかを思い知らされる出来事です。

こんな腐敗がありながら、車が必要な人は、利用せざるを得ないのです。
保険料もベテランドライバーですら、他国の10代の初心者並みの保険料、対応は最悪。こんな企業、即刻廃止すべきなのですが、何ともカナダ人というのは、日本人以上に呑気で無関心ですね・・・・。

まあ、既に年間2000ドル近い保険料を高いと思う人は、運転を諦めている・・・・ということなのでしょう。


フォード・クラウン・ビクトリア 初期型

フォード
11 /19 2012
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フォード・クラウン・ビクトリアは、リンカーン・タウンカー、マーキュリー・グランドマーキスと共に最後のアメリカ製フルサイズカーとして、2011年まで生産されていました。

その中でクラウン・ビクトリアは、2008年以降、業販専用車となっており、一般の販売は行われていませんでした。
2006年の時点で、一般向けの販売は、既に3000台程度にまで落ちていました。当時既にガソリンの高騰は始まっており、高いガソリン代を払ってまで、この手の車に乗りたいと思う人は、フォードではなく、より高価なマーキュリーやリンカーンということになったのでしょう。

クラウン・ビクトリアとグランドマーキス・・・・正直似た様なデザインだと思っていましたが、本当に久々に見た、旧型のクラウン・ビクトリア・・・・92年に発売されたエアロデザインの最初の世代ですが、この頃は、グランドマーキスと明らかに異なるデザインをしていました。

主な違いが、Cピラーの周辺なのですが、やはり、この部分の違いは、デザインに大きく影響を与えるものです。

考えてみれば、この車が発売されたのは、既に20年前。街で見かけることは殆どありませんし、最近見かけるクラウン・ビクトリアというと、グランドマーキスとほぼ共通のデザインの新型ばかりだったこともあり、すっかり忘れていました。
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コチラは、同時に発売されたマーキュリー・グランドマーキスですが、太くて立ち気味のCピラーが、よりフォーマルな雰囲気を醸し出しています。そしてコチラは、グリルトランプ類以外、最終型と余り変わらないデザインです。

こうやって比べると、明らかにフォードの方が若々しく?見えるのですが、この辺りは、最終型のカプリスも同じ理由だったのでしょう。

当初は年間10万台を越えていた販売台数も、年々落ちて行き、最終の2011年では、46,725台で、全てが業販でした。

そして、このモデルに関しては、フォードよりもマーキュリーの方が販売台数が多かったことから、後にグランドマーキスのデザインに統合されたのも、また頷けるところです。

前にも書きましたが、今でも80年代位までの古いフルサイズカーというと、一部のアウトローな人に人気が有りますが、何故かこの世代のクラウン・ビクトリアも、グランドマーキスも、その手の連中が見向きもしないのは、何故なのでしょう?
一頃日本で、同世代のカプリス(主にワゴン)が一部で人気を博したものですが、正直、あの手のカプリス改も、コチラでは、見たことがありません。



北米事情 レンタルビデオの絶滅

アメリカ情勢
11 /17 2012
日本と違い、最近、北米で絶滅した業種として、レンタルビデオ店が挙げられます。

大手のブロックバスターが倒産し、ココ、バンクーバーでも、私の知っている範囲では、レンタルビデオ店は全て閉店してしまいました。

その理由として、やはりネットで映画を観るというのが一般的になっていること、そして、図書館でも無料でDVDのレンタルが出来る為、極端に需要が減ってしまったのです。

反面、日本ではどうでしょうか?やはりネットで映画を観るのは一般化してますが、北米のソレと比べると、最新物は元より、古い名作、テレビ番組、そしてアダルト系等、やはりバラエティーに富んでおり、見ているだけでも面白いものです。

そして、多くの店が駅前に有り、しかも遅くまで開いているので、通勤通学時に、若しくは開いた時間つぶしに・・・・というスタイルも定着しており、その辺りも車社会より有利に働いているのかも知れません。

もう一つ、北米では絶滅状態にあるのが、ネットカフェでしょう。
2005年に北米旅行をした時、カナダでは1時間2-3ドルで利用出来たものが、シアトルでは1時間6ドルを始め、下手したら1時間10ドルなんていう所までありました。

それは、両国のコンピューターの価格差から、当時アメリカの方がコンピューターの普及が進んでいたこととも関係があります。
その後、カナダドルがアメリカドルと同等に強くなりましたが、現在、ネットカフェもビデオ店と同じく、絶滅状態になりつつあります。

これも、図書館で無料でインターネットが使えること、そしてコンピューターが行き渡ったこととも関係あります。

反面日本では、終夜営業で、漫画喫茶と姿を変え、フリーのドリンクバー、簡易宿舎として利用も取り込んでいます。

この様に見ていくと、やはり日本の方が、レンタルビデオにしても、ネットカフェにしても、新しいアイディアにによって新しい顧客を掴んで行ったのに比べ、北米のソレは、特別な工夫も無く、時代とともに消えていった・・・・こんな印象が拭えません。

コンビニ、ネットカフェ、レンタルビデオは、今後、日本ならではの愛すべき「ガラパゴス文化」として残っていくのでしょうか?


尚、アメリカのレンタルビデオ事情に関しては、アニメ、サウスパークでも皮肉られています。

バンクーバーの自動車保険事情

カナダ情勢
11 /11 2012
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私の住んでいるBC州には、自動車保険は一社、しかも政府が管理しているものしかありません。
政府が管理しているなら、値段も程々でサービスも程々なのでは?と思うでしょうが、現実は、その真逆です。

例えばニュージーランド時代の様に、私の保険会社と、相手の保険会社が別の場合、私の保険会社は、私の弁護をする事で、裁判をしてでも、事実を突き止め、相手から金を引き出すのが仕事です。

ところがバンクーバーでは、保険が一社ということは、自分の保険も相手の保険も同じ会社なので、同じ社内で適当に話し合って、結局両者を悪者にして、修理代は払わない、両者の保険料は上げるという決着が一般的なのです。

悪くない者を悪くするために、変な誘導質問も当たり前に行われます。

先日、知人の奥さんが事故に巻き込まれました。信号待ちしていたところ、急に右折しようとした大型トレーラーに巻き込まれたのですが、知人奥さんの方は直進、トラックは右折となると、明らかに直進の方に優先権があり、トラックの巻き込み確認ミスなのです。

ところがトラックの方は、奥さんが勝手に突っ込んできたと嘘を言い、しかも偽の証人まで連れてきました。
その証人は、運転中に見かけたそうですが、図の様な感じでぶつかっているので、正直どの方向からも、何が起きたのか、見える訳が無いのです。オマケに彼女の後ろには、友人の車(一瞬、前を見ておらず、瞬間を見ていなかったそうです)が走っていたので、後方からも見ることは出来ないはずなのですが・・・。

普通なら、その証人が嘘を言っているかどうかも含めて、裁判で争うことになるのですが、ココでは、そんな常識は通用しません。

オマケに普通なら、事故車を警察も一緒に検証して、傷によっても事故の究明が行われますが、そんな事は行われません。

方や証人が居て、もう片方(友人奥さん)は証人が居ない・・・という事だけで、100%友人の奥さんの責任にしよう・・・・というのが、ココの保険会社のやり方なのです。

この場合、相手の責任を証明するには、裁判等が必要になり、さまざまな質問から、証人の言っている事が信用するに値するかを確認する必要があります。そんな面倒な事はしたくない。友人妻を悪くして免責を払わせるのが、一番手っ取り早い、簡単な方法なのです。

これでは、まるで無法地帯です。嘘を検証される事も無いので、事故が起きれば、徹底的に辻褄合わなくても嘘を言い続けます。証人もでっち上げます。そして、普通なら、保険で嫌な思いをしたら、他に乗り換えれば良いのですが、それも出来ません。
競争も無いので、サービスは下がり放題で、料金は上がり放題。私の様に免許暦25年で自己責任の事故無しでも、1800ドル以上という、他の国の10代の若者並みの保険料を払うことになります。仮に500ドルの車を買っても、保険料は同じ、そして、メルセデスのEクラスでも、精々2200ドル位と、実に不思議な料金体系になっています。

人も調べない、車も調べない、それでもって気分次第、会社の損得次第で適当にどちらが悪いかを決めるのです。

バンクーバーの自動車社会は、稀に見る無法地帯と化しています。かつて、カナダと比べてニュージーランドは運転マナーが悪いと思ったものでしたが、今はコチラの方が遥かに悪いですね。急激に人口が増えると、こういう事が起きるのです。
こんな所で運転してたら、命が幾らあっても足りないですし、自分が普通に運転していても、ガンガンぶつかってこられて、年中保険会社と争っている・・・・恐ろしいものです。

マーキュリー・グランドマーキス

マーキュリー
11 /11 2012
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写真のモデルは、95年~97年の間に生産された、マーキュリー・グランドマーキスです。
塗装のクリアーも剥げ落ち、適当なホイールを履いて、如何にも日常の足として長年酷使されてきたことは容易に想像付きます。

それにしても、こんな感じの「一般仕様」のグランドマーキスも、本当に見なくなったものです。

しかし、不思議なことに、最低でも15年は経っているこの車が、程度こそイマイチながら、余り古さを感じないのです。
私が以前カナダに居た96年当時、15年前の車というと、80年代初頭の車ということになりましたが、その頃の感覚では、80年代後半の車でも、既にボロボロ、80年代初頭の車というと、半分土に還っているといって良い程、ボロボロに錆びていたものです。

それに比べると、塗装こそ痛んでいるものの、そんなに酷く見えないのです。
やはり90年代の車は、静電塗装に亜鉛鋼板を使うことで、錆を大幅に減らしたこととも関係ありますが、やはり、この車が若干スタイルを変えながら、ごく最近まで生産されていた為に、大変に見慣れた存在であることも、古臭く感じさせない一員なのかも知れません。

そして、80年代の角ばったボロボロのフルサイズカーが、何処かアウトローな雰囲気を漂わせているのに対して、この手には、その雰囲気が皆無です。
コチラのアウトローの方々が、その手の車に乗ることはあっても、正直この手のグランドマーキスで爆音を立てながら・・・・というのは、見かけない気がします。 

因みにマーキュリーは2004年にカナダから撤退しており、このグランドマーキスのみ、業販を主に、唯一カナダで販売されるマーキュリーとして、2011年まで継続されました。

シボレー・キャバリエ vs ポンティアック・サンバード GMの金太郎飴

GM
11 /10 2012
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シボレー・キャバリエ

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ポンティアック・サンバード

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シボレー・キャバリエ

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ポンティアック・サンバード


80年代のGMは、どの車もグリルトランプ類以外、全部同じ、要するに金太郎飴と酷評されたものですが、のこシボレー・キャバリエ、ポンティアック・サンバードもそれに当たります。

80年代初頭、日本車を打ち負かす為に登場した、通称Jカーですが、価格的にも、品質的にも、性能的にも、全く日本車に太刀打ち出来ずにいました。

それを救ったのが、プラザ合意以降の円高で、日本車が大幅値上げされると、割安感が出て、GMの最廉価モデルとして、それなりの数を裁いていました。
そして、この車に関して意外なのは、当初、キャデラック、ビュイック、オールズモビル、ポンティアック、シボレーの全ての部門から販売されていたことです。その事からも、如何に期待が大きかったかが分かるというものですが・・・・後のリストラで、ポンティアックとシボレーのみが生き残りました。

偶然に通りで、そのキャバリエとサンバードが、しかも全く同じ色が並んでいました!20年も前の車が偶然に・・・・普段なら間違いなく通り過ぎるJカーですが、流石にコレは珍しく、写真に収めました。

こうやって比べると・・・・やはり、どう見ても同じ車なのですが・・・・ポンティアックの方が少しスポーティーに見える様な・・・・いえ、やっぱり同じ車ですね・・・・。

日本のメーカーを恐怖におののかせたXカー、このJカー、そしてWカーというと、GMの官僚主義がもたらした3大失敗作として有名ですが、如何に物好きな私でも、昔は嫌いだったけど、今改めて見ると・・・・という感覚は、残念ながら皆無ですね・・・。

写真では、余り分かりませんが、実際には、両者共、かなりボロボロな車でした。こんな500ドル以下で買えそうな車でも、保険に入ると2000ドル近く取られて、事故起こしても300ドルの免責払って500ドル帰ってくるかどうか・・・カナダの保険事情は恐ろしく悪く、こんな車の保険に2000ドル払える人って、結構裕福な印象すらあります。

(加筆)
キャバリエの性能の悪さは、そのエンジンによるものもありました。Jカーの開発当時、新型エンジンを開発するか、旧来のエンジンを使うかを決める為に、無作為で社員の車に、内緒でタコグラフを装着して、運転パターンのデータを取ったところ、殆どの人が3000rpm以上は余り使っていないという結果が出て、それなら旧型エンジンで十分ということになったのです。

80年代初頭のアメリカ人、しかもデトロイト在住のGMの社員の車というと、殆どが大型車であったことが容易に想像できますが、そんな車から取ったデータを、そのまま2リッタークラスの小型車に当てはめてしまう辺り、やはり数字しか分からないマーケティングの専門家による傲慢さの表れであると思います。

そして、日本車と同等のサイズであったからこそ、余計にそのアラが目立ってしまったのだと思います。

3大学の認可問題について

ニュース
11 /09 2012
この問題に関して、一転して認可することに決めた田中真紀子文化相ですが、この問題、どう思われますか?

先ず、少子化の日本で現在、大学というと、一部の人気校を除くと、定員割れの所も少なくないのは、よく知られているところです。

元々ゆとり教育で、受験生の学力が低下しているところに、更に定員割れで誰でも入れる、オマケに誰でも卒業できるとなると、そんな人材が使い物になる訳がありません。

現在、多くの大学が同じ様な問題を抱えているのにも関わらず、更に新しい大学というのも如何なものか?というのが、正直な感想です。

大体少子化少子化と騒いでいますが、そんな事は10年も前に分かっていた事です。それなのに、少子化対策をしている日本の大学が、どの程度あるでしょうか?

例えば少子化で新入生の数が少ないのなら、新たに「大人」の方にターゲットを向ければ良いだけの話しなのです。

欧米の大学では、何が何でも4年間行くという規定も無く、例えば長年働いている者が、新技術に対応する為に、大学の講義の一部を受講するというのは、一般的なことです。そして近年は、時間の無い社会人の為に、オンラインのコースも充実しています。

日本の場合、例えば私達の年代など、受験戦争が凄まじく、並大抵の学力では、大学には行けない時代でした。そんな人でも、例えばオンラインで夜間に勉強できるのなら・・・・という人は、決して少なくないことでしょう。

現在、定年を迎えつつある団塊の世代だって、今まで時間が無かったけど・・・という人は、決して少なくないことでしょう。

インターネットという新技術のお陰で、フルタイムで働いている人を始め、それまでは学生になり得なかった層を、ターゲットに出来る時代になっており、実際に海外では、そうなっているのですが、日本の大学はどうでしょうか?

未だに4年制の、決まりきった学部に縛られ、ガキのレジャーランドと化しています。システムも50年前と何ら変化の無い・・・・今あるモノでさえそうなのですから、新しい学校を認可したくない・・・・というのは、ある意味正論だと思います。

オマケに日本人は、今でも○○を勉強したいから・・・・、●●教授の講義を受けたいから・・・・という理由で大学を選ぶよりは、名の通った大学に行きたいというのが普通です。事実、平成になってから新設された大学で、経営がうまく行っているところが、どの程度あるでしょうか?

理由はズバリ、同じ偏差値なら、同じ学部なら、名の知れた大学に行きたいと思うのが普通だからです。

今回のこの問題も、田中真紀子女子一人を悪人にして幕引きが行われようとしていますが、現在の日本における、大学の抱える問題抜きに語られるべきではありませんし、国民の意識共々、大学というものの意味を問い質す絶好の機会だったのですが、結局何も変わらないのでしょうね・・・・。

東電OL事件 再審無罪で冤罪の検証が要る(11月8日付・読売社説)

ニュース
11 /08 2012
事件から15年を経ての無罪確定である。
  冤罪 ( えんざい ) を引き起こした捜査当局と裁判所の責任は重い。
 東京電力の女性社員が1997年に殺害された事件の再審で、東京高裁は無期懲役となったネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリさん(46)を無罪とする判決を言い渡した。
 高裁が「第三者が犯人である疑いが強い」と判断した以上、当然の結論と言える。検察は上告する権利の放棄を申し立てた。

 無罪を決定付けたのは、被害者の手の爪に残っていた付着物だ。マイナリさんとは異なる人物のDNA型が検出されていた。
 判決はこの鑑定結果を重視した上で、「女性が首を絞められて殺害される際、 渾身 ( こんしん ) の力で犯人の手をつかんで引き離そうとしたと想定される」と認定した。

 弁護側が爪の付着物について、検察側に鑑定を求めたのは、マイナリさんが服役していた2007年1月のことだ。しかし、検察は「爪からは何も検出されていない」と付着物の存在さえ否定する回答をしていた。

 その後、女性の胸などに残された体液から第三者のDNA型が見つかった。これにより、再審開始が決定し、追いつめられた検察は「存在しない」としていた爪の付着物を鑑定した結果、同じ第三者のDNA型が検出された。

 ところが、あきれたことに、検察は「証拠隠しはない」と居直っている。過ちを認めず、冤罪に至った経緯の検証を一切行わない姿勢も示している。
 極めて問題である。

 自分が不利になりそうな証拠は開示しないという姿勢をたださなければ、国民の検察不信は一段と深まるだろう。
 日本弁護士連合会は昨年1月、捜査機関や裁判所から独立した冤罪検証組織を国会に設けるべきだとする提言を発表した。検察が自浄能力を発揮しないのなら、こうした声も無視できなくなろう。

 裁判所も猛省が必要だ。1審の無罪判決を破棄し、逆転有罪とした高裁、その判断を支持した最高裁の誤判により、マイナリさんは長期間、自由を奪われた。

 マイナリさんは検察や裁判所に対し、「どうして私がこんな目にあったのか、よく調べ、よく考えてください」とのコメントを出した。これに応えねばならない。

 警視庁は再捜査に乗り出す方針だ。再審無罪が確定するまでに、新たに見つかったDNA型は、真犯人に結びつく重要な証拠となろう。徹底捜査を望みたい。
(2012年11月8日02時00分  読売新聞)

この事件は、私が以前、カナダから帰国した日に発生したもので、大変に印象に残っています。

それにしても、明らかに検察が証拠隠滅を図っていた事、それによって、無罪の外国人が長期間、冤罪を着せられ、刑に服していたと言う事実・・・・これだけお粗末ながら、検察という機関に全く反省の色すら見えません。

こんな機関が法を司るとしたら、それは恐ろしいことです。一人の責任も問われないのは、全く信じられません。
そして、その裏には、検察よりも更に力の有る何者かが、糸を引いていることは、容易に想像できます。

原発と全く関係無いのか?結局この事件も、これで闇に葬られようとしています。
外国人の元容疑者を釈放して、後は全て藪の中・・・・未だ真犯人は逮捕されていませんし、逮捕される事も無いでしょう。

メディアも、被害女性のプライバシーを面白おかしく書き立てるだけで、その後の報道には、きわめて消極的です。

ある意味、日本の腐敗を象徴する事件の様に思えて、仕方ありません。


ダイハツ D-X 軽スポーツカーの復活?

無題
11 /03 2012
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ダイハツD-Xは、今年の東京モーターショーに出展された、軽スポーツカーです。
軽のスポーツカーというと、ホンダが60年代初頭、車に進出する際に発表したS360(発売されず)が最初ですが、結局市販されたモデルといえば、90年代初頭の、ホンダ・ビート、スズキ・カプチーノ、マツダのオートザムAZ-1辺りが記憶に新しいところですが、それらは、バブル時に開発され、発売された時には、既にバブルが崩壊しており、どれも個性的な車ながら、思う様な販売実績が残せず、どれもモデルチェンジされること無く、消えて行く運命を辿りました。

そして次が、2002年に登場した、ダイハツ・コペンになります。
この車も、大変に良く出来た車だったのですが、既にスポーツカーの需要が皆無といって良い位の日本に於いて、やはり然程目立つものではありませんでした。

こうやって見てみると、軽のスポーツカーは成功したことが無い・・・・という事が判ります。

身軽でスポーティーで・・・・・と、確かにそれはそれで魅力有るのでしょうが、軽自動車で、しかも使い道の限られたこの手の車に150万程度の金を払うというのは、やはり、ある程度裕福な人の車ということになると思います。

バブルの頃は、スポーツカーや高級車に乗っている人は、女性からカッコいいと思われる傾向にありましたが、今は逆に、ネガティブな印象を持たれるということで、そうなると、少なくとも、若者を取り込むのは難しいかも知れません。

それにしても、凄まじいデザインです。コペンがシンプルで上品なデザインであったことを考えると、仮にもコレが同じメーカーの製品とは思えない出来です。
日本人にとってのスポーティーは、何故か下品にしかならないですね・・・・。

やはり、確実に過去10年でデザイナーの質が落ちているということなのでしょうか?

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。