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リンカーン・マークⅦ サイドモールのデザイン的役割 Lincoln MarkⅦ

カーデザイン スタジオ
06 /26 2011
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流石はリンカーンとあり、高級感の有る仕上げですが・・・何処かが間延びしている様に見えます。


リンカーン・マークⅦが発売されたのは、1983年のことで、兄弟車のフォード・サンダーバード、マーキュリー・クーガーと共に、従来のゴシック調スタイルを捨て去り、ヨーロッパ的なラインで登場しました。

その中でも、マークⅦは、やはり最高級というだけあり、他の2者と比べると、比較的直線的で、ある意味、よりアメリカ的なテイストを残していました。

ところがこの車・・・・どうもデザイン的にイマイチ・・・・というのが、私の正直な感想でした。兄弟のサンダーバードの方が、バランスが良い様に思うのです。
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コチラはサンダーバード・・・・高級感では劣るものの、正直コチラの方がバランス良く見えます。


一体何がいけないのでしょうか?
コチラはマークⅦを横から見たモノですが・・・・・やはり何処か間延びしています。
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トランクに残る伝統的なホイールアーチ、独特な形状のリアガラス辺りには、好感を持っているのですが・・・・。正直クウォーターガラスの形状も、出来るなら、もう少し色気を出したいところですが、もう少し簡単なところに手を加えましょう・・・・。
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正直、これだけでも随分と精悍さが増しました。単に、クローム仕上げのサイドモールの位置を持ち上げ、バンパーの上面に合わせただけで、こんなに印象が変わるのです。
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この事からも、たかがドアモールとは言え、デザインに与える影響は極めて大きい事が分かります。何といっても、見るものの視点を大きく左右する要素だけに、本来ならデザイン工程で、それこそミリ単位で取り付け位置を決める必要が有るのですが・・・・。

そして今日、殆どの車から、ドアモールが消えてしまいました。コストダウン、空力・・・・理由は有るのでしょうが、やはり、プロテクターとしての役目も当然ですが、デザインを引き締めるという役割も決して少なくないだけに、残念なことです。

オバマ大統領、アフガン駐留軍の撤収規模発表へ

ニュース
06 /22 2011
【ワシントン=黒瀬悦成】オバマ米政権の高官は20日、オバマ大統領が22日に演説し、7月に予定されるアフガニスタン駐留米軍の撤収規模や時期について発表することを明らかにした。

演説では来月の撤収規模に加え、大統領が「増派戦略」に基づき昨年初頭に追加派遣した米軍部隊3万3000人の処遇を含む、中長期的な撤収計画に関しても明らかにされる見通し。

議会民主党などは、国際テロ組織アル・カーイダ指導者ウサマ・ビンラーディンの殺害などを理由に、大規模撤収に踏み切るべきだと主張。しかし、ゲーツ国防長官や軍部は、性急な撤収は旧支配勢力タリバンを利する結果となりかねないとして、慎重姿勢を示している。
最終更新:6月21日(火)10時49分


やはり思った通りになりました。
何故あのタイミングで、ビン・ラーディンの殺害を発表したのか?その殺害に関しても、一切証拠と思える映像も無く、真相は藪の中・・・・。

それだけ重要な人物を長期間、居場所を特定してモニターしておきながら、生け捕りにして裁判に掛ける事も無く、殺害という、国際法から観ても疑問符の付く幕切れ・・・・。

そこには、泥沼化したアフガニスタンから撤退する為の口実が必要であったことは明白です。

何も無しに撤退では、次の選挙で、確実に不利になります。そこで、ビン・ラーディンを殺したと発表する事で、撤退する「言い訳」が出来たのです。

オバマ政権になって、更に兵力増強したものの、全く解決の糸口が見出せないアフガニスタン・・・・・かつて、あのソ連でさえ投げ出した国です。アメリカの「サラリーマン兵士」に歯が立つ訳がありません。

普段は一般市民を装っているゲリラを相手に、正規軍が勝つことが、非常に困難です。敵が何処に居るか分からない以上、先制攻撃を掛ける訳にも行かず、しかも攻撃すれば、一般市民の虐殺になってしまうのですから。

イラクに次ぎ、アフガニスタンも引っかき回しただけで撤退・・・・・やはりオバマ政権になっても、何一つアメリカという国が変わっていないのを、明確に物語っています。そして、両国ともこれだけ甚大な犠牲を出したところで、アメリカを支配する裏方は、莫大な富を得ているというのも変わっていません。


元ポリスカー フォード・クラウン・ビクトリア

フォード
06 /20 2011
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以前、現役引退後のタクシーが、一般車として余生を送っている姿を紹介しましたが、コレは、ポリスカーにも同様な事が起こっています。

タクシーと同様、小まめに街中を走るポリスカーは、非常に酷使されている事が多く、同じく数年毎に入れ替えが行われます。よって、10年前の物が今も現役・・・・ということは有りません。

先日街中で見かけたフォード・クラウン・ビクトリアですが、何処か何かイメージが違います。

一般仕様と比較すると、

1.黒塗りのフロントグリル・・・・・一般仕様は、クローム仕上げになっています。
2.センター部分のみのホイールキャップ・・・・・・一般仕様は、アルミホイールか、スポークホイール状のホイールキャップが付いている場合が殆どです。
3.白い車体色・・・・・一般仕様のオーナーは、ほぼ100パーセント年配者で、メタリックの塗装が一般的です。
4. 敢えてフロントドアにモールが無いのは、ポリスのマークが入るから・・・・。

その様に考えると、私の目には、この車は、かなり異質に見えました。

コチラのポリスカーは、皆カッティングシートで外装を仕上げているので、引退後は、装備一式を取り外し、外装のカッティングシートも全て剥がすと、この様な姿になるのですが・・・・・それでも、年配者の好む、クロームをふんだんに使用したソレと比べると、随分と雰囲気が違うと思います。

因みに覆面パトカーの場合は、フロントバンパーにガードが付いていること、そして運転席の脇にノートパソコン(
パナソニック・タフブック)が装備されていますが、この車両には、そのどちらも無かったので、引退後の車両ということで間違いないと思います。


インフィニティJ30 日産垂れケツデザイン

カーデザイン スタジオ
06 /14 2011
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少し前に、常連のmonashee61さんのブログで、アメリカ製クラシックカーの「垂れケツ」デザインについて語る機会がありました。そこで、日本人の記憶に新しい、日産のソレを取り上げてみましょう。

90年代初頭の日産は、デザインで迷走しました。80年代末、立て続けにヒットを飛ばし、絶好調であったのが嘘の様に、90年代に入ると、バブル期に企画された車たちは、軒並みモデルチェンジで外し、その結果、深刻な経営危機から、ルノー傘下に甘んじることになったのですが・・・・。

その中でも、取り分け賛美両論(むしろ否定意見が大半だったと思います)を呼んだのが、「垂れケツ」スタイルでした。最初に採用されたのが91年に登場したブルーバードでしたが、先代のクリーンで直線的なスタイルと比較すると、余りの変わり様に、すっかり人気を失うことになりました。

そして、翌年登場したのが、今回取り上げるインフィニティJ30、日本名ニッサン・レパード・Jフェリーですが、コレもブルーバードを拡大した様なスタイルで登場しました。

写真をみてお判りの様に、トランクが大きく傾斜しているのが特徴ですが、実はこのスタイルは、1940年代から50年代初頭のアメリカ車では、比較的一般的な「流線型」スタイルだったのです。

それどころか、60年代の銘車として名高い、ジャガーMK2にも、同様の処理が見て取れます。
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ジャガーMK2・・・・・上品な佇まいは、決して衰えることは有りません。


こうやって過去の銘車達に比べて、何故ニッサンは批判の対象になったのでしょうか?

先ず最初に気がつくのが、フロント周りが極平凡なデザンンなのに対して、後ろだけ別な車?という印象を受けるのです。
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その理由が何処にあるのか?と思って観察してみると、比較的フロント周りがゆったりしているのに対して、リア周りがどうも小じんまりとしており、ユッタリ感が欠けている様です。コレでは優雅な雰囲気が演出出来る訳も有りません。
特に写真の赤丸の部分が気になったので、フォトショップで手を加えてみました。

先ずはリア周りを少し延長してやりました。
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1. 幼稚なラインを見せる「プレスドア」のラインを消しました。
2. Cピラー~トランクを、そのまま後方に移動させることで、若干全長は長くなりましたが、ユッタリ感が出ました。トランクのラインには、一切手を加えていません。
3. この車のリア周りのユッタリ感を最もスポイルしているのは、実はリアホイールの位置だったのでは?ということで、リアホイールを後方に移動してあります。

例えば風格の無いフロントマスク等、他にも色々と有りますが、「垂れケツ」のラインに手を加えずとも、随分と良くなったと思います。

ブルーバードに続き、Jフェリーの失敗も有り、それ以降ニッサンは、この垂れケツスタイルを完全に引っ込めてしまい、そしてデザイナーの総入れ替えをしたという噂も聞こえてきました。コレも、デザインモチーフが悪いのでは無く、詰めの甘さによって殺されたデザインの典型だと思います。


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コチラはブルーバードですが、余りに評判が悪いので、トランクのラインを隠す為に、積極的にスポイラーが装備されました。

ダラ~っと低い位置にあるサイドのプレスライン、だらしない形でアクセントが無いリアバンパーのせいで、全てが台無しでした。


流石に2作目とあって、ブルーバードよりは確実に良くなってはいたものの・・・・やはり完成度はイマイチでした。

当時、テレビ神奈川の「新車情報」にて、「このデザインが理解されないのは、日本人のレベルが低いから」というメーカー担当者の話がありました。事実アメリカではもっと売れていると・・・・。

これは、とんでも無い勘違いで、別にアメリカ人は、このデザインがカッコイイと思って買っていた訳では無いのです。日本人ほどデザインに五月蝿くなくて、適当に安ければ、適当に売れた・・・ただそれだけの話しです。

やはり、当時のニッサンのデザイナー、そして担当者は、相当に思い上がっていたというのが正直な印象です。



Mercury Cougar マーキュリー・クーガーのデザイン

カーデザイン スタジオ
06 /12 2011
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元々マスタングの兄貴分として登場したマーキュリー・クーガーも、マスタングのダウンサイジング(マスタングⅡ)の登場に合わせて、一サイズ大きいサンダーバードの兄弟車として生まれ変わり、97年の生産中止まで、その関係は続きました。

さて、サンダーバード・クーガー兄弟といえば、80年代、フォードのエアロデザインの先駆けでもありました。

その時から、サンダーバードのヨーロッパ的なラインに対して、クーガーは和洋折衷では無いですが、何処か中途半端感の拭えないスタイルになってしまいました。

写真のモデルは、89年に登場した最終型クーガーですが、同時に登場したサンダーバードが、BMWのパクリ?という感じで、全くアメリカ的な匂いが無かったのに対して、何処と無くアメリカ的なソレを感じたのですが・・・・。

正直実物は、写真より良く見えるのですが・・・・何処か中途半端というか、何か煮え切らないものを感じるのも、また事実でした。

特にリアガラスを垂直に切り落とした、所謂シビアノッチバックは、この当時、アメリカでは一般的な手法でしたが、どうもイマイチバランスを欠いている様に思うのです。

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赤丸の部分のホイールアーチと、クウォーターグラスの下端の位置関係のお陰で、その部分が非常に細く見え、それが不安定感を増しているのではないか?

そう考えて、その辺に手を加えてみることにしました。
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その結果が、此方です。クウォーターグラスの下端を跳ね上げることで、ホイールアーチとの間隔が広がるのと同時に、躍動感も出ました。そして、全体的なバランスから、もう少しリアガラスを傾斜させた方が良いのでは・・・・と考えた結果がコレです。

イヤ・・・・シビアノッチバックは外せない・・・・と言うのでしたら、此方は如何でしょうか?
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この車のもう一つの欠点は、クウォーターグラスの形状でした。全く抑揚が無い上に、ただダラダラとだだっ広いだけなので、もう少しメリハリのある形状に変更、それによってCピラーが太めになったことも、安定感を増すのに貢献しています。コレなら、簡単なカスタムレベルで出来そうですね・・・・・。

此方は、どちらかというと、よりアメリカ的な雰囲気となりました。

最後に蛇足となりますが、こんな例もあります。
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コレは、70年代に流行したビニールトップを取り付けたものですが、よりアメリカ的な雰囲気となりました。同時にスポーティーさはスポイルされましたが・・・・・。実はこのビニールトップは、79年式キャデラック・エルドラードのソレを拝借し、そのままフォトショップで貼り付け、色調補正をしただけのものなのですが、意外な程違和感無く収まっていると思いませんか?

こうやって色々と弄ってみた結果、やはりこの車、最後の最後でデザインの詰めが甘かった・・・・と言わざるを獲ません。そういう意味で、大変に勿体無い車でした。

因みに此方は同時代のサンダーバードですが兄弟とは思えない位雰囲気が違います。何だかんだ言ったところで、やはりクーガーの方が私の好みです。
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フォード・サンダーバード・・・・初めてこの車を写真で見た時の驚きは、忘れられません。余りにBMWに似ていて愕然としたものでした。正直、重心の位置が曖昧なデザインだと思います。



USホンダ アコード・クーペ

日本車
06 /11 2011
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アコード・クーペ・・・・・車のデザインは、Cピラーの周辺の処理で、大いにイメージが変わりますが、この車も例外でなく、セダンに比べ、随分とスポーティーに見えたものでした。


多くの日本人にとって、ホンダがアメリカで車を生産していることを知ったのは、このアコード・クーペによるところが大きいのではないでしょうか?

3代目のアコードは、リトラクタブルライトが特徴的で、2代目の地味な雰囲気から一転して、日本でも大いに人気を博したものでした。

そして、もう一つの特徴が、今では当たり前のことながら、アメリカ市場と日本市場で、ボディー形式が異なっていたことでした。

日本では、通常のセダンの他に、エアロデッキと呼ばれる、丁度現在のスバル・インプレッサのワゴンの様な「長めのハッチバック」が用意されていたのに対して、アメリカでは、セダン、クーペ、そして初代アコードからの伝統である3/5ドアのファーストバックが用意されていました。

そして、このアコード・クーペは、日本では「アメリカ車」として限定販売されたものでした。
ホンダとは言ったものの、アメリカの部品を使い、アメリカで生産したモデル故に左ハンドルで、装備も非常に充実しており、内装の派手な色使いといい、日本車とは一味違う雰囲気が漂っており、価格は280万位したのではないでしょうか?それでも、折からのバブル景気も手伝って、結構人気を得たものでした。

そして、次の5代目では、クーペとワゴンがアメリカホンダ製ながら、正規モデルとして加わり、国内生産は、セダンのみとなりました。ところが、この頃には、既にバブルが崩壊し、人々の嗜好も、パーソナルカー的な要素の強いクーペでは無く、ワゴンに移って行き、事実このモデルでは、ワゴンが主力になっていました。

そして、同じホンダとは言え、やはり組み付け精度などは、日本製に比べて一歩劣る・・・・というのも、整備の現場での偽らざる感想でした。

忘れられないのが、ハンドルが真っ直ぐでないという苦情で、これは「カマボコ状」の路面の右側を走るか、左側を走るか・・・・・の違いで、同じ車でも、若干ホイール・アライメントに「プラスαの味付け」が必要だということを、教えてくれる出来事でもありました。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。